表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
嘘つきな青  作者: 椎乃みやこ
第1部 空色少女の物語
5/31

02 思い出せない過去の夢(2)

「宿駅?」

「貸し馬屋でもあるな」

 宿駅は行商人や旅人たちが使用する宿泊施設だ。隣の馬小屋は貸し馬といい、次の宿駅まで馬を貸りられる仕組みになっている。

 ヤシロは自分の馬を休ませたいときに、貸し馬を利用するそうだ。先程もその帰り。自分の馬を預け、貸し馬で村に行商に行って来たのだ。

 ちなみに、私の顔を思う存分舐めてきたのはヤシロの馬だった。

「カナラを知っていたから、あんなに懐いていたんだね」

 宿駅はこぢんまりとした内装だ。一階が共有部屋で二階が客室となっている。招かれた共有部屋には、丸テーブルと椅子が乱雑に用意されていた。各々好きなように使っているらしい。暖炉の前で毛布に包まり、コートのフードを被ったまま船を漕いでいるおばあさんがいた。セイクは人差し指を唇の前に立てる。彼女は朝の一仕事を終えて休憩しているそうだ。

 暖炉には、おばあさんが用意してくれた鍋とやかんが鉤にかけられていた。本日の朝食は豆のスープ。やかんにはホットミルク。保存食用の固いパンがひとつ。朝食をセイクは慣れた手つきでテーブルに並べてくれる。手伝おうと席を立てば、いいから座っててと促された。

「マーガレットはお転婆だが、神経質なところがあるからな。知っている顔を見つけて安心したんだろう」

 ヤシロの馬の名前は『マーガレット』。雌馬。

「私としては迷惑だったよ」

「動物に好かれるのは悪いことじゃねぇぜ?」

「そうかなぁ」

 ホットミルクが注がれたカップは温かい。両手で包み込めば、掌にじわじわと熱が伝わってきた。口をつけようとしたところ、小瓶が置かれた。蜂蜜のラベルが貼られた小瓶に驚いて顔を上げれば、セイクが席に座った。

「それ、ヤシロの奢り。ホットミルクは初めて? 蜂蜜を入れたほうがおいしいよ」

「おい待て、セイク。いつの間に俺の商品を持ってきているんだ」

「そういえば、カナラも見たかな。牧草で走っていた一頭。あの馬は気性が激しくてね。そこで眠る彼女の夫、この店の店主である彼が落馬しちゃったんだよ。それで腰を痛めてしまって、ヤシロが村の医者に診せる仕事も増えたんだよ。あの馬、自由に走りたいだけだから放っておけば戻ってくるんだけどね」

 ヤシロを無視して、私が来る前に起こった出来事を話し始めた。にこにこと話し続けるセイクに戸惑い、ヤシロに視線を送れば小瓶を指された。無視して飲めということらしい。

「セイクの悪い癖だ。ほっとけ」

 スープを口に含むヤシロを見てから、私は小瓶の蓋を開けたのだった。


 私の勘違い。セイクは宿駅の店員ではなかった。違うよと実にさっぱりとした返答だった。

「エプロンをつけて食事の用意に慣れていたから」

「あ、これね。これ。うん、そうか。エプロンってそういう効果があるんだね」

 綺麗に完食したヤシロが苦々しい顔になる。

「こいつも俺と同じ、ここの客だ。今は大変ありがたいことに、旅の連れになっている」

「僕としては、一緒に旅をするなら女の子ほうが良かったんだけどね」

「俺も野郎なんざ願い下げだ」

 仲がいいのか悪いのか、二人のやりとりを聞きながら残り少ないホットミルクを飲む。行商人のヤシロはまだしも、セイクの目的はなんだろう。商売がら、ヤシロは怪しまれないように身なりには気を遣っていた。いつも身綺麗にしている。話によれば、いざというときの一張羅もあるらしい。それに対してセイクはそこまで気にしていない。外見だけでも目立つのに、服装は明らかに使い古しのものだ。エプロンにはところどろ汚れがある。染みにしてははっきりとした色がついているあたり、絵の具だろうか。

「ねぇ、セイクは」

「そんなことよりも、僕はカナラの話が聞きたいな」

 遮られたかと思えば、私に話題を振られた。会話からだいたい掴めてきた。セイクはあまり人の話を聞かない。

「ね、だめ。空の子?」

 小首を傾げられる。『空の子』と呼び名までつけられていた。困った。どうしよう。ヤシロに助けを求める視線を送れば、頬杖を突いていた。ありありと面倒臭そうな表情をしている。

「カナ嬢。厄介な奴に好かれたな」

 ヤシロの眼差しには同情が込められていた。

「こいつ、人じゃねぇぞ」

「えっ?」

「やっぱり気づいていなかったのか」

 セイクを見返した。物珍しい白髪に薄紫の目。中性的で柔らかい端麗な顔立ちに、どこか抜けたような話し方。童顔の先生や吊り目のしー兄と違う清らかな雰囲気を纏っている。でも、それだけ。外見は人にしか見えない。

 他種族の話は先生から聞いていたけれど、実際に会ったことはなかった。人以外の種族は減少しつつある。種族によっては希少種と呼ばれる存在もいるそうだ。

「ちなみに、そこにいる彼女は獣人だよ」

「えっ!」

 おばあさんは静かに眠っている。おばあさんもセイクと同じ。人と変わったところはない。

「俺が行商に行った村は獣人の集落だ。良くいえば保守的、悪くいえば閉鎖的な獣人の集まりだな。余所者を恐れるが作物は売りたいし、物は買いたい。それで俺のような行商人が必要になる。村の外に宿駅を作り、交代制で管理しているんだ。ここら一帯はそういった獣人たちが点々といるな」

