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雪の陰翳  作者: 苳子
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第3章 3

 銀華ぎんかは一風変わった趣向の上衣うわがさねを纏い、髪には貴石が編み込まれていた。黒々とした髪を高く結い上げ、その先端は頭頂部から背に下ろしている。滑らかな光沢を帯びた豊かな髪が、整った面輪を縁どっている。

 長い睫毛に縁取られた目は切れ長で、潤んだような光を帯びている。ふっくらとした形良い唇が笑みを形作ると、その艶やかさが増す。

 朱華はいつものように一瞬見とれてしまう。その横で茜華せんかが「姉上!」と声を上げて駆け寄った。


「急なご訪問で驚きました。いったいどうなさったの?!」


 大歓迎という笑顔で姉の手をとりながら、茜華は小首を傾げてみせる。そこに先ほど急な訪問を不審がっていた影はなかった。

 銀華は末の妹に微笑みかける。


本宮ほんぐうにご挨拶に上がった帰りなの。ちょっとした慶事があったものだから、母上にご報告に。その足でこちらにも。あなた達にも早く知らせたくて」

「何があったのですか、姉上。それほど良いことが?」


 目を輝かせて早く聞かせてとねだる茜華の頭を撫でながら、銀華は朱華にも笑みを向けてきた。素直に姉に甘える茜華と、未だに姉に対する態度に迷う朱華は、昔からのこうだった。

 姉の笑顔に朱華もはにかむように応じ、数歩近寄る。

 銀華はそれを確認すると、一瞬わずかに目を細めた。朱華も気のせいかと思うほどの微かな表情の変化だった。


「懐妊したのよ」

「おめでとうございます、姉上!」


 茜華がぱっと顔を輝かせた。朱華もすかさず笑顔で祝う。そうしながら先ほど目にしたものに戸惑っていた。

 銀華は朱華の目を真っ直ぐに見て妊娠を宣言した。そこに妹を嘲るいろはなかったか。これもまた昔からこうだった。朱華は自分が姉に好かれていると思ったことがない。だからと言って、はっきりと嫌われているという確証もない。


「おめでとうございます、姉上」


 内心を隠して微笑み、姉の目を見つめ返す。少なくとも朱華の方には姉に対して後ろめたさはない。


「次はあなたね、朱華」

「茜華の方が先かもしれません」


 そう言って朱華は苦笑いする。姉の言葉に悪意があるのかどうか見極めがつかない。それとも朱華の穿ち過ぎなのか。銀華は一瞬間をおいて、眉を上げた。


「あなたには大役が待っているではないの、夫や子供のことはそれからでしょう」


 姉の言葉の意味を取り違えたのかと、朱華は首をかしげる。意思の疎通がとれていないことに気づいたのか、銀華は口の端を上げて小さく笑った。


「私はやっと一つ役目を果たせるわ、だから次はあなたが役目を果たす番、でしょう?」


 銀華は結婚して二年経つが、なかなか懐妊の報は聞こえてこなかった。誰も口にこそしなかったが、それを心配していないものはいないはずだった。それがやっと叶ったのであれば、娘自ら両親へ報告に上がるのは当然であるし、その足で妹たちを訪ねるのも無理もないともいえる。


「あなたの担う役目の方がよほど重いのは分かっているけれど、あなたにならできると陛下は判断されたのでしょう」


 銀華は笑みをたたえたまま、視線をすっと滑らせた。傍らの茜華の肩にそっと触れ、「座りましょう」と促した。

陽だまりに三人で座る。朱華は肘置きを姉に譲った。かわりに茜華が自分が手にしていたクッションを朱華に寄越す。二人は並んで座り、向かいの肘置きのある位置に、銀華がゆったりと座った。

銀華がまだ西宮にいた頃は、よくこうして三人で集まったものだった。


「姉上とお義兄さまの子供なら、さぞかしきらきらしいお子でしょうね」


 茜華がうっとりと話す。

 銀華の夫は、当代一の美男と持て囃される珂葉かよう家の次男である。他にも候補者は数人いたのだが、彼に銀華が一目ぼれしたため彼が夫に選ばれた。初恋を叶えたという点において、茜華はかなり姉を羨ましがった。その後、茜華も意に沿う相手との婚約が調っている。朱華だけが初恋すらまだだった。

