冒険の哲学~危険には近寄るな
宮廷に長時間いると、まるで固まりかけたチーズの中を泳いでいるような気分になる。それはベイクが未だに慣れない違和感で、だから彼はここでは好きに動き回る事にしていた。
どうせ彼には、決まった仕事など与えられてはいないのだ。いわゆる飼い殺しと言えば、聞こえはすこぶる悪いのだが。実際その通りなのだから仕方がない。
居場所が無いなら、自分で作るのみ。奥の塔のバルコニーは、彼が好きな場所だった。
そこで何をするかと言えば、人を捕まえての噂話である。使用人の多くは庶民なので、下町出身の彼は人気が高いのだ。気軽に応じてくれる者が多く、非常に助かる。
その日も何とか捕まえたメイド相手に、他愛ない話を向けてみる事に成功して。まだ若いメイドは休憩時間の残りを気にしながらも、頬を染めつつ話し相手になってくれた。
英雄の二つ名は、こう言う時には超便利。
しかしながら、その噂話の中の一つを聞いて、彼は途端に憂鬱になった。アルゾォン卿がつい先日、辺境の遺跡に向けて手柄を立てるべく、軍隊と技術者を引き連れて出立したらしい。
その遺跡の場所は、彼がメーフィストに売りつけたモノに間違いはなさそうだった。確かにアレを押さえる事が出来るなら、国にとっては有益この上ない遠征となる筈だ。
卿の名声も、それに見合った上昇を示すだろう。
それのどこに、ベイクが憂鬱になる要素が存在するかと言えば。アルゾォン卿が彼をとても嫌っていて、両者に確固たる確執があると言う事実以外に無いであろう。
確かに救国の英雄の名声に対抗するには、大きな手柄の一つや二つは欲しいところ。ベイクとしては、無視してくれて一向に構わないと言うのに。向こうにも面子があるらしく、不愉快なちょっかいはここ数年収まる気配がない。
困った事態である、別に卿が功績をあげるのは構わないけど。
ベイクはむしろ彼なりの鋭い直感で、この後に自分に降り注ぐとばっちりに絶対の確信があった。それがどんな形をとるかは不明だが、それは既に揺るがない未来となって存在する。
嫌な予感に思いを馳せていると、若いメイドは仕事を理由にその場を去って行った。眺めの良いバルコニーに独り残されたベイクは、なおも思案顔。
やれやれ……売り渡した遺跡の地図から、一体何が出てくるのやら。
宮廷勤めで身動きの取れない友人に代わり、ケイリーは旅の備品を買い揃えるために午後の街中を歩いていた。分担が簡単に決まるのは、昔からの長い付き合いのせい。
オットーには人数分の馬の手配と、リーメイムの遺跡発掘者としての登録手続きを頼んである。リーメイム本人も、その手続きのためにオットーに同行している筈。
登録手続きは煩雑だが、これをしないと下手をすれば盗掘者扱いの目に合うのだ。
遺跡発掘も、勝手に行う奴らを総称して盗掘屋と呼ぶのだ。これは国益に反する行為なので、現場を見付かったり盗掘品の売買に携わると、当然重い罰を受ける事になる。
下町と城下街を隔てる遺跡群も、もちろん国の保有との建前が存在する。
では国から許可を受ければ、後ろめたくも無く安易に発掘出来るかと問われれば。許可料に見合った儲けが期待出来ないと、これも赤字で割に合わなくなる。
そんな訳で、大抵の者が国の雇われとなるのが主流である。ベイク達にしてもそう、全て買い上げの方式に従う発掘家が多いのも、こう言った理由から。
ロマンは無いが、それだけでは糊口はしのげないのだから仕方がない。
盗掘屋の数も、辺境に行けば当然多くなる。国もそこまで捌き切れないのが、今の実情らしい。ベイク達のように、一々報告する方が珍しい反転現象が起こるのだ。
それでもケイリーとしては、盗掘屋の汚名は着たくないのが本音である。さすがに宮廷勤めの身分のベイクが遺跡探検パーティに混じっているため、万一ばれたら体裁が悪いとの思いの方が強く。
シーナあたりが強くそう示唆したため、正規のルートに添う事となった次第だ。
もちろんケイリーにも、その方針に不服は無い。その一方で、そういう情報提示は簡単に足がつくので、本当は避けたいのも本音だったりする。同業者同士の縄張り争いは、傍から見るほど奇麗事ではないのだ。
それでもさすがに、白銀の英雄のふたつ名は伊達や酔狂では名乗れない。不用意に喧嘩や諍いを持ち込む輩も最近はめっきり少なくなり、平穏な時を過ごしていたのだが。
リーメイム……この不幸な依頼人に関しては、ケイリーも悩まずにはいられなかった。
半人前の彼が今回の遺跡発掘に同行する、それはまあ良しとしよう。百歩譲って、リーメイムはその遺跡の地図の所有者なのだから、仕方ない事情だ。
その遺跡がリーメイムの出生の謎に関わっている、その事実はケイリーには何の関心も興味も湧かなかった。当然だ、他人の過去を知って一体何になる?
