第二章 少女を取り巻く二、三の諸事情
【保健室の死神】に助けを求めたその日の放課後、私は保健室へと足を運んだ。理由はもちろん、私にかけられた呪いを解いてもらうためだ。具体的に何をするのかも知らないが、「後はまかせて」と言われても、なんだか信用できない。それに、このまま何もしないでじっと待っているのは、少々気が進まない。なので、私は【死神】の手伝い兼監視をすべく、ここまで来たのだ。
私はドアの前に立った。すると、初めてここに来たときと同じ札がかけられているのが目に入った。
また居ないのか、あの先生……
私は「用のある方は職員室へ」と書かれた札を一瞥すると、ノックなしで保健室のドアを開けた。
当然そこに先生の姿は無く、全く人気を感じない。しかし、私は迷うことなく部屋の一番奥のベッドの元へと向かった。そして、躊躇なくカーテンを開放する。
「【死神】!」と声をかけようとした私の口元が、【死神】の「し」の字で静止した。そして、すぐさま「い」の字に変わる。
「いない……?」
そこには、いつも憎たらしい笑みを浮かべて横たわっている【保健室の死神】の姿はなかった。
【保健室の死神】にも帰る家があるのか、と変な関心を抱いてしまった。
よくよく考えると、私は彼のことを何も知らない。なのに、『呪いを解いてほしい』などという願いをして、本当によかったのだろうか。あいつが、呪いの影響で金曜日に死ぬ私を、期限よりも先に殺すということだってあるかもしれない。優しい言葉も、全て嘘っぱちなのかもしれない。でも――――
私の肩を抱いた優しい温もりも、嘘なのだろうか?
「そういえば、誰かに触れられたの、久しぶりだな……」
誰に言うでもなくただ呟き、私は自分の肩を軽く抱いた。
【保健室の死神】を待つのも、学校中を探すのも、もしも誰かに見つかったら新たな噂が立ちそうだったので、私は早々に自分の住む団地へと帰宅した。相変わらず、この時間帯は人気が無く閑散としている。
そういえば、あの日もここで帰り際に歌声を耳にしたんだったな。ふと思い出したことに、私はぶるりと体を震わせた。
『呪いの歌』を聞いたのは先週の金曜日の放課後。噂どおりなら私の寿命は今週の金曜日の放課後まで。今日のこの時点で、私は既に、丸三日の寿命を無駄にしたことになる。
果たしてこのまま、短い生涯の終わりを、無駄に時間を浪費して終わらせていいのだろうか。いいや、そんなことはない。私にもまだ、何か出来ることがあるはずだ。【死神】がいないときでも、一分一秒が惜しいのである。
まず今私に出来ることといえば、あの日私に呪いをかけた張本人である少女に話を聞くことだろうか。
『死んじゃう』と言った少女の言葉は、もしかしたらただの思い過ごしかもしれない。それに、少なくとも『呪いの歌』のことを何か知っているは確かだろう。
私は、少女が今日も神社にいないかと思い、団地の裏へ向かった。すでに呪いにかかってしまっているとはいえ、『呪いの歌』のことを知っていると、自然と気が重くなってしまう。自然と視線も下へ下へと下がってゆく。うつむきながら角を曲がったその時、私は思い切り誰か人とぶつかってしまった。
「すみません……!」
こんなところに人なんて珍しいな……いったい誰が――――
「あれ、茜じゃないか」
その聞き覚えのある声に、私はとっさにたじろいだ。
「し、【死神】……!」
私が思わずそいつの固有名詞を口にすると、明らかに嫌そうな顔をして【死神】は私の顔を覗き込んだ。
「それ、ちょっと傷つくなぁ」
「……でも、自分でそう名乗ったじゃないですか」
「名乗ってないよ、ただ僕が【保健室の死神】と呼ばれる存在だということを認めただけだ」
それって、大差ないんじゃないだろうか……
