ドングリ美味しいです。貝塚はゴミ捨て場です。(2)
冒険者の夢見亭。
思えば、かなりブラックな冗談で付けられた名前だと思う。冒険者に夢見るなよ馬鹿と。
「あ、おにーさん。丁度いいところに来ましたねー。はい、そこで帰ろうとしないでください。ギルドマスターからの命令ですよー。逃げると命令不服従で罰金ですよー」
「この酒場、冒険者の悪夢亭に改名したらどうですかー?」
「あぁ、そりゃ名案だ。売り上げが落ちてきたら採用させて貰うよ!! あと、あの貴族が食する高級食材アルミラージュが何故だかウチに入荷したんだが、食べていかないか? かなり割り引いた庶民価格だぞ?」
……ティータちゃんが小悪魔なら、そのお父さんはリアル悪魔だ。ティータちゃんのお姉さんだけが天使。いや、サキュバスだ。その淫らなボディを狙っているお客さんは多い。
その、一人が俺だ!!
しかし、入荷したその経緯を全て知ってる癖に!! さらに俺から金を奪うつもりかっ!!
俺のような下っ端の冒険者には、ホーンドラビットの揚げ物がお似合いなのですよー。
「それで、何の御用でしょうか? 悪徳ギルドマスターのティータ先生」
「下っ端冒険者のおにーさんにピッタリのお仕事です。シャドーウッドの森近辺で見慣れない魔物が出現したそうなのです。行って、見て、帰って来てください。大急ぎでお願いしますねー?」
「滅茶苦茶下っ端なお仕事ですねー。どうせ報酬も下っ端価格ですよねー?」
「じゃあ、この依頼は別の方にお願いしてー、おにーさんには排泄物、いえドブさらいのお仕事を……」
「はっ! このレイジ、承りました!! シャドーウッドの森に行って参ります!!」
……。
……。
……。
ロミオ、どうしてアナタはロミオなの?
もちろん名付け親がそう決めたからに決まっているだろう? ジュリエット!!
そんなロマンチックなポーズから名付けられた飛行姿勢≪真空圧並び噴進飛行法≫で俺は空を翔けていた。
アルミラージュの一件で、逃亡の大事さを学んだ結果だ。逃げるのコマンド、超絶大事。
この世界では未だに飛行魔法は発明されていなかった。転送魔法が発明されているのに、実に不思議な話であった。異世界から人を召喚できるのに、実に不思議な話であった。
跳ぶことと飛ぶことは、大きく違う。
まず、人が考える飛行方法は人間大砲や人間ロケットだ。足から何かを噴射して飛び続けるイメージなのだが、これには一つ以上の欠点が存在する。
傘を閉めた状態。手の平の上でバランスを取る遊びが太陽系第三惑星には存在した。足から噴射するロケットとは、それと全く同じ状態だ。つまりは超不安定。僅かでも足の角度が重心からズレれば、上昇する力がそのまま回転する力に変化する。
宇宙に届くロケットは、コンピューターによる姿勢制御装置があってこそ出来る飛行方法なのだ。長期間訓練すれば、人間でも可能なのかもしれない。
だが、その訓練過程の墜落事故で死ぬ可能性が極大だろう。位置エネルギーはとっても痛い。
次に思い浮かべるのは鳥の飛び方だが、その飛行法に一番近い乗り物はグライダーだ。上昇気流や風の流れを翼で上手く受け止めて、上手に揚力に変換する。
そして、そんな風や上昇気流を待っていられないセッカチさんのために発明されたものが飛行機なのである。
原理は簡単。エンジンが前方へ進む推進力を生み出し、翼がそれを揚力に変換する。これが、ライト兄弟の時代から何一つ変わらない飛行機の仕組みである。
エンジンはプロペラでもジェットでも前方に進む力しか生み出さない。浮かぶための力に変換するのはいつだって翼なのだ。
ならば、飛行機を真似れば良いじゃないかと思いきや、ところがどっこい。
飛行機はかなりの精密機器である。まず主翼、それにフラップ、ラダー。それだけではなく、後部には水平尾翼と垂直尾翼が存在し、とにかく推進力を回転力に変換させないように常に気を配っているのだ。
これを魔法で再現するのはあの才女マリエルさんでさえ不可能だった。召喚魔法はあるのにね。不思議だねー。空間をどうにかするよりも、空を飛ぶ方が難しいだなんて不思議。
さぁ、こうなってくると魔法を用いても人間は空を飛べないのではないか!?