腹の足しにもなりはしない、自分だって両親の顔さえ知りはしないのだ。
孤児で育ったのは、彼ら3人の共通点でもあった。物心ついた時から一緒なので、彼らは友人と言うよりは兄弟そのものとも言える。血よりも強い絆と言うのは、この世に確かに存在するのだ。
そういう点では、リーメイムとガイラス師匠の親子関係にしてもそうだったのだろう。彼がメジの町に出向いて拾った噂も、まさにそんな感じだった。
だが、リーメイムの幼少の頃の噂は、まるで趣が違っていたのも事実で。
それは突拍子も無い噂話に聞こえたが、目撃者は確かに存在した。子供(つまりは幼少の頃のリーメイムだ)が宙に浮いたとか、子供が泣き出すと天空が突然に割れたとか。それでも辺境に近い田舎のこと、人々はそれ程その拾い子を異端とはみなさなかったようである。
辺境独特の価値観と言うか、磁気嵐で変容してしまった者が住み着くのも珍しくない土地柄のせいか。毛色の違う人間に対して、寛容なのは間違いないのだろうけれど。
リーメイムも、子供の頃はそちらにカウントされていた様子なのだ。
その程度ならまだ良い、何もガイラス師の拾った子供に対して、こちらも殊更に偏見を抱いている訳でもないのだし。その子の出生の秘密を抱える遺跡に今回出向くのも、まぁ言ってしまえば成り行きと言う外はない。
古文書の解読によって、金になりそうな遺跡だと分かったのがまず一点。案外とこの街から近場だと言うのも、そこを選んだ理由の一つでもある。
それからやはり、リーメイムの心情を慮ったのも大きな要因か。
その辺りは、背後にリーゼの思惑も絡んでいるようだ。リーゼも今では大切な仲間の一人、その意思を尊重するのも当然の成り行きではある。
彼女はこの件で、古文書の解読と言う仕事内容で携わってもいる訳なのだし。ただその事で、ケイリーには妙な勘繰りが心中に湧き起こってもいた。
ひょっとして彼女は、古文書の内容を一部こちらに伏せているのではないかと。
それはケイリーの全くの想像でしかなかった。勘の部分の囁きとでも言おうか、女は総じて秘め事や隠し事を好む生き物なのだと。それが別に不愉快と言う訳でもない、リーゼが何かを隠すとするなら、それは恐らく家族かリーメイムの為なのだろう。
そもそも、本当に秘密が存在すると決まった訳でもない。
ケイリーが本当に懸念しているのは、そんな些細な事柄ではなかった。もっと大きな、誰の手にも負えない様な天災クラスの現象の予兆だ。
その始まりは、リーメイムがこの街にやって来た事に起因していると見てまず間違いないだろう。確信がある訳ではないが、それは既に動き始めている気がする。
そして放っておけば、どんどん大きな災いへと転じて行くのだ
それはケイリーの経験則から感じる予感だった。ベイクの周辺でいつも巻き起こる騒動の出発点は、大抵は後からあれがそうだったかなと気付くのが常で。
8年前の侵略戦争も5年前の光と闇の戦争も、そんな後から気付く予兆は確かに存在した。それは、ベイクとリーゼの大恋愛の始まりにしてもそうだった。
おっと……それを災いと呼ぶのはあまりにも失礼な話か。
いや、あれは周囲からしてみれば災害と呼ぶに相応しい事態には違いなかった。一歩間違えば、光の民と風の民に大きな亀裂が入りかねない騒動だったのだ。
何しろ、風の民の姫巫女が光の民の一庶民と、駆け落ち同然に野に下ってしまったのだから。あの頃のベイクはまだ売り出し中で、王宮の地位とは無縁の存在だった。
幸せなのは本人達だけ、周りの連中は怒りや焦燥で赤くなったり蒼くなったり。
裏では高度な政治的駆け引きが交わされたのだろうが、そんな事にケイリーは興味が無かった。ベイクはしかし、王宮の地位を得て、かなり窮屈な生活を強いられるようにはなったけれども。
友人に対しては気の毒に思うケイリーだが、そもそも家庭を持つとはそう言う事でもある訳だ。安定した生活と護るべき家族、悪い面ばかりではなく良い面も多分にある。
妻子持ちとなったベイクは、それでもやんちゃ振りは抜けなかったけれど。
それでも5年前の光と闇の戦争での、ベイクの活躍振りは凄まじかった。中州の下町は半ば壊滅したが、逆に言えばそれで済んだのは、ベイクが敵の大将を単身討ち取ったからに他ならない。
ケイリーとオットーも、確かにその場に居合わせはしたのだが。背中を護っていたと言えば聞こえは良いが、正直賑やかし以外の何物でもなかった気もする。
大切なモノを奪われた怒りは、皆一緒だったと言うのに……。
それは8年前の侵略戦争でも同じだった。多くの騒ぎがほぼ同時に起こり、自分達は飛び交う情報に踊らされ、あちこち奔走させられたのだった。
最終的には城から攫われた王女を救出する為に、まだ若い竜の巣へと出向いた訳だが。結果、自分達の不在の際に下町はやはり蹂躙を受けてしまっていて。
エイダの兄を含め、知り合いの多くはこの時に命を落としてしまった。
あのときの悔恨の情は、もう二度と味わいたくなど無いとケイリーは苦々しく思う。もっとも竜の巣にたった3人で挑んだ時も、闇の民の大将と対峙した時も、常に死を覚悟した行動だったのも本当だったけれど。
