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雪の陰翳  作者: 苳子
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第1章 5


 朱華しゅかは姉に勧められるままに腰かけた。

 そこは東宮とうぐうでも私的な住居部分であり、一の姫の私室と接する個人的な応接間でもある。

 五の姫と共に招かれるときも、ほぼこの部屋に通されてきた。

 今回の招待も、あくまで「いつもの姉妹としてのもの」の延長に過ぎないということなのだろう。

 宮の主である一の姫自ら茶を淹れる。話題が話題だけに、近侍の者は遠ざけられている。故に客人のもてなしも王太女自ら行う。これは何も珍しいことではなかった。

 いつもは女官たちに傅かれている立場だが、一の姫も二の姫もある程度自分の身の回りのことは自分でできる。それは幼いころ、何度も西葉さいはの聖地に避難したことがあるためだった。


「朱華、あなたは聖地に避難したことはなかったわね?」


 青華せいかは自ら淹れた茶を一口含み、ほっと息をつくと訊ねた。


「はい」


 朱華は聖地を訪れたことはあるが、『避難』した記憶はない。


「最後に避難したのは、この子が生まれた頃だったのではないでしょうか?」


 横から二の姫が口を挟む。


「そういえば、あなたが生まれたのはどこだったかしら?」


 一から三の姫までは聖地で生まれている。当時、翼波は西葉まで侵入することすらあった。戦火を避けるために聖地に避難する王侯貴族は多かったのだ。


「私は州候邸と聞いています」


 州には聖地がある。翼波の侵入が国境地帯に限られるようになるまでの間、女王一家は聖地及び嵜州に滞在していたことも多かった。

 東葉も西葉も王都は内乱と翼波の奪略を受けて荒廃したため、現在の王都は新たに遷都されたものである。新都は東西の葉の旧国境付近に定められた。正式に遷都して十年にも満たないため、すべてが新しく、まだ建設中のものも多い。


「そういえばそうだったわね、私はなんとなく覚えているわ」

「私は生憎ですが」


 長姉の言葉に、次姉は首を振る。朱華が生まれた時、一の姫は七歳、二の姫は五歳だったため、無理からぬことでもある。


「あの頃、子供にはそんな気配を見せないように気遣われていたけれど、毎日落ち着かない気分だったのは覚えているわ。父上は常に留守がちで、たまに戻られた時の母上の切実なご様子が印象的で……今思えば、翼波との戦いはあの頃が最も切迫していたのでしょうね。父上が出陣なさるたび、次必ず会えるとは限らなかったわけだから、母上の当時のお気持ちはいかばかりだったか」

「あの頃の母上と今の姉上のお年頃はあまり変わりませんのね」

 

 指折り数えるようにして、次姉が感慨深げにつぶやいた。


「あの当時の国内情勢を考えると、私ではとても舵取りはできなかっただろうとつくづく思うのよ。母上と父上はよくぞあの状況を超えてこられたものだと……」

「お二人だからこそ乗り越えられてきたのでしょう。もちろん、お二人だけの力でなされたことではありませんけれど」


 二人の姉の話を、朱華は黙して聞いていた。

 いずれも既知の話ではある。

 けれど、両親の傍らで実際に立ち会いながら育ってきた二人の話には実感がこもっており、事実以上のものがある。未だに翼波との戦いは続いているが、戦線は固定化されつつあり、彼女が生まれたころと比べれば平穏さを取り戻しつつあるとも言える。

 

「朱華、あなたは州を訪ねたことはなかったわね? 母上の地方の巡察に同行したことは?」


 不意に青華に話を振られ、朱華は戸惑いながら小さく首を振った。


「いいえ、姉上」


 青華のやわらかな表情が厳しいものとなる。


「無理もないことだけれど、あなたはあの頃を知らないし、戦の後の惨状を見たこともない。残念ながら、百聞は一見に如かずというのはその通りだと思うの。あなたは本当の意味ではなにも知らない」


