03 誰も知らないあなたの行方(3)
ランプの町『ヴァダン』に到着したのは日が暮れてからだ。
夕食の時間も重なり、町は賑わっていた。都に比べれば少ないらしいが初めての人混みに気圧されてしまった。
「はぐれるなよ」
ヤシロにからかわれる。
「手を繋いだほうがいい?」
セイクに手を差し出される。
「平気だから!」
初めて大きな町に来たからって子ども扱いしないで欲しい。物珍しさにきょろきょろしてしまったのは否定できないけれど。
宿に荷物を預けたあと、着替えやら何やらいるだろうとヤシロに皮袋を渡された。入っていた硬貨を受け取れないと返そうとしたところ、そういうのは甘えろと叱られた。食事もそうだ。全てヤシロの世話になってしまっている。せめて働けて返せたらと思い、行商の手伝いを申請したところあっさり断られた。
魔法が使えないから役に立たないと思われたのかな。
町に到着するまで、二人には先生としー兄や森での生活の話。それから、私が十歳を超えても精霊が見つけられない『特異体質』だと話した。セイクは薄々気づいていたそうだ。嬉しそうに微笑んでいたのが印象的だった。ヤシロは表情を変えずにわかったと言い、あまり人に話すなと釘を刺された。
「先生は何も話さなかったのか」
話すとは何をだろう。頷けばそうかと短い返答がきた。それ以上、尋ねられなかった。
ランプの町『ヴァダン』は、その名の通りランプが名産だ。特に色ガラスのランプが有名だ。精霊の家の産地でもある。建物の軒下に精霊の家が吊され、家の形状も様々だ。精霊の家は造りが凝っているものほど高くなり、精霊の飽きが遅くなる。要するに精霊石を交換する期間が延びるのだ。高級品となると十年も持つらしい。
精霊の家の青白い灯が夜の『ヴァダン』を照らす。ランプ通りと呼ばれる商店街の店の窓際には色とりどりのガラスのランプが並べられていた。青白い灯と色ガラスの明かり。この光景は観光地となっている。
「夜に人が出歩けるのは、まだ治安がいい証拠だよ」
夜の森は危ないから外にでてはいけない。先生に教え込まれた私にとっては不思議な感覚だ。
「なんだか悪いことをしているみたい」
「まぁ、夜は子どもの寝る時間だからな」
「ヤシロ!」
ヤシロが逃げた。大柄な体躯のくせにするすると雑踏を抜けていく。追いかけようとした途端、小柄な影が脚の間を通り過ぎた。転びそうになるのを踏みとどまる。
振り返ると赤い猫がいた。
毛並みの長い猫だ。精霊の家とランプの明かりを浴びて赤色が淡い輪郭を帯びる。人混みの中、猫は行儀よく座っていた。
「どうかした?」
「猫が」
「猫?」
指を差した場所に赤い猫はいない。
「おい、お前ら。晩飯、ここにするぞ」
ヤシロが立っていた店は幌馬車の看板がぶら下がっていた。幌馬車の横にナイフとフォークが交差した絵がある。宿駅と似た看板だが店の隣に馬小屋はない。それにヤシロの馬は宿にいる。疑問が顔にでてしまったらしい。説明してくれた。
「あぁ、ここは宿駅じゃない。同業者が集まる酒場だ。要は同業者組合の集会場だな」
たいていの町には同業者組合が経営する酒場があるそうだ。行商人だけではなく、その町で店を経営している人も来る。色々な種族が集まり、情報交換をする場所と聞いたけれど。
「ねぇ、セイク」
「ん?」
「ヤシロ、呑みたかっただけ?」
「うん、そうだね」
酒場は盛り上がっていた。どちらかといえば、騒がしいの領域に入るくらい。男たちは投げた硬貨を手の甲に隠し、表か裏か当てるゲームをしていた。当てたら酒を奢ってもらい、負けたら奢る勝負。
「金銭が発生していないだけいいほうだよ。まぁ、僕がいるからおとなしくしているだけなのかな。ね?」