それは生き残った者の懺悔に似た言い訳なのかも知れないし、情けない自分の本音の部分なのかも知れない。そんな無様な覚悟が、もうすぐ再び必要になるだろう。
ケイリーは、何故かそんな確信に似た思いを胸中に擁くのだった。
それはザックファミリーの背後に、導きの民の影がちらついていたとの噂話にも関連していた。8年前の侵略戦争にも、導きの民の暗躍があったのは有名な話で。
そもそもこのヤンダー大陸が何度も侵略を受けるのは、光の民がかつての技術者グループの末裔だとの理由が大きいようだ。子孫にとっては良い迷惑だが、こんな世界に誰がしたとの積年の恨みは数世紀を経ても薄れないらしい。
その先鋒を担いでいるのが、“裏切りの民”の別名を持つ導きの民なのだ。
その因縁は手を変え品を変え、この地に災難となって降りかかって来た。ベイクやケイリーの世代も例外ではない、純然たる被害者に間違いは無いのだ。
オットーをも含めて、彼らは両親の顔をほとんど覚えていない。戦争孤児は、彼らの周囲にもゴロゴロといた。ひもじさと煤の臭いの充満している時代だった。
けれども、孤独とは無縁の時代だった。
あの頃から既に、ベイクはリーダー的な存在だった。生き延びるために必要な手段を敏感に嗅ぎ取って、小さな仲間達を元気一杯に導いていたガキ大将。
ひもじさを別にすれば、辛気臭さなど微塵も存在しなかった。生き延びる事が既に一つのゲームで、皆がそれに夢中になって取り組んでいた。
そのゲームに勝ち抜けたのは、あの仲間内からはほんの僅かだったけれど……。
郷愁に駆られていたら、背後の雑踏から視線を感じた。ケイリーは小さく舌打ちし、己の迂闊さを心中でなじった。こんな人通りの多い場所で、物思いに耽って周囲への警戒を怠るなんて。
今いる場所は、リュックや外套などが雑多に並べられた旅品専門店だった。開け放った倉庫のような造りなので、客の出入りは簡単だ。店の主は、別の客を接待中でこちらには無関心。
ゆっくりと視線を向けると、視界の端っこに何度か見た事のある顔を発見した。確か、下町出身の警備隊を仕切っている壮年の隊長格の男だ。
捜査のために何度か会話もした事もあり、つい最近の事件と言えばアレしかない。
つまりはリーメイム絡みの事件に他ならず、つまりは厄介事以外の何物でもない。先程までの妄想が形を取って現実に噴出した感覚に、ケイリーは軽い眩暈を覚えてしまう。
相手は簡単に見付かって、明らかにうろたえていた。何の用件かは知らないが、ほぼ間違いなくこちらに接触を図りたいと考えている様子である。
やれやれ、買い物もまだ途中だと言うのに。
結局ケイリーは、買い物を中断してそちらを先に済ませることに。人通りの少ない裏路地を指定して、先に立って歩き始める。相手がついてくるのは、気配でわかった。
改めて目の前に立つ男を見遣るが、精悍そうな中年でいかにも下町出身者らしい。驚いたのは部下らしき女性のほうで、妙齢でしかも草原の民だった。小麦色の肌とネコミミは、下町ではかなり目立ちそうだが、本人はさほど気にしていない様子。
挨拶もそこそこに、隊長格の男がケイリーに語り掛けてきた。
「あぁっと……いやいや、突然押しかけて申し訳ない。今回の事件の一連の被害者が、英雄殿の庇護下にあると聞いてね。最初は当人に話を持って行こうとしたのだが、まだ未成年みたいだし。気を遣う問題だから、まずは保護者に話を通そうと思って」
「リーメイムの事か……? 保護者を名乗った覚えは無いが、この間の事件に何か進展でも?」
「そうとも言えるし、悪い報告だけになるのかも知れないが。捕らえた連中の大半は、地元のバルガス一味だった。そっちはもう問題ない……一味は壊滅状態だから、この後も面倒事は起きないだろう。捕らえたザックの直属の部下も、五体満足な連中はほとんどいない。奴らの拠点の下町の店も、差し押さえて現在は国の所有だ。ヤバい闇商品が幾らか押収されたが、まぁ今回は関係ないな」
自己紹介でゲルドと名乗った男は、そう経過を口にした。どうやらこの数日間は、ザックファミリーの下町での隠れ家とバルガス一味のヤサの捜査に掛かり切りになっていたらしい。
彼らが欲しがっていた遺跡の地図の話は、話題の端にすら出現していない。情報操作は上手く行っている様子だが、この隊長は全て把握済みなのだろう。
それは別にかまわない、下手に周囲に漏れて余計な厄介事を招かない限りは。この怪しい密会が厄介事でないとは言い切れないが、ザック一家のその後については、ケイリーも気にしていた事柄だ。
ここで情報を入手して、何も悪い事などないだろう。
ところが更にもたらされた情報は、彼の予想の範疇を大きく超えていた。何とザック一家のボスが、何者かの手引で牢から脱走したと言うのだ。
ゲルト捜査官はしきりに恐縮していたが、逆にケイリーの思考は忙しく加速し始めた。ザック一味の収容されていた牢獄は、以前に消されたチンピラが放り込まれていたような、ちゃちな造りでは決して無い。
それ故に、何者かの手引があったと見る彼らの考えは概ね正しい。ゲルト捜査官が不思議がっているのは、要するにそんな危ない橋を渡るメリットらしかった。
それもそうだ、部下も財産も棲家さえ失った一家のボスを、誰が助けるというのだ?