「じゃあ、なんて呼んだらいいんですか?」
「ご主人様」
「さては馬鹿にしてますね」
「まさか」
嘘だ、絶対嘘だ。その人を馬鹿にしたような笑顔が全てを物語っているぞ。
「私が聞いているのは、あなたの本名です!」
そう言うと、【死神】はふむ、と何かを考えるように空を仰いだ。
「教えてもいいけど、ひとつ条件がある」
なんでこの人は上から目線で話を進めているんだろう……
私が黙っていると、【死神】は言葉を続けた。
とびきりの笑顔をたたえて。
「敬語」
「……え?」
「敬語、やめたらいいよ」
あいた口が塞がらない。私はてっきり、恥辱の極みのようなことをさせられるのではないかと思っていたからだ。それは想像していたものよりも、ずっとずっと些細なことで、正直どうでもいいことである。
「君、今失礼なことを考えていたよね?」
しまった、また心を読まれた…… 本当に、何者なんだこいつは。
きっと、今考えていたことも読み取っていたであろう【死神】は、相変わらずの笑顔でこちらの様子を伺っていた。
「……いや、あの、私たちまだ会ったばかりですし、その……他人ですし」
最後の一言を言うのは、少し気が引けた。どこか人を遠ざけるような、重い言葉。言った私自身、胸にもやがかかるような感覚を覚えた。だが、敬語をやめたらお互いに自分のテリトリーへの侵入を許してしまうようで、私はあまり気が進まない。それはこいつだけに限った話ではなく、誰に対してもだ。
こういう時、この人は弁解するのだろうか。
「そうだね、僕らは他人だ」
「!」
「本名を知ってしまったら、他人には戻れない。それが人間ってものさ」
意外だった。
まさか彼が、哀しい目をするなんて。
「安心して。君が僕との縁を持たなくても、僕は君の呪いを必ず解くから」
彼はそう言うと、先程までの笑顔に戻り、私の横をすり抜けた。
私はすぐさま振り返ったが、彼の何も語らない背中を見て、手を伸ばすことも、呼び止めることもできなくなってしまった。
程なくして、【保健室の死神】の姿は見えなくなった。
4月24日(火)
昼休み、私は保健室で一人立ち尽くしていた。正確に言うと“保健室一番奥のベッドの前で”、である。
結局あの後、私は神社には行かず、自宅で一人悶々としていた。
あの時の【死神】の目が、今でも脳裏をちらつく。その度に、胸が痛んだ。
【保健室の死神】だなんて得体の知れないものなのだから、気に病む必要などないのだと何度も自分に言い聞かせたが、それでも吹っ切れないでいる。
例えどんな存在であろうと、私がお願いしている立場であるし、それを彼が“助ける”、“必ず解く”とまで言ってくれた。なのに、私が信用しなくてどうしろと言うのだ。いや、だが奴は【保健室の死神】と呼ばれる男。火のないところに何とやら、とも言うし、これもあいつの策略なのかもしれない。いや、しかし―――――
「いつまでそこにいるつもり?」
「うひゃぅ!?」
私が考え込んでいると突然、カーテンを勢いよく開け、【保健室の死神】が顔を出した。心の準備が出来ていなかった私は、思わず奇声を上げて飛び退いてしまった。
それを見ていた【死神】は、一瞬不意をつかれたような顔をしたが、すぐさま口元を押さえて堪えるように笑い出した。
「なっ……ちょっと、笑わないでください!」
私が慌てて制止するが、そんなことお構いなしに、こいつは笑い続ける。
「はは、だって茜が笑わせるからさ」
「笑わせてません!」
全く、昨日のあの哀愁漂う姿はどこへ行ったというのだ。心配して損した! というか、なぜ昨日も今日も私のことを『茜』とごく当たり前のように呼んでいるんだ、こいつは! “こんなもの”、作ってくるんじゃなかったな……
