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雪の陰翳  作者: 苳子
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第9章 2

 列洪は自宅に寄るため先に退出した。残った政務を片付けてから、朱華たちも城を発った。

 久しぶりの騎乗を、朱華は自分が楽しんでいることに驚いていた。冷害への対策などもあり、このところ城の外へ出ることもままならなかったのだ。

 相変わらず天候はすぐれず、顔に感じる風は夏とは思えない。夕瑛せきえいが念のために厚着をさせてくれたが、それでちょうどよい塩梅だった。


「どのような令嬢か楽しみですね」


  馬を並べながら霜霖が話しかけてきた。ついでに城下の様子にも目を配っていた朱華は、一瞬反応が遅れた。


「あの男があのような反応を見せるのだから、可愛くて仕方ないのは確かなのだろうけれど、正直想像もつかないわ」


 微笑ましいような何とも言えない心地で、朱華はうっすらと笑った。見れば、霜罧も同じような微妙な笑みを浮かべている。


「そなたの方が二人でいる時間が長いのだから、何か聞いているのではないの?」

「問えば答えてくださいますが、ご自分から口にされることは殆どありませんね。先ほどのあのような様子は全くはじめてです」

「そなた、肩を震わせて笑っていたでしょう」

「姫こそ、何とも言い難い表情かおをなさっておられましたよ」


 二人は互いに苦笑を受かべて肩をすくめた。




 城下の街を抜けると、次第に建物はまばらになり、農地が広がるようになる。全体的な冷涼な気候の苴州において、州都周辺は比較的温かく農耕には向いている。西葉さいはの平野とは比べ物にならないが。

 次第に道は傾斜を増し、やがて遠くに州都を見下ろす丘陵にたどり着く。遠目にも何やら色とりどりのものに埋め尽くされているのが分かるほどだった。

 その丘の上にすでに数人の人影があった。近づいてみれば列洪とその供の者たちだった。数頭の馬と共に警護にあたる郎党と中年の女性、さらに七歳くらいの少女の姿があった。少女は列洪の隣に、両手をそろえて行儀よく立っていた。


「待たせたか?」


 朱華は馬上から問いかけながら降りる。列洪が自らその手綱を受け取った。


「いえ、そのようなことはございません」


 一礼し、列洪自らその手綱を受け取る。朱華は頷きながら、先ほどから感じている強い視線に引き寄せられるようにそちらを見た。

 一目で利発と分かるような少女だった。容姿が特段優れているわけではないが、二重の大きな眸は黒目がちで、口元は賢そうにきゅっと引き締まっている。緊張しているようだが、物怖じしている気配はなく、好奇心と好意があふれ出すような明るい表情の持ち主だった。


「長女の暎渮えいかでございます」


 列洪が娘を紹介すると、少女は優雅に一礼してみせた。裳の裾がふわりと広がり、子供らしい硝子細工の歩揺ほようが揺れた。


らん 暎渮と申します。案内あない役のご指名ありがとうございます。謹んで承ります」


 落ち着いた物言いで、声は子供らしく高いが発語はしっかりしている。顔を上げると満面笑みだった。利発で明朗な性質の少女であることは瞬時にわかった。しっかりはしているが、小生意気な印象は与えない。


「私は苴葉公朱華。今日はお願いね」


 朱華もつられて口元がほころんでしまう。なるほど列洪のあの様子も納得できる。自慢の娘なのだろう。


「はい! ……とても光栄です」


 勢いこんで応じた後、慌てた様子で自制する様子も愛らしい。接していると気持ちのよくなるような少女だと感じながら父親の方を見ると、彼もまた実に愛情のこもった眼差しを娘に向けている。初めて見る彼の様子に、朱華は思わず咳をして込み上げてきた笑いを誤魔化した。


