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我が儘な英雄



――ヤンダー大陸の危機を二度にわたって救った若者は、周囲からいつの間にか英雄と呼ばれるようになった。その華々しい冒険譚は、時と共に周辺諸国へと広まって行った。

その伝承は語る。若き英雄は富も得たが、人並み外れた風の魔力と竜の力を得た。これ以上無い程の名声も得たが、それ以上に価値のある美しい妻と家庭を得た。

彼の株は上がり、しかし自由は失った。


本音を言えば、彼はもっと遊んでいたかった。もっと自由に人生を過ごしたかった。若い頃の派手で粗暴な冒険のあれこれ。無きに等しい名声ながら、その身一つでのし上がろうと決めて無茶をしていたあの頃。

それが今の地位を築いたのであれば、ある意味成功と呼べるのだろうけれど。皆が羨むその業績に、何故に心が沸き立たないのだろうとの心中の疑問に。

答える声は、しかしながら当然ある筈も無く。


自分がもたらしたこの平和は、確かに皆が望んだモノではある。そして自分は地位と名誉を得て、城の中のお払い箱的な仕事場へと押し込められた。

何が悲しくて、薄っぺらな性格の貴族のボンボンから、嫉み混じりの皮肉の謗りを受けなければならないのだ? そんなもののために、自分は己の血を流した訳ではない。

大切な仲間と共に、生死の境を彷徨った訳では断じてない!


切り立った断崖の頂上にそびえるラッガ=リーセント城は、今日もその威勢を誇らしげに示している。彼はその虚実に塗れたシルエットを、面白くも無さ気に見上げながら。

ふと、皮肉気にそんな事を思うのだった。





これ以上汚い路地裏はこの世に絶対存在しないと、常々ガスはそう思っていた。くねくねと複雑に入り組んだ、その路地裏の価値観があるとすれば。

それは、追っ手を巻きやすい事以外あり得ないだろう。。


だが今はそう都合良く、彼の思い通りには進んではいなかった。依然として後ろからの追跡者の足音を聞きながら、ガスは絶望感と必死に闘っていた。

段々と、呼吸も足取りも覚束無くなって行くのが自分でも分かる。


ガスは自分で言うのもアレだが、三下のチンピラ以上でもそれ以下の存在でも無かった。従って、こんなにしつこく追われる理由が全く分からなかった。

汗だくになって、とにかく足だけは止めちゃイカンとばかりに、後ろも見ずにひた走る。命懸けになれば、思った以上のパワーが出るものだと彼は少なからず感心していた。

不意に前に人影が現れて、それにぶち当たって倒れるまでは。


「おいおい、何でそんなに逃げ回るんだ。何か悪さでもしたのか……?」


ふるふると、首を横に振るガス。否定の意味と恐怖を表したのだが、相手に伝わったかどうか。目の前に突然現れた男は、体格が良く、手に巨大なアックスを持っていた。

後ろにも気配を感じ、振り向くと最初に声を掛けて来た男がいた。ひょろっとした、神経質そうな若者だ。こちらは息を切らした風も無く、鋭い瞳でこちらを観察している。

逃げ場を無くしたのを悟り、開き直るガス。


「な、何だよ、あんた達はよ……? 俺に何の用だよ、ええっ?」

「最初から、素直にそう言え……何故、俺を見て逃げた?」


ガスは答えたくなかった。裏の世界ですら、彼らは有名だった。関わってはならない、と言う一点のみの意味で。彼らは白銀の英雄の仲間で、常につるんでいると言う噂だった。

白銀の英雄を知らない者は、このヤンダー大陸のどこを探してもいないであろう。それ程の有名人だが、下町では別の名前で売れていた。つまりは“白銀の破壊神”と。

奴は、駄目だ……この俺にとって、あらゆる意味で。


白銀の英雄は5年前の侵略戦争で、たった独りで暗黒の民の大将をやっつけたと言う噂だ。暗黒の民の格下の兵隊でさえ恐ろしい存在だったのを、彼は身をもって知っていた。

外見も能力も、未だに悪夢となってガスを苦しめる程なのだ。あの戦争を引きずっている下町の住人は、探せば幾らでもいる筈だ。宣戦布告も無く、一方的に侵略を受けた悲惨な過去の歴史。

 過去とは言っても、ほんの5年前の出来事なのだ。


その歴史の舞台は、言うまでも無くこの中洲の下町である。彼の知り合いの数人は『光と闇の戦争』と呼ばれた歴史の舞台で、暗黒の民に食べられてしまっていた。

生きたまま、むしゃむしゃと……。


“白銀の破壊神”はそんな凶暴な民のボス相手に、タイマンで勝利を勝ち取るような輩なのだ。更に悪い事に、そいつは風の民の姫巫女を妻に娶って以来、最強の風の魔法を身につけたとの噂である。彼の操る対人最強呪文は、風の力で真空状態を創り出し、それで相手を窒息させるのだと言う。

