02 思い出せない過去の夢(3)
身に覚えがなかった。精霊が見つけられない私に魔法は使えない。そもそも魔法をかけられる理由がわからなかった。
「それもかなり高度な魔法だ。探ろうとしたら阻まれた」
「おい、それって」
「秘匿魔法さ。一歩間違えれば、僕たち神使の仕事になる。僕はあまり仕事をしたくないのだけれど」
神の使いと呼ばれる種族、神使。国が許可をしていない高度な魔法を使用した場合、神様に罰せられる。その罰を与える存在に神使がいる。種族の中でもっとも数が少ないが、長命であり、時には敬われ、畏れられる貴重な種族。
「空の子。身構えなくていいよ。君をどうこうしようとは思っていないから」
「大丈夫だ。カナ嬢。神使にもいろいろいるが、こいつは仕事に不真面目だ」
「不真面目」
セイクは照れ臭そうに頬を掻いたけれど、そもそもヤシロは誉めていない。
「本来はね、魔法云々で罰するのは僕たちの役割ではないんだよ。世界に影響がでたら困るから、掟を作っているだけ。そんなことをしなくたって、いずれ滅ぶものは滅ぶのだから構わないと思うけれどなぁ。主君がそうしろっていうから」
神使が仕えるのは文字通り神様だ。風の少年、または少年王とも呼ばれる風の神様が住む国『エヴィレ』。この国に生まれたのなら、セイクは風の少年の神使だ。
「空の子に会ったときから違和感はあったけど、まさか僕を拒絶してくるなんて。面白いなぁ。そっちに興味が湧いたよ」
「よし、セイク。今すぐにその興味を忘れろ」
「断る」
ヤシロが額を手で覆った。
「俺は関わらないぞ」
「それは構わないけれど、貸したお金をいつ返してくれるんだ?」
呻き声がした。恨みがましそうにセイクを見たあと、テーブルに伏せってしまった。力なく手を振る。了承してくれたのだ。このやりとりで二人の関係を理解した。
「空の子が暮らしていた森。ヤシロはその森に行ったことはあるんだよね?」
「まぁな。だが、俺はその先生とシスイとやらに会っていない」
ヤシロの言うとおり、先生とシスイに会ってはいない。ヤシロが来る日はいつも二人は部屋に閉じこもる。人見知りなのか研究に忙しいのかはさておき、対面していないのだ。ヤシロは私の話でしか二人を知らない。
「なぁ、カナ嬢」
体を起こしたヤシロに呼ばれた。
「前から思っていたんだが、その先生とシスイって誰なんだ?」
「誰って」
先生とシスイは、私の。
「家族だよ」
「先生とシスイは血縁者?」
セイクに尋ねられ、首を振った。
「ねぇ、カナラ。僕の言葉をよくお聞き。君の本当のお母さんとお父さんはどこにいるのかわかる?」
「本当の?」
「そうだ。君の血縁者だ」
けつえんしゃ。まるで家族が血縁者でなければいけないような口振りだ。血の繋がりはそんなに大事なものだろうか。先生は父親だけれど実父ではない。しー兄も兄だけれど実兄ではない。それでも私の家族で大切な人たちだ。
本当の『おかあさん』と『おとうさん』って、なんだろう。
「私はあなたの母親なのよ!」
金切り声が背中に突き刺さる。あぁ、まただ。視界の端に翡翠色の蝶が映る。ひらひらと舞う蝶は私の後ろを飛んでいく。振り返れば、椅子に座っていたおばあさんが立っていた。
セイクとヤシロも気づき、おばあさんを注視した。
「守っていたんだ」
うつむき、コートのフードを目深に被ったおばあさんの表情は窺えない。
「なんだ急に」
ヤシロが私の前に移動する。腰に挿した火の国『シンエン』特製の刀の柄に手をかけた。不穏な空気に立ち上がる。セイクに肩を叩かれた。
「僕の傍にいて。彼女の周りに精霊が集まっている」
声を潜めて教えてくれた。
