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雪の陰翳  作者: 苳子
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第1章 4

 新たな悩みごとの増えた朱華は、冴えない表情かおで朝食の食卓についていた。

 卓の向こう側には妹の茜華せんかがいる。不機嫌さを隠そうとするどころか、たいそう不満げな顔で時々姉を見る。まるで睨めつけるような眼差しに、朱華は目を合わせるのを避けていた。

 本宮ほんぐうの母に呼び出されたのは一昨日。その用向きについて、あとで妹に説明すると約束したにもかかわらず、未だ果たしていなかった。妹のご立腹の理由は明らかだ。

 拗ねてしまった五の姫を、傍仕えの女官たちは持て余している。日頃はさほど御しがたい主ではないのだが、いつもなら甘やかしてくれる姉が約束を破ったとなるとわけが違うらしい。

 それらも全て察したうえで、朱華は頭を抱えたい気分だった。

 まずは妹の機嫌をとることが最優先かもしれないが、なんと説明したものやらと頭が痛いような心地だった。

 そこへ、夕瑛せきえいが控えめな様子で傍らに寄って来た。


「お食事中に恐れながら申し上げます」

「なに?」

「東宮さまより茶会のお誘いでございます」


 向かいの席の末姫の耳には届かないよう、声を抑えて囁く。

 朱華は一瞬息をとめ、そっと吐き出した。

 

「それは今日とのこと?」

「はい、午後にでも如何かと」


 如何と問われても、異議を唱えられるはずがない。

 招待主は一番の上の姉とはいえ、その前に王太子である。

 朱華は仰せのままにと従うほかない。


「喜んで参上いたします、と伝えて」

「承りました」


 浅く一礼して、夕瑛は主の傍から下がる。

 通常、食事中にこのようなことは避けるのが礼儀だ。それをあえて冒すのは重要な用件のときだけである。

 朱華は抉るような視線を感じつつ、そちらに顔を向けることができなかった。

 姉が自分だけを呼び出すことなどこれまでになかったことだけに、妹になんと説明すれば見当もつかなかった。




 不機嫌むき出しの五の姫と困り果てている四の姫に、夕瑛は思わず浮かびそうになる苦笑いをかみ殺した。ある意味ほほえましい光景ではあるが、彼女らの立場を考えれば望ましいことではない。

 二人ともにそろそろ弁えなければいけない頃合いでもある。

 朝食が終わり、それぞれ食堂から退室する際に、夕瑛は席を立つ朱華に介添えしながらさりげない囁いた。

 朱華はそれに諦めたようにため息をついた。

 姉に詰め寄るか、突っかかるか、それとも無視して先に退出してしまうか、迷いあぐねている風の妹に自ら声をかけた。


「茜華、きちんと説明できなくてごめんなさい」


 五の姫はとっさの反応に迷ったようだが、結局少し拗ねたような顔で姉を見た。

 素直で愛らしい妹だが、これからはただの姉と妹と言うわけにはいかないのだ。それを思うと、朱華の内心は複雑だった。


「姉上、どういうこと……」

「あなたにもまだ話せないことなのです」


 朱華は声を潜め、妹にだけ聞こえるように囁いた。

 茜華は姉の声にただならぬことを感じたのか、口をつぐんで姉の顔を見上げた。

 茜華は小柄で、朱華は彼女より頭一つ分背が高い。

 自分を見上げる妹の目には、すっかり冷静さが戻っていた。


「難しいお話だったのですね?」

「……そうね、だから一の姉上からもお声がかかっているの」


 茜華はそれで納得がいったのか、それ以上追及してこなかった。

 これまでは東宮に呼ばれるときはいつも二人一緒だった。それが今回は朱華だけだということからも、彼女なりに何かを察しているようだった。

 あっさり納得してくれた妹の背中を見送りながら、朱華は暗い気持ちになっていた。

 当然なのだが、これからはそれぞれ別の人生を歩むのだ。それが改めて現実として感じられると、晴れやかなものではなかった。

 

