第6章 1
王都で花が咲く頃、苴州ではようやく雪がとけはじめる。冬の間滞っていた城砦や防御施設などの土木工事が急がれはじめる。峠の雪が消えるのが早いか、翼波が現れるのが早いか、そんな季節が迫っていた。
苴州の州都は例年より早く貴人を迎えた。苴葉家を継いだ娘に会うために、王配が苴葉城を訪ねていた。毎年前線で指揮を執る王配が州都に立ち寄るのはいつものことであるが、今回はその到着が早く、かつ長期におよんでいる。
王女の臣籍降下も、女性の王統家当主着任も、長い葉の歴史のなかでも前例のないことばかりだった。そんな参考となる先例のない大任を負わされた娘を、母である女王の意向もあり、父が様子を見に立ち寄っていた。
第四王女朱華が王都を発って半年以上になる。小雪の舞うなか、堅牢な正門前で父を迎えた娘の顔に、彼はひとまず安堵していた。
背後に霜罧と列洪を従え、一歩下がった位置に枳月が控えるなか、苴葉公は堂々と王配を歓迎する口上を述べた。
彼はその落ち着いた娘の姿に内心胸を撫で下ろしながら、王都にいた頃も四女は近衛の一人として、式典の際には華を添えていたことを思い出していた。落ち着いてはいるが、気の弱い娘ではないのだ。王位からも遠く責任のない四の姫だったころよりも、凛とした風格が増している。
この日の彼女はいつもの男装ではなく、王都から持参した華やかな正装に身を包んでいる。髪を複雑に結い上げ、歩揺を何本も挿し、化粧をほどこしている。控えめな化粧が朱華の中性的な美しさを引き立てる一方、年頃の華やかさも加わって清艶さが際立っていた。我が子ながらこのように目がさめるほど美しい娘だっただろうかと、碧柊はつくづく見直したほどだった。
「父上、私の顔になにかついておりますか?」
朱華は困惑したような微苦笑を浮かべた。碧柊は首をふった。
「我が娘にかように美しい姫がおったかと思うてな」
朱華は目を見開いたのち、小さく笑う。
「まぁ、なにを仰るかと思えば……もう娘の顔をお忘れですか?」
からかうような悪戯っぽい笑みに、碧柊はますますその感を強くする。
「まさか、そのようなことはないが……いや、しかし、確かに見違えた」
「父上……」
当惑する苴葉公を、碧柊はつくづく眺める。親の欲目でも明らかに四女は美しくなっていた。
かつて、彼は四の姫を顔立ちは整っているが地味だと評したことがあった。それを耳にした女王は笑って首をふった。
「娘ざかりを迎える頃には、きっとこの子がもっとも美しくなりますよ」
母親の子を見る目の確かさに、舌を巻く思いだった。
苴葉公という立場にも慣れてきたのか、王都にいたころには見え隠れしていた不安げな翳りはひそめ、表情も明るくなったようだった。
「昔、母上も言うておられたぞ、そなたは年頃を迎えれば誰よりも美しうなるだろうとな……確かにその通りであったようだな」
父から容姿についてこのように手放しで褒められた記憶のない朱華は、戸惑うほかなかった。しかも側近たちの前である。他の者たちが朱華の容姿をさほど買っていなければ、親バカ丸出しである。
「恐れながら、まさしくその通りでございます。まさに大輪の花が開いたようで、家中のものたちは毎日気もそぞろでございます」
「霜罧、巧言はそのくらいで結構、父上もそのくらいになさってくださいな、いったい誰のことかと思われます――それよりもこちらへいらしてください」
朱華は横から口を挟んできた霜罧をたしなめた。言葉を受けた霜罧は薄く笑みを浮かべて、浅く一礼した。朱華はそんな彼にわずかに息をつき、父を案内すべく歩き出した。
朱華が父を案内した先は、城で最もいい部屋だった。彼は毎年のようにこの城に滞在している。わざわざ案内するまでもないのだが、父娘が私的な時間をできるだけ多く持てるように霜罧が配慮してくれたのだ。
「元気なようで安心した」
廊下を並んで歩きながら、碧柊は娘に話しかけた。四女は生真面目な顔に薄い笑みを浮かべて頷く。
「お気遣いありがとうございます――あまりの冬の寒さにどうなることかと思いましたが、ようやく春めいてきたのでほっとしております」
「……春が来れば、次は翼波がくる。ここは厄介な地だ。斯様な地をそなたに押し付けたも同然故、案じておったのだが……」
「……押しつけた、など――次の苴葉公には私しかおらぬと仰ったのは父上ではありませんか」
「そなたしかおらぬのは確かだが――そなたは王位からも遠かったゆえ、なんの心構えもなかったはず。本来ならば婿をとり、分家していっかいの王女として生きるはずが、このように王都から遠く離れた地へ一人で遣られ、女の身でありながら王統家の主として生きることを余儀なくさせたのは吾等故な」
朱華は思わず苦笑した。
「何故、今更そのようなことを仰られます? そのようなことは最初から明白だったではありませんか。もし王子がいれば彼が苴葉公となったはずです。けれど、王子はいない。だから、五姉妹の中で私にお鉢が回ってきただけです。もし、私が王女ではなく王子だったならば、それこそ文字通り私しか次の苴葉公はいなかったでしょう」
「しかし、そなたは王子ではない」
父の言葉に、朱華は皮肉めいた笑みを浮かべた。
