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雪の陰翳  作者: 苳子
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序章 1

 「女神のように美しい」とは万国共通の褒め言葉ではない。

 少なくとも、ここ「よう」においては。

 

 葉の女神に名はない。女神の他に神はなく、よって女神に名は必要ない。

 葉の女神は自ら太刀を手に陣頭に立ち、戦乱を治めたといわれる。

 葉の王家はその女神を祖先みおやとし、連綿との地を治めてきた。

 そのため、葉では女性にも多少の武芸の嗜みを求められる。

 しかし、あくまで嗜みは嗜みである。

 男性を打ち負かすほどの女武芸者は歓迎されない。

 葉において「女神のように美しい」とは、女神のように美しく、雄々しく武芸にも秀でていることを表す。

 表向き褒め言葉ではあるが、そのような女性を進んで妻に望む男性は少ない。

 よって、褒め言葉とするには微妙な表現となる。

 葉には美人姉妹の代名詞でもある「葉の五姉妹」がある。

 現女王とその夫の間に生まれた五人の王女。

 甲乙つけがたい美人姉妹の中に、「女神のように美しい」王女が一人混じっていた。

 三人は妻となり、一人は婚約が調い、「女神のように美しい」王女だけが未だに売れ残っている。




 額に巻いていた布をほどく。汗をすったそれは生温かく湿っていた。

 乱れた呼吸で肩が大きく上下する。遮るもののなくなった汗は、頬だけでなく目にも流れ込む。それを乱暴に拭う。そこへ差し出されたものは、よく乾いた白い布だった。


「お使いください」

「ありがとう」


 いつの間にか、庭の片隅に控えていたはずの女官の姿が傍らにあった。主が手を止めるとすぐに近寄ってきたのだろう。絶妙の気遣いは、彼女の気働きが優れているためだけではない。長年にわたり築かれてきた関係がそれを可能にした。 

 木陰に囲まれたそこにはささやかな空間が開けている。枝葉に縁取られた空は青い。日差しは日毎に厳しさを増していくが、風は火照った肌に心地よい。

 初夏だった。

 女官にかしづかれた少女は活動的な出で立ちで、腰には細身の太刀をさげている。一つの襞もない細身の衣服は動きを妨げないことを第一の目的としており、生地も吸湿性にすぐれている。飾りどころか刺繍の一つもない黒一色のそれは、軍で用いられている練兵用のものだった。

 腰に届く長い髪は濡れたような艶を帯び、それを無造作に後でひとつにまとめている。切れ長の目元は涼やかで、きゆっと口角を上げぎみに引き結んだ表情は、生真面目で禁欲的だが神経質さは感じさせない。

 硬派な雰囲気をまとう少女だった。

 眩しいほど白い布で丹念に汗を拭う仕草は、優雅というよりも雄々しいといえるほどに板についている。

 息が整ってきたのを見計らうように、女官がそっと囁く。


「陛下がお呼びです」


 少女は手をとめ、ふっと遠くへ眼差しを滑らせる。


「そう。では更衣を。支度が整い次第参上しますと申し上げておくように」

「はい」


 女官は浅く一礼し、それから汗を拭った布を受け取った。

 少女はそのまま足早に庭を後にする。女官はいそいそとそのあとを追いながら、主に囁いた。


「ようやく姫様にもご縁談でしょうか?」


 控えめな声は抑揚に欠け、あくまで事務的な女官らしいものだったが、その瞳にきらめく好奇心を隠そうとはしていない。少女はそんな女官に小さく肩をすくめた。


「詮索は無用」


 特に気を悪くした風もなく、あっさりと言い捨てる。


「はい、申し訳ありません」


 女官は口先だけ詫びながらも、推し量るような眼差しで主の横顔を盗み見ている。少女はそれに気付きながらも咎めることはせず、薄く苦笑した。


「わざわざのお召しは、おそらく私の進退にかかわることでしょう」


 あくまで私的なことであれば、彼女の母は自ら訪ねてくるような人だ。わざわざの呼び出しは公的なことには違いない。その内容までは知りようがないが、おそらくは女官のいうようなことだろうと、彼女はこの時は高をくくっていた。 




 大陸の端に突き出した半島は、そのほぼ中央に南北にのびる長大な山脈を持つほど広大である。そのほとんどを支配しているのが、ようと呼ばれる国である。

 その歴史は古く、葉を築いた御祖みおやは女神である。女神は混迷を極めていた半島に秩序をもたらし、葉という一国にまとめあげた。

 現在、葉を治める王家は女神とその伴侶を始祖とし、古い血統を誇る。血筋は母系を通して受けつがれ、王位もまた女系で継承されてきた。

 そんな女王を頂点とする葉は一時期東西二つの国に割れ、百年にわたり争っていた。それに終止符を打ち、新たに一つにまとまった葉の女王として即位したのが、現在の青蘭せいらん女王である。

 その治世は今年で二十五年目となる。

 その即位当初の国内事情は厳しいものであった。

 長きにわたる争いで疲弊した国体に止めを刺すように、両国内において内乱がおこった。そこへ東葉とうはの東の隣国翼波よくはが侵入し、さらに事態は混迷を深めることとなった。敵を国内より一掃し、荒廃した国の再建は困難を極めた。

 その後も何度なく翼波との交戦は繰り返され、国内においてもさまざまな問題が噴出した。若き女王は数々の難局を一つ一つ乗り越え、大過なく国を治めてきた。

 やがて葉は復興期を迎え、今や世は平穏な時代を迎えつつある。

 若干十八歳で即位した青蘭女王は、旧敵国である東葉とうは王家より迎えた夫との間に五人の王女をもうけた。

 長女は王位を継ぐ嫡子であり、残る姫君たちにもそれぞれ役割が与えられた。

 そんな中、四の姫に命じられたのは、前代未聞の決定だった。

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