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雪の陰翳  作者: 苳子
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第1章 11

 朱華しゅかが衣を改めて本宮ほんぐうに参上するころには、夕刻にさしかかっていた。

 相変わらず顔色の冴えない四の姫を気遣いながら、夕瑛は供をする。朱華のほうが壁を築いているようで、声をかけられない。そのようなことは今までないことだった。

 通されたのは、本宮の女王の私的な居間の方だった。至急のことでもあるため、あくまで私的な訪問だということなのだろう。

 朱華が挨拶を済ませると、夕瑛は居間の入り口で控えの間に下がろうとしたが、女王からの目配せを受けてその場にとどまった。朱華は気づいていない。

 女王は娘の顔を見ると、沈黙したまま立ち上がった。立ち尽くす朱華の傍らまで歩み寄ると、自分より少し上背のある娘の肩に腕を回した。

 朱華は驚いたように目を瞠った。母に後頭部に手を回されてその肩に抱き寄せられると、素直に身を預けた。

 娘の方がやや上背があるが、母の肩に安心して身を任せているのは見て取れた。

 強張っていた娘の肩から力が抜けるのを確認した青蘭せいらんは、いつの間にか二人の傍らにいた娘の父親を見上げる。妻の視線を受け、彼は浅くうなずいた。彼女はそっと腕を解くと、放心した態の娘の身を夫に委ねた。彼は娘の体を妻から預かり、その胸に抱き寄せる。

 自分よりはるかに上背のある父の胸に抱かれ、四女は束の間呆気にとられたように驚いていた。父の胸に抱かれたのは幼い頃以来のことだった。ぽかんとする娘の頭を撫でながら、碧柊へきしゅうは囁く。


「無事で良かった」


 心底ほっとしたという心境が切々と伝わってくる声音だった。

 

「――ご心配をおかけしました」


 朱華は戸惑いながらも詫びた。

 叱責される覚悟はあったが、まさか両親からこのような対応をされるとは思ってはいなかった。親からの愛情に疑問を感じたことはなかったが、一国の支配者の家庭ともなれば特別である。乳姉妹である夕瑛と乳母であるその母親との関係と比べれば、女王である母と、王配である父の存在は遠いものだった。それに不満はなかったが、立場上仕方ないという諦めはあった。

 

「何故そなたが詫びる必要がある」


 娘の言葉を父は否定する。朱華は納得しない。


「しかし……」

「なにかあればすぐに己に非があるのでは、と安直に考える傾向は親譲りだな」 


 父の苦笑交じりの呟きに、隣の女性があらと眉をひそめた。


「どなたのことを仰っておられるのかしら」

「私にはそのような傾向はない故な、あとは一人しかおられぬが」


 母親は心外なと険しい表情かおしたが、じきに微苦笑した。


「確かに私がこの子くらいの年の頃はとりわけそうでしたわね」

「おかげで吾は苦労した。他意のない言葉を曲解しては自己卑下で落ち込まれたり、拗ねられたりしてはな」

「それはあなたの失言癖もあってのことでしょう」


 夫婦間でしか通用しない会話が頭上を行き交うのに、娘はおとなしく耳を傾けていた。両親の夫婦らしい一面を目にすることは稀だった。


「母上が十八の頃ですか?」


 ふと気になって口を挟むと、両親は顔を見合わせた。

 碧柊は腕を解き、娘と妻にかけるよう促した。三人は椅子に掛けた。


「私が十八の頃と言えば、先の内乱が起こったばかりでしたね。私は当時は西葉の王女でした。あなたの父上との婚礼のために東葉に着くや、その日のうちに翠華すいかの都から逃亡することになって。碧柊殿と共に敵の追われてでした」

「父上と、ですか?」


 朱華も先の戦のことは概ねは知っているが、詳細は知らずじまいだった。

 当時、よう東葉とうは西葉さいはの二つに分かれて争っていた。

 西葉は東葉との戦に負け、その賠償として次期西葉女王であった青蘭が東葉王太子碧柊に嫁ぐことになった。そのために青蘭が東葉王都翠華に着いたその日に、妹に同行していた青蘭の兄が東葉の当時の王を殺害したことから乱は始まった。

 さらに東葉の王族であった碧柊の従兄が彼と結託していたため、両国を巻き込んでの内乱となったのだ。その中を青蘭と碧柊は西葉の味方の元まで逃げ延びた。そして青蘭が女王として即位を宣言し、それを東葉王太子である碧柊が支持したことにより、事態は反転した。青蘭の兄は除かれ、碧柊の従兄は敵国である隣国翼波へ逃亡したことにより、葉はひとつにまとまり、内乱は終息した。が、そこへ翼波の侵入が重なり、国土は戦火に焼かれた。未だにその痕跡は各地に残されていると聞く。

 

「最初は東葉の近衛と一緒だったのけれど、途中で離れざるを得なくなってしまって。一時期は二人だけでなんとかしなければならなかったこともありました。当時からこの人は一言多かったから、その点でも大変だったわね」


