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雪の陰翳  作者: 苳子
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第9章 10

 会議の時季は社交の時季でもある。招かれることも多ければ、招くことも多くなる。そこでようやく朱華は公邸を飾り立てる意味を思い知った。

 苴州は対翼波戦の最前線でもあるが、国内屈指の鉱山も有している。穀物の自給率の低さゆえに経済的な不利もあるが、総合的な経済力で言えば国内でも屈指の規模を誇る。今回の冷害は顧客としての苴州の優秀さを評価こそすれ、貶めるものではなかった。穀物が高騰する前に必要量を購入し、餓死者を出さなかったその力量は相応に評価されている。

 招かれても招いても、朱華は私見を述べることは決してしなかった。

 扇や手巾の影で嫣然と微笑めば、誰しもがそれ以上追及することはできなかった。本来政治に口をはさむべきではないとされる女性としての慎ましさと言われれば、それ以上不興な振る舞いをする男性はいない。女性としては異例の社会的な立場を得ながらも、女性ゆえに発言を慎むという手段を朱華は講じていた。論戦となったところで、その場に霜罧が居合わせなければ朱華に論破する術はない。優雅に微笑して受け流すという女性特有の戦術を、朱華は大いに活用した。


「美人は得をすると言いますが、公ほどそれにふさわしい方はいらっしゃらないでしょうね」


 霜罧の皮肉とも何ともつかない言葉に、朱華は不本意そうに眉を上げた。


「そうしろと言ったのは、他でもないそなたでしょう」


 朱華は憤然と言いたてる。霜罧は我が意を得たりと微笑する。


「最大限に生かしてこその武器です――ご両親に感謝なさるべきでしょう」


 莫迦と言われたも同然だが、朱華には抗弁する根拠もない。見てくれだけでの張りぼてでも、それなりにやりようがあるのなら、有効にふるまうほかない。

 最も警戒していたのは珂葉公の出方だった。諸侯の列席する会議での同席はあったが、彼は表立って東葉王統家筆頭の朱華を攻撃するような真似はしなかった。むしろ厳しい立場の女性王統家当主の擁護に回ることもあり、霜罧曰く恩を売っているのは確かだった。


「陛下の愛娘と正面切って対立するほどの愚か者は滅多とおりませんでしょう」

「珂葉公ならなおさらね」


 文字通り親の七光りというものだが、現実問題として利用できるものは何でも利用するしかない。朱華自身にそれなしでやり過ごせるほどの実力も能力もないのは確かであり、霜罧に言わせれば出自も能力のうちに含まれるらしい。

 若輩で就任間もないということもあり、朱華は先に珂葉公を苴葉公邸の宴に招待した。こういうことはまずは目下のものから誘わなければならないらしい。

 もちろん、招いたのは珂葉公だけではない。西葉王統家八門と東葉王統家三門の当主も招かなければならない。苴葉公の初の招待ということもあり、王統家十二門の当主が王城以外で一堂に会するという珍しいこととなった。

 宴を主宰する苴葉公邸側の準備は大変なものだった。初回が全てを決定すると言っても過言ではないため、もてなしの内容から食事、警備、室礼しつらいに至るまで、留守居役が中心となり細心の注意が払われる。先代の苴葉公のころから留守居役をつとめているとはいえ、元王女でもあり初の女性当主主催の宴となれば先代と同様というわけにはいかない。

 格だの見栄だのというものに頓着しない当主を蚊帳の外にして、支度は整えられた。

 宴は夕刻から開始となる。王統家十一門の当主十一人を招けば、その随員も数百人という数になる。末端の警護の者に至るまで、それぞれの身分に相応しい饗応も必要となる。その手配に霜罧や夕瑛まで駆り出され、宴の主催者たる朱華は直前まで放置された。

 当日になるとこれ以上はないというほどの絶妙な仕上がりに具合に飾り立てられ、出来る限り口数は少なく、優雅に嫣然としているよう言い渡された。傍らに霜罧が侍り、主たる会話には彼が応じた。身分の高い女性の発言ははしたないとされる風潮が未だに残っているため、近侍が代弁する方が常識的でもある。