ガスはほんの子供の頃に、レネ河で泳いでいて溺れかけた悲惨な経験があった。だから空気の有り難味は、他の人間より嫌と言うほど知っていた。

もう一度あんな思いをするくらいなら、死んだ方がマシだ。


ガスは再び、いろんな意味を込めて力無く首を横に振った。その情けない姿を見て、体格の良い若者の方がやたらと明るい声で助け舟を出す。

ガスの助けには、まるでなっていなかったが。


「いいじゃんかよ、ケイリー。聞きたい事を聞いて、さっさと帰ろうぜ。こいつ、何か知ってそうだし。俺もう、腹減って……」

「ま、そうだな……こんな所に長居は無用だ。ザックファミリーについて、知っている事を喋って貰おうか」


ガスは落ち着かない動きで、地面に座り込んだまま視線を彷徨わせた。こいつら、俺が知らないって白状したらどんな反応をするだろう?

多分、間違いなく暴力行為に訴える筈だ……。


「こ、ここいら辺りのボスは、エンゾって言って、エンゾ一味は確かに大所帯だ……だが底が知れてて、稼ぎは……」


巨大なアックスが、木箱に音を立ててめり込んだ。乾いた音を立て、木箱だったそれはただの木屑へと変わる。ガスは呻き声を上げて、恐怖に身を縮こまらせた。

腹が減ったと言っていた若者は、まだ笑顔だった。


「誰がそんな男の話をしろと言った? ザックだよ、ザック」

「た、頼むよ、あんたよ。もう少し、ひ、ヒントをくれよ……?」


ガスは泣き出しそうな声で言った。知らない物は、話しようが無いじゃないかよ。ああ、片手くらいで済めばいいが。ガスは、片手が跳ねとぶシーンを想像して、青くなった。

やっぱり、片手でも嫌だ。


「メジの田舎から出て来た、やさぐれ者の集団だ。二十人ほどの団体で、恐らく二週間くらい前にこの下町へ来た。これだけの人数だから、宿を取れば一発で分かる筈だ」


淡々と、神経質そうな男が説明した。こいつは体格の良い男より、隙が全く無い。逃げるなら、あのアックスをかいくぐって行く方が、遥かに成功率が高そうだとガスは思った。

ただし、それは失敗したら体の部位のどこかが飛んで行く事になりそうだ。


「た、確かに宿を取れば、分かるがよ、俺の耳には入っちゃいねえ……。誰かがそんだけの人数、世話してるって話もねえ。つまり、この中州の下町にはよ、いねえって事で……」

「何だと、コラ。ふざけんじゃねえっ! んじゃ、どこにいるんだよ、おいっ?」


体格の良い男が、吠える様に言った。さっきまでの笑顔は消え失せ、怒気で男の体格が更に増したように見える。こりゃあダメだ、こんなに怒らせちゃ。

下手したら、奴が出て来るかも知れない。あの、白銀の悪魔が……!


「た、頼むっ。奴にだけは、俺を差し出さないでくれ。知ってる事は、何でも喋るからよ!」

「奴って誰よ……?」


拍子抜けした体格の良い方の男が、不審気にそう尋ねて来る。ガスはいつの間にか泣き出しながら、白銀の悪魔の黒い噂をスラスラと並べ立てた。


「あ、あんた達よ、人間なら、付き合う相手、ちゃんと選べよ。っても、あんた達を相手にする奴は……」


そこまで言って、ガスはふと思い当たる事があった。こいつらのよく利用する『木鎚亭』を、こっそり調べて欲しいと言う依頼が確か10日ほど前に……。

 彼はそれを断ったが、仲間の誰かがそれを受けた筈だ。


「あ、あんた達、要するに、あんた達に最近粉かけて来た奴らの事、知りたいのけ……?」

「初めっから、そう言ってるじゃねえか……!」


体格の良い若者の脅しも、もはや余り気にならなかった。ガスは、知っている事をスラスラと話し始めた。これで俺は、五体満足で生きて帰れる……。

白銀の悪魔、万歳……!





最初に宿へ戻って来たのは、リーメイムとシーナを引き連れたリーゼ親子だった。宿屋の表口から堂々と入って行き、エイダとばったり鉢合わせる。

エイダは驚き顔を浮かべた後、パッと赤面して挨拶を述べた。緊張しているのが伝わって来て、リーメイムは英雄の妻の大物振りを今更ながら痛感する。

大物と言うより、高貴なのかも……。


「リーゼさん……こんな汚い宿屋へ、よくお越し下さいました。あ、あの、ご用件はっ!?」

「お邪魔します、お嬢さん。確か、エイダと言ったかしら……? ベイクがいつもお世話になっています」


軽く会釈しながら、リーゼの返答。うわー、庶民の普通の挨拶が全然似合ってないよね。リーメイムは心の中でそう思ったが、ややこしくなりそうな雰囲気を察して表情は澄まし顔。

自分には関係ないとばかりに、サラがロビーの正面の受付の横にある扉を開け、中へと入って行った。散々に掃除をしている建物なので、リーメイムはその奥に上へと通じる階段がある事を知っていた。

