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雪の陰翳  作者: 苳子
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第3章 9

 苴葉そよう公邸訪問後、西宮さいぐうに戻ると、朱華しゅかの外套などを片しながら夕瑛せきえいが話しかけてきた。


枳月きげつ殿とお話なさったようですが、如何でしたか?」


 疲れが出たのか、椅子の背にもたれてぼんやりしていた朱華は、枳月の名前にびくりとした。


「少しだけね……その情報はどこから?」

霜罧そうりん殿です」


 四の姫は、なんでもないように返す乳姉妹に探るような一瞥を向けたが、じきに放棄する。


「まぁいいわ……」

「成果はありましたか?」

「成果ね……」


 朱華は疲れた顔を見せる。

 夕瑛にどこまで話したものか迷っていた。彼女に隠し事は、全くと言っていいほどしたことがない。

 けれど、今回の件は憚られた。表情すら滅多と見せない彼が、あのような態度をみせたのだ。結局理由は聞き出せなかったが、只事ではないことだけは確かだろう。師にも、彼が背負っているものの重さは、朱華にはわからないだろうと言われた。まったくその通りだった。

 しかも、それは朱華が思うより重大事のようだった。皮肉とは日頃無縁な枳月が、女王を「どうかしている」などと言ってのけるのだから、よほどのことだと思われる。しかもそれは彼にとっては「悪夢」らしい。

 朱華はそこでとまる。

 ひょっとすると「悪夢」とは、朱華との縁談なのだろうか? てっきり話の流れで彼が結婚を避ける理由が「悪夢」なのだろうと思っていたが、話題そのものは朱華との縁談だった。霜罧と違い、彼は悪戯に他人を皮肉ったり腐したりしない。だが、感情的になった際にぽろりと本音が漏れたということはないだろうか。

 朱華はそこまで考えて、多少なりとも衝撃を受けていた。まさかそこまで自身が嫌われているかもしれないと、考えたことはなかった。実際はどうかわからないにしても、その可能性を考えなかった自分は、そうとう厚かましい人間なのだろうか。


「姫さま?」


 突然顔色を変えて黙り込んだ主人に、女官長は心配そうに手を止めて声をかけた。乳姉妹の案じる声にも気づかず、朱華は一点を見つめている。


「どうなさいました?」


 手にしていた物を置き、傍らまで寄って顔を覗き込むように声をかける。そこでようやく朱華は我に返った。


「……夕瑛、なに?」

「それは私の台詞ですよ。成果ね、と仰ったっきり黙り込んでしまわれて……なにかあったのですか?」


 夕瑛は呆れたように話してから、最後は心配そうに眉根を寄せた。朱華はいつもの癖で口を開きかけたが、思い直して首を振った。やはり、例え相手が夕瑛であっても、話して良いかどうか迷われる。


「なにかあったというほどのことではないのだけど、少しね……それより母上になるべく早くお目にかかりたいの、手配を」

「……承りました」


 朱華の容子とこの件をどう結びつけたのか。夕瑛は一瞬主人の顔をまじっと見つめたが、すぐに一礼すると部屋を出ていった。




 翌日、すぐに朱華は女王に呼ばれた。朱華の方から面会を求めることは滅多とない上、出立が迫っているため、都合をつけてくれたのだろう。

 夕瑛は本宮ほんぐうまで朱華に付き従ったが、控えの間で待たされた。同席するのは女王とその夫だけだった。朱華から申し出たわけではなかったが、時期が時期だけに、女王の方から察しをつけたのかもしれなかった。

 母にすすめられるまま腰を下ろしたものの、朱華は落ち着かない気分だった。

 両親の私的な居間は、すっかり冬仕様に設えられている。暖炉には火が燃え盛っている。

 椅子が三角形に配置され、暖炉に近い側に女王が座り、窓側にその夫が腰掛けた。ゆったりした容子の両親に囲まれ、朱華は目線のやり場にすら困っていた。考えてみれば、両親と三人きりになったことなど、皆無と言っていいほど記憶にない。


「至急話したいことがあるそうね、朱華」


 女王は単刀直入に切り出してきた。なんと話したものか考えあぐねていた朱華には有難いことだか、少なからず面食らう。

 唾を飲み込みたい衝動を堪え、姿勢を正す。


「はい、陛下」


 堅苦しい調子で応える四女に、青蘭せいらんは小さく微苦笑した。


「朱華、ここは居間だから“母上”でいいのですよ」


 母親は娘にそう話しかけ、ふわりと微笑む。肌の張りは失われ、口元にわずかだが小さな皺も浮かぶ。それでも年齢のわりには若々しく、傍目には年の離れた姉妹に見えないこともない。