私が手元へ視線を落とすのと同時に、【死神】が、私が手にしているものに気がついた。
「君、それは何だい?」
本当は答えるような気分ではないのだが、元々はこいつに渡すつもりだったものだ。私はしぶしぶと答える。
「……昨日は、その、悪いことを言ってしまったので……お詫びにと思って……あの、クッキーを――――」
言いながら、私は持っていた手作りクッキー入りの紙袋を【死神】へ突き出した。私がしていることは、友達を金で買うような――――ただし、彼は私の友人ではない――――せこい行為かもしれないが、こいつに普通に謝るのもなんだか癪に触るので、物で機嫌を取ることにした。しかし、こいつが甘いもの嫌いだったらただの嫌がらせにしかならないのだが、私は生憎こいつの好みを知らないので、とりあえず手元に材料の揃っていたクッキーを作るに至ったのだ。
そして、それを差し出された本人はというと、呆気にとられたような顔をして紙袋を見つめている。
「あ、甘いの、嫌いですか……? なら無理に受け取らなくても……」
「甘いの?」
「すみません、甘い味付けでしか作ったことがないので……」
私がそう言うと、【死神】は無言のまま受け取り、その場で袋を開封して口へ運んだ。
【死神】は目を閉じて、深く味わうようにゆっくりと咀嚼している。その間、私の心臓は割れんばかりに激しく脈打っていた。余計な唾が口に溜まって仕方がない。
程なくして、【死神】は口にしていたクッキーを飲み込み、目を開いた。そして、いつになく綺麗で穏やかな顔つきで、
「美味しい」
と、優しくつぶやいた。
その姿に、先ほどまでの胸の高鳴りとは比べないくらいの大きな鼓動が一つ響き渡った。
「僕、甘いものが大好きなんだよ。 ありがとう」
【死神】は私の目をしっかりと捉えて、笑顔でそう答えた。その笑顔が嘘か本当か、今の私には分からない。
「茜は本当に料理が上手いんだね」
「そ、そんなことないです!」
たじろぐ私を横目に、【死神】は次々とクッキーを口へと放り込んでいた。紙袋いっぱいに詰めたクッキーが、既に底を尽きかけている。
彼が心底美味しそうに私のクッキーを頬張る姿を見ていると、昨日のことなどすっかり忘れてしまったのではないかと思えてきた。むしろ、私の早とちりだったのではないかと馬鹿馬鹿しくもなる。
「――そういえば、昨日はどうしてあんな場所にいたんですか?」
あんな場所というのはもちろん、私の住む団地のことである。
すると、【死神】はクッキーを食べる手を止めた。そして私の目を見ることなく淡々と答える。
「茜の家が見たかったから」
「犯罪臭しかしませんよ。冗談はよしてください!」
【死神】はやれやれ、と目を伏せた。やれやれはこっちの台詞だ。
「もしかして私の呪いを解くためにあそこに行ったんですか? だったら私も行ったのに」
「君はもう、関わらないほうがいい」
そう言う彼は、決して笑顔なんて表情ではなかった。何よりも無機質で、何よりも無情。何人たりとも寄せ付けない、まさに【死神】の表情。私は思わず慄く。
「君のような人間が、こっちを深く知ってはいけないんだ」
「どう、して……」
やっとの思いで言葉をしぼり出す。すると【死神】は、ゆっくりとこちらへ振り向いた。一瞬無機質な目をした彼と目が合ってしまい、思わず目を逸した。
「君の呪いは必ず解いてみせる。だから、安心して今までどおりの生活をおくるといいよ」
そう言って【死神】は、笑ってみせた。いつもどおりの人を馬鹿にしたような笑顔ではなく、考えが全く読めない道化のような笑顔で。
「さぁさ、貴重な昼休みが終わってしまうよ。昼食はまだとっていないんだろう? なら早く教室に帰るんだ」
言いながら【死神】は、私の背を押し廊下へ連れ出した。そして、彼の手が離れた瞬間、彼は