確か、主人の部屋の他、読書室や仮眠室などがある筈だ。


「うちの主人は、この上かしら……?」

「ええ、多分読書室です。ゆっくりしていらして下さい。いま飲み物を運びますから……」


エイダに軽く頷いて、リーゼは娘の後に続いて歩き出す。一番最後にリーメイムが残り、エイダの手伝いをした方がいいんだろうかと彼女を窺って見る。

当のエイダは、ウットリした表情でため息ひとつ。


「はあーっ……美しい女性よね、リーゼさん。憧れちゃうわ……」

「それよりボク、仕事手伝わなくっていいですか? 出来るなら上で起こる事、見逃したくないんですけど……」


結局リーメイムは、好奇心から女性陣の後を追い掛ける事にした。狭い階段を、迷うことなく目的場所へ。そこの先客は、既に言い争いを始めていた。

言い争いと言うより、尋問のような雰囲気。それとも、かなり一方的な問い詰めか。


「貴方の仕事は、あの少年の護衛でしたね? 何故、こんな場所で油を売っているのですか、ベイク!」

「あ、あのそれは、私が外出中は受け持つって事で……」

「シーナは黙ってらっしゃい。女性に仕事を押し付けて、自分は楽をしようとする、そのベイクの腐った性根の事を言ってるんです!」

「え、えーと……それは適材適所というか、何と言うか……」


リーメイムはそーっと顔を覗かせて、中の様子を伺ってみた。この二階に位置する読書室は、実は結構広い。奥の本棚を三面に設えた空間と、机と椅子が並べられている場所があって、ベイクはその椅子の一つに座って、矢面に立たされていた。


「要するに、自分の事しか考えてないと言う事ですね。王宮の仕事をクビになったのも、私や子供達の事を考えずに行動した結果なわけですね?」


ああ、可愛そう……いつもは傲慢で、不愉快な思いもさせられる彼だけど、アレで結構良い所あるし、何より子供には優しいし、取り敢えずは英雄だし。

リーメイムはベイクが不憫に感じてしまい、なんとか助けてあげようと扉を開いた。


「あの、リーゼさん……ご主人は立派に任務をこなしてくれてます。こんなボクの願いを聞いて、毎日鍛えてくれたりして。今日だって、状況を甘く見てたボクのせいで、あんな事になったわけで……」


リーゼの冷ややかな視線が、ベイクとリーメイムを何度も行き来した。シーナも必死にとりなそうとして、リーメイムの出した助け舟に乗っかる構え。

リーゼは終いには、大きくため息をついて降参する。


「分かったわ、分かりました。私だって、貴方達の仕事の事には、もう口出しするつもりは無いもの……」


ベイクが明らかにほっとした表情で、リーメイムを見た。立ち上がって、少年の方へと厳かに近付いて来る。感謝の念が瞳に溢れており、それはリーメイムが初めてベイクに見た感情だった。

父親の首にしがみ付いていたサラが、ぷらぷらと揺れている。


「危ない目にあったそうだが、無事で何よりだ。日頃の訓練の賜物だな……?」


全然違いますけど、などとここで言ったら、せっかく大海へと漕ぎ出した助け舟は沈んでしまう。表面はにこやかに頷いて、あらん限りの感謝を表現する。

それから暫し脳内思考、もう少し奥方をヨイショした方がいいかな?


「リーゼさんとシーナさんのお陰です。特にリーゼさんの魔法は凄かったですよ。あっという間に、ボクらの危機を救ってくれて……本当に、いくら感謝してもしきれない程で」


ベイクはウンウンと大仰に頷いて、目に涙なんか浮かべちゃったりして。演技派だなあ……とリーメイムも思わず呆れてしまう程の感情移入振り。

それとも乗り易いのかな……?


「リーゼ……お前のような嫁さんを貰えて、俺は三国一の幸せ者だ。リーメイムに代わって、礼を言わせてくれ……!」


演技はまだ続いているようで、ベイクはサラを抱えたまま、リーゼも一緒に抱きすくめてしまう。リーゼは顔を赤らめ、周囲の視線を気にしている様子だ。

ちなみにここで言う三国とは、光の民と風の民、それに平原の民の同盟三国である。非常の際の軍事同盟などのため、常に次元の通路を開いており、民間人の行き来こそほとんど無いが、政治的接触は盛んである。