「でも、街道に線路が敷かれるんだろう。蒸気機関車が走るようになれば、国から宿駅の撤廃の命がくだる」

「行商を続けたい俺としても困るんだがな」

 街道が線路になれば行商ができなくなる。駅舎が建たなければ村が孤立する。国は他の町や村に引っ越すよう勧告をしているが、嫌がる種族もいるのだ。

 ヤシロは椅子の背もたれに腕をかけ、おばあさんに体を向けた。

「なぁ、婆さん。どうせ聞き耳を立てているんだろ。蒸気機関車が通ったらどうするんだ。そろそろ他種族と暮らす決心でもしたらどうだ」

 返事はない。目を閉じ、ぴくりとも動かないおばあさんにヤシロは肩を竦めた。

「村まで運んだ爺さんにも同じ話をしたが、どいつもだんまりだ。今じゃどこも他種族と暮らすのは当たり前だろうに」

「滅ぶのを望んでいるからね」

 穏やかに、淡々とも聞き取れる口調でセイクは続けた。

「生き残るための変化を受け入れる種族もいれば、それを受け入れられない種族もいる。人は変化する生き物だ。発展性があるからこそ、ここまで数を増やしてきた。その血を穢しながら」

 焦げ茶の目が眇められる。

「何が言いたい?」

「僕は事実を言ったまでだよ」

 二人に険悪な空気が漂う。肌に刺さるような雰囲気に落ち着かず、空になったスープ皿に視線を落とした。これは、大人の、子どもが入ってはいけない会話だ。口を固く結び、目の前で行われているのに黙ってやり過ごす。

 この光景をどこかで知っていた。一度だけじゃない。それこそ何度も見飽きるくらいに。そのたびにこうしてうつむいて、目の前の出来事から知らないふりをした。大人の会話だから私には関係ない。自分に言い聞かせて聞こえないふりをした。

 話していたのは誰だっけ。

 いつの間にか、スープ皿に蝶がとまっていた。橋を渡っているときに飛んでいた翡翠色の蝶だ。淡い光を纏った蝶は幻想的だ。ほろほろと落ちる鱗粉にまた惹かれた。今度こそ捕まえようと手を伸ばす。静かに、そっと、気配なく。

 そうだ。綺麗な蝶を捕まえれば、あの人だって。

「ねぇ、あなた聞いているの! この子はまた嘘をついたの!」

 苛立った女性の声音。ちがうの。私の発言は許されない。何を言ったってあの人に否定される。それならいっそ、何も言わないほうが。

「カナラ!」

 顔を上げた。ヤシロとセイクが心配げに私を見ている。

「どうした。ぼぅっとしてたぞ」

 橋を渡ったときもそうだった。誰かの声が聞こえて、気づいたら知らない場所にいた。頭痛がする。引っかかっているのに思い出せない。夜の底を手探りでかき回しているような、見えないものを探しているような感覚。

「そ、そうかな」

 私は今、どこにいるんだっけ。今朝の記憶を辿る。いつものように起床して、しー兄と水汲みにいって喧嘩をした。しー兄を悲しませてしまった。そうだ。しー兄に謝らないと。先生としー兄のところに帰らなくちゃ。

 私の大切な家族のところに帰るんだ。

「空の子、ちょっといいかな」

 返事をする前にセイクは席を立っていた。端麗な顔立ちが近づけられる。緊張のあまり、ヤシロに再び助けを求めようとしたが動く気配はなかった。

「セ、セイクの種族は何?」

神使(しんし)だ」

 紛らわすために質問したところ、ヤシロから意外な答えが返ってきた。

「神使って」

「あ、空の子にとっては僕が初めての神使? 嬉しいなぁ。初神使だ」

 穏やかな口調は変わらず、目が細められた。透き通った紫水晶の瞳に吸い寄せられ、その奥が揺らいだ気がした。

「紡ぎ唄うは水鏡。映し惑いて覗くもの」

 魔法の唄が紡がれる。射抜かれたような痺れがあった。探られ、見られ、覗かれる気持ち悪さ。これ以上はいけない。知られてはいけない。暴かれてはいけない。隠さなければ。また底に沈めるの。わからないように見つからないように深い夜の底に落とすように。

「目を見てはいけないよ」

 頭の中で優しい声が響いた。よく知る声、先生だ。目隠しをされたみたいに視界が暗くなる。焦燥感が消えていき、徐々に呼吸が整う。

「これは絡まっているね」

 セイクの呟きが聞こえたかと思えば、両肩に手を置かれた。

「ねぇ、空の子は精霊を見つけるのが苦手?」

 耳元で囁かれる。頷くと笑った気配がした。

「もう大丈夫だよ。目をお開け」

 目を開けるってどういうことだろう。私の視界は暗いのに。首を傾げれば、セイクがあぁと納得した。

「そう、無意識だったんだね。カナラ、君は目を瞑っているんだ。瞼の開き方はわかるだろう。夜の底から戻っておいで」

 瞼を開ける。先程の光景が戻ってくる。宿駅の共用部屋。丸テーブルと椅子が乱雑に並ぶ暖炉のある場所。セイクが傍に立ち、ヤシロは渋い顔だ。

「お帰り、カナラ」

「……ただいま」

 反射的に答えれば、いい教育を受けているねと褒められた。

「セイク、何かわかったのか」

「魔法をかけられているね」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