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嘘つきな青  作者: 椎乃みやこ
第1部 空色少女の物語
10/31

04 それでも私は行きたいから(1)

 翌日、御者台で手綱を握っていたのは茶色の行商人ではなく、白髪の神使だった。

「ヤシロ、お酒に弱いくせに飲むんだよね」

 幌馬車の荷台で伏っていたヤシロが呻き声を上げる。起き上がろうとしたが馬車の揺れで気持ち悪さがぶり返したらしい。再び横になり、青くなった顔を手で覆いながら「うるせぇ」と叩く口は苦しそうだ。

「よくあるの?」

「いつもだよ」

 二日酔いの様子を見て午前ではなく午後に出発しようと提案をしたけれど、セイクは首を縦に振らなかった。

「ヤシロはわかっていて飲んだんだ。出発するよ」

 治癒魔法で治療はできないか聞いてみても薬草で充分だと返された。昨日と変わらない穏やかな表情なのに言葉の端々に棘がある。朝からトイレにこもっていたヤシロも行くと言い出し、仕方なく私たちはランプの町『ヴァダン』を後にした。

 酒の臭いが残っているヤシロに毛布を掛け直す。先生もお酒に弱かった。飲むと泣き上戸になった。「ふがいない父親でごめん」とか「先生って呼ばれるほど立派じゃない」とか、一度吐き出した弱音と涙は止めどなく溢れだした。そのたびにしー兄が適当にあしらい、子どもと大人が逆転したような状態になっていた。翌朝、ベッドから起き上がれなくなるのは目に見えている。そのうち、お酒を飲むのはお祝い事のときだけと決まりができた。

 けれど、その決まりを一度だけ先生は破った。

 寝る前に先生に借りていた本を返そうと部屋を訪ねたときだ。いつもは閉めている扉が薄く開いていた。覗きこむと机に頬をつけて寝ている背中があった。机には空になった酒瓶が一本。お酒を好む人でも溺れる人でもない。部屋に入り、丸まった背中に毛布をかける。寝息を立てて眠る先生の横顔は涙で濡れたあとがあった。

 これは、『娘』の私が見てはいけない姿だ。

 机には酒瓶以外に手紙がばらまかれていた。先生がやけ酒を煽ったのはこれが原因だろう。起きる気配はない。ちょっとだけ。そうちょっとだけ。好奇心にかられて手に取った便箋はかなりの癖字だった。

 手紙の内容は先生の安否を気遣うものだった。汚れた質の悪い便箋に綴られた文字は走り書きでもしたのか、ところどころインクが掠れていた。宛名は「親愛なる友へ」。差出人は無記名だ。

 先生を想う誰かがいる。先生が酒を煽るくらい慕う私としー兄以外の知らない誰かが。便箋を元の位置に戻す。読んだあとに冷水をかけられたような、どうしようもない不安が湧き上がった。先生は私の『父親』である以前に一人の人間だ。私の父親になる前は父親ではなかった。先生がどこで何をして先生になったのか、この手紙の差出人とどういう関係なのか、私は何も知らない。

 いつも傍にいても、私たちは近い他人なのだ。

 だから私は知らないふりをした。先生が『先生』で、しー兄が『シスイ』であることを壊さないようにした。

 手紙の末尾には「君が七番目にならないことを祈る」と綴られていた。

 七番目。それは七番目の童話を指しているのだろうか。白の旅人が告げたこれから紡がれる物語を。

「カナ嬢」

 ヤシロの骨張った手が気だるげに私の頭を撫でた。

「顔色、よくねぇな」

「……ヤシロのほうがよっぽど悪いよ」

 先生のことを考えていたら、どうやらまた顔にでてしまったらしい。

 水を飲むかと尋ねたら浅く頷いた。ヤシロの荷物から楕円型の水筒を差し出す。ヤシロは上半身を起こし、飲んでから手の甲で口を拭った。

「悪ぃな。みっともないところを見せた」

「気にしないで。先生もお酒に弱かったから、飲んだあとはいつも寝込んでいた」

「そうか」

 朝に比べてヤシロの顔はだいぶよくなっていた。出発前に飲んだ薬草が効いてきたのだ。セイクはこれから会う魔女の薬を飲めばもっと楽になると言っていたけれど、それだけは嫌だと頑なに拒んでいた。

「ねぇ、紅玉の魔女ってどんな人?」

 とびきりの美人だとセイクは言っていた。一国のお姫様のような人なのだろうか。美人に会うのは初めてだ。楽しみな反面、自分にかかっている魔法をどう言われるのか怖くもあった。魔女の特殊な力。予見。予知する力は、私の未来も見据えるのだろう。