ベイクとリーゼの出会いも、そこらへんが絡んでいるらしいとは風の噂なのだが。


「ちょっ、ちょっとベイク……あなたっ! 人の前でそんな事……」


リーメイムも顔を赤くして、思わず視線を逸らしてしまう。シーナと眼が合ったが、彼女は必死に笑いを堪えていた。ベイクの演技を、とっくに見破っているようだ。

不意に扉が開いて、オットーとケイリーが入って来た。その後にエイダが、お茶のセットを持って続こうとし、二人を見習って思いっ切り固まってしまう。

三人は夫婦のラヴシーンを、固まったまましばし見守るしかなく。サラが、両親の間からひょっこり顔を出し、訝しげな顔をして侵入者を眺め遣る。


「おお、戻って来たか、二人とも……首尾はどうだった?」

「ああ、いや……お取り込み中のトコ、済まん! すぐに出て行くから」


そう言ってオットーは、身を翻して出口へと向かう素振り。ケイリーも、エイダに持たされていたお茶菓子をリーメイムに押し付け、後に続こうとする。

エイダは興味津々の様子で、羨ましそうに何度も振り返っていた。


「おいっ、お前ら! 冗談はそれくらいにして、作戦会議を開くぞ。いいから、こっち来て座れって……!」


照れ隠しに大声を出しながら、ベイクが皆を急き立てた。リーゼも何とか済ました顔を作って、まだ赤く染まった頬を押さえながらも、ベイクの隣に腰を下ろす。

それを見て、エイダがいそいそと女主人らしくお茶の仕度を始めた。


「……で、中州の下町で、何か掴めたのか?」


皆が着席すると、ベイクが早速口を開いた。しかめっ面を作って、さも大事な話し合いの様相だが。実際は、リーゼの追求を逃れた安堵が滲み出ている気がするのは気のせいだろうか。リーメイムなどはそう訝るが、真相は闇の中。

ケイリーがその問いに、簡潔に答える。


「掴めた。連中は、エンの下町にいる」

「さすがにその情報には、俺もびっくりしたぜ。下っ端の情報屋の話によると、あいつら別人名義の支店をこの町に持ってるらしいんだ。骨董品屋で『ジャンク・ホイッパー』とか言う……」


オットーが追従して言葉を継ぎ足した。つい先ほど仕入れて来た、もぎ立て新鮮な情報を皆に向かって披露する。ざわめく空気の中、エイダも驚いたように口を出した。


「あーっ、私知ってる……断崖沿いの、結構敷地の広いお店でしょ?」

「そうらしいな……奴らが一度、中州の下町から侵入したのは目くらましらしい。奴らも派手に動く分、外敵は多いようだしな。まんまと騙された、頭のいい連中だ……」


ケイリーが少し悔しそうに、眉間にしわを寄せて呟いた。オットーも同様で、空振りの日数が多い分、悔しさの度合いは強いみたいで機嫌が悪そうな顔色だ。

ベイクが、サラとお茶菓子を分け合いながら感想を漏らす。


「本当に賢い連中なら、俺達と事を構えようとはしない筈だよな。最初の襲撃はともかく、二週間何の音沙汰も無かったのは、そう言う訳か……?」

「何かそうらしいぜ。その情報屋、お前の事を白銀の悪魔って呼んでて、相当怖がって聞きもしない事まで喋ってたけど」


リーメイムは思わず吹き出しそうになり、ベイクにぎろりと睨まれた。お茶にむせた振りをしつつ、オットーの話の続きを聞く。情報屋の話によると、木鎚亭の客の周辺を探って欲しいと言う仕事が、中州のチンピラに何度か舞い込んで来たらしい。

その依頼主が、ザックファミリーらしいと言う事だった。


それから今度は、シーナが先程のガーゴイルの襲撃のあらましを語った。空間を開いて戦力をそこから送り出すのは、この世界では初歩の戦術と言える。ただし、それを大規模で出来る装置があるのは、この大陸では王宮だけだ。

ガーゴイルの操手が誰なのかはまだ判明しないが、小規模なら上位の術者でも可能な技でもある。今度そのやり方でガーゴイルを十体も二十体も送り込まれたら、かなり危険だ。

今回も、敵は尻尾すら正体を掴ませてはくれなかったのだし。


「先程はリーゼが機転を利かせて、真っ先に空間を閉じて敵を撃退したけど、私には彼女のように強力な魔力を続けて振るう事は出来ません」

「じゃあ、リーゼさんに護衛を頼めば……」


エイダが期待を滲ませて、明るい声でそう言った。熱意の伴った眼差しが、四方からリーゼに降り注ぐ。コップを口から放し、リーゼは呆れたように皆を見返した。


「どうして皆、すぐそう私を頼るの……? 私の主人がいるじゃない。ねえ、ベイク?」


その主人を尻に敷いているのは、一体誰ですか? 皆が一斉にそう思ったに違いないが、誰もそれを口にしなかった。賢明な判断だと、リーメイムはそう思う。

リーゼは彼女なりの物差しで、ベイクを最上だと位置付けているのだろう。それから彼女なりの理論で『初級の宿題レベルで、分からなかったら人に聞け』の態度ではではちょっと情けないとの認識の様子で。

まずはあなた達で頑張るのが筋でしょうと、恐ろしく筋の通った答え。


「全く持って妻の言う通りだ、ガーゴイルがいくら来ようと俺に任せとけばいい。そっちは置いといて、敵のアジトが知れたんだ。どうするよ……?」


ベイクが自信あり気にそう言った。何かを我慢して、うずうずしている風に瞳が底光りしている。それを受けて、オットーが気安く提案する。


「早速、奴らのアジトに乗り込むのか? うん、そうしようぜ。奴らを一網打尽にして、一件落着ってね」

「それもいいが、きっちりした証拠が無い。向こうで調べたが、ガイラス師の事も事故扱いになっていた……それに、どうも背後に導きの民の影がちらついているのが気になって仕方がない。ガーゴイルの襲撃も、ひょっとして奴らの仕業なのかも」

