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雪の陰翳  作者: 苳子
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第2章 4

 翌日、朱華しゅかは師匠を訪ねた。

 今回は昼時を慎重に避け、先に近衛府に立ち寄って枳月きげつが出仕していることを確認するという念の入れようだった。

 あらかじめ前日に使いをやっていたこともあってか、せん志邨しそんは自宅の居間の椅子で昼寝中だった。

 朱華の訪問に気づいても、居をあらためることもせず、欠伸あくびをしながら空いた椅子に腰かけるよう勧めた程度だった。朱華はいつものことにほっとしながら、師の指示に従った。


「では失礼します」


 きちんと背筋を正して座る王女の姿に、彼は口の端を上げた。


「茶も出せんが良いかな?」

「それなら私が」


 腰を浮かした朱華に、師は眉を上げた。


「姫中将自らか?」

「近頃は簡単なことは自分でやるようにしております」

枳月きげつ殿の影響かの?」


 先だっての訪問のことを持ち出され、朱華は微かに赤面する。まるで師の元に食事だけしにきたかのようだった。


「それもあるかもしれませんが、やかりもう王女ではなくなりますので。非常時に誰かの手を借りなければ自分のこともできないようでは困りますし」

州入りするのであれば、その程度の覚悟は必要かもしれんな」

「はい――とはいえ、まだ大したことができるわけではないのですが」


 朱華は立ち上がり、暖炉に近寄る。まだ日中まで冷え込む時期ではないが、師の炉には熾火が燻っていた。暖炉の脇に積まれた薪を手にし、消えかけていた火を熾していく。

 何度も薪の組み方を変え、時に顔を真っ赤にして息を吹きかけているが、なかなか火は大きくならなかった。


「姫中将や」

「はい」


 振り返った四の姫の頬は黒く汚れていた。炭で汚れた手で思わず顔を拭ってしまったのだろう。師匠は相変わらず不器用な弟子の容子に微苦笑した。


「難儀しておるようだな」

「……申し訳ありません、なかなか不得手で」


 この程度のこともこなせない事を恥じるかのように、彼女は情けなさそうな顔をする。師は笑って首を振る。


「このくらいのことで斯様かような顔をなさるな。戦場いくさばにおいて火を起こせることは、確かに重要だが、要は慣れだ。じきにできるようになる。それよりもこの程度のことで斯様な顔をしていては先が思いやられるぞ」