だがしかし、俺には現代知識があった!! ……中世と近世の合鴨ファンタジー世界には存在しなくて、第三惑星のジャパンには存在するもの。それはヤクルト!!
ヤクルトの小さくも味わい深い至福の一杯。それを飲み干したあと、更に空気をチュルチュルと吸い出して、容器の中に舌や唇が吸い込まれる現象を体験をしたジャパニーズはとても多い。俺もその一人だ。
右手を突き出し、その掌中の空気を収納する。するとそこに残るのは真空である。
アリストテレスは言った。自然は真空を嫌う。というわりには宇宙は真空だらけだが、そこに真空があれば俺の右手が引き摺りこまれるのもまた事実。
飛べた。人はヤクルトで飛べたんだ!!
俺の右手の前に吸引力の変わらない立派なダイソンさんが存在して、常に吸い込み続けてくれていると考えたなら、この飛行原理は簡単に理解できることだろう。
変わらないダイソンと、腕をつきだしたロミオ。この二つの狭間で数日間。悩みに悩みぬいた結果、青空ロミオ飛行法に決定した。男は浪漫に生きるのだ!!
待っててね! ボクのまだ見ぬジュリエット!!
引っ張られるのは簡単。無理に押しだされては難しい。
この原理を説明さえすれば簡単に魔法でも再現してしまうのだろうが……まだ、俺のワンワンニャンニャンコンココーンなハーレム宮殿が出来あがっていないので機密事項である。
これで空利権は全て俺のものだ!! 異世界の空は俺の空!!
ウサウサさんについては、一時保留中です。……奥の院でバニーガール(本物)とすれ違ってビクッとなるほどに、あのツノは俺の心に突き刺さっていたらしい。
幻影ウサギの幻影が、俺を未だ苛むのであった……。
さて、馬で三日、徒歩で十日、青空ロミオで二時間のシャドーウッドの森に辿り着いた訳ですが……。
どれが見慣れた魔物でどれが見慣れない魔物なんでしょうか?
俺からすると、全ての生物が見慣れない魔物なんですが、どうしましょう?
あ、見慣れた魔物、緑の小鬼ゴブリンさんを発見。そして向こうもこちらを発見。
キャーキャーと騒ぎ立てている。……見慣れぬ魔物? つまり俺のことかっ!?
あ、ゴブリンの人が手招きをしてる。えっと? これは、どういう状況なの?
手招きをしてくれたのは考えるゴブリン。名は、ウィルキンゲトリクスさんでした。
そして、ゴブリン村はゴブリン街とも言うべきほどに発展を遂げていました。
丸太による円形の壁が敷かれ、ちょっとした都市国家状態。……ここは木製のローマなの?
「人は、ゴブリンを食しません。ゴブリンも、人を食しません。ですが、人を食す魔物はゴブリンも食します。ゴブリンを食す魔物は人も食します。ならば、共にその魔物と闘い、共に生きることも可能なのだと私は思い至ったのです」
……なんというコペルニクス的回転思考。
「はい、仰るとおりで御座います!!」
もう、頭を下げるほか無いじゃない!! この哲学ゴブリンさん相手には!!
「人は森に木を求めます。外から伐ってゆけば、やがて森は滅びます。ですが、森の内側から、木を選びながら伐っていったなら、その森は永遠にそこに在り続けることでしょう。……人は鉄や塩を、ゴブリンは木を、お互いに必要なものを交換し分かち合えば良いことだと私は考えました」
「いや、でも、その~。人間のなかには性質の悪い商売人なんかも……」
あれ? 何で俺は今、人間の方を魔物っぽく感じてるんだろう?