セイクが近くの席に座っていた人に声をかければ、わざとらしく目を逸らされた。
「神使は全てを取り締まるわけではないんだけどなぁ。これって差別だと思わない?」
セイクが神使だと知った人はたいてい珍しがる。奇異の目にも晒されやすい。神使だからと不当な扱いを受けているのならそれは差別だ。力強く頷けば「空の子は優しいね」となぜか微笑まれた。
「ヤシロは同業者の間でちょっとした有名人なんだ」
「そうなの?」
「うん、神使を連れてる行商人ってね」
二人で旅にでるようになってから、セイクを神使と聞きつけた人から声をかけられるようになったそうだ。会話ならまだしもその大半は頼みごとばかり。病気を治して欲しい、お金を恵んで欲しい、不作を助けて欲しいなど。期待され、失望され、時には恨まれたこともあったと話すセイクの口調は、のんびりとしているようで他人事のようにも聞こえた。
「セイクは怒らないの?」
「怒る?」
「だって、他人の都合で勝手に期待されて失望されているんだよ」
セイクはきょとんとした。注文したの鶏肉のソテーを眺めながら真剣に悩み始める。
「セイク?」
「そう言われるとは思わなかった」
顔を上げた。曇りのない薄紫の瞳が真っ直ぐに私を映しだす。
「だって、信仰というのはそういうものだろう?」
それが当たり前だと言わんばかりに。
セイクは神様じゃない。万能じゃない。魔法生物に様々な種類があるように、セイクは種族の一種類にしかすぎない。いくら信仰されてもできることは限られる。
「セイクは神使だけれどその前にセイクでしょ。私はまだセイクをそんなに知らないけれど、優しいところも、物知りなところも、人の話を聞かないところもセイクだよ。嫌って思っていないならいいけれど、怒ってもいいときは怒ってもいいと思う」
自分の感情は自分でしかわからないものなのに、自分をどこかで置いてきたような話し方が寂しかった。
「……そうだね。いつだったか、ヤシロにも似たような話をされたね」
ゲームを興じる輪から歓声が上がった。
「ねぇ、空の子。人はいつだって自由を求める種族だ。自分らしい生き方が難しいのに、それでも求めている」
男たちの手拍子と陽気な歌声が響く。テーブルに乗って踊りだす人もいた。
「愛しいよ。どの時代も、いつの人も、僕はとても愛おしい」
柔らかい笑みをみせたセイクは、見守るようで慈しむようで、それでいて偏っているよう思えた。
「ねぇ、セイク。差別的な発言をしてもいい?」
「どうぞ」
「もしかして、神使の中で変わり者って言われる?」
「おい、カナ嬢!」
お酒を持ったヤシロが手を振る。
「踊るぞ!」
いつになく上機嫌のヤシロはどうみてもただの酔っぱらいだ。踊るといわれても踊り方なんて知らない。躊躇っていれば、周囲の男たちが口笛を吹き、どこから持ちだしたのか楽器の演奏を始めた。
「いっておいで」
セイクに勧められ、仕方なく席を立つ。
「そうだよ。だから僕は飛ぶのを止めて絵筆を取ったんだ」
先ほどの質問の答えだろうか。尋ねようとしたとき、痺れを切らしたヤシロに手を捕まれ引き寄せられた。
「ヤシロ! 踊り方なんてわかんないよ!」
「適当だ。適当!」
お酒臭い笑い声に呆れながら、明るい旋律に合わせておぼつかない足取りで踊ってみる。次第に楽しくなり、自然と笑みがこぼれた。
そういえば、神使には翼があると聞いたことがある。日光に当たると虹色に輝く翼を見て、神の使いだといわれるようになったそうだ。けれどこれは昔の話。今を生きる神使たちにその翼は残っているのだろうか。
セイクは空を飛ぶのを止めたと言っていたけれど。
「いってぇ!」
「あ、ごめん!」
案の定、踊り慣れてない私の足はヤシロを踏んだのだった。