06 空色少女の物語(5)
「しー兄、どうしたの!」
呼びかけてもしー兄は止まらない。縮まらない距離がもどかしかった。瞬きをした瞬間、しー兄が人の姿になっていた。白衣を翻して走る後ろ姿に、なぜだか泣きたくなってしまう。家に引きこもっているから運動は苦手だって言っていたくせに、速いよ。
誘われるように森の奥に入る。私がよく知る森の道。この先に自分の家がある。通り過ぎる木々の中に、人の顔に似た瘤があった。背筋が凍る。精霊樹になった村人たちは、今も縛りつけられている。この中に両親もいるはずだ。
視界が開け、家に辿り着いた。息を切らした私に二人がすぐに追いつく。ヤシロに声をかけられたが動けなかった。
『カナラ』として育った家。その家を囲むように黒竜が寝そべっている。自慢の漆黒の鱗は白く濁り、翼はたたまれている。首から尾にかけて生えていた白銀の鬣の量が減っていた。先生の目は閉じられ、呼吸が乱れている。頭の傍に立っていたしー兄が目を伏せた。
「カナ、先生は砂になりかけている」
「……どうして?」
「魔法が解けたからだ」
優しく告げる声が、鋭利に突き刺さる。
「元々、竜は幻想の生き物だ。この世界の住民ではないと知っているだろ。カナに理想を与え、目を覚ました時点で役目を終えたんだよ。この森を守るのもクオンの姿を保つのも、限界がきていたんだ」
先生に駆け寄り、頭に抱きついた。黒の眼が薄く開いた。
「ごめんね、カナラ。本当は死に場所を探していたんだよ。クオンがいなくなった世界に取り残されたとき、初めて孤独を知った。旅をすればそのうち死ぬだろうと思ったのに、長命種だけになかなか死ねなくてね。しかも困ったことに、この世界は美しかった。そこで君に会ったんだ」
思い出すように目が優しく細められる。
「ねぇ、僕はカナラの先生でいられた? 父親だった? いつも不安だったよ。子どもを持った経験はなかったからね。ちゃんと親らしいことができたかなぁ」
こんなときでも先生は変わらない。のんびりとした口調で私に語りかけるように話してくる。
「カナラはもっと怒っていいし、恨んでもいいんだよ。竜が人を育てるなんておこがましいことをしてしまった。君は人に育てられるべきだった」
先生の巨体が少しずつ白銀の砂になっていく。鱗が一枚、剥がれ落ちた。
「それにね、僕は村人たちを許せなかったんだ。精霊樹になったのを利用して、魂を解放せずこの地に縛りつけた。時折、恨み言や謝罪や助けを求める懇願の声が聞こえてきたけど、無視してあざ笑っていたんだ。君の両親ですら、僕は解放しなかったんだよ」
どうして。喉まで出かかった言葉は先生によって遮られる。
「君は紅玉の魔女に僕と村人たちを解放する方法を聞いたそうだね」
先生に額を当て、もういいと止めても穏やかに話を続けた。
「罰だと思った。それと同時に、許されたと思ったんだよ」
無意識に拳を握りしめていた。
「安心して。僕が消えれば、村人たちの魂は解放される。もちろん両親も。そうしたら、シスイと一緒にここを出て行くんだ。閉じこめられた生活は飽きただろう? 幸いにも、君はよい縁に巡り会えたようだ。そこにいる彼らがきっと助けてくれる」
「そうじゃない……」
先生はちっともわかっていない。額を離し、私は黒竜を睨みつけた。
「カナラ?」
「全然違う!」
私の怒鳴り声にその場にいる全員が驚愕した。
「黙って聞いていれば、どうして勝手に結論づけるの? 私は何も言っていない! 私は怒っていないし、恨んでもいない! お母さんとお父さんも村の人たちも恨んでいない! 恨む恨まないなんてどうでもいいのっ! 私にとって、『カナラ』の私にとって、今の家族が一番なんだ!」
爆発した感情は涙へと変わっていく。勝手にぽたぽたと落ちていく涙を乱暴に拭いながら、私は叫んだ。
「先生が自慢の父親に決まっているじゃない! しー兄が大切な兄で当然じゃない! どうしてそんなことを言うの。私は大好きだよ。大好きなんだ。大好きなの!」
先生が顔を上げ、濡れた頬にすり寄せてきた。
「ごめんね、カナラ。僕は君を悲しませてしまったね」
先生の体の砂化が止まる気配はない。尻尾の鱗も剥がれ落ちていた。私は息を吐き、後ろにいる二人に体を向けた。
「ヤシロ、ナイフを貸して」
「何をするんだ」
話を振られて驚きながらも、野外用の小型ナイフをズボンのポケットから取り出した。
「私の血を先生にあげる」
「馬鹿っ、お前!」
ヤシロからひったくるようにナイフを奪う。
「セイク、私の血は他種族にとって妙薬になるんでしょう」