無知なゴブリンどもから安値で木を巻き上げてやるぜ、げへへへへへ。な、思考が俺の頭をよぎっているんですが?
「えぇ、そういった方がおられることも存じ上げております。ですが、そういった方とは取引を続け、ある日、唐突に取引を止めるだけで良いのです。そうした商人ほど金遣いが荒いものなのだそうですね。そして、一度の取引不成立で身を滅ぼすのだと……。心優しき商人の方が対処の法を教えてくださいました。商人のことは商人の良心に尋ねる。ただそれだけで良かったのですね……」
悪銭身につかず。楽して手に入れた金は、簡単に手元から零れ落ちる。
信義に勝る商売無し。乱獲による短期的な利益より、永遠に森を残すことを選んだ商人も居た。そして、身の守り方を彼等に教えた。それも、上手なやり方を。良き人々だ。
「ははーっ! 御見それいたしましたっ!!」
俺の胸丈までしかないはずのウィルキンゲトリクスさんが巨人に……巨人に見える。
これが為政者の放つオーラと言うものなのかっ!!
かのナポレオン皇帝も、かなり背が小さかったって言うしねっ!!
「とあるドラゴンがこの村を訪れた際にポツリと口にしたのです。人は変われど、お主等は変わらぬのだな、と。信じ難い話なのですが、人は昔、石を道具に使っていたそうです。言葉も無ければ金属の使い方も解らない。そんな野蛮な生き物だった時代があったそうなのですよ」
あ、はい。全世界的に二万年ほど前はそうでした。火を使えたり使えなかったりでした。
ジャパンだと縄文時代までそうでしたね。どんぐり美味しいですよね。貝塚作ってました。
「ならば、我々も変われるのではないか? そう、考えるようになってから十年。いつの間にか、人とゴブリンの間に争いは無くなっていました。我々もまた変われる者なのです。いつかは、我々も貴方のように空を翔ける偉大な存在になれるのかもしれませんね……」
「なれます!! きっとなれます!! むしろ空を飛ぶ以外、全面的に敗北中です!!」
「はっはっは、御謙遜を。偉大なる魔法使い殿は冗談がお好きなのですね」
空飛びサーカス一つで偉大なる魔法使い扱い……やだっ! この異世界怖い!!
空を翔ける、偉大なる魔法使いのサーガとか謳われたらどうしよう!?
「あ、そうだ。この森のことなので、この森のゴブリンさんに尋ねたいのです。最近、この辺りで見かけぬ魔物が出没したそうなのですが、ボクはそれを調べに来たんですよ。なにか心当たりはありませんか?」
俺の問いかけに、ウィルキンゲトリクスさんは顔を伏せ、目を瞑りながら答えてくれた。
なにか、答えにくい質問だったのかな?
「…………悲しい事に、心当たりがあります。顔は獅子、身体は蟻という魔物。ミルメコレオ。言葉が通じぬゆえ、力を持って抗う他無いのですが、我らは非力なゴブリン。こと力押しとなれば敵わず、幾多の同胞を失ってしまいました……」
森の外で見かけた。ならば、森の中では既に戦争中。
……ううう、不謹慎な尋ね方をした俺の心が痛みます。
「しかし、顔がライオンで身体がアント? なんなんですか!? その奇奇怪怪な魔物は?」
悲しみに暮れているウィルキンゲトリクスさんには悪いのだけれど、全く想像がつかない。
まだ見ぬ魔物の姿について思い悩んでいると、カンカンカンと激しい金属音が鳴り響いた。
この金属音の鳴り方。おそらくは、御飯の時間か警報音だ!!
「まさしく今、そのミルメコレオが来たようです。どうぞ、魔法使いさまは空を翔け、お逃げください。出来ましたら、シャドーウッドの森にはウィルキンゲトリクスという風変わりなゴブリンが居た事を覚えておいて頂ければ幸いです……」
あの、えっと――――展開が早すぎて、わたくし、全く付いていけていないのですが?