「もう、ここへは来てはダメだよ」
「!」
そう小さく悲しげな声で囁き、それを断ち切るように、無情で空虚な音を立ててドアは閉められた。
【死神】の行動は、私の理解の範疇を超えている。
あんな死神のような面構えをしておいて、別れ際には悲しそうにする。人を散々小馬鹿にしておいて反省すらせずハイサヨナラか、あいつは! 考えるだけでイライラする。
そんな奴が「必ず」なんて言葉を使ったところで、信用する奴がどこにいるというのだ。私は信じないぞ。
だから私は、自分の力でなんとかすることにした。なんとかなりそうでなくとも、なんとかするしかない。今や頼れるのは自分ただ一人だ。
ならどうやって呪いを解くかというと、具体的にはまだ未定であるが――――と言うより、今の段階では解き方すら知らないので解きようがないのだが――――、とりあえず呪いをかけた張本人を問いただしてみる他ない。
どうしたら確実にあの少女に会えるのか。神社に行くという手もあるが、それよりも確実に会える方法がある。少女の通う中学校だ。
というわけで、私は今、少女の通う学校、第三中学の前にいる。
部活動のない生徒はある程度下校したようで、校門を通る生徒はほとんどいない。校庭では個々の区画にわかれて、様々な部活動が活発に行われている。ついこの間まではこの光景を飽きるほど見ていたのに、不思議と懐かしく感じられた。
私はそんな思いを抱きつつ、まっすぐ職員室へと向かった。今は生徒ではないので、職員玄関から入る。私が玄関のドアに手をかけた時、背後から聞き覚えのある声が聞こえた。
「あれ、もしかして宮代さん?」
私はすぐさま振り返った。声の正体は、私が三年生の時に担任をしていた森田先生だった。森田先生は満開の笑顔をたたえて、私のもとへ駆け寄った。
「お久しぶりです、森田先生」
「久しぶりねー、って言っても卒業してから二ヶ月も経ってないんだけどね」
そう言いながら、森田先生は笑って私の肩に手を置いた。森田先生は、生徒と対等な距離を保つ気さくな先生であり、男女共に生徒に慕われていた。
「んで? 今日はどうしたの?」
「えっと、探している生徒がいるんですが……」
私は思わず言葉を詰まらせた。よくよく考えると、私はあの少女の名前もクラスも知らない。なのにどうやって探すつもりだったのだろうか。
「どんな子?」
「綺麗な黒髪で、歌がすごく上手い女の子……ということしか分からなくて……」
森田先生は顔をしかめた。まぁ、無理もないだろう。私だって先生と同じ立場だったら、何言ってんだこいつ、と思うかもしれない。
「さすがにそれだけじゃ分からないわね……あ」
何かをひらめいたのか、森田先生は短く声を上げた。
「そうだ、ちょうど全クラスの集合写真が出来上がったんだ! それ見たら分かるかもよ」
「本当ですか!」
「職員室にあるから、一緒に行こうか」
先頭をきった森田先生の後について、職員室へ入った。途端、鼻の奥までコーヒーの匂いが漂ってきた。森田先生は自分のデスクまで案内すると、全学年全クラスの集合写真を引き出しから取り出した。そして私へ差し出す。
「はい、全校生徒の中から探すのは大変だろうけど、欠席した生徒はいなかったから、この中には絶対いるはずだよ。一番上から一年一組で――――」
「――――いました」
私はさえぎるように呟いた。先生の手にした集合写真の束の一番上の写真。そこには確かに“彼女”が写っていた。
「この子です!」
私は写真の隅で佇む黒髪の少女を指差した。
「え、赤坂さんと知り合いなの?」
「赤坂さんというのですか?」
「ええ。私の担任するクラスの生徒の赤坂奈々(あかさか・なな)さんよ」
先生はなんとも言えないといった表情をしている。先程少女を指差したときの反応といい、どうやら彼女に対して思うところがあるのは明白だ。