「導きの民……っ? その話は本当なの?」


シーナが血相を変えて、ケイリーの言葉に食いついて来た。漂流の民と導きの民は、いわば天敵のような関係らしい。定住の地を持たない種族同士、根深い憎しみの連鎖が歴史を通じて絡まりあっているのだ。

漂流の民から見たら、導きの民は異端児そのものである。彼らは先天的な技術を金儲けに使い、時には裏切りも平気でやってのける、鼻持ちならない連中である。

お蔭で自分達も同じように見られて、迫害に合うこともしばしばなのだ。


そんな事を知ってか知らずか、ケイリーは連中の間に接触があった事はまず間違いないと、静かに付け足した。彼らの足跡も同じく追跡出来なかったのは、まぁ仕方がないとして。

今一緒に行動しているかどうかは、憶測の域を出ないらしい。


「と、とにかくその人達、表向きは普通の商売人なんでしょ? 確かに乗り込んでやっつけちゃったりしたら、こっちが悪者になっちゃうわねぇ……」

「あぁ、そりゃそうだわな……」


エイダが考え込むようにそう言うと、オットーも唸りを上げて尻すぼみの言葉を返す。確かにこちらの地元とは言え、法律やはたまた地元の警備隊を敵に廻すのは厄介だ。

だけども、これ以上待ちだの護衛だのに時間を費やすのも真っ平御免である。そんなやさぐれた雰囲気が、ベイクやオットー辺りから間違いなく立ち上がっている。

それを敏感に察して、何となく申し訳ない気分に陥るリーメイム。


「それなら、いっその事果し合いに持ちこむか……? 連中を餌で釣って、開けた場所で決闘に持ち込んでやればいい……くふっ、久々に暴れてやろうか!」


皆があっけに取られてベイクを見た。リーゼだけは平静で、家の外でならどんな騒ぎも構いませんといった表情。何故かサラまで、心なしかウキウキした表情に。

堪りかねた様に、シーナがおずおずと意見する。


「あ、あの……それはこちらがかなり不利なのでは? 向こうに策を練る時間を与え、数では向こうが圧倒的に上なのだし。その上、リーメイムまで連れて行くとなると……」

「そうだな。次元通路を使ったガーゴイルとの挟み撃ちに遭えば、確かにまずい状況に陥りやすい。しかも餌役のリーメイムを守りつつの戦闘となると……」


ケイリーが自信なさそうに肩を竦め、言葉を切った。リーメイムは心に直接響いた、あの声の事を口にすべきかどうか迷ってしまう。あれは、恐らく導きの民とは関係ない。

何故そう断言出来るのか、自分でもはっきりとは説明出来ないのだが。しかし、自分でも気味が悪いのに、皆に無気味な目で見られでもしたら立ち直れないかも。

結局、リーメイムは全て話すのではなく、オブラートに包んで報告する事に。


「あの、ガーゴイルの襲撃は彼らとは無関係じゃないかと思うんですが。上手く言えないんですけど、アレは導きの民とは違う魔法形態な気が……」

「それじゃ、案外いけそうじゃん。俺とベイクが突っ込んで、ケイリーとシーナが護衛役すれば。敵が欲しいのは遺跡の地図関係だろ? ……あれ、リーメイムは必要ない?」


あれっ、という感じで皆の思考が一瞬固まる。確かにザックファミリーの欲しがっているのは、金利に絡んだ遺跡の地図の筈。殺し屋を差し向けたのも、手っ取り早く荷物を手に入れるためだろうし。

そう考えると、確かにその場にリーメイムはいない方が良い事になる。作戦のランクが急に楽になった事で、皆の表情が心なしか穏やかに変わって行く。

ベイクがしれっと相槌を打って、オットーの作戦を持ち上げた。


「おう、確かに必要ないな、後は本人次第だが……リーメイムが直接仇を討ちたけりゃ、それまでに足手まといにならない程度の力をつけろって話だ。じゃ、俺が挑発状書くから、ケイリー届けてくれ」


案外と冷たい言葉で、その場にいることを拒否されてしまったリーメイム。彼は憤慨すれば良いのか、落胆すべきなのか判断が付かぬまま皆を見る。

それはともかく、今のは作戦とはとても言えないと、シーナが愚痴をこぼしていた。ベイクとオットーは、連中を挑発する文面を楽しそうに模索している。エイダは余った紙で、サラとお絵かきに興じ始めていた。

ケイリーは……律儀にテーブル上のお茶の片付けをしていた。


リーメイムの視線が、不意にリーゼとぶつかった。彼女はリーメイムを、さりげなく奥の休憩室へと誘う。赤ん坊を抱いたまま、何事も無かった風な落ち着いた表情で。

リーメイムが彼女の後を追って部屋に入ると、リーゼは揺り椅子に座って赤ん坊をあやしていた。その姿は慈愛に満ちていて、何となしな懐かしさをリーメイムに呼び起こさせる。