 妻の回顧に、夫は苦笑する。


「そなたはすぐに悪い方にばかり解釈するから、事態は厄介になるばかりだった」 

「最終的にはおさまるようになったのですから、よろしいではありませんか」


 からかうような夫の言葉に、妻は当時を思い出したのか、ばつが悪そうにごまかした。


「まぁ、そういうことにしておこう。今も吾はそなたの傍らにいるわけだしな」


 碧柊は満足げに妻を見つめる。彼女はかすかに頬を赤らめ、居心地悪そうに眼をそらした。

 それから気持ちを切り替えるように、小さく息を吐いた。


「私が初めて人を殺めたのもその時でした」


 平坦な声音に、それまで両親の掛け合いに微笑していた朱華は引き戻された。


「命を狙われるのは幼い頃からのことだったけれど、身を守るために人を手にかけたのは逃亡する際だったわね」

「――母上自ら、ですか……」


 疑うわけではなく、今の姿からは想像もつかないことだった。

 女王は小さく頷き、視線を落として自分の利き腕を見つめる。


「あの時は周りには敵しかおらず、碧柊殿お一人で切り抜けるのは無理でした。私も戦うしかありませんでした。そうでなければ、今ここにこうしていることはなかったでしょう。殺さなければ、自分が殺されることもあります。いつも必ず誰かが守ってくれるわけではありません。それは何も直接襲われることばかりでもありませんが」

「苴葉家の後継のことが正式になれば、そなたも命を狙われることが増えるだろう。苴州そのものも戦場と変わらぬ。戦況が悪化すれば、州都も戦場となり、そなたも戦わぬわけにはゆくまい」


 両親の言葉に、朱華は険しい顔で膝の上の自分の手を見つめた。母の行為に影響されたわけではないが、人の身を刺した感触は未だに残っている。気分のいいものではないが、この道を選ぶなら無縁ではいられない。

 母から苴葉家の話を持ち掛けられた時点で覚悟はしていたが、実際に経験してみると話は変わってくる。枳月や霜罧からも同様のことを言われた。

 姉や妹たちとは異なる道を選ぶということは、そういうことになのだろう。

 

「苴葉家の話、まだなかったことにできるのですよ」


 母の言葉が飛び込んできた。

 俯いて自分の手を見つめている娘の姿を憐れんでというより、覚悟がないなら辞退した方が良いと言いたげな口ぶりだった。

 朱華はとっさに顔をあげ、自分を見つめる母の眼差しにそれを確認した。

 

「――しかし、その場合、他に候補者はあるのですか?」

「ないわけではありません」

「――珂葉家の?」


 朱華は思わず口にしていた。

 女王はちらっと視線を夫の方へ走らせ、眉をあげた。


「もうあなたの耳にも入っていましたか――出所は、あの二人ですね」

「……」


 朱華はしまったと口を閉ざしたが、母にはお見通しのようだった。娘たちの動向は母には伝わっているのだろう。


「あなたは言葉を発する前に少し考えるようにしたほうが良いですね。特に、気安さからついぽろっとこぼしてしまうようですから始末の悪いことですが……どなたに似たのかしら?」

 

 女王は困り顔に笑みも混ぜて、王配を一瞥する。


「吾は肝心な局面ではつつしんでおる」

「――あら、ご自覚はおありなのね」


 一国の軍を束ねる男は開き直りとも聞こえる言葉を発し、女王は感心したように応じた。夫婦間の力関係が垣間見える一幕だった。

 居間の片隅に控える夕瑛は、主の様子を心配しながらも普段目にすることにない女王夫婦の様子にも気を取られていた。


「申し訳ありません」


 口の軽さを指摘された朱華は、見るからに落ち込んでいる。自分の至らなさには敏感なのだ。

 女王はそんな娘の様子にわずかにあらと言いたげに眉を動かしたが、慰めることはしなかった。


「銀華のことは本当です。言っておきますが、あの子はまだこの件については知らぬはずです。知らぬはずですが、それがいつの時点でか、ということになりますが」


 女王は小さく息を吐き、冷めてしまった茶を一口含んだ。


「私は兄とは数回しか会ったことがありません。彼は自分の野心のために、幼い頃から私の命を狙ってきました。そのために何人が命を落としたことか。母――あなたの祖母は私を出産した折に儚くなり、父、あなたの祖父の顔もほとんど覚えておりません。王族に生まれるとはそういうものかもしれませんが、私はあなたたちをそのような関係にはしたくなかった。けれど、それぞれが成人すれば利害関係が生まれます。いつまでもきれいごとは通用しません。こうなってくると、私の甘い考えであなたたちを育てたことは間違いだったのかもしれませんが……」

「他者を信頼することと、それを他者に期待することは異なる。それが分かっておれば良かろう」


 妻の弱音に、夫は横から短い言葉を挟む。


「そうであればよろしいのですが――」


 母は生真面目そうな娘の顔を見つめる。

 両親からの言葉をかみしめるように、彼女は母の視線に気づいていない。

 五人姉妹の中で、最も不器用なのはこの四女かもしれない。女王の位を継ぐ長女が背負うものこそが最も重いが、器に合わぬ荷を負わされそうになっているのはこの娘なのかもしれなかった。

 しかし、他に駒がないのも確かだった。この子が息子であれば、とは母である彼女ですら思ったことがあった。娘は四人もいれば十分だった。己が子を手駒扱いはしたくなかったが、自分自身も駒なのだ。

 朱華は不器用だが、莫迦ではない。自分の置かれている立場は理解しているだろう。王子が一人いれば、という人々の言葉の意味も、その指すところもおそらくは。自身が王子であればとまで考えたことがあるかどうかわからないが。

 そして、おそらく四の姫は自分自身の身の置き所を欲している。


「私に成せるのでしょうか?」


 朱華はひたと母の顔を見据えた。眼差しに力はない。心もとないような表情だった。

 女王は自分が十八だったころを思い出していた。女王として即位するとしても、他の道もあったのだ。けれど、当時の自分が選んだのはこの道だった。それが正解だったかどうかは未だに分からない。


「成すか成さぬかだけです」


 突き放した言い方だった。

 朱華は母に決断を求めていた。そしてそれを指摘され、自分を恥じていた。


「少なくとも、私にとってはそれしかなかったのです」


 小さく言い添えられた言葉に、朱華は顔をあげなかった。



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