「赤坂さん、あまりクラスに馴染めてないみたいでね……」
森田先生は言葉を濁らせると、辺りを確認してから私にそっと耳打ちした。
「小学生のとき、いろいろあったらしいのよ」
「いろいろ?」
先生はさらに表情を曇らせる。
「……小学六年生の時、クラスメートからいじめを受けていたそうなんだけど、そのいじめていた主犯格の生徒たちが集団自殺したらしいのよ」
「集団自殺!?」
私は思わず大きな声を出してしまった。それを先生が慌てて口元で人差し指を立てしーっ、と静かにするようジェスチャーする。
それはまた、大それた話になってきたぞ。
「それ以来、他の生徒からは怖がられちゃって、ずっと一人だったらしいわ。その前にはお母さんが自殺してしまって……」
なんだか壮絶な人生過ぎて、映画かなんかのシナリオを聞かされている気分だ。
「宮代さん、もしかして赤坂さんに会いに来たの? でも彼女部活に入っていないからもう帰っちゃったかも……」
「あ、あの、なら赤坂さんの住所を教えていただけませんか?」
私は食い下がった。ここで引いてはいられない。なにしろ私には時間がないのだ。
「うーん、一応個人情報だから……でも宮代さんならいいかな」
教師としてその判断はどうかと思うが、今は森田先生の好意に乗じる他ない。先生はデスクから生徒たちの個人情報が書かれたファイルを取り出し、赤坂さんの住所を書き写したメモを私に託した。
「ありがとうございます」
「もしあの子と知り合いなら、あの子のこと、支えてあげて。繊細な年頃だしね」
確かに彼女の境遇には同情するが、呪いをかけられた身としては複雑な心境である。
私は森田先生に一礼すると、そのまま学校を後にした。そして迷うことなく赤坂奈々の自宅へと向かう。先生が渡してくれた住所によると、どうやら私の自宅の近所であるらしい。赤坂という苗字がそうたくさんあるとは思えないので、探すのは案外簡単そうだ。そして案の定、程なくして赤坂家は見つかった。クリーム色の壁に、黒の屋根。二階建ての、一般的な一軒家である。
家の前まで来て、私は思わずチャイムを押すかどうかためらってしまった。
先生の話では、赤坂奈々という少女はかなり酷な人生を歩んできた。しかもそれは全て最近のことだという。この間出会ったときの挙動不審さからしても、彼女が繊細な心の持ち主で、デリケートなのは明白だ。そんな幼気な少女の家にいきなり乗り込んで「私の呪いを解け」だなんて迫ったら、逆効果なのではないだろうか。下手したら泣き言では済まなくなるのでは……
「私の家に、なにかご用ですか?」
「!!」
私は背後からの声に思わず肩を飛び上がらせた。おそるおそる振り返ると、そこにはスーパーの袋を手にした、買い物帰りと思しき三十代後半の男性が立っていた。その風貌はとても温和そうで、いかにも無害だといった優しい目をしている。
「もしかして、赤坂奈々さんのお父様ですか?」
「ええ、そうです。奈々にご用ですか?」
「は、はい、そうです」
ここまで来たら後戻りはできまい。このまま彼女に会ってしまおう。
「ごめんね、まだ帰ってきてないんだ。もうすぐ帰ってくると思うから、よかったら家にあがってよ」
優しい声音で、笑顔で対応してくれた。どこかの誰かさんとは違う、裏のない、いい笑顔だ。
赤坂奈々のお父さんは、玄関すぐのリビングへと通してくれた。そして部屋の奥のソファに座るよう促す。
「お茶とコーヒー、どっちがいい?」
「いえ、お構いなく!」
「いいんだよ、奈々にお客さんなんて久しぶりだから嬉しくって」
そういう彼は、本当に嬉しそうに満面の笑みを浮かべていた。な、なんて娘思いのいいお父さんなんだ……!