赤ん坊を見つめたまま、リーゼが語り出した。


「ある周期毎に、何かのプレッシャーを感じるそうですね。私の預かっている古文書が、あなたの出生と関係あるのだとも。彼らに預けた物以外、お父様から預かった地図か何か、持っているのではありませんか?」


リーゼの穏やかな口調に、リーメイムは気まずそうに俯いてしまう。醸し出す貫禄が全く違うので、抗ったり無知を決め込む事も出来そうにない。

リーメイムは仕方なく話し始めた。


「あります。僕の出生の秘密が分かると、父の亡くなる間際に手渡された地図が。ベイク達には見せてないのが1枚だけ……どうして分かったんですか?」

「古文書に、古い渡し船の記述を見付けました。大部分は、風の民の古い文字が使われていますね。貴方のお父様の、書き添えた記述も全て判読しました。それによると貴方のお父様は生前、次元の渡し船とその中で眠る赤ん坊を発見したらしいのですが……稼動可能な魔法生物兵器群も、恐らく赤ん坊の護衛用に収納されていたようです。うっかり最近そちらが他人の耳に入ってしまい、付け狙われる破目に陥ったようですね」


渡し船の中で見付けた赤ん坊とは、間違いなく自分の事なのだろう。それと一緒に積まれていた魔法生物兵器、そんなものの為に養父は命を落としたのだ……。

リーメイムは養父の無念を思い、目の前がかすれて行くような錯覚に陥った。養父にとって、自分は本当は厄介者に過ぎなかったのではとの思いが心を支配する。

何となく、手の平で目をこすって見る。涙は出ていなかった。


「貴方はどうやら、光の民ではないようです。貴方の持つ地図の場所に不時着した渡し舟の中で、お父様が拾われたのは貴方で間違いはないでしょう。一緒に渡された古いカギと剣は、その舟の扉を開く為のもののようです」


彼女に、自分の持つ不安の大きさが分かるだろうか。自分が何者なのか、何の民なのか全く分からない。それがもし分かったとしても、新しい真実を自分は受け入れる事が出来るだろうか?

リーゼは静かな落ち着きを崩さず、じっとリーメイムを見ていた。リーメイムは頭の中の不安を言葉に出来ないまま、ただじっと立ち尽くしている。

リーゼが静寂を破るように、リーメイムに告げた。


「私が古文書を解読して知っている事は、既に主人も知っています。主人が、ある程度の事まではしてくれるでしょう、貴方は依頼人なのですから……。それによって貴方の身の危険、悩みや不安は少しは解消されるかも知れません。けれど……」


リーゼは一瞬言葉を切って、赤ん坊を見つめてその産毛をそっと撫ぜた。赤ん坊は起きていたようで、優しい愛撫に笑い声を上げた。リーゼもそれを見て、口元に笑みを浮かべる。

リーゼは慈愛に満ちた瞳で、今度は優しくリーメイムを見た。


「最後に決断し、自分の人生を切り開くのは貴方自身なのですよ、リーメイム。貴方はもう人に全てを任せないと何も出来ない、赤ん坊ではないのでしょう……?」


そう言葉を掛けられて、リーメイムははっとしてリーゼを見つめた。彼女の胸の中の赤ん坊は、暖かな庇護を受けて満足そうに笑みを浮かべている。

だけど自分は、もう母親の庇護を必要とする子供じゃない。


「ボクは……そうですね、ボクはボクなんですから。怖がってちゃ、一歩も前へ進めないですよねっ!」


何か吹っ切れたように、リーメイムはそう口にした。自分が何者かなど、悩むのは後回しで良い。取り敢えず今はベイクに、白銀の英雄に全てを託そう。

自分で歩き出すのは、それからだ!





朝霧が、全てを飲み込む様に視界を覆っていた。街にようやく朝市が立ち始める、今は朝の早い時間だ。場所は下町の東の外れの、メイグの滝壷前。

それが、相手の指定して来た時間と場所だった。ふざけた内容の書簡に、記されていた内容の全て。いや、余計な挑発や侮蔑の言葉は、他に幾らでも書かれていたが。

偵察に出した者の話だと、相手は既に自分達を待ちうけているらしい。指定の場所で、見える限りではたった六人で……。


こちらは総勢四十人以上だ、武器も奥の手もそれなりの物を揃えている。不安を感じない訳ではなかったが、七倍の兵力差は伊達ではない。こちらは黙ってお宝を奪い取り、さっさとこの街からトンズラ扱くのみだ。

何しろ、遺跡の地図から得られる報酬が破格なのだ。お抱えの技術屋が、せっつくようにザックに囁きかけた。アレは、いい。アレを獲得出来れば貴族にも、ひょっとしたら王にだってなれる……。

その報告を聞いた時には、失われた文明の力に思わず敬意を表したものだ。


それが丸々、自分達のものになる時が近付いている。ザックファミリーのボス、ザック・マイグルーズは、歯軋りしながら偵察要員の持ち寄る報告を聞いていた。

ザックはどうしても、ガイラスの息子が持ち去った遺跡の地図が欲しかった。だから、ガイラスの息子が白銀の英雄の庇護下に入ったと聞いても、敢えて作戦に変更は行わなかった。