俺が固まっている間にも、ウィルキンゲトリクスさんは小型な身体相応に、小型な武具の装備を始めていた。戦いだ。戦いが今から始まろうとしているんだ。
それだけは分かった。それしか分からなかった。で、俺はここで何をするべきなんだ!?
村の……えーと、北はどっちだろう?
とにかく一方向に向かって、ゴブリン達の武装集団が集まっていた。
前列は大盾に剣、後列は長槍。さらに後方では弓兵と矢倉からの狙撃手が待ち構えている。
……ここは何処のローマ帝国なの? 戦う場を作るため、わざわざ家を壊した跡さえある。
ゴブリンたちは太鼓の代わりに盾を剣で一斉に叩き、鼓舞と整列を行なっていた。
ただ、ゴブリンの大盾は人間の身からするとあまり大きく感じられない。薄くて脆くて……頼りなさげな盾だった。
全てのゴブリンの背丈が小学生サイズなので、ミニチュアのローマ軍にしか見えない。
物見の矢倉から角笛が短く三回鳴り響いた。弓兵による三十度角の曲射。なるほど、角笛は敵との距離を知らせているのか。丸太と泥の壁越しに、再三に渡る弓の曲射攻撃。だが悲しいかな、ゴブリンの腕力。あまり勢いよく矢が飛んでいる気がしない。
初期の陣形は三列横陣。正面が注意を引きつけ敵を受け止め、残る二陣がそれぞれ左右から回り込み、Uの字を形成。前、そして左右からの攻撃で蹂躙する包囲戦術だが……。
悲しい事に、一番前列のゴブリン盾隊がミニチュアサイズなので、成功する気が全くしない。
そもそもライオンの顔をした蟻。それってむしろ軍隊蟻みたいなものなんじゃないの?
軍隊蟻に包囲殲滅というのもおかしな話だ。
ウィルキンゲトリクスさんは……村の中央の塔に梯子で登っていった。
角笛二回。四十五度角の曲射。あ、ライオンの啼き声だ。動物園に行ってもなかなか啼いてくれないから、聞くのには結構待たされるんだよねぇ。
……え? つまりライオンサイズなの? このライオンな蟻さんは?
さて、ここで問題が一つ以上。
いきなりのゴブリン社会、いきなりの知的巨人との邂逅、いきなりの戦争勃発。
こんな急転直下の状況についていける現代日本人はおりません!!
戦う? ゴブリンの為に? むしろウィルキンゲトリクスさんは逃げてと言ってたね。
彼等の社会、彼等の国、彼等の軍隊。守るのは彼等の務めだ。
統制のとれた軍勢の戦いに素人が突っ込んでいけば、作戦自体を破壊する可能性が高い。
魔物と魔物の衝突に、人間の……ただ少し言葉を交わした俺が首を挟むのもおかしな話だ。
そして何より俺の命は一つだけだ。流れ弾で頭を射抜かれれば即死です。レベルは零です。
ゲーム的展開としては勇者さまがゴブリン村を助けたぞー! で、済む話なのだけど……。
あぁ、これがティータ先生が仰っていた、命令に従う訓練を受けていない冒険者の末路か。
個人戦と集団戦、さらには軍勢同士の戦いでは全ての道理が異なってくる。
緻密に組み立てられた作戦に異物が混入したならどうなるか? もちろん簡単に崩壊だ。
角笛一回。六十度。矢の落下点は外壁のすぐそこ。
感情的には助けたい! が、俺は邪魔!!
作戦の全容が解っていない一兵卒が、勝手に動くんじゃない!!
一つだけ解っていることはある。ウィルキンゲトリクスさんは勝つ気で居る。
そうでなければ、とっくの昔に逃げ出しているはずだ。その勝利の策謀を邪魔するわけにはいかない。敗走ですら陽動かもしれないんだ。見えないところに伏兵を配しているのかもしれない。
その辺の民家の上に陣取り、ただ、歯を食いしばって静観に務めることに決めた。
まずは、作戦を知らなければ動けない。まずは、敵を知らなければ動けないんだ。
長い長い角笛が響き、謎の未確認魔物、ミルメコレオがその姿をあらわした――――。