「バルガス一味との接点を探ってみたが、先程も言ったとおりに壊滅状態でろくに足取りも掴めない。前もって余力の兵を隠しておいたのかとも考えたが、それも考えにくい」
「まぁ、下町にも支店を置いていたザックファミリーでしたから、多少は顔は広かった筈なんですが。それでも力を失ったボスを助けるほど、彼らの結束が固かったかと尋ねられれば……」
部下のイーリーと名乗った草原の民の捜査官が、そう口にしながら呆れた様に首を横に振った。彼女の言葉を次いで隊長のゲルドが、何かしらの利害関係が一致した何者かがいたのかもと予測を口にする。
そう考える以外に捜査を広げる手立てが無く、捜索も厳しい状況らしい。
「取り敢えず、一味が丸々ひとつ消えたんだ。中州の下町も少しは静かになるか、逆に縄張り問題で騒がしくなるか……とにかく、問題の少年にしばらくの間、こちらからも捜査官を一人付けたいのだが?」
ケイリーは首をかしげて、しばし戸惑った表情。二人の捜査官を見遣り、その心情を探る素振り。リーメイムにさらに危険が及ぶとは、彼は全く思ってはいなかった。
それでも、ガイラス師関係の情報を一番持っているのも、やはりあの少年であるのは間違いない。今回のファミリーの粗暴を、彼らも見過ごしたくないと言うのが相手の本音かも知れない。
それならは、協力体制を敷くのもやぶさかではないが。
「ファミリーを追うというスタンスでなら、協力してもいい。俺からリーメイムに言っておこう……後はベイクにも」
「助かるよ、話の通じる人で良かった……」
恐らくベイクには、相手にもされなかったのだろう。機嫌の悪い時の彼は、役人肌の人種には恐ろしく無愛想なのだ。それは自分も同じだが、聞く耳くらいは立てる程度の差はあるつもり。
女性の捜査官が進み出て、よろしくと手を差し出してきた。ケイリーは頷きを返しただけで、好きな時間に『木槌亭』に来るようにと伝えるにとどまる。
草原の民の女性捜査官は、特に気分を害した風も無く。ただ、黙って頷き返して来るのだった。
馬に乗るのが初めてのリーメイムは、皆に囲まれながらも悪戦苦闘していた。馬は借り物で人を乗せるのに慣れていたが、乗り心地に関して言えば上等とは言い兼ねた。
朝早くの出発に、冒険心を湧き立たせているのはリーメイムだけではなかった。オットーは皆の先導をしながらも、やけに気合いが入っている様子。
ベイクも少し興奮しているのか、口調がいつもより滑らかだ。
「浮舟か……どういう原理で次元を行き来するんだろうな? シーナ達漂流の民と、似たような魔法を使うのかな?」
「私達漂流の民は、次元の綻びを見つけるのが上手なだけよ。それに加えて、次元通路に飛び込んでも迷わない方向感覚ね。実際は、魔力にはあまり頼らないの……もって生まれた才能と言っていいんじゃないかしら?」
リーメイムの隣を行くシーナが、皆に分りやすい言葉を使ってそう説明した。オットーは気難しそうな顔をして、振り返りつつ首をひねる。
器用な体勢だが、馬には乗り慣れているのか不安定さは微塵も感じさせない。
「じゃあ、好きな時に好きな場所へ行けるって訳じゃないのか、シーナ?」
「そうよ、知らなかったの?」
オットーが知らなかったのは明白で、それ以降は他愛無いお喋りが後を引き継いだ。ベイクは未知の装置に心を奪われている様子で、ケイリーはいつものように鉄面皮でしんがりを務めている。
リーメイムはと言えば、話半分で周囲の景色に気をとられていたのが本音だった。荒野は何度も見た事はあるが、こんなに深くまで入り込んだ事は今までなかった。
木々の茂り方、地面の隆起具合に至るまで、彼には新鮮で冒険心をくすぐる小道具に見える。
昼休憩の時も、一同はリラックスしているように見え、リーメイムは感心と同時に安堵感を得た。荒野の空気はどことなくくすんでいて、味気ないパンを思わせる。
シーナがたき火でお茶を沸かしながら、リーメイムに話し掛けて来た。
「大丈夫、リーメイム……何だか、そわそわして落ち着きがないけど?」
「ボクならへっちゃらですよ、辺りの景色が珍しいだけです。オットーさん、目的の遺跡はまだ遠いんですか?」
「そんなに遠くはないぞ、うん。このペースなら、明日の昼過ぎには到着するだろ」
「遺跡はちゃんと、原形を保っていたんだな? ちゃんと船の形に見えたか?」
「半分以上、土に埋もれてたからなぁ。探し出すのも一苦労だったんだぞ?」
リーメイムの落ち着きの無さを、半分は茶化す目で見ていたベイクだったけれど。その当人も『浮舟』の話になると鼻息が荒くなり、見つけ出したら自分のオモチャにしたいと考えているのは明白だった。
他の仲間はそれについて何も語らず、半分諦めている感じ。
「……風の部族も確か、浮舟を何隻か所有してたな。中には、かなり大きい奴も」
「あぁ、確かにあったかな? だが、修理程度はできても、建造技術は廃れてしまったみたいな話を、どこかで聞いたような?」
ベイクの曖昧な答えに、ケイリーは短く頷いてそれっきり押し黙った。つまり、もし稼動する浮舟が発見されれば、結構な値がつくという事らしい。
