第6章 2
王配を歓迎する宴は慎ましく開かれた。元々彼の訪問は毎年の恒例行事のため、彼自身の希望もあり小規模と定められている。
派手な歌舞はなく、会話を邪魔しない静かな演奏だけがなされている。人数は限られているとはいえ、苴州の政治に関わる主だった顔触れは揃っている。
王配の隣には、彼の娘であり苴葉公である朱華が座り、饗応の主を務めている。本来は領主夫人の務めであるが、苴州では女性領主である朱華の役割となっている。
人をもてなすようなことに向いた娘だっただろうかという疑問があった。そんな心配をよそに、彼女は実父が相手であるためか、幾分寛いだようすで、口数は多くないが不愉快な印象を与えるものではなかった。
それには、同席している霜罧の助け舟もあった。霜罧は、王配とは反対側の朱華の隣に座を占めていた。彼は周囲の話をよく聞いており、出過ぎない程度に口を挟んで宴の席が白けてしまわないように立ち回っている。話術も巧みで、相手のこともよく見ている。中央の貴族社会で生まれ育った故、処世術には長けている。傅かれる一方だった王女には真似しきれないだろう。
碧柊の一方の隣には枳月が着座している。未だに王族である彼の身分は、本来は朱華よりも高いのである。
彼は武官らしく物静かだった。彼は王都でもひたすら社交の場を忌避していたため、霜罧のようなわけにはいかない。彼は苴州でも、ひたすら目立たぬことを心がけているようである。
枳月の隣には、彼と同じ役職を務める珂瑛が座っている。朱華の乳母子であるという彼を、碧柊はよく知っているわけではない。大柄で磊落な印象は、枳月とは正反対である。だが、社交の場は弁えているようで、そつなく振る舞い、宴で浮きがちな枳月をうまく場に馴染ませている。
霜罧と珂瑛は、それぞれに上手く相手を補っているようであった。
どちらかといえば不器用な娘と身内である彼は、若い頃の自分に似ている。彼もまた、華やかな社交の場はどちらかといえば苦手だった。
それを得意としていたのは彼の従兄であった。口から生まれたような彼は、どこまでが本音かわからないほど話術が巧みで、人を惑わせた。欺くことも上手く、隠された本音を引き出すことも巧みだった。翻弄されたのは彼も同じで、口先では鬱陶しがっていたが、助けられた部分は少なくなかった。結局、国を裏切り翼波に寝返り、山の向こうに姿をくらませてしまった。未だに彼の真意は知れない。
碧柊は、珂瑛の軽口に苦笑いしている枳月のようすに安堵していた。
自分たちはいつまでも彼を庇護できるわけではないし、彼もそれに甘んじていているわけにはいかない。やがて王権は一の姫にわたる。王女たちは彼にまつわる真相を知らない。知らせるかどうかは、まだ夫婦の間でも結論は出ていない。
朱華の苴葉家継承が決まった際、尽力を申し出たのは彼からだった。ひたすら王都で息を潜めるようにしていた彼からの希望に、驚きつつも良い兆候であるように思われた。
彼の苴州入りを無理ないものとする目的で、彼には朱華の夫候補という立場が与えられた。が、実際に朱華の夫となる必要があるとは碧柊たちは考えていない。
それでも、「誰とも結婚するわけにはいかない」という彼の希望を容れなかったのは、可能性を潰さないためでもあった。もし、すべてを承知で彼らが共に生きることを選んだのなら、それはそれで良いというのが女王の考えであった。
真相が露見すれば醜聞どころの話ではない。女王の政治生命だけでは済まないだろう。それでも払われた犠牲に報いたいという彼女の願いは彼にも理解できる。
そんな彼等の想いは、当の彼にはとうてい理解できないのだろう。彼は己の出自を呪っている。同じ立場にたてば、誰しもそう思うことだろう。だが、誰もが彼の存在を呪っているわけではないのだ。
碧柊が話しかけると、彼は穏やかに応じる。王都ではいつまでたっても身を強張らせてばかりだったことを思えば、これはこれで良かったのだろう。
宴のあと、碧柊は枳月を自室に誘った。飲み足りなかったわけではないが、二人でゆっくり話す機会をうかがっていた。
離席する二人を、霜罧がそっと見ていたことにも気づいていた。あくまでさり気ない素ぶりではあったが、果たして彼は何をどこまで知っているのかという思いはよぎる。
枳月を直接保護したのは、霜罧の父綾罧であった。その頃はまだ彼も苴州で戦に加わっていた。
明らかに翼波の民ではない風貌ながら、翼波の衣装を身につけた少年を保護したのは、綾罧の部下だった。酷い傷を負い、息も絶え絶えだった少年は、片言の葉の言葉を喋った。攫われた葉の民が生還することは少ない。彼はすぐに保護され、治療が行われた。
見舞った綾罧は、じきにただの少年ではないことに気付き、碧柊に知らせたのだ。