 それでも朱華自ら動かねばならない場面も多く、彼女自身も当日は相当神経をすり減らした。

 いよいよ宴もたけなわとなると、次第に無礼講の様相を呈してくる。

 朱華のざる姫ぶりは既に勇名を馳せているようで、さほど年頃の変わらない若い複数の当主から闘飲とういんを申し込まれた。それを年配者たちが囃し立てたため、女性であることを言い訳に辞退するわけにもいかなくなった。霜罧もまた面白がって断らないどころか、こっそりと「姫なら大丈夫ですよ」と耳打ちしてくる始末だった。

 不承不承受けて立つこととなった朱華だが、やることと言えばいつも通り淡々と杯を重ねるだけである。顔色を変えることもなく次々と注がれるままに飲み干していけば、脱落者が相次ぎ、気がつけば平然と白い顔をしているのは朱華だけだった。

 すでに引き上げる予定の者は苴葉公邸を辞しており、酔いつぶれた当主たちは客間へと運ばれていく。そこでようやくお開きとなりほっと息を吐けば、宴席にはまだ珂葉公だけが残っていた。


「面白いものを見せていただきました」


 最後まで居残っていた珂葉公の存在を失念していた朱華に、彼はいかにも愉快そうに話しかけてきた。直接言葉を交わすのは、これが初めてでもあった。珂葉公は三の姫銀華の夫茈枳(さいき)の実兄らしく、三十がらみの美男だった。

 盥を持ってこさせた挙句、自らの吐物のなかに顔を突っ込むようにして脱落した当主もいる中で、茶でも飲んでいたかのように平然としている朱華の姿は並外れている。酒豪ぶりを茶化されているのか、評価されているのか、それは定かではない。


「我が愚弟など足元にも及ばないはずです」


 茈枳との闘飲のことを指しているのは間違いない。いかにも感心したかのような言葉に、朱華は頬を赤らめた。飲み比べで男性に勝つことが自慢にならないことなど気付いている。


「――そのようなことは……」


 恥じ入る朱華に、霜罧がそっと促す。

 召使を除けば、広間にはもう珂葉公と朱華、霜罧の三人しかいない。家格で言えば苴葉家がもっとも格式高いが、当主としては珂葉公の方が年長にあたる。他家の目のない状況では、朱華の方から折れるのが妥当だった。それ以前に、珂葉公の方から歩み寄りの姿勢を見せてもいる。

 朱華の目配せを受けた霜罧が、酒器を手に珂葉公に近寄る。


「お恥ずかしいところをお見せしました」


 酒豪ぶりを囃される度に、朱華はバツの悪い思いをしている。酒の席で酔ったところを付け入られる恐れがないことは重要だと、霜霖は褒めるが、それとこれとは別の話でもある。朱華は本来、男性と張り合いたいわけでも、肩を並べたいわけでもないのだ。


「あそこまで囃し立てられては仕方ありますまい。まぁ、私も一度は拝見しておきたかった口でもあります」


 下手に辞退すれば相手の面子を潰すことにもなりかねないため、朱華としても受けるより他なかった。それを承知で笑う珂葉公の真意は知れない。


「今後はこのような機会は減るでしょう。先程の中には、酒量においては右に出るもの無しを自他共に認める公もおられました故」


 暗に猛者をも倒したことを示唆され、朱華はますます決まりの悪い思いをする。先程までは白かった頰を赤らめて恥じ入る様子に、珂葉公は微笑を浮かべた。得体の知れない笑みだった。


「……まずは一献頂けますかな?」


 ついと酒杯を差し出され、朱華は内心慌てながらも微笑して酒器を傾けた。珂葉公はそれを受けながら、いつのまにか朱華の傍にいる霜霖をちらりと見る。


「私はあまり強くないので、公が羨ましい」


 ゆったりと微笑すれば、壮年の男の色気が漂う。朱華の周囲にはいない種類の男性である。微笑みかけられた朱華は、ついどきりとして頬を赤らめてしまった。それを見守る霜罧は中断させるわけにもいかず、内心苛立ちはじめていた。


「酒に強いなど自慢にもなりません」


 本音も混じった謙遜に、珂葉公はゆったりと首を振る。


「何事も武器になるものです――そのお生まれとお姿だけでも十分な武器を備えておいでだが、酒に飲まれないということも立派な能力です。酒の席での失言などという愚かな失敗をおかさずに済むのですからね」