「公、お風邪をお召しですか?」


 少女はさっと顔を曇らせる。


「なんでもないのよ」


 思わず手を伸ばしてその頭を撫でてしまう。朱華は特に子供好きなわけでもない自分のそんな行動に驚いた。

 朱華に頭を撫でられた暎渮は驚きつつも、嬉しそうに相互を崩す。


「暎渮は公にお目にかかりたくてしょうがなかったのですよ」

「はい!」


 瞬時にして他人の好意を我が物としてしまうような少女だ。婿をとらせて家を継がせた方がいいという父親の判断にも頷ける。


「私もそなたに会えて嬉しいわ」


 にっこりと微笑みかければ、頰を赤らめて照れたように顔をくしゃくしゃにする。愛くるしい小動物にでも接しているような心地に、何故か妹を思い出した。

 茜華せんかは身内にだけ似たような反応を見せる。朱華にとっては唯一の妹ということもあるが、他の姉妹や両親からも非常に可愛がられている。わがままを言って意地をはることもあるが、基本的には賢明な人柄であり、家族の心配は専ら銀華と、なかなか縁談のまとまらない朱華に集中していた。


「生憎と下の子が熱を出したため、妻は同行しておりませんが、乳母は控えておりますので」


 言葉を受け、列洪の傍に一歩下がって立っている女が深々と頭を下げる。朱華も了解したと頷いた。


「では、案内を」


 朱華に再び微笑みかけられると、暎渮は元気よく返事をし、恭しい仕草で朱華の手を取った。まるで女性の手を取る男性のような仕草に、朱華を含めた周囲から明るい笑いが漏れた。暎渮は不思議そうに辺りを見回し、首をかしげる。


「父上が母上によくこうしておられます。何か間違っておりますか?」


 無邪気な問いかけに周囲は一瞬しんとなった。朱華は堪らず吹き出してしまい、それに釣られるように小さな笑いがいくつも漏れた。

 暎渮だけが何事が起こったのかわからぬまま、不安そうに父を見上げている。列洪も娘を叱るわけにもいかず、なんとも形容のしようない表情かおで大丈夫だというしかなかった。

 朱華は滲んだ涙を拭いながら、列洪の背後で霜霖が未だに肩の震えを抑えられずにいることに気づき、また吹き出しそうになったが、なんとか堪えた。




 その丘には小さな花が多かった。代わりに色とりどりの多様な花弁が地面を埋め尽くしている。どれも開花している期間は短く、その眺めは翌日にはもう変わっている。

 暎渮はそう説明しながら、一つ一つの花についても詳しく紹介する。それは名前や種類だけでなく、花言葉や薬効などの雑学にも及び、とても七つの少女とは思えないほどの知識だった。


「そなたは大層花が好きなのね」


 心底感心していると、暎渮は首を振る。


「好きなのは苴州の花でございます。花だけでなく、木も草も、なにかもでございます」


 天真爛漫とは正しくこのような様を指すのだろう。朱華は思わず腰を下ろして暎渮の目を覗き込んだ。


「では、苴州が好きなのね」

「はい!」


 笑顔で頷く少女は誇らしげでもあった。


「ですから、朱華さまを苴葉公にお迎えすることができて嬉しゅうございます」


 はにかみながらも話す少女に、朱華はうっと詰まりそうになった。何かは分からないが背筋がぞわぞわとする感覚があり、何故か涙が滲みそうになる。

 それを堪えて、微笑みながら礼を述べた。

 すると、暎渮はしゃがみこみ足元の花を摘んで朱華に差し出した。


「私に?」


 暎渮は小さく頷き、さらに言い添えた。


「花言葉は希望や平和です」


 それは白く小さな可憐な花だった。花びらは雪のように白い。


「皆も喜んでおります。公は苴州の希望だと申しております」


 周囲からの受け売りなのだろうが、朱華は一瞬その花を受けとることを躊躇った。このような幼子の口からすら、こんな言葉が出てくるのだ。いきなり肩にかかるものの重さが増したような気がした。