碧柊は少年と会い、彼の正体を悟った。明言こそしていないが、経緯を知っている綾罧もわかっているだろう。
その頃、霜罧が従軍はしていたかどうかは定かではない。だが、その経緯を知らないはずはない。
朱華の補佐を枳月と共に命じられたときも、まったく変わったようすは見せなかった。が、まったく気づいてもいないということがあるだろうか。
知っていたとしても、なにかを言い出せるだけの論拠はない。枳月の身元は女王自らが認め、保証しているのだ。それに異論を挟むことなど迂闊にできることではない。容易く口にできるような問題ではないのだ。それが霜罧にわからないはずもない。
「殿下?」
自分から誘っておいて黙りこむ碧柊に、枳月が遠慮がちに声をかけてきた。
「……ちと考え事を、な」
苦笑して見せると、彼も顔を隠す前髪の陰で微笑んだようだった。
前には手燭を持って先導する小姓がいるため、二人は言葉数少なに歩く。
碧柊の部屋に戻ると、彼は小姓に酒を持ってくるよう言いつけ、枳月には霜罧も座った椅子を勧めた。戻った小姓が酒の支度をすませると、そのまま下がらせる。
二人きりになったところで、碧柊は枳月に酒を注ごうとしたが、彼はそれを固辞した。
「飲めぬわけではなかろう、今は吾しかおらぬ、覗見の耳もない故、安心して少し付き合え」
ここまで言われても拒めば礼を失する。枳月は気の進まないようすで、酒器を手にした。
「酒の席での失態を恐れるのはわかる。むしろ賢明だろう。だが、今は吾しかおらぬ……わかるな?」
「……はい」
浮かない様子を気に留めず、碧柊は彼の杯を酒で満たす。先ほどの宴でも、彼はほとんど酒を口にしていない。彼が酒を好まないのを知っている珂瑛の配慮で、そのことに気づいた者は少ないだろう。武人が酒を飲めないでは場が不味くなることは間々ある。苴州に来るまではそういう場に顔を出さずともすんだが、もうそうはいかない。
「この先は一滴でも飲めばひっくり返ってしまうなら仕方ないが、飲めぬではすまないことも多くなる。むしろ、多少は飲めた方が物事が円滑に進むこともあろう。少しは慣れておいた方が良い。いつまでも珂瑛頼みともゆくまい?」
見透かされたことに気づいたのか、枳月は気まずげに黙り込んだ。
「まずは顔をみせてくれぬか」
「……顔を、でございますか?」
「そうだ」
枳月は渋々といったようすで前髪を耳にかけた。傷跡の惨さが目を引く方は隠したままでいる。
こうして二人きりで向き合うのは、ひょっとすると彼が保護された直後のこと以来かもしれない。はじめて会ったころの幼さはもうとうに失せていた。
秀麗だが、翳りのある顔をしている。常に付きまとう暗い想いをぬぐい切れないのだろう。そんな顔を見ていると、苴州行きが彼にとって良かったのかどうか、再び迷いが生じてくる。
「――そう過敏にならずとも良い、そなたは心配するほどあれには似ておらぬようだ」
碧柊の言葉に、彼はわずかに目を瞠った。
「……それとも、似ているといわれたことがあるか?」
その問いに、彼は黙って首を横にふった。彼の顔を見たものは、まずその火傷の跡に目を奪われる。そのため、無事なほうな顔立ちが印象に残ることは少ない。
彼はしばらく沈黙していたが、碧柊はなにか言いたげな空気を感じじっと言葉を待った。
「――ただ、誰かに似ていると言われたことはあるような気がします」
碧柊はその言葉に「ああ」とつぶやいた。
「それは青蘭――女王にだろう。そなたはどちらかといえば、母親似だと彼女は感じているようだ。そなたにはじめて会うた時にそう言うておった」
彼の心中をおもんばかって、その後女王はそういうことには一切触れていない。が、さすがにはじめて会った時には溢れるものがあったのだろう。彼の母親は、彼女にとっては文字通り特別な存在だった。
「母に、ですか」
彼はぽつりと呟いた。実感のこもらない声だった。
「…… 母君は?」
これまでお互いに避けてきた話題だった。枳月はしばらく沈黙したのち、首を横にふった。
「母の記憶はありません」
「……そうか」
女王がもっとも気にかけつつも、ついに彼に問えなかったことだった。
「消息も?」
「……はい」
口にしたくないのか、それともできないのか。保護された時から枳月の態度は変わらない。ただ、身をかたくして己のなかに閉じこもってしまう。
それでも問わなければならないことがあった。葉の民であれば誰もが知ることを欲するだろう。そしていつまでも見過ごすことはできなかった。
「一つだけ、訊いておかねばならぬことがある……今更ではあるが、今更であっても重要なことだ」
碧柊の言葉に、彼は手にしたままだった酒杯を一息に空けた。
「……私の父のことですね?」