「――では、ただの王女に戻していただけるのですか?」
「そなたが真に望むならな」
あっさりと返され、朱華は拍子抜けしたようだった。
「いったいなにを仰りたいのですか?」
足を止めて怪訝そうに父を見つめる娘に遅れて、彼も立ち止まった。
「そなたに貧乏くじを引かせた後ろめたさを詫びることで、己の罪悪感を和らげようとしているだけかもしれぬな――耐えられぬほど辛ければ放り出してもよいのだぞ……実際を知ってみてからでないと分らぬこともあったであろう」
朱華は目を瞠り、それから薄く微笑んだ。父の顔からその感情を読み取ることはできなかった。
「そのようなこと……今更できるわけがないではありませんか」
「――そなたならそう言うだろうと思っておった」
「私に明言させるために誘導なさったのですか?」
「そうではない……先程の言葉は吾の本音だ――だが、そうはできぬことも、そなたがそうはしないことも分かっている。それでも、頭の片隅にでも置いておくとよい、逃げ場がどこにもなくなった時にはな」
そういうと、碧柊は傍らに立つ娘を抱き寄せた。五人姉妹の中でもっとも上背のある四女だが、それでも彼の肩までしかない。幼子にするように髪を撫でられ、朱華は父の腕の中でほっと力を抜き小さく笑った。
「はい……ありがとうございます」
夜には歓迎のささやかな宴が予定されていることを言い置いて、朱華は退室した。可能であれば、もう少し親子水入らずの時間が欲しかったところだが、苴葉公となった彼女も多忙なのだろう。
懸案である苴葉公の夫選びも、進捗の見込めそうな報告は届いていなかった。
枳月とは比較的親しくしているようだが、あくまで公的にはであり、私的な接触はほとんどないようだった。
霜罧とは、となると予想通りというか、危惧していた通りになっているようだった。その点については、事前に霜罧自身に以前より朱華が彼に好意を持っていないことが明らかな点を念押ししたのだが、彼はそれを承知で苴州入りを受けたのだった。
これまで王女と、王統家などの準王族以外の臣下との婚姻の例はない。ただし、王統家の子女と他の貴族間の婚姻ならば普通に行われている。本来ならば妻に望むことのできないはずの王女が、臣籍降下で苴葉公となることで、はじめて霜罧もその夫となれる可能性を得られたのだ。彼はその機会を逃したくはないと明言した。
彼の父は碧柊の乳母子であり片腕でもある人物である。そのため、霜罧とも彼が幼い頃から交流があった。利発で見目もよく、すでに将来有望な子供であったが、どういうわけか五人姉妹でもっとも気難しい四の姫を気に入っているようだった。親の目にも愛嬌に乏しく可愛らしさのない彼女に、何故彼が固執するのか誰もが不思議がったものだったが。それが長じてからも嘱望された将来の可能性より、彼女を選んだのだ。
苴葉家を王女に継がせるという案を出したのは碧柊だが、そう発案するように綾罧に誘導されたような印象を未だに拭いきれていない。綾罧は、霜罧の父である。真の発案者は誰なのか。
嶄家にしてみても、元とはいえ王女の夫を一族から出すことはこの上ない誉ではある。最悪、霜罧が朱華の伴侶に選ばれなかったとしても、葉で最大の面積を誇る苴州に足がかりを築くことはできる。
嶄家にとって損になる話ではない。王家・王統家をのぞく上級貴族のなかで突出してしまうという目立ちすぎてしまう難点はあるが。
椅子にかけて沈思していると、小姓が霜罧の訪問を知らせてきた。碧柊の方から呼んでいたため、そのまま通すように命じる。入室した霜罧は椅子に座ったままの王配に優雅に一礼した。
碧柊は挨拶を切り上げさせ、向かいの椅子に腰掛けるようすすめた。彼は浅く頭を下げ、その勧めに従った。
まずは苴葉公としての朱華の評価を尋ねた。文字による報告は定期的に受けているが、じかに霜罧から聞いてみたかったのだ。
霜罧は良き領主たらんと努力する朱華の姿勢は評価しつつ、視点に欠けていることや、自信がないのか自分の意見を他人の影響で左右してしまいがちなことなど、いくつか問題を指摘した。
「で、総合的な評価は?」
「失礼ながら、悪くはない、かと」
霜罧は涼しい顔で言ってのける。碧柊は彼が幼い頃から知っている。その評価が正しく悪いものではないことは理解できる。
「その評価は客観的なもので良かろうな?」
「殿下にご報告するために、列洪殿とも話し合いました故」
「……惚れた欲目はない、と?」
「それで目が曇るほどの俄かな想いではありませんので」
霜罧はそう言って薄く笑う。碧柊も思わず苦笑いする。
「相変わらずだな、そなたは。その人の悪い笑い方は止した方が良かろうな、朱華になにか言われておらぬのか?」
「よく、よしなさい、と……けれど、近頃はお諌めする際にだけに限っております」
この笑みで諌められた朱華がどんな顔をするのか、思い浮かぶようだった。
「先ほどはそうは見えなかったがな」
「先刻は公がお困りの様子でした故、つい出すぎました」
碧柊はつくづくと彼を見つめる。この彼の食えなさに朱華が敵うはずはない。四女に足りないのはこの種の強かさには違いなかった。
「では、実情は如何かな?」
はっきりと問うと、霜罧は曖昧な笑みを浮かべた。