 彼は朱華に向って酒杯を軽く掲げると、口元へ運んだ。一気に飲み干すような真似はせず、半分ほど残ったものを酒杯の中で軽く回して弄ぶ。酒杯を持つ方の腕にもう一方の手を乗せ、ゆったりと朱華を観察するような仕草を見せた。

 女性として舐めまわすような視線を向けられることにはなれているが、つくづくと検分するような眼差しは居心地が悪い。それでも顔には出さず、嫣然と微笑を浮かべて澄ましていれば、彼は皮肉気に口の端を上げただけで視線を逸らした。再び酒杯に唇を当てたが、中身はほとんど口にはしていないようだった。先ほどの酒に強くはないという言葉に嘘はないのだろう。


「――公は()()を忘れることにしてくださったようだが……」


 自分の意図が伝わっているか確かめるように、彼は朱華をちらりと見た。考え深げな流し目に、朱華は思わず眼を逸らした。茈枳は確かに美男には違いないが、朱華にはその魅力が分からなかった。よほどその兄の方が男性的な魅力を備えているように思われるのは、姉妹でも好みが違うということなのだろうか。


()()ですか?」


 咄嗟に心当たりが浮かんだが、あえて曖昧に誤魔化した。珂葉公にとって部の悪い話であり、朱華の方が有利な立場にある。彼の方から折れてきたには違いないが、朱華がそこまで手控える必要はない。

 膝にのせていた扇で口元を隠し、小首を傾げてみせれば、珂葉公は苦笑いした。


「ご承知の上でその振る舞いは人の悪いことだ」


 喉の奥でくくっと低く笑うと、残っていた酒を飲み干した。


「あれには私も頭を痛めているのですよ――弁えるということがいつまでもできないようでね……ある意味、お似合いの夫婦ではあるのでしょうが」


 明らかに三の姫夫婦のことに違いない。弟の非を認めながらも、その妻である朱華の姉のことも揶揄することは忘れない。もちろん、それが誰のことであるかあからさまに口にするような真似はしないだろう。


「さぁ、そのように曖昧なお話ではなんのことかさっぱり分かりませんわ」


 朱華は扇の影で嫣然と微笑してみせた。視界の端にそれでいいというように口の端を上げる霜罧の姿をとらえると、気持ちが落ち着く。


「それに、私が忘れると申し上げましたのなら、覚えているはずもございません」


 そうではありませんか? と問いかけるように首を傾げてみせると、珂葉公は喉の奥で再び笑った。


「どうやら私は無粋な話を持ち出してしまったようですね」

「真に――珂葉公らしくもありませんこと」


 朱華は口元を隠したまま、くすくすと笑ってみせる。まるで自分ではないようだが、その効果を目の当たりにすれば演じることもまた役割の内と割り切ることはたやすい。

 珂葉公もまた事態を楽しむように笑い、それから再び酒杯を差し出してきた。


「もう一献いただけますかな?」

「――気が利かぬことで申し訳ありません」


 朱華はしおらしく詫びてみせ、優雅な仕草でもう一杯酒を注いだ。珂葉公はまんざらでもない風情でそれを受け、三度喉の奥で笑った。


「かように愉しい酒ならばいくらでも、と申し上げたいところですが、どちらかと言えば下戸に近いので」


 自分を皮肉るように苦笑してみせ、酒で唇を濡らす。結い上げた髪の一筋も乱れた様子のない朱華を、彼は艶っぽく一瞥した。


「――苴州では何やら対翼波戦で動きがあるようですね……私も内乱の折に両親を失っております、目の前でね」


 彼はうっすらと微笑し、伺うように朱華を見る。底冷えするような眼差しに、朱華は目を細めた。


「優先すべきことが何であるかは弁えているつもりです――私自身は」


 彼は酒杯に唇を押し当て、唸るように呟いた。


「珂葉家よりも優先すべきはなんであるか――公、あなたは東葉王統家筆頭だ」


 朱華は僅かに広げていた扇を閉じ、まっすぐに珂葉公を見つめ返した。


「それは弁えております」


 胃の腑が冷えるようだったが、朱華は眼を逸らさなかった。


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