白銀の英雄と言う、不安要素は確かに計算外だった。地元のチンピラを雇って、兵力を水増しした今もその不安は消え去らなかった。何せ奴らと来たら、白銀の英雄と聞くだけで竦み上がる臆病者達ばかりなのだ。

全く使い物にならない、それでもいないよりはマシだ。


今にして思えば、メジの町から付いて回っていた小さなほつれは、いつの間にか鬱陶しい程大きくなっていたようだ。第一に、盗み専門のファミリーの者たちが、偽の地図でおびき出された遺跡で全滅してしまった事。第二に、本物の方の遺跡の地図を回収し損ねた事。

最後は、ガイラスの息子を殺し損ねた事。つくづくガイラスが恨めしい。


この街に辿り着いて、少しだけ様子を見てみるつもりが、気付けばこんな事になっていたのも計算外ではある。それでも躊躇う気持ちなど無い、奴らは皆殺しだ。

挑発状が届けられた時には、文字通りド肝を抜かれたザックだったのだが。その手紙の内容は挑戦ではなく、挑発以外の何物でも無かった。彼は激怒し、青ざめた。何しろ、かなり詳しくこちらの裏事情を知られていた様子なのだ。

署名は“不幸の代弁者とその取り巻き達”となっていた。


開けた場所での殺し合いならば、こちらにも勝ち目があると、お抱え魔術師のニールが言った。用心棒のオウズも、自身たっぷりに英雄ひとりくらい自分が始末してやると豪語する。

どちらにしろ、敵に居場所は知れてしまったのだ。ヤサを替える前に、遣り残しの1つくらいは片付けておかないと。


ザックはお抱え技術者のマイスリーに、別の遺跡から発掘した武器の使用を命じていた。マイスリーは喜んで虎の子の兵器を持ち出し、部下達に使用法を教えていた。

大丈夫だ、この人数と兵器を持ってすれば、いくら英雄と言えども簡単には動けまい。敵を分断し、弱い奴から仕留めて行き、ガイラスの息子を早めに人質に取れば終わりだ。

それだけの兵力が、こちらには存在する。



朝霧がようやく晴れて来た。滝壷の水音が相変わらず耳に大きく響いて来る。周りを部下に囲まれているザックは、武器や防具のこすれ合う音を頼もしく聞いていた。

人影がうっすらと見えて来た、別の方向に偵察に出ていた部下が戻って来たようだ。


「滝の後ろに伏兵はありません。所定の場所に待ち構えている連中は、白銀の英雄とその仲間に間違いない様です。ガイラスの息子も確認しました。地図らしき物も、手にしています」


部下の報告を聞きながら、ザックは小さく頷いた。それにしても、とザックは思う。向こうの勝算は何なのだろう? それがどうにも、気懸かりで仕方ない……。

鈍い色の朝日が、ようやく姿を現し始めた。空の閉じたこの世界では、太陽の光も鈍くどんよりしている。薄闇の中、ザックは部下達に進軍を告げた。

一塊の生き物のように、小さな軍隊は滝壺への道を下り始める。


大量の水の落ちる音が、湿り気と共に身体に纏わりつき始める。皆が一様に緊張しているが、互いの存在が拠り所となって不安や焦燥感は今の所見当たらない。

それでも、敵の姿がおぼろげに視認出来る距離になると、誰ともなしに進軍の足が止まってしまう。さらに響いて来た怒号に、思わずその場の全員が心臓を鷲掴みされた気分に。

それは確かに、冷ややかな殺意だった。


「クズ野郎揃いの殺人集団どもっ! こいつの親父殺したツケは、今日ノシ付けて返して貰うぞ……覚悟しておけっ!」

「貴様が白銀の英雄か……まだ若いのに、大した胆力だな。このわしを呼び出した図太さは、まあ誉めてやろう。おとなしく目当ての物を差し出せば、そちらの言い値で買い取ってもいい」


ザックが大声でそう怒鳴り返した。メイグの滝のせいで、声を張り上げないと相手に届きそうもないのだ。どうだ、良い取り引きだと言わんばかりに笑みを浮かべて、相手を見やるザック。

返答の声は、彼より遥かに大きかった。


「この馬鹿野郎が……こいつの親父殺しといて、何が言い値で取り引きだ。本気で取り引きしたいなら、取り巻き全員追い返しやがれ!」

「ガイラスの件は、確かに不幸だったな。だがアレは、向こうが一方的に悪いのだ。良い条件を出したつもりが、全く相手にしようとしなかった。終いには、偽の地図を渡されて大損害だ。人殺しと言うなら、お互い様だと思うがね……」

「ふざけるな………自分達で、父さんを襲って無理やり奪い取った結果じゃないか! この町でボクを狙ったのも、お前の仕業だろうっ!?」


リーメイムが皆の前に一歩踏み出し、感情を剥き出しにしてそう叫んだ。憎々し気にザックを睨みつけ、今にも飛びかからんばかりだ。ベイクが肩を掴んで、リーメイムを宥める素振り。