「茜華さまも、もうじき十六におなりですものね」


 傍らで呟く夕瑛に、朱華は「そうね」と返しながら、自分が感じているのが寂しさに似たものだということをようやく悟っていた。


「ですから、そのままをお話しなさってはいかがですか? と申し上げたんです。朱華さまのお考えになるより五の姫さまも大人になっておいでですよ」


 朱華とてそれは心のどこかで分かっていた。ただ、もうしばらくはありふれた姉妹のようでいたかったのだ。それは妹も同じだったのかもしれない。

 だからこそ、茜華は稚気じみた振る舞いをする一方で、あっさりと姉の言葉を受け入れられたのだろう。

 そういう意味では、茜華のほうが朱華よりも大人なのかもしれなかった。




 昼食をすませると、朱華は身支度にとりかかった。

 昨日と同じ夏の準礼装だが、東宮を訪ねるためもう少し格式の高い服装となる。

 生絹すずしは通気性に優れているが、それを何枚も重ねた上にもう一枚重ねるので涼しくはない。

 盛夏の昼下がりの熱気の中、慣れない格好で参上した妹を、姉はねぎらった。


「あらあら、もっと気軽な格好でよかったのよ。姉として妹を招いたに過ぎないのだから」


 そういって、おっとりと笑った姉当人も準礼装である。

 しかし、朱華より上衣うわがさねは一枚少ない。王太女という立場上、同じ姉妹でも姉のほうが身分は上のためだった。

 

「そういうわけにもいかないではありませんか。だいたい、姉上自らそのお姿なのに」


 横から苦笑交じりに口を挟むのは、二の姫だった。

 次姉の同席まで予想していなかった朱華は、困り顔で居心地悪そうに曖昧な笑みを浮かべた。

 一の姫と二の姫は双子のように似通った容姿をしている。強いて言うなら、長姉は心持ちおっとりとしており、次姉はきりりとした雰囲気をまとっている。女王である母にもっとも似ているのもこの二人である。

 とはいえ、この時、次姉は朱華と同じ準礼装だった。

 

「そういえばそうかしらね。衣装のことは女官に任せきりだから」」


 長姉は頓着しないように鷹揚に笑う。

 

「姉上はなんでも他人ひと任せでいらっしゃるから」


 困ったものね、と言いたげに次姉は微苦笑し、同意を求めるように妹を一瞥する。

 朱華は反応に困り果て、相変わらずの曖昧な微笑で誤魔化そうとした。

 長姉は朱華より七歳年上、次姉は五歳年上である。姉妹として共に西宮さいぐうで過ごした記憶は短く、物心ついたころから身分の差を言い聞かされてきたため、朱華にとって二人は姉である前に王太女とそれに次ぐ王位継承者二位の姉である。親しみよりは敬意を払うべき相手であるという認識が先に立つ。

 それに比べて二人の姉は親し気で「姉妹」然としている。自分と茜華もそうであることを思えば、年が近いということは垣根を低くするのだろう。


「あらあら、朱華はすっかり困り果てているようですよ」


 二の姫藍華らんかは妹をからかうように笑い、一の姫青華せいかは妹の緊張を和らげるように優し気に微笑する。

 

「そ、そんなことは……」


 へどもどする四の姫に、二人の姉は目配せを交わした。

 やれやれとでも言いたげに二の姫が小首をかしげる。


「あなたは相変わらずね、朱華。茜華のほうがまだ強かかもしれないわね」

「藍華、あまり妹をいじめるものではなくてよ」

「いじめてはおりませんわよ、人聞きの悪いことを仰るわ、姉上」

「あらあら、私の思い違いだったかしら?」


 青華はおっとりと笑う。

 

「そうですわよ。それこそ、私がいじめっ子のような言いようをなさる姉上のほうこそ」


 藍華はすました顔で「ねぇ」と同意を求めるように四の姫に目配せする。

 朱華は目を白黒させるような思いで、笑んだまま顔をこわばらせていた。

 正直なところ、朱華はこの二人の姉を尊敬はしているが、苦手としている。

 その内心を読み取ったかのように、二の姫が苦笑した。


「迂遠な物言いは相変わらず苦手のようね、朱華。それはあなたの長所でもあるけれど、これから先は心がかりだわ」

「……申し訳ありません」


 しゅんとする妹に、二人の姉は顔を見合わせる。

 青華は静かに立ち上がると、妹の傍まで歩み寄る。そっとその日焼けした頬に触れた。


「母上からお話はお伺いしています。しゃんとなさい、朱華。州は国防の要です。この国の存亡がかかっているとも言えます。あなたはそれを背負おうとしているのでしょう?」


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