同盟三国の内でも、極端に機械技術の発展している国はなく、光の種族が辛うじて威張れる程度である。どちらかと言えば、魔法技術との応用で動く仕掛けが、ここ数百年の主流だろうか。
機械技術は、蜂の巣世界では異端視の的にされる場合が多い。光の部族でさえも、長い間民間での研究廃止令が執行されていた歴史があったりする。
貴族の特権的な部分で、研究者は雇われていたのが実情だ。
昼食後、話題の的はもっぱら磁気嵐に移って行った。シーナがカードで占いをし、当分は大丈夫だと請け合っても、数分に一度は必ず誰かが空を見上げる念の入れようだ。
リーメイムも、辺境で一番恐ろしいのは野獣でも罠をめぐらした遺跡でもなく、磁気嵐だと父親に聞いた覚えがあった。実際、辺境の民家では、嵐になると必ず屋内にこもる習慣がある。
例えそれが、辛うじて視界に入る距離での嵐であろうとだ。
「磁気嵐って、どんな具合に恐ろしいんですか、シーナさん?」
「磁気嵐の被害は一言では言えないけど、強いて言えば変容してしまうって事かしら?磁気嵐を浴びた生物は、人格や外見がひどく凶暴になってしまったりするの。私達漂流の民は、多少免疫があるけど」
「それだけならまだいい。次元の狭間に吹き飛ばされたり、嵐の中に巣くう怪物に襲われたりするそうだ。まだ見た事はないが、何が出てきても変じゃないよな」
辺境出身のリーメイムは、その恐ろしさはよく聞き及んでいたのだが。具体的な話になると、幽霊や人攫いの逸話みたいな曖昧さが漂うのも常で。
つまりは、大人たちが『危ないから近寄ってはいけません』という時の、常用句みたいな捉え方だったのだが。漠然とした不安だけを抱いて育って来たけれど、どうやら本当に危険に満ちているらしい。
本当の怖さは、実は未だに良く知らないけれども。
「何にしろ、発掘師にとっては厄介な存在なのさ。まあ、磁気嵐が次元の彼方から、珍しい物を運んでくる事もあるらしいけどな?」
「へえっ……そうなんですか」
オットーの返事に、リーメイムも思わず空を見上げてみる。発掘師だった父親も、こんなふうに辺境で磁気嵐の心配をしたのだろうか?
風の運ぶ匂いに、何を感じ取ったりしたのだろうか……?
その後の道のりは、発掘師についての話題が大半を占めた。自分達の昔の失敗談に大笑いし、盗掘師と偶然ばったり遺跡で鉢合わせした際のいざこざ話に熱くなり。
一年の半分以上を辺境で過ごす発掘師には、特有の風習や暮らし方があるらしい。辺境での方角の知り方や、サバイバルの方法で彼らに勝る輩はいないそうだ。
そんな与太話をするのは、ベイクとオットーが主だった。リーメイムは馬上で笑ったり感心したりと忙しかった。
夕方が近付き、くすんだ太陽が地平線に沈む頃、オットーが馬を止めて周囲の景色を確認した。皆が続いて立ち止まり、リーメイムは何か見えないかと慎重に辺りを伺う。
特に目立って注意を引く物は伺えず、それでもオットーが馬を降りるに従って、皆がそれに倣った。どうやら野営の場所に着いたようで、それから皆が忙しく夜を越す準備に追われ始める。
暗闇が訪れるまでに、キャンプ地は何とか居心地の良い形を成した。リーメイムは馬の手入れを割り当てられて、慣れない作業に苦労しつつ取り組んだ。
その間に男衆は、薪を拾い集めて簡易テントを組み立てていたようだ。シーナが早速火をおこして、夕食の準備に取り掛かっている。
テントは斜め屋根と片側の布仕切りのみの簡素なものだが、贅沢は言っていられない。
夕食もすこぶる簡素だったが、文句を並べる者は誰もいなかった。居酒屋の喧騒とまでは行かないが、こんな場所でもベイク達の酒盛りは騒がしかった。
威勢の良さは頼もしくもあるが、反面場違いな気も盛大にするリーメイム。
「いいんですか、こんな場所で酒盛りなんて……ちょっと不謹慎じゃ?」
「ビビリだな、リーメイム。考え方を逆にしろ、楽しく盛り上がってる場所には不幸も厄介事も来ないもんなんだよ」
「でもコイツの不幸は底無しだぜ、ベイク?」
それもそうかと思案顔になるベイクに、リーメイムは力無い突っ込みを入れてみるが。そう言えばとケイリーが語り始めたのは、もろに自分に関わりのある不幸だったり。
つまりは、ザックファミリーのボスが牢から消えたと言う。
「何で今更、力を失った一家のボスが逃げ出せるんだ? 口封じも考えにくいな……だいたい、一家の残り勢力なんてたかが知れてるだろ?」
「話を持ってきた捜査官も、皆目見当がつかないそうだ。念のために、女性の捜査官を付けてくれるとは言っていたが。だが……もしかしたらという程度の予測なら、立てられるかも知れない」
「何だよケイリー、勿体振ってないで話せよ」
ベイクの催促に、ケイリーは重い口を開く。そこから出たのは、裏切りの民と言う単語だった。シーナが思わず、その身を強張らせるのが隣のリーメイムには分かった。
そこにどんな確執があるにせよ、良好な関係でない事には間違いなさそう。