「もっと毅然としておらねばなりませんよね」


 朱華は己を恥じるように、眉間に皺を寄せる。師はやれやれと溜息をつき、手招きして傍らに呼び寄せた。

 弟子は燻る薪をいったん置いて、師匠の傍らに移動した。師の指図のままに床に膝をついた。

 気落ちした容子で俯く弟子の頭を、師は軽くはたいた。驚いた朱華に構わず、そのまま幼子にするように頭を撫でた。


「その程度のこと、笑い飛ばせばよい。姫はもっとどっしり構えておられれば良い」

「それができないので……」

「できるできないではなく、するのだよ」

「……」


 納得できない容子の姫にかまわず、彼は言葉を続ける。


「姫中将には瑣末なことではなく、大きなことが任されようとしておる」

「だからこそ、瑣末なことくらいできなくては」

「瑣末なことは誰にでも出来よう」

「その大きなことに自信が持てないので」


 自棄からではなく、はっきりと自信の無さを口にしたのははじめてだった。俯く朱華の頭を、師はゆっくりと撫でてやる。


「姫中将一人で為すことではあるまい」

「最終的に責任があるのは私です」

「それは当然だ」


 師はもっともだというように頷く。朱華は項垂れたまま上目遣いで師匠をちらっと見た。


「……それが怖いのです」

「それも当然だな」

「……そんな体たらくでは」

「それでいいのだよ」

「……」


 納得できない容子の朱華にかまわず、師は言葉をつづけた。


「自信がないなら最善を尽くしなさい。姫にできることはそれだけだ」

「難しいです」

「だから一人で為すことではないのだよ。ただ、最後に責任をとる覚悟だけはしっかりとな」

「……はい」


 俯いたまま頷く四の姫に、師も頷く。


「では、まずは火起こしからだな」

「覚悟が定まらず申し訳ありません」

「誰に謝っておる?」

「……」


 言葉に詰まる朱華に、師は思案するように首をひねった。


「儂は姫に謝っていただくような心当たりはないがな」

「……このような弱音はこれきりに致します」

「弱音を吐くのは悪いことではない、逃げなければ良い」


 師匠は弟子の頭をもう一度軽くはたくと、椅子から立ち上がり暖炉の前に移動した。朱華も師の隣に膝をついた。


「……今日は実は枳月殿のことをお訊きしたかったのです」


 師は朱華の積んだ薪をいったん崩しながら、首を傾げた。


「何をかな?」

「彼の過去についてなのですが」


 熾火は消えていなかった。室内にもくもくと煙が立ち込め始め、二人揃って咳き込み出した。


「最近儂も人任せだったから、このザマじゃ」


 煙が目にしみ、涙がにじむ。


「申し訳……」

「何故……姫が謝る……」


 二人して涙をぬぐいながら咳こみ、師匠がかすむ目で薪を動かす。

 ひとしきり咳き込んでいる間に、ようやく火が大きくなった。


「お手を取らせました。師は椅子にお戻りください。あとは私でも大丈夫です」


 袖で涙をぬぐいながら、朱華は師に声をかける。師匠は「うむ」と短く答えて、椅子に腰かけた。

 朱華も水瓶と鍋の場所は把握していた。


「茶葉の在り処はわかるか?」

「それは……台所を見ればわかるかと」


 鍋に水を汲みいれて、火にかける。それから朱華は改めて台所に入った。


「棚でしょうか?」

「おそらくそのあたりだろう。一人で茶を淹れることなぞないからな」


 朱華は師らしい言葉に苦笑いしながらあたりを探した。似たような陶器の入れ物がいくつも並んでおり、いちいち開けないと何が入っているのかわからない。掃除は行き届いており、埃一つなかった。

 なんとか茶葉を探し出し、次は茶器を探す。台所から高い音が響く度、師は心配そうに眉をひそめた。

ようやく茶を淹れる頃にはすっかり冷めてしまっていた。


「申し訳ありません。冷めてしまいました」


 情けなさそうに肩を落としながら茶器を卓に置く。


「さきほどから謝ってばかりだな、姫は。謝る必要はないと言うておるのに」


 そう言って、朱華にも腰掛けるよう促した。

 朱華は言葉に従ったが、相変わらず冴えない表情だった。

 それには構わず茶器を手にすると、師は一口含む。


「ちょうど良い加減ではないか」

「温くなっています」

「だからちょうど良いんじゃろう。熱くては飲めんからな」

「そういうものでしょうか」

「姫はどうでも良い事にこだわり過ぎだな」


 師の言葉に、朱華は苦笑した。つい先ほども似たようなことを言われたばかりだったのに、気付かず同じことを繰り返している。


「枳月殿のことを訊きたいということでしたな」

「はい」

「誤魔化すわけではなく、儂はあれの過去については知らぬよ」

「……」

「枳月殿は自分ことを話したがらない。だから儂も聞かなかった。それだけだ」


 師はあれこれと問うてくるような人ではないことは、朱華も知っている。


「……そうでしたか」

「過去を聞いて何が知りたかったのかな?」

「……人となりなどを」

「それはご自分で見定めるべきではないかな」

「……そうですね……」


 結局、自分の判断に自信がないから、ついつい他者のそれに頼ってしまいたくなる。それを反省しつつ、朱華は今日訪ねる切っ掛けになった師の言葉を思い出した。


「――先日、伺った際にまた来なさいと仰ったのは」

「ああ、あれは姫とゆっくり話したかったからだよ。これが最後かもしれぬしな」


縁起でもないことをからっという師に、朱華は慌てて首を振る。


「そのようなことは……」

「わしも年故な、明日のこととてわからんよ。こうして姫手ずからの茶も飲めたし――まさか姫に茶を淹れてもらう時が来るとは思うてもおらなんだ。人生、思わぬこともあるものよ」

「そうですね……」

「姫とて降嫁はあっても、まさか自ら臣籍に降下して王統家を継ぐことになるとは思いもせんかったろう?」

「……そうですね、このまま独身の可能性は考えていましたが」


 朱華は苦笑いし、師はだろうと笑った。




 その後、もう一度茶を淹れなおし、朱華は時間を忘れて師と歓談した。それを見越してか、霜罧そうりんは朱華の今日の午後いっぱいの予定を変更してくれていた。

 師の元を辞する頃には陽も傾きかけていた。

 いよいよ席を立とうとした朱華に、師は思い出したように話しかけた。


「枳月殿が抱えているものは、恐らく姫が想像するより重いものだろうな。儂にわかるのはそのくらいだ」


 朱華はだまって感謝するように頭を下げた。




 師のもとを辞して少し歩いたところで、枳月と出くわした。

 挨拶を交わすと、枳月は朱華を西宮さいぐうまで送ると申し出た。枳月は師を訪ねようとしていたのだろうし、近衛もいるため大丈夫だと遠慮する朱華に、彼は「話があります」と切り出した。


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