 まっすぐに向けられた姉の言葉は、朱華の胸を抉った。

 まさしくその通りだった。確かに自分はなにも知らない。分かってはいたが、それすら甘いと突きつけられているようだった。


「……あ、姉上は反対でいらっしゃるのですか?」

「当然でしょう」


 一の姫は彼女にしては珍しく言下に断言した。

 朱華は返す言葉もなく黙り込んでしまう。

 椅子に掛けたまま固まってしまった妹に、青華は立ち上がるとその傍らまで歩み寄る。朱華は姉の意図が読めず、動けずにいた。


「苴州はとりわけ厳しいところです。最前線なのだから当然ですが、この状況はこの先も続くでしょう。おそらくあなたの今生において、それに終わりはない。戦況が悪化するようなことがあっても、苴葉家の当主が母上のように聖地に避難するわけにもいかないでしょう」


 長姉は妹の頭をそっとなでると、そのままその背に手を回した。朱華は気づくと姉の肩口に抱き寄せられていた。


「誰が可愛い妹をあのようなところへやりたいものですか。ましてやなにも知らないあなたを」


 一の姫は妹に頬ずりするようにさらに顔を寄せる。

 嘆息するような囁きに、朱華の肩から力が抜ける。


「……姉上」

「けれどもね、そうも言ってはいられないのも事実です。苴葉そよう家の後継者問題が大きくなる前に、手を打っておきたいという母上のお考えもわかります」


 青華はそっと腕を解くと、間近の妹の顔を覗き込むようにしながら、わずかに目をそらした。


「早速、銀華ぎんかまで動き出したようですし」


 ため息交じりに悩み事が増えたように呟いた。

 朱華は驚きで目を瞠った。


「三の姉上が?」


 どういうことか問うように、朱華は少し離れた椅子にかけている次姉を見た。

 藍華らんかは小さく肩をすくめた。


「あの子はねぇ、さっそく母上におねだりしてしまったようなのよ」


 困った子だという言いたげな口ぶりだった。


「おねだり、とはいったい……」

「そのままですよ。あの子の夫は王統家の次男でしょう」


 三の姫銀華の夫は、元東葉王統家である珂葉かよう家の次男である。

 

「私たちの夫もそれぞれ王統家の次男以下ですけれど、妻の立場が立場ですから苴葉家の後継者にはなれません。けれど、銀華は第三王女ですから王位継承から遠い分、苴葉家の再興にかかわっても支障はないと考えたのでしょう」

「それを言うなら、銀華だけでなく、あなたや茜華の夫になる男性にも同等の権利があることになるわね」


 一の姫は朱華の肩を軽く叩くと、元の椅子に腰かけた。


「あの子の夫はともかく、珂葉家当主がなかなかの野心家ですからね。義兄として銀華を焚きつけたのでしょう。どうせならそのやり方まで指南しておけばよかったのでしょうけれど、そこまで強かな人物でもないということでしょう」

「銀華も、おねだりが通用するような両親かどうかくらいは理解しているかと思っていたのだけれど」

「だからこそ、銀華には珂葉家から婿君を迎えることに決まったようなものでしたが」


 銀華の夫はなかなか凛々しい貴公子で、王宮でも人気が高いと聞く。縁談がまとまった時、姉がまんざらでもなさそうだったことを朱華は覚えている。

 年齢や家柄などのつり合いで決まった結婚だと思っていたが、それ以上の裏事情もあったことを朱華ははじめて知った。


「いずれかの王統家から後継者を選んだのでは、その家の分家を増やすだけのことで、本当の意味で苴葉家を再興したことにはなりません。だからといって、王家や王統家以外の貴族から後継者を選ぶわけにもいきませんし。そして、西葉王統家からは私と茜華の夫、東葉王統家からは一の姉上と銀華の夫を選んでいるわけですから、朱華、あなたの夫をどちらかから選ぶとなると微妙な問題となります。そういう意味でも、あなたが苴葉家を継ぐのは一つの解決方法でもありますが」


 二の姫は考え深げな眼差しを妹に向ける。


「姉上と同じく、あなたを最前線に送るのは忍びないというのが私の本音ではあります」



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