 暎渮がわずかに眉をひそめた。すぐに受け取ってもらえると思っていたのだろう。不安げに表情が陰る。朱華は慌てて花を受け取った。


「このように素晴らしい贈り物を貰えるとは思っていなかったから、少し驚いてしまったわ。ありがとう、暎渮」


 片手で花を持ち、もう一方の腕で少女を抱き寄せる。暎渮は驚いたように一瞬身を強張らせたが、じきに嬉しそうに笑って小さな手を朱華の首に回してきた。

 柔らかな温もりに、朱華はほっと息を吐く。それには僅かながら緊張も含まれていた。唐突に苴葉公に就任した責任感が押し寄せてきたのだ。

 一瞬だけ小さな体を強く抱きしめてから、朱華は抱擁を解いた。暎渮は眩しいような笑顔で朱華を見つめてくる。

 朱華は万感の想いで微笑み返し、立ち上がると小さな手を取った。




 苴州の夏の日暮れは王都よりも遅い。今年は冷夏ということもあり、陽が傾く前から風の冷たさが増す。

 小さな指先が冷たくなってきたことに気づいた朱華は、名残惜しそうに帰城を告げた。暎渮は少しばかり不満げな顔は見せたが、言葉にはせずにじきに頷いた。

 二人を遠巻きしていた列洪たちの元に戻る。


「暎渮はすっかり冷えてしまっているようね。風邪を引かせる前に戻る」


 暎渮は名残惜しそうに最後にきつく朱華の手を握ると、はにかむように笑顔を見せて手を離した。進み出た乳母の差し出す手をおとなしく取り、振り返ると優雅に一礼してみせる。朱華だけでなく、霜罧すら思わず微笑んでしまうような姿だった。


「暎渮、今日は案内あない役、ご苦労様。そなたのおかげで私も苴州の夏が好きになったわ」

「はい」


 嬉しそうに頷いたのち、かすかに首をかしげる。


「他の季節はお嫌いですか?」

「私が苴州に来たのは昨年の冬だから、秋は知らないの。冬は寒すぎて少し苦手かもしれない」


 朱華は苦笑いすると、少女もつられるように微笑む。


「――私も実は寒いのが苦手です」


 思わぬ告白に朱華は目を瞠ったのち、笑い出した。周囲にも小さな笑いが広がったが、それはなんとも和やかなものだった。


「列洪、そなたの娘御は真にいい子ね」


 世辞のない心からの言葉に、列洪は穏やかに微笑んでこうべを垂れた。


「暎渮、また会ってくれるかしら?」


 朱華が腰をかがめて顔を覗き込むようにして問いかけると、少女は破顔一笑した。


「はい、嬉しゅうございます」




 列洪たちと別れた後、朱華はゆっくりと馬を進めた。ようやく暮れなずみはじめた西の空を遠い目で見つめる。ふっと息を吐いたところへ、霜罧が馬を寄せてきた。


「気持ちの良い令嬢でしたね」


 朱華は思わず微笑み、肩を落とした。


「そうね、本当に――けれど、いきなりずしりときたわ」

「……何かございましたか?」

「私のような者を苴葉公に迎えることができて嬉しいと笑うのよ――嘘偽りない笑顔でね」


 戸惑ううような呟きに、霜罧は合点がいったように微笑んだ。


「いきなり責任感をお感じになられましたか?」

「――苴葉公の責任は理解していたつもりだったけれど、実のところは全く分かってはいなかったことだけは分かったわ……私は本当にこの責任を担えるのかしら……」


 途方に暮れたように呟きに、霜罧は首を振って笑う。


「恐れながら、お一人で負われるわけではありません――列洪殿も枳月殿下も、珂瑛殿も……私もおりますれば」


 朱華はちらりと霜罧を見た。彼の表情におもねりはなく、偽るところのない心情を語っていた。真心のこもった眼差しに戸惑うように目をそらし、朱華は空を仰いだ。


「――頼りにしている……帰城したら、花を活けなくてわね」


 そんな内心を見透かしたように霜罧は微笑みを深め、首を傾げた。


「花を?」

「暎渮からもらったのよ――花言葉は希望と平和だとか……何とか期待には応じなくてわね」

 

 西の空には藍と朱が入り混じり、昼と夜のあわいが溶け合っている。夕刻になってから空は晴れはじめた。たなびく雲は端境はざかいに滲んでいた。

 

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