「裏切りの民の手口は、過去の因縁とシーナからの情報でおおよそは分かっているつもりだ。奴らは故郷を持たず、故に大陸を流浪しながら生計を立てている。つまりは奴らには、確実な拠点が無いんだ。だから一つでもそれを手にすると、それに固執する……」
「それが、奴らの弱点でもあるな……役に立たなくなったボスでも、手放したくない手駒に思える訳か。だが、それだけじゃ連中の仕業と決め付けるのは弱い気もするな」
「確かにな……だから俺の予測は、根拠の少ない勘に過ぎない。前の侵略戦争から5年経ってるし、そろそろ奴らが動き始める頃合いかもと思った程度さ」
ケイリーの予測は、つまりは再びきな臭い戦争の火種が降りかかって来ると言う未来を意味していた。皆がその想像に押し黙り、一瞬の沈黙が支配する。
リーメイムも、怖い想像に捕らわれて身の縮む思い。辺境育ちの彼は、実際に棲家が戦火に見舞われた事は無いとは言え。その分想像力逞しく、陰惨な情景を脳内に思い浮かべてしまう。
その場の雰囲気に呑まれ、皆と同様に陰鬱な気分に引き込まれそうなリーメイムだったけれど。焚き火の炎越しに垣間見た、白銀の英雄の不敵な笑みを目にした瞬間。
降りかかる困難を払いのける“強さ”を、何だか理解してしまった気分に。
結局はその怖い想像は、リーメイムの夢の中までついてきてしまった。それとも慣れない場所で就寝したせいか、翌朝の目覚めは最悪の気分だった。
キャンプをたたんで出発してからも、一行の雰囲気は昨日みたいに上々とは言いがたかった。いつも陽気なオットーまで黙り込み、黙々と馬を歩かせている始末。
やがてその歩みは、何度目かの停滞をみせる。
「トイレ休憩などというギャグは、もう聞き飽きたぞ。どれだ、オットー?」
「その茂みの向こうだ。隠したのがリーメイムの親父さんだとしたら、念入りな仕事振りだな。地図を頼りにしても、見つけるのに丸一日かかった」
ケイリーが、馬達の手綱を近くの枝に括りつける。ベイクはオットーの薮分けを手伝いながら、シーナとリーメイムにキャンプを張るよう指示を出した。
ケイリーが薪を集めるのを手伝ってくれ、簡易テントとたき火の用意が速やかに進められる。シーナが昼食の準備を始める頃、入り口を確認したベイクが戻って来た。
獲物を捕らえたネコのような、満足そうな笑みを湛えて。
「今日はここにキャンプですか、ベイクさん? 目的の浮舟が、すぐ近くにあるんでしょう?」
「ベースキャンプだ、中で手間取るかも知れないしな……準備が出来たら、すぐにでも突入するぞ!」
どことなくそわそわしつつも、リーメイムは戻ってきたベイクの返事に納得顔。服のあちこちに刺さった棘を抜きながら、ベイクは水筒を自分のリュックから取り出す。
何口か中身を飲み込んで、ベイクは自分の装備をチェックし始める。それを見て、リーメイムも慌てて自分の支度に追われ始める。
何しろ初の遺跡探索だ、言いようの無い緊張が全身に走るのが分かる。
つつがなく昼食が終わると、片付けもそこそこに一行は茂みを進み始めた。昨日までのだらけた雰囲気は、もうどこにも見当たらない。
無駄口の一つもなく、一行はベイクを先頭に背高い藪を掻き分け進む。
やがて列の後方にいたリーメイムにも、その妙な遺跡の壁が見えてきた。いや、浮舟という言い方が合っているのなら、舟の腹の部分だろうか?
妙だと感じたのは、その白い壁に継ぎ目の類いが見当たらなかったせいだ。更に言えば、相当の年月雨風に晒されていた筈なのに、目立った老朽化が窺えない。
ついでに加えるなら、出入り口も見当たらないけれど。
オットーもその事実に関しては、渋々ながら認めるに至って。それじゃあどこから入るんだとのベイクの突っ込みに、誰も答える術もなし。
男二人がやいやいと言い合っている隙に、ケイリーが行動を起こした。荷物の中から鈎付きのロープを取り出し、回転させて上方へ飛ばしたかと思ったら。
それを頼りに、舟の甲板へと登り始めたのだ。
なるほど、それもそうかと顔を見合わせるベイクとオットー。リーメイムの隣にいたシーナは、気付かれないようにため息を一つ。リーメイムも似たような心境だったが、これで事態が進展するなら万々歳だ。
ところがそうでは無かったようで、しばらくしてケイリーが全くの手ぶらで戻って来た。つまりは出入り口も、それに類する手掛かりも全く見当たらなかったらしい。
ついでに言うに、手掛かりの鍵を使う鍵穴も見付けられなかったそうで。
「そうだっ、鍵を持ってたんだ……何で今まで気がつかなかったんだ?」
「そりゃあお前、遺跡に鍵持って出掛ける発掘屋なんていないだろうよ……?」
これを聞いて、シーナが二度目の嘆息。失態を挽回すべく、オットーが壁に張り付いて鍵穴を探し始める。一方のベイクは、荷物から鍵と古文書を取り出した所。
そう言えばリーメイムの養父は、一度はこの中に入って戻って来た訳だ。それを思い出したシーナが、ベイクにその時の記載はなかったのかと問い質す。
確か古文書には、ガイラスの書き足し部分もあった筈だ。