「じゃあ、お茶で」
私がそう言うとお父さんは鼻歌交じりでお茶の支度を始めた。お客様用と思しき、綺麗なガラス細工の施されたカップに茶葉を濾す。美味しそうな緑茶の香りが部屋中に広がった。
「はい、どうぞ」
「ありがとうございます」
美しい緑をした緑茶を一口すする。期待を裏切らない、口に広がる爽やかな美味しさだ。
「君、奈々のお友達?」
「いえ、そういうわけでは……」
「そうか…… でも君は悪い人じゃないみたいだし、僕としては君みたいな人が奈々の知り合いというだけでも安心したよ」
そう言うと、お父さんはテレビ脇の棚の方を見た。私もつられてそちらを見る。そこには赤坂奈々とお父さん、そしてもう一人美しい黒髪の女性が写った写真が飾られていた。
「一年前、母親が亡くなってね…… それ以来家に友達を呼ばなくなって、一人で遊ぶことが多くなってしまったんだ。クラスでもあまり上手くやれていなかったみたいだし、中学生になってクラスメートが変わったらどうなってしまうのかと心配していたんだけどね」
お父さんは、悲しそうな顔をしている。母親がいなくなって辛いのはお父さんも同じなのに、この人は強いな――
「本当に、娘さんのこと大切にされているんですね」
「母親が死んでから、奈々は母方の親戚に引き取られそうになったんだ。でも、奈々は僕と二人で暮らすことを選んでくれた。だから、奈々が信じてくれるのなら、僕は母親の分まで愛してやろうって決めたんだ」
言いながら、お父さんは優しい眼差しで微笑んだ。これが娘を想う父親の目なのだと、私は実感させられた。
話がひと段落着いたとき、タイミングよく玄関のドアが開けられる音が聞こえた。そしてひと呼吸おいて、足音がこちらへと向かってくる。
「ただいま、お父さん」
ドアを開けてリビングへ顔を覗かせたのは、あの日私に呪いをかけた少女、赤坂奈々その人だった。赤坂奈々はすぐさま私の存在に気づき、驚愕の色を表情に浮かべた。
「おかえり、奈々にお客様だよ」
父親の明るい声音とは裏腹に、少女の顔がみるみる引きつっていくのが手に取るように分かる。これは早急に対応しなくては……!
「あ、あのね、私、あなたと話がしたくてここに来たの! あなたに危害を加えようとか、全くそういうのじゃないから安心して! ……って、これじゃあ逆に怪しいかなぁ」
少女はしばらく怯えた目で私を見ていたが、私がうろたえる姿を見て、呆れたのか、こいつなら大丈夫とかなめられたのか――――どちらにせよ、いい印象は持たれていないだろう――――、やっと口を開いてくれた。
「あの……話は私の部屋で……」
少女は目を合わせることなく、か細い声でつぶやいた。そしてそのままドアの向こうに姿を消す。私は少女を見失わないように、お父さんに頭を下げながら少女の消えた方へ駆け足で向かった。
部屋を出ると、ドアの裏に隠れるように赤坂奈々は立っていた。私の姿を確認すると、逃げるような足取りで階段を昇り、すぐそばの部屋へと入っていった。
あの子は、やはり私のことが怖いのだろうか。もしかしたら、私が怖いのではなくて他人という存在に怯えているのかもしれない。小学生の頃はあまり人間関係で上手くやれていなかったというし、それがトラウマになっている可能性はある。学生時代の人間関係は非常に難しいことを私はよく知っている。何しろ自分も人間関係で苦労しているから。
私は少女について部屋に入った。中はとてもシンプルで、必要最低限の家具のみが置かれただけで、女子中学生の部屋にしては何か物足りなさを感じる。
「あ、あの、お話のことって、もしかして、あの日の……」
少女は、おずおずと消え入りそうな声で話を始めた。
