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雪の陰翳  作者: 苳子
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序章 4


 室内は夏向けの調度品で整えられている。

 霜罧そうりんにすすめられた椅子も籐家具で、茶器の並んだ卓子も揃いの品だ。

 窓を覆うのは紗の窓掛け。床をおおっていた毛織物は姿を消し、今は涼しげな色合いの陶製のタイルが姿を現している。

 間仕切りなどにも草や木の素材が用いられ、風を通すことを第一の目的としている。

 朱華はとりあえず腰を下ろしたものの、着慣れない衣装に内心難儀していた。

 正装は裳を穿き、色合いの異なる衣を何枚も重ね、一番上に意匠を凝らした上衣うわがさねを羽織る。

 端的に云ってしまえば、嵩張るのだ。しかもごわつく。着心地よりも見栄えが優先されているので、致したかない。

 腰かける際にもそれを念頭に置かなければならないのだが、生憎とその時の朱華は他のことに気をとられてしまっていた。

 おかげでひどく座り心地が悪いのだが、今更それを口に出したり、座り直したりすることは礼儀に反する。座っていられないわけでもないので、用件が終わるまでじっと堪えるしかない。

 朱華は五人姉妹の中では模範生に相当する。

 優等生は長姉だ。彼女は意識せずとも次期王位継承者にふさわしい振舞いをすることができた。少なくとも、朱華の目にはそう映っていた。それに続くのが、ちゃっかり者の次姉、そして華やかな三番目の姉、最後に内気で愛らしい末の五の姫。

 後継ぎでもなく、いずれ母の跡を継ぐ姉の補佐を務めるわけでもなく、そつなく社交界の華として振舞うこともできず、素直に家族や周囲の者たちの愛を一身に受けるわけでもない四の姫。朱華は、いつまでもそんな自分の立ち位置を、見定めることができずにいる。

 典型的な姫君らしい振舞いをできないのなら、その次にできることは限られる。

 幸いようは他国と比べ、女性であっても武芸を嗜む風潮が生きている。それが多少常識的な範疇を過ぎたとしても、煙たがられることはあっても非難されることはない。

 朱華自身、特別武術に関心を持っていたわけではない。他に自分にできることがなさそうなので、つい熱心に取り組んでしまい、幸か不幸かそちらの面での才に長けていたらしい。

 出しゃばらず控えめな、しかし腕の立つ王女。

 それが女性王族としてなにかの役に立つとは、朱華とて考えてはいない。

 女性が軍人になることはない。少なくとも、そのような先例ためしはない。異国には女性でも入隊できる国もあるらしいが、葉では、少なくとも現在の葉ではそれはありえない。

 なんの役にも立てそうになくても、なにもないよりはましだった。

 慎ましく、己の立場を弁えた賢明な四の姫。愚かでもなく、賢すぎるわけでもなく。特技である武術とて、それが彼女の立場を有利にするものではない。それでも、彼女自身には必要なことだった。

 わずかに姿勢を変えることで、座り心地をなんとかする。気安い身内の集まりでもある。一言断って座り直したところで、たいしたことではない。分かってはいても、そうできない。

 それが朱華だった。

 朱華は気を取り直し、目の前の様子を確かめる。用意された椅子は四脚。茶器も四人分。

 ということは、霜罧はたまたま居合わせたわけではない。そもそも女王の私的な居間に、臣下が“たまたま”居合わせることなどありえないのだが。

 隣の席に霜罧はゆったりと腰かけている。女王の前だからといって、彼がかたくなることはない。彼の気質もあろうし、付き合いの長さもある。

 彼の父は、朱華の父碧柊の乳兄弟だ。碧柊と実の兄弟のように育ち、先の内乱のおりには彼の身代わりをつとめて重傷を負い、現在もわずかだが後遺症が残っている。日常生活に支障をきたすほどではないが、片足を引きずる。それは見ればわかるほどに明らかなものだった。