「なるよ。でも、人の血を覚えた種族が君にとっていい存在のままか保証はできない」
そうと私は返し、掌をナイフで切りつけた。激痛が走る。掌を握り、痛みに耐える。ナイフをヤシロに返却して、私は先生と対面した。
「先生、私の血を飲んで」
「カナラ、その行為を僕たちは『契約』と呼んでいるんだ。そんなことをしたら、君は一生、僕から解放されないよ」
「親は子どもに対して、そういうものだと思っていた」
皮肉げに笑えば、先生は観念したのか目を閉じた。
「そうだね。可愛い娘の頼みなら仕方ない。君の血をもらい、その代わり黒竜である私の真名を教えよう。困ったときに、心の中で強く私を呼んでごらん。助けになろう。そして、その命が燃え尽きるまでこの世界を見届けよう」
「それは竜として?」
「いや、家族としてさ」
にやりと笑った竜の顔がおかしくて、思わず口元が緩んでしまった。
その日、ある森に不思議な現象が起こった。
複数の白い球体が真昼の空へ飛んでいったのだ。目撃をしたある人は吉凶の知らせだと騒ぎ、ある人は白の王の祝福だと喜び、ある人は風の少年が泣いたのだと悲観した。思い思いに語られた出来事は、のちに森に住む竜の物語だと語られる。心優しき黒竜が、森に縛られていた魂を解放した物語として。
けれどそれは、ずっとあとの話だ。
あの魂の群の中に両親を見つけられなかった。私は先生のように声は聞こえない。両親は解放されたと言っていたけれど、私に何を言い残したか教えてくれなかった。
「先に言っておきますけど、カナに手をだしたら殺しますね。泣かしたら殺しますし、困らせても殺します。というか、やっぱりここで殺しておきたい」
物騒な物言いで、人の姿のしー兄がヤシロの幌馬車に私の荷物を載せる。旅の荷物は最小限でいいって言ったのに、先生としー兄はあれこれ世話を焼いてきた。
「カナ嬢、この兄貴。なんとかならねぇの」
「本当は、俺だってついていきたいんですよ! でも、先生に生活能力がないから! 俺が! 仕方なく!」
あれから数ヶ月が過ぎた。魂が解放された一件でこの森が精霊樹だと露見してしまったが、黒竜の住み処である森を保護区域にすべきだとセイクが便宜をはかってくれた。一度芽吹いた精霊樹はどうしようもできない。精霊石と異なり、扱いには気をつけなければならない。乱獲を防ぎ、竜を守るためにも許された者しか入れない区域と認められた。
久しぶりに聖都で職権を行使したと、セイクは清々しく笑っていた。絵で食べているようではない。ヤシロにお金を貸せるぐらいの仕事に就いているのだろう。顔を引きつらせたヤシロを見て、今は職業を聞かないことにした。
おかげでつつがなく、私はあの森で家族と暮らしている。
「ごめんね、しー兄。先生をよろしくね」
けれど、外の世界も忘れられなかった。もっと見て回りたいと先生としー兄に話したとき、二人はあっさり承諾してくれた。
ただし、長旅はまだ危ないから短い期間という条件で。
今度は三大都市のひとつ、学園都市へ向かう。行商ついでに連れて行ってくれるヤシロの好意に甘え、また三人で旅に出ることになった。旅に慣れた行商人であり、元傭兵のヤシロと神使のセイクだ。任せてもいいと先生は判断したのだろう。よろしく頼むよと二人に謝礼を渡していた。
「僕だって家事はできるのになぁ」
先生は不服そうだが、今朝はさっそく皿を割ったのを知っている。
「そろそろ出発しよう」
先に荷台に乗り込んだセイクに呼ばれる。ヤシロも御者台に座った。家族に向き直れば、先生の目が潤んでいた。しー兄は微笑んでいるが寂しさを隠せていなかった。
「カナ、気をつけてな」
「何かあったら僕かシスイを呼ぶんだよ」
心配性の二人に私は頷いた。
「それじゃあ、行ってきます!」
とびっきりの笑顔で荷台に飛び乗る。幌馬車が走り出す。二人の姿が徐々に小さくなっていく。私は大きく手を振った。その姿が見えなくなるまで、何度も。
「全く、カナ嬢の家族は過保護だな」
「そうだね」
見上げた空は、どこまでも青く澄み渡っていた。夕方になれば橙色に染まり、夜になれば黒色になる。空の顔はひとつだけじゃない。人もそうだ。私が知らない先生やしー兄がいたように、一緒に暮らしていても知らない顔がある。隠し事がある。神使や幻獣も魔女にも、そういった一面があるのだろう。
世界はどこまでも嘘つきで。
世界はどこまでも残酷であっても。
それでも私は、この世界を好きでいたい。
「それが、私の自慢の家族だよ」
先生が美しいと言った世界を。
私は歩いていきたいから。
ただ、真っ直ぐに。