「うん、そうなの。あなた、あの時『死んじゃう』って言ってたけど、何か知ってるのかなって」
なるべく怖がられないように、優しい声音で、笑顔を絶やさぬように言葉を紡ぐ。赤坂奈々は目を泳がせ、口をパクパクさせている。返答に困っているのだろうか。私はしゃがみ、彼女の視線の高さを合わせた。
「えっと、奈々ちゃんって呼んでもいいかな?」
「はい……」
「奈々ちゃん、もしかして『呪いの歌』の噂のこと、何か知ってるんじゃないかな? 私、その呪いにかかっちゃったかもしれないみたいなの」
私がそう言うと、奈々ちゃんは顔をひどくこわばらせた。そしてその場でへたりこんでしまう。
「私……私の、せいです……私のせいで……」
「奈々ちゃんは何も悪くないよ! だって奈々ちゃんは呪いをかけたくてかけたわけじゃない。違うかな?」
奈々ちゃんは強く首を横に振る。
「それに、もうかかっちゃったもんは仕方ないし、くよくよしたってしょうがないよ。だから私は、この呪いを解こうと思ってる」
「!」
奈々ちゃんは目が覚めたように顔をあげた。その表情は、先程までかかっていた無駄な力が抜けたようだ。
「だからお願い、呪いのこと、教えてくれないかな?」
私はそっと、奈々ちゃんの腕を包むように握った。その温度に溶かされていくように、奈々ちゃんの表情も自然なものになっていく。だがすぐさま、その顔は再び曇ってしまった。
「でも、私、呪いの解き方は知らないんです……」
「だったら探す。諦めるわけにはいかないもの」
「で、でも、そしたらどうやって探すんですか……?」
私は少しの間思考を巡らせた。そして一つの回答にたどり着く。
「奈々ちゃんの歌について調べるとか? それで、どういう仕組みで呪いになるのかを解明する。そしたら呪いの解き方もわかるかも。それに、仕組みが分かれば奈々ちゃんも呪いをかけずに済むようになるかもよ!」
「ほ、本当ですか!」
奈々ちゃんはすぐに食いついてきた。先程までの怯えていた姿が嘘のように嬉々としている。
「早速だけど、呪いのこと、なんでもいいから知っていることを教えてくれないかな?」
「は、はい……!」
そう言うと奈々ちゃんは、そこにあったベッドに腰掛けるように促してくれた。私は言われたとおり腰掛ける。奈々ちゃんも横に座った。
「私、小学生の頃はいじめられていたんです。お母さんが自殺したから…… クラスメートの女子三人が先頭を切って、大体実行するのは彼女たちでした。教科書を隠されたり、無視されたり、はぶかれたり……」
いじめの内容は年が離れていても大差がないな。私の学年でたびたびあったいじめも、大抵はそんなものだった。
「それである日、その三人組が私が歌うのが好きなことを知って――――あ、私、歌うことが好きなんですけど、そのことをいじめのネタにしようと、私を呼び出して、歌わせたんです。その時、私、この人たちがいなくなってくれたらどんなに嬉しいかと思いながら歌っていました。当然三人には馬鹿にされて、しばらくそれを録音したものがクラス中にばらまかれて…… そしたら一週間後、その三人組が集団自殺したんです。なんの前触れもなく、あまりにも突然のことだったので、クラスでは私が殺したんじゃないかと噂されました。でも警察の調べで他殺は無理な状況だったということが分かり、今度は私が呪いをかけたんじゃないかという噂がたったんです」
なんとも突拍子のない噂だ。小学生だからこそ流行る噂だろう。だが、高校生の間で【保健室の死神】の噂がたっているのだから、あながち馬鹿にできないものだ。
「私自身、そんなもの信じていませんでした。でも、ある日気づいたんです。私は以前に一人殺しているではないか、と」
以前殺しているって、まさか――――