「あー……。シィラか」

 ヤシロが渋面になったのは二日酔いのせいじゃない。昨日の話からも魔女と何があったのか気になった。

「喧嘩でもした?」

「いや、そうじゃねぇ。なんつぅか、こう……」

 言葉を濁して目を逸らされた。揉め事があったのなら、これ以上聞かないほうがいい。私に協力してくれる人を困らせてはいけない。他の話題に切り替えようとしたところ、セイクが口を開いた。

「負けたんだよ」

「セイクっ、てめぇ」

 怒気を含んだ重低音の声を無視して、セイクお得意の話を聞かない癖が発動した。

「魔女の予見を疑って、シィラと勝負して大負けしたんだよ。カードゲームだったんだけどね。負けた人は勝った人が欲しいものを買うっていう勝負」

 それでヤシロは盛大に負けてしまったらしい。

「シィラが要求したのは値が張る代物でね。そのときは僕が立て替えたんだ。結果として、ヤシロはシィラに負けて僕に借金をしたってこと」

 ため息をついてヤシロはうなだれた。だからセイクに弱いのだと納得した。

「彼女の名誉を守るために言っておくけど、予見で勝ったわけではないよ。彼女たちには彼女たちの掟があるからね」

「あのときは酒が入っていたんだ……」

「普段からお酒はほどほどにって言っているつもりなんだけどなぁ。僕よりも人の話を聞かないんじゃないのかな。そこの行商人は」

 セイクの棘のある言葉にヤシロはさらにうなだれた。「寝る」と毛布に包まる姿は不貞腐れた子どものようだった。


 林道を走り、途中で通り雨に打たれてぬかるみにはまった。ヤシロとセイクが口喧嘩をしながら幌馬車を押し、再出発した頃には昼を過ぎていた。簡単な食事をとった後は、調子を取り戻したヤシロが御者台に座った。ヤシロ曰く、回復は早いほうらしい。

「カナ嬢、今から面白いものが見れるぞ」

 にやりとヤシロは笑い、隣に座るよう誘われた。今朝の顔色の悪さはどこにいったのやら。私に言われなくても今日は散々セイクにつつかれている。安堵から出そうになった小言は飲み込んでおいた。

 そしてなにより、目を輝かせた子どものような笑みにほだされてしまった。大人のくせにそういう顔をするのはずるい。

 走り続けると街道にでた。昨日の街道とは違い道幅が広く、馬車で混雑していた。同じ行商人の荷馬車はもちろん、隊商の馬の列もある。乗合馬車もあった。馬を避けて道の端を歩いている人もちらほらいた。

 皆、都を目指しているのだ。こんなに多くの馬車が集まった街道なんて初めてだ。驚く私の肩をヤシロがつつく。

「来るぞ」

 指した方向には線路があった。街道の隣に鉄道が敷かれている。轟音がしたかと思えば、巨大な鉄の塊が黒煙を吐きながら線路を走ってきた。がたごとがたごとと巨大な車輪を回して通り過ぎていく。あの塊を知っている。あの形も知っている。先生が写真で見せてくれた。多くの人を乗せる巨大な乗り物。

「蒸気機関車!」

 身を乗りだした私が落ちないよう肩を掴まれた。

「ヤシロ! あれも都に向かうの!?」

「もちろん。ここは所謂、馬車道だ。数年までは有料道路ってことで料金所があって金を取られていたが、鉄道が通ってからは廃止されてな。俺としては助かっているんだが。……聞いちゃいねぇな」

 蒸気機関車に興奮しているのは私だけじゃない。機関車が通った瞬間、乗合馬車の婦人は帽子を振り、隊商の馬に乗っていた子どもが歓声を上げた。街道の端を歩いていた人はぴたりと止まり、機関車に釘付けになっていた。

 機関車の煙が青空に吸い込まれていき、姿が小さくなっていく。私は目を瞠った。空が下にもある。下に空が、潮の匂いが、初めて目にする広大な海が広がっていた。海の上に敷かれた線路を機関車が走っていく。機関車が海の都へ向かっていった。

 海上都市『メゼリア』。

 精霊樹の太い蔦が重なった上に作られたこの国最大の貿易都市だ。海に浮いているように見えることから、海上都市と呼ばれている。

「カナ嬢、今から海の街道を走るぞ。準備はいいか!」

 海の街道は白い造りだ。あとからヤシロに聞いた話、砂浜に似せたらしい。

 門に向かって馬車が走っているのを、遠目から確認できた。

「もちろん!」

 満面の笑顔でヤシロが頷き、手綱を握り直した。

「馬を走らせすぎないよう気をつけるんだよ」

 セイクの忠告に「はーい」と二人揃って返事をした。

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