「そうしたいと、そうでありたいと、そうでなければ生きられないと泣いていたんだ」
淡々と話しだす。脈絡のない話に戸惑っていると、おばあさんは顔を上げた。
顔には何もなかった。
炭で塗りつぶしたような、影のような、真っ黒な固まりがある。鼻も口も目も眉も耳もない。その黒色は顔から首、手足へと浸食させ、コートを着た人型の黒い異形へと姿を変えた。
「これは、驚いた……」
セイクに緊張が走る。
「あれはなんだ」
ヤシロは刀を抜いていた。構え、睨みをきかせる。
異形の顔から、ぼたぼたと粘りけのある黒い液体が落ちた。
「久しぶりだよ、見るのは」
顔の、目に当たる部分に赤い光が宿った。
赤い目を持つ、濃厚な死を纏った存在。
それは。
「魔物だ」
床に落ちた黒い液体が石礫となって飛んできた。セイクが丸テーブルのひっくり返す。鈍い衝撃音が響く。テーブルは穴ぼこにへこんでしまった。次の衝撃には耐えられない。
「紡ぎ唄うは炎の鎖。繋ぎ結んでその身を焦がせ」
「紡ぎ唄うは水の衣。纏い包めてこの身を癒せ」
ヤシロの唄に魔物の唄が重なる。魔物の足元から炎の輪が現れたのは一瞬。ぱんっと水が弾け飛び霧散した。
「魔物が唄に干渉してくるなんて聞いてねぇぞ!」
「これはなかなかだね」
笑い飛ばしたセイクの目が細められる。
「ヤシロ、斬れるか」
「斬れ味が悪くなりそうだ」
「そうだね」
せめてここから出られれば。扉に視線を移し、悲鳴を上げそうになったのをなんとか堪えた。扉はびっしりと蠢く黒色の蔦で覆われていた。しかも扉だけではない。壁もだ。護身用にナイフでも持ってくればよかったが後悔しても武器はない。私に魔法は使えない。
二人が魔物の気を引いている間に脱出方法を探さないと。共有部屋には窓がある。窓の外は長閑な牧草の景色が広がっていた。異様な状態のこことは別世界だ。
窓辺には黒い蔦がなかった。
そういえば、魔物は夜を好む存在だから。
「君の目的は何かな」
魔物に知性があると判断したセイクが話しかけた。制約はあるが神使は魔法に秀でていると聞く。会話しながら精霊を集め、いつでも唄を紡げる状態をつくっているのだろう。
「争いごとは好まないんだ。困っていることがあるのなら、話を聞こうじゃないか」
私は椅子の背もたれを掴んだ。
「先程、守っていたと言ったね。何をだ?」
私の動きに気づいたヤシロが声をかける前に走り出した。椅子を持ち上げ、窓に向かって投げつける。窓ガラスが割れ、椅子が外へ飛びだす。外の空気が流れ込み、黒色の蔦が魔物へと集まっていく。
「二人とも早く!」
「おや、空の子は大胆」
「このお転婆が!」
刀を納めたヤシロが駆け寄る。ヤシロの背中を守るようにセイクが後退する。魔物は動かない。窓枠を登ろうとするとヤシロに抱えられた。
「破片に気をつけろ」
「下ろして、自分で出れるよ!」
この年になって抱えられるのは不満である。
「カナ。やっぱり、外がいいのか」
ヤシロが窓枠に足をかけたとき、名前を呼ばれた。セイクでもおばあさんでもない。私の知っている呼び方。たった一人しか、呼ばない愛称。
「しー兄?」
そこにいたのは、おばあさんでも魔物でもない。
シスイだった。
「どうしてそこにいるの……?」
「妖精ラジオはもう卒業か」
いつものようにへにゃりと笑う。しー兄の言っていることがわからない。どうしてそこにいるのか。魔物のコートを着ているのか。どうして。ねぇ、どうして。
「行くぞ、カナ嬢!」
ヤシロが窓から下りる直前、しー兄の周囲にあの翡翠色の蝶が何匹も飛んでいた。
魔法にかかっているとセイクは言っていた。
私に魔法をかけたのは、誰。
教えてよ、しー兄。