奈々ちゃんは頷いた。
「――――私の、お母さん」
奈々ちゃんはそう言って目を伏せる。そして、震えだす肩を強く押さえつけた。無理もないだろう、大事な母親を自らの手で殺めていたという事実は、この小さな肩にはあまりにも重すぎる。
「確かに、お母さんには毎日のように歌を聴かせていました。でも、ただひとつ違うのは、歌に“死んでほしい”という念を込めていなかったことです。それってつまり想いに関係なく歌を聴いた人が死んでしまうってことじゃないですか…… 逆のことを言うと、音楽の授業では歌声を聞かれるのが恥ずかしかったから歌っていなかったので、クラスメートの人たちは死ななかったのではないかと……」
彼女の言っていることは突拍子のないものではあるが、死んでしまった人と死んでいない人のそれぞれの共通点を聞くと、確かにそのように思えてくる。だが、そこで素朴な疑問が生まれた。
「お父さんは?」
私がそう言うと、奈々ちゃんは一瞬キョトンとした顔をしたが、すぐさま先程と同じように目を伏せた。
「いつも仕事で、夜遅くに帰ってくるので歌を聴かせたことはないんです。今日はたまたま休日だったので家にいますけど」
そういうことか。それは納得だ。だが、これで私が呪いにかかっていることはどうやら本当らしいということが証明されてしまったわけだ。
「でも私、やっぱり歌うことが好きなので、ひと目のつかないところなら大丈夫かと思ってあの神社で歌うようになったんです。それがまさかこんなことになるなんて、本当に、本当に……!」
奈々ちゃんは今にも泣き出しそうだ。これはまずい。私は奈々ちゃんの手を取ると、しっかりと握り締めた。
「大丈夫、まだ一週間まで時間はあるよ。私たちで呪いを解く方法を探そう! 私のことはもちろんだけど、奈々ちゃんが人前で歌を歌えるようになるかもしれないし」
私の言葉に奈々ちゃんは驚いたようだが、すぐさま笑顔を見せてくれた。
「お姉さん……ありがとうございます」
「私、宮代茜っていうの。茜でいいからね」
「はい、茜さん!」
奈々ちゃんはすっかり打ち解けてくれたようで、屈託のないいい笑顔をしている。それを整った顔立ちでやるもんだから、可愛いのなんの。まるで妹でもできたかのようだ。
「そういえば昨日、茜さんと同じように私の歌のことを聞いてきた方がいましたが、もしかして知り合いですか?」
「え?」
「私、昨日も神社にいたんですけど、そこで『呪いのことについて調べてる』って言った人に歌のことを尋ねられました。たしか茜さんと同じような制服を着た男の人でしたけど……」
最初から嫌な予感はしていたが、『呪いについて調べている』、『昨日の神社』、『同じ制服』、『男』って言われたらもうあいつしか思いつかない。
「ちなみに、その人の髪の色って何色だった?」
「赤、というか紅色……?」
そんな派手な頭をしたやつ、この街じゃ【保健室の死神】以外考えられない。
「そいつに同じこと話したの……?」
「はい、優しい人のようだったので…… いけなかったですかね?」
奈々ちゃんはおずおずと私を覗き込んでくる。
「いや、悪いというか…… と、とにかくあの人にはあまり近づかない方がいいと思う」
「わ、わかりました……」
なにはともあれ、とりあえずあいつの魔の手から奈々ちゃんは守った。
しかし、あいつが奈々ちゃんに接触していたということは、私の呪いを解く方法を探してくれているということか。ならやはり、一緒に行動したほうがいいのではないだろうか。
なんにせよ、一度あいつとは話し合わなくてはならない。『もう来るな』とは言われたものの、そんなわけにいくものか。
私は奈々ちゃんの笑顔に、あいつと戦うことを誓うのだった。