「あぁ、そう言えば……何だっけな、舟に導かれて赤ん坊に出会ったとか書いてあったそうだが」
「それじゃあ、ガイラス師は中までフリーパスだった訳か? 鍵の意味が無いな、どこで入手したんだ?」
それはどうにも不思議ではある、出発する前に判明しなかった事を含めて。せっかくリーゼが翻訳してくれた古文書の情報を、皆で共有しなかったせいかも知れない。
下準備不足が垣間見えるが、誰も敢えてそれを指摘せず。シーナも三度目の嘆息より、建設的に事態の好転を図るべく頭を悩ませ始めている様子。
リーメイムも意見を求められ、何気なく鍵を眺めると。
妙な感覚を鍵が発している気がして、思わずベイクの手からそれを拾い取ってしまった。それから壁に目をやると、光の筋が浮かび上がっているように見える。
リーメイムは知らない内に、発光する壁の前に陣取っていた。背後から興味を持ったベイク達が、何事かと覗き込んで来るのが分かる。
無意識のうちに、リーメイムの鍵を持つ手がすっと持ち上がった。
それはまるで、磁石が引き合うような自然な動きだった。壁に浮かぶ光の筋に沿って、右手に持つ古くてゴツい鍵が勝手に動いて行く感じ。
謎の壁の発光現象は、どうやらリーメイムにしか感じ取れていないらしかった。それが消え去ると同時に、壁に空洞が出現していた。後ろのベイク達どころか、向こうで壁に張り付いていたオットーも呆けて息を呑んでいる。
予想外の展開に、誰もが虚を衝かれた様子だ。
浮舟の中は、薄暗くてひんやりした空気が充満していた。リーメイムは不意に開けたその通路より、何となく改めてその外観を見遣ってしまう。
浮舟の大きさは、今お世話になっている“木槌亭”とどっこいの大きさに思えた。舟としては大きい部類かも知れないが、ベイクの話だと戦舟にはもっと大きなタイプも存在するらしい。
何にせよ、この程度なら中の探索もそんなに時間は掛からない筈。
「なるほど、招かれざる客はどうやっても入れない仕組みだったみたいだな。リーメイムを連れて来て、大正解だった訳だ」
「そうだな……さて、中で何が待ってるかが問題だ。まさか、また赤ん坊でもあるまいし」
「まぁ、たいした物が無くっても、コイツが動けば問題あるまいよ。見たところ、壊れてる風にも見えないしな……オットー、そんな所で呆けてないで、中に入るぞ!」
壁に張り付いて呆然としていたオットーをベイクが呼び寄せ、ようやく入り口の見つかった浮舟の内部へ。ケイリーの怖い冗談は別にして、中への興味は皆が当然強く持っている懸案ではある。
リーメイムとケイリーが先頭に立って、一行は薄暗い浮舟の内部へと足を踏み入れた。ベイクの想像通り、浮舟はまだ稼動状態を維持している様子だった。
その証拠に、リーメイム達を導くように照明が通路を照らし出す。
リーメイムはと言えば、実に不思議な郷愁に駆られていた。けれども、ここが自分のルーツだと教えられても、全くピンと来ないのも確かなのだが。
それと同時に、たくさんの疑問が脳内に溢れ出して来てもいた。何故、赤ん坊の自分はこの浮舟に乗せられていたのだろう? 両親は……他に大人は、誰も乗っていなかったのだろうか?
この浮舟は、一体どこから流れ着いたんだろう?
そんな事を考えているうちに、淡い光の導きは終焉に差し掛かっていたようだ。扉の開きっ放しの部屋から、低い振動音が聞こえて来ている。
恐る恐る覗き込んでみると、どうやらこの浮舟の動力室のようだ。目的の場所といえば、まぁその通りである。そしてそれは、今でもちゃんと稼動している様子。
一行の興奮は、一気に最高潮に。
「おおっ、ここがこの浮舟の中枢なのか……? 動いてるのは元からか、それともリーメイムの存在を確認したからか?」
「どうかしら……とにかく凄い魔力ね、ここは動力室みたい。でも変だわ、生み出された魔力がある一点でせき止められている」
シーナの解説に、それはどこだと勢い込むベイク。一行はなだれ込む様に室内に入って行き、物珍しそうに周囲の見慣れぬ装置に見入っている。
リーメイムも一緒に中に入って、シーナの指差した奇妙な装置を何気なく眺めてみた。壁に備え付けられている見慣れない装置には、はっきりと分かる差し込み口が窺えた。
あちこちと部屋の中を窺っていた男衆も、最終的には全員がこの前に集合。
「さて、どうやったらこの舟は動くんだ? 魔力がせき止められているのは、セーフティが掛かっているせいなのか、シーナ?」
「よく分からないわ、何か鍵が必要なのかも……怪しいと言えば、その差し込み口かしらね?」
「確かに怪しいな……だが鍵穴にしては、やけに縦長だな。……そうか、剣だ! ガイラス師が赤ん坊と共に持ち去ったのは、カギと古文書、それに剣だった筈。この差し込み口がカギ穴だとすると……」
「なるほど、剣をそこに差し込めば……!」
ケイリーの推測に、ベイクが大きな相槌を打った。リーメイムは大慌てで、リュックに仕舞ってあった剣を取り出す。腰には、まず使う場面は無いとのベイクの言葉に逆らって買った、高価な短剣を吊るしていて、父親の形見の剣は邪魔だったのだ。だが、まさかこれが浮舟の心臓部のカギだとは……。