 

「まことに」


 朱華は茜華の意見に素直に同意する。

 朱華の目にも、姉の夫はそうとうな美男に映る。ただ、どちらかといえば洒落者であるため、朱華の近づきたい種類の男性ではない。

 夫を慕うのであれば尚更、なかなか妊娠の兆候がなかったことは、姉にとって辛かっただろう。幼い頃から、姉の思うようにならないことはほとんどなかったように、朱華の目には映っていた。


「そうだといいのだけれどね」


 銀華は下腹部をさすりながら微笑む。その表情かおはすでに母親のもののようだった。


「私はね、男の子が欲しいの」


 三の姫は腹の子に言い聞かせるように囁いた。姉の言葉に茜華が目を瞠る。


「姉上、何故ですの!? 王家の子ならまずは王女でなければ」


 葉王家では王位は王女しか継げない。家系も母系で継承されていく。王子の果たす役割はかなり限られるといっても良い。第一子にまず望まれるのは王女であり、王子は何番目かの子供ならできてもいいという程度の認識だった。

 末の妹の言葉に、三の姫は笑った。


「何故ですって? ――王女はもう既に余っているでしょう?」


 そうしてちらりと朱華を見る。口元に浮かんだ笑みは他者を魅了するものではない。その意味はさすがに朱華にも分かった。


「王子なら次の女王の王配になれるでしょう。年下にはなってしまうけれど、一の姉上の姫とぎりぎり釣り合わないこともないわ。それに、今はまだ王子はいないわけですし」


 銀華の言葉をどう解しているのか。茜華はきょとんとしている。そして台詞の最後に小首をかしげた。


「あら、それなら枳月きげつ殿がいらっしゃいますわ」

「あの方?」


 妹の台詞に、三の姫は目を丸くした。


「あの方を王族といっていいのかどうか」


 「ねぇ?」と二人の妹に問いかけるように、銀華は首を傾げてみせる。朱華は咄嗟に曖昧に微笑んでみせた。


「それに、あの方は州にゆかれるのでしょう」


 姉の視線を受けて、朱華は平静な容子で頷いてみせた。


「ええ、お力を貸していただくことになっております」

「……あの方の血筋が確かなら、あの方が苴葉家を継いでもおかしくなかったのではないかしら」


 三の姫の言葉に、さすがに室内はしんとなった。

 彼女の言葉はもっともでもあった。彼の母が苴葉家の姫だというならなおさらだった。ただ王族としても傍系であり、母の出自もあやふやな部分があり、彼で良いのなら他の王統家出身の者でも良いだろうという意見も出たため、結局お鉢が朱華にまわってきたのだった。


「王子であれば、いずれかの家を継げる可能性もあるのですから――王女でも継げるなら、なおさらそうでしょう?」


 家系の絶えた王統家を、王子が臣籍に降下し継ぐということは過去に何度も行われてきた。銀華の言葉は現実的な可能性の一つだった。ただし、王女が継いだ前例ためしはない。


 銀華は笑みを消し、真顔で四の姫を見つめてきた。四の姫が苴葉家を継げるなら、それが三の姫であっても良いのではないか。三の姫では継げない理由があるのか。


「……今のところ、いずれの家も後嗣には恵まれているようです」


 苴葉家を除けば、いずれの王統家も家系の絶える危険性は今のところないと言ってよい。返答に困り、朱華はこう返した。姉の言葉の意図が読めなかった。そして、その意図するところが裏付ける出来事があるのかどうか。


「苴葉家はそうでもないでしょう?」


 銀華はゆっくりと微笑んだ。長い睫が影を落とし、ふっくらとしたやや肉感的な唇が笑みを形作る。

 朱華は姉の笑みに背筋がぞくりとした。それと同時にはっきりと理解した。兄弟とは他人なのだということを。


「――私の身に何かあれば、そうなりますね」


 朱華は姉の眼差しを正面から受け止め、ゆったりと微笑んだ。

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