 四女の方はそう促されたものの、緊張をうまく解くことができず、ただただ戸惑う様子を見せるばかりだった。

 青蘭はそんな娘の容子に仕方なさそうに微笑み、先を促した。


「それで、話とは?」


 穏やかな母の声に、朱華はごくりと唾を飲み込んだ。

 あの穏やかな枳月が、「どうかしている」と女王を非難したのだ。それを口にするのは憚れたが、訊かないわけにはいかなかった。

 朱華は居住まいを正し、真っすぐに母を見つめた。母は柔和な笑みを浮かべ、娘の言葉を待っている。その内容に予想がついているのかどうかは分からなかった。


「枳月殿のことです」

「枳月殿? あの子がどうかしましたか?」


 母が枳月を“あの子”と呼んだことに、朱華はわずかに目を瞠った。出自にはっきりしない部分のある彼を、女王が王族として遇すると決定したとは聞いていたが、このように親し気に呼ぶとは思ってもみなかった。


「――枳月殿は私との結婚を拒んでおられます」

「あら、そう――朱華、あなたは枳月殿を夫に選ぶと決めたのですか?」


 母の言葉に、朱華は慌てて首を振った。


「まだ、そういうわけでは……まだ、どなたとも決めていませんが……その、そもそも枳月殿はどなたとも結婚できないと仰っておられます」

「あら、あの子はついにあなたに直訴したわけね」


 青蘭は苦笑しながら、夫に目線を滑らせた。碧柊へきしゅうは沈黙を守ったまま、眉を顰めた。

 朱華はそんな両親の態度に、確かに二人とも枳月が結婚を拒む理由を知っていることを確信した。知っているだけではなく、それ以上のなにかが存在するのかもしれないが、朱華には見当もつかない。


「枳月殿はその理由を話してくださいませんが、母上はご存知だと」


 朱華は母から目をそらさない。表情の変化や仕草から、その理由の一片でも汲み取るつもりだった。

 母は小さく頷いた。


「ええ、知っていますよ」

「――けれど、母上は枳月殿の希望をお容れにならなかったと」

「そうです」


 青蘭は表情をまったく変えなかった。彼が「どうかしている」と云うほどの重大性の有無も分からない。

 母の方からその理由を話してくれそうな気配はない。


「……その理由を教えていただけないでしょうか?」


 朱華は思い切って口にした。

 両親は押し黙り、目線を交わした。父の方が明らかに難しい顔をしている。


「朱華、枳月殿が話さないことを、私が勝手に話すわけにはいかないでしょう。あなたがその立場なら、どうかしら?」


 母は静かな口調で問いかけてきた。朱華は唇を噛み、視線を落とした。


「……それはそうですが……」

「納得がいかないようね」


 朱華は小さく頷いた。


「……枳月殿の口ぶりが気になります――彼個人だけの問題なのでしょうか?」


 日頃穏やかで控えめな彼が、女王を「どうかしている」と言い切ったのだ。ただ事ではないに違いない。

 朱華の言葉に、両親は容子を変えなかった。


「それはどうかしらね」

「……母上は問題ではないと判断されたから、枳月殿の希望を容れられなかったのでしょうか?」

「――そうなりますね」


 母はあくまで平静だった。内心を窺うことはできそうにもない。朱華はそっと父の容子を見る。彼は腕組みをしたまま、先ほどと変わらなかった。


「父上はどうお考えなのですか?」

「――母上と同じだよ」


 朱華は父の顔を見据えたが、やはり彼も表情を変えず、ただ静かにそう話しただけだった。朱華は少し俯き、唇を噛んだ。両親が意見を揃えていることは予想していた。父には父の意見があるようにも感じられたが、おそらく彼はそれを口にすることはないだろう。


「……もし、私が枳月殿を伴侶に選んでも、支障はないのですね?」

「それは、その時にあなたがお考えなさい」

「枳月殿から直接理由をお聞きした上で、ですか?」

「もちろんそうです」


 母の態度は、枳月のその理由を、どう看做しているのかは分からなかった。ただ、母は彼を朱華の夫候補に選び、辞退しようとする枳月の意見を退けたのは事実だった。


「朱華、これだけは言っておきます。それは彼のせいではないのです。彼に罪はないのです」

「……罪、ですか」


 朱華は小さく呟いた。

 思いもしなかった言葉が出てきたことに、呆然としていた。彼が「悪夢」と言った意味はこれだったのだろうか。 

 「罪」ともなれば、それはただならぬことのように思われる。

 彼が、自分には誰とも結婚する資格はないと、頑なに言い張るその理由が「罪」だとし、それが彼のせいではないのなら、ならば誰が犯した罪だというのか。

 自分が犯した罪ではないなら、彼は何故それ程までにこだわるのか、まるで自身に罪があるかのように。

 それはこの時の朱華には、まだ見当もつかなかった。


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