取り出した剣を、リーメイムは慌て気味に鞘から抜き放った。形見の剣には、今までに無かった青白い光の脈動が、白銀の刃の部分全体に渡って宿っていた。
驚き感心した声が、一瞬周囲から沸き上がった。
「この剣は鍵でもあり、エネルギー源でもあったのね……! 信じられない魔力だわ」
「ふえ~っ、今まで誰も気付かなかったのかよ、その事に」
確かにそれは、ちょっとあり得ない出来事のような気がした。シーナは未だに戸惑っており、ベイクは台所に紛れ込んだ毒蛇でも見るかのような目付きで、リーメイムの持つ剣を睨み付けている。
それだけこの剣が特殊なのかも知れないが、考えてみれば浮舟の動く原理だってわかっていないのだ。皆の意見を統合すると、難しい詮索は後回しにして、とにかく動くかどうか試してみようと言う事に。
そしてその役目は、剣を持つリーメイムが担うっぽい。
「……よく平気な顔で持ってられるな、リーメイム。異常だぞ、その剣の魔力」
「本当にそうね……気をつけて、リーメイム」
そうなのだろうか、自分では全く分からないけど……だが、シーナの顔色は蒼ざめており、他の男達も悪酔いしたような表情を浮かべている。
剣の脈動はどんどん強まって、他の仲間に頭痛に似た症状を与えているらしい。
リーメイムは心を決めて、剣を掲げて前進した。このままではラチがあかない、自分でも出来る簡単な事なんだから、さっさと済ませてしまおう。
剣先は、驚く程の滑らかさで差し込み口に入り込んだ。
「は、入りましたよベイクさん! この後どうすればいいんですか?」
どうもこうも無かった。脈動はもはや、剣から装置全体に飛び火していた。騒々しさに面喰らって辺りを見回せば、いつの間にか機材の全てが動き出している。
リーメイムは、慌ててその場を飛び退こうとした。
何と、手が離れない……っ! 誰かが後ろで、何事か叫んでいた。装置の発する騒音のお陰で、リーメイムはすっかり混乱していた。ひたすら喚いて、その場で地団駄を踏んでみる。
だがまるで、効果は無し。
ベイクが後ろから、リーメイムの肩を掴んだ。リーメイムは泣きそうになりながら、今の状況を説明しようと試みた。騒音が、生まれてこのかた聞いた事のない雑多な音符が、彼の中に入り込んでいた。
奇妙な高揚感。これは、何?
衝撃を感じた。雑多な音符は、今や信じられない程の高熱を放ち、リーメイムの身体の隅々に流れ込んで来ていた。嬉しそうな、浮遊を思わせる音符の羅列。
リーメイムの視界はいつの間にか暗転し、外界から入って来るのは、ベイク達の慌てた怒声だけになった。誰かの大きな背中に担がれ、揺れながら運ばれている自分。
それを理解しながら、リーメイムの思考は意識の深い場所に沈んだままだった。
雑多な音符の羅列は、今や繋がりを見せて音楽へと変化していた。自分を解放する、昔どこかで、ひょっとしたら夢の中で聞いた事のある奇妙な奏で。
その音楽は、自分の意識の深奥から流れ出ていた。ずっと閉じていた扉が今は開け放たれており、それは確かに音階と共にリーメイムの力の解放を意味していた。
それは、銀色に光って…………
中洲の下町の工場跡地は、夜になると圧倒的な暗い闇が支配する。侵略戦争の傷跡から、結局回復出来なかった無念さを滲ませながら。
昼ですら人気の無い場所なので、夜は尚更静まり返って不気味この上ない。その変貌振りを知っている地元住民は、だから近付きすらしない場所だ。
しかし、今は獣じみた呻き声と複数の人の気配が。
呻きを漏らしているモノは、地面に蹲って小刻みに震えていた。苦しみからと言うより、怨念の深さのあまりに理性を手放した人型のような不気味さを醸し出しつつ。
それを囲むように立つ人影は、一様に分厚いフードを着込んでいた。まるで闇に溶け込むのを目的とした様な、歴史の裏に生きているような佇まい。
そしてその主観は、概ね当たっている民達である。
「ビーストメーカーを投与するのは、いささか早くないか? もはや捨て駒に近いと言え、理性が無くなっては使い辛いだろうに」
「以前コイツに渡した奴より、純度の良いのを使ってる。切れた時の副作用はその分強いが、理性を手放さずに戦闘力をアップさせられる筈だ」
「やれやれ、光の民の英雄様は働き者で困ってしまうな。せっかくの計画が、ことごとく失敗だよ……次の手を打つ前に、何とかならないものかな?」
「王宮との絆は、結局切れなかったようだな……それならそれで、その“立場”を逆に利用すればいい」
納得と賛同の呟きが、闇のあちこちから漏れ出た。それだけで陰鬱な闇の雰囲気がさらに濃くなった気がする。呼応するように、地面から低いうなり声が上がった。
闇から生まれた姦計は、光の民の住まう下町でゆっくりと確実に育って行く。やがてそれはその醜い矮躯を伸ばし、町中に広がって行くのだろう……。
――その“刻”は、すぐそこまで迫っている。