 霜罧はその次男として、王都で生まれた。幼いころから父に連れられて王城の、しかも本宮に出入りし、五人姉妹の遊び相手をつとめたこともある。

 しかし、幼馴染というほど親しいわけでもなく、年齢も近いわけではない。親近感を抱くほどではないが、他人というにはやや近い、距離をはかるのが難しい間柄だった。


「母上、お話とは?」

「その前に喉をうるおしなさい。稽古のあと着替えただけで、そのまま来たのでしょう?」


 女王である母自ら茶を注ぐ。本宮の居間においては、それがいつものことだった。彼女は四人分の器を満たすと、傍らに立つ夫にも椅子を勧める。彼は小さくうなずく。

 二人ともに四十代半ばから後半にさしかかっており、成熟し落ち着いた空気をまとっている。若いころは美貌で知られた母青蘭せいらんは未だに若々しく、父碧柊へきしゅうは肥え太ることもなく引き締まった体型を維持しつつも、老成した渋みも醸し出している。

 朱華ははやく話を聞きたくてじりじりしていたが、それは顔に出さず、云われるままに茶器を手にとる。

 意図的にぬるめに淹れられた香草茶は、確かに張りつめていたなにかを和らげた。娘の肩の力が抜けるのを確認したように、母は話しはじめた。


苴葉そよう家が絶えたことは知っていますね?」

「はい」


 単刀直入な切り出し方だった。母は持って回った話の始め方はしない。

 朱華は頷きながら、脳内で知り得る情報を集めた。

 苴葉家は王領である(州を治める王統家である。

 王家の領地である王領は全土に散らばっており、王家の直轄領と、王家の分家である王統家に統治を委ねられた王統家領の二種類がある。それぞれの王統家は領地の名を“葉”の前に冠して名乗る。ゆえに苴州を治める王統家は、苴葉家となる。

 苴州の苴葉家は東葉王家から最初にわかれた王統家で、東葉王統家四門の筆頭の家柄である。東葉時代には、東葉王家に次ぐ高い家格を誇っていた。

 東葉北東部に位置し、葉で最も広い王領苴州である。その東の州境はそのまま隣国翼波よくはとの国境でもあり、およそ百年にわたって戦線となってきた。

 国力の増強の成果を主に兵の育成につかってきた旧東葉では、軍は屈強な翼波とよく戦った。そのおかげで戦線はある意味固定化し、他の地方まで被害を蒙ることは少なかった。それが国力を増すことにも繋がっただけに、苴州はある意味特別な地方でもある。

 それは統一のなされた、新たな“葉”においても変わらない。

 そんな苴州では、苴葉家だけでなく、貴族や平民、奴婢にいたるまで自分たちこそが“葉”を守ってきたのだという、高い矜持がある。

 その先頭にたち、長年戦ってきた苴葉家への民の敬慕の念も深いと聞く。

 そんな苴葉家も先の内乱で一族の多くを失い、わずかに残ったもの達も翼波との戦いで命をおとし、ついには最後の当主一人を残すのみとなってしまった。

 その当主もこの早春の戦いで討ち死にをとげ、とうとうその血筋は絶えてしまった。

 国内最大の王領であり、もっとも危険な地域でもある苴州のその後の処遇が、最も重大にして至急に解決されなければならない事案として取り沙汰されていることは、朱華も知っている。

 これを機に王家の直轄領にすべしという意見がある一方で、国防の要であるこの地域をまとめてきた苴葉家を残すべきだという意見もある。

 ではその場合、誰がその家を継ぐかということが問題となる。

 他の東葉王統家から後継者を出すことには、各家の激しい牽制合戦が予想される。西葉王統家や西葉系王族出身者では、誇り高い苴州の民が受け入れないだろう。

 女王夫妻に王子があれば、両王家の血を引くものとしてもっとも適任であるのだが、生憎王女たちしか存在しない

 そのような事情を抱える苴葉家の名が持ち出されたことに、朱華は首を傾げるしかなかった。それが自分とどう関係するのか予測もつかない。唯一の予測は、苴葉家を継ぐ者の箔付けに、朱華が降嫁する可能性くらいのものだった。が、そんな話は今のところ出ていない。


「あなたにその苴葉家を継いでもらいたいのです。もちろん、あなたが当主として」


 母である女王はにこりと微笑んで、なんでもないことのようにそう言ってのけた。


「……」


 朱華に、とっさにかえせる言葉はなかった。


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