無理を通して、結局同行を許して貰ったリーメイムだが、自分が足手まといなのは充分承知している。掴まれた手の平越しに、力強くて物凄いパワーをリーメイムは確かに感じた。

案外この場にいる事を簡単に承諾された理由も、今の一言を口にさせる為なのかも知れない。


「何の事かな……? どうしても知りたければ、本人に聞けばいい。今頃は、レネ河の下流で水浴びでもしてるだろう」

「どうりで、幾ら探しても見つからなかった訳だ……」


手下達が、下卑た調子で声をそろえて笑った。ケイリーがそれを受け、ボソッと呟きを漏らす。失敗の代償として、その手下は裏社会のルールに基づいて当然の結末を迎えたらしい。

その経緯を全て聞き終えて、おもむろに気障っぽく発言する人物が一人。


「まっ、話の本筋は大体掴めました。忙しいこの私を、朝っぱらから連れ出したのだし。多少の事は大目に見ますから、皆さん頑張ってリーメイムの敵を討ってくださいね。それから、宮廷復帰の件ですが、それだけはちゃんと守って下さいよ、ベイク?」

「分かってるよ、事後処理だけはしっかり頼むぞ、メーフィスト」


リーメイムの側に歩み寄りつつ、王宮付防衛大臣補佐官のメーフィストはベイクに念押し。ベイクが念の為にと、やり過ぎた時の保険に彼を王宮から引っ張って来たのだ。

取り敢えずは、何人か生け捕って事後処理を穏便に済ます予定なのだが。証拠も一緒に掴んでおきたいと言う事情もあって、彼の呼び出しと相成った次第である。


あいつは何だと言う視線が、方々からメーフィストに向けられる。上等のローブを着たいかにも貴族風の男の出現に、大物ぶっていたザックもさすがに眉をひそめる。

メジの町出身の田舎者のザックは、宮廷の人事になど全く詳しくなかったのだが。さすがに喋り過ぎたかも知れないとの思いが、表情にありありと浮かんでいた。

それでも相手の異様さを感じ、警戒心を抱いていたのも次の台詞まで。


「王宮付防衛大臣補佐官、またの名を愛の護り手、メーフィストをよろしく。それでは私は、危ないので後ろに下がらせて頂きますね。さっ、リーメイムも一緒に……」

「は、はあ……」


リーメイムに流し目を送りながら、胸元からバラを一輪抜き取って。敵ばかりか味方をも騒然とさせて、メーフィストは周囲の注目を一身に浴びていた。

さりげなく差し出された導きの手は、リーメイムにあっさり無視されたのだが。彼は顔色を変える事も無く、安全圏へと避難する。ケイリーとシーナも、一応大物の護衛に仕方なく付き添う構え。

ベイクが彼らの気持ちを、言葉に代弁してくれたのだが……。


「この変質者は気にしないでいい。お前らを捕まえた時、公平な目撃者となってくれるありがたい御方だ。どうしても気になるのなら、手間かけて殺しに来い!」

「……本当に来られたら、それはそれで面倒なんだが」

「ベイクってば、相手を挑発する事に関しては超一流よねぇ」


ベイクの大胆な挑発に、ケイリーはかなり真剣に思案顔。こんな大物を危険な場所に連れて来た責任と言うのを、ベイク当人は全く感じていない様子だ。

シーナは反対に、ちょっと感心した感じなのだが。要人のピンチになって困るのは、彼女も全く同じ筈なのだけれど。リーメイムはさり気なく肩に回された王宮付防衛大臣補佐官の手を振り解きながら、これから始まる筈の戦闘に胃の縮まる思いだった。

修羅場を楽しむ余裕など、全くありはしない。皆、一体どんな神経しているのだろう?


ザックは歯軋りしつつ、遠目に英雄一味のパフォーマンスを目にしていた。どのみち奴らに、逃げ場は無い。向こうは断崖と滝壷を背にして、袋のねずみ状態だ。

ザックは笑みを取り戻し、片手を上げると勢い良く振り下ろした。部下達に送った作戦開始の合図だ。向こうの連中に戦力外が2人もいるとは好都合この上無しだ。

向こうの皮算用など知るものか、逆に一網打尽にしてやる。


「来るぞ……一人も逃すな!」


崖上の伏兵が射掛けた矢の雨を、あっさりと風の魔法で撃ち落としつつ。ベイクの威勢の良い叫び声で、大乱闘は始まった。滝の方へと追い込む陣形で、チンピラ連中が崖の上から滑り降りて来る。

それを迎え撃つように、ベイクとオットーが勢い良く突っ込んで行く。チンピラ連中も、数を頼りに幅広く展開して行く構え。それぞれ抜刀しながら迎える体制を整えに入る。

鬨の声と共に、早朝の乱闘は始まった。ザックファミリーの前衛を務めるチンピラの群れは、しかしあっという間に総崩れになってしまう。どうやら勢いだけで、錬度は低かった様子。

さらにベイクが抜刀した瞬間に、大気自体が身震いした様な振動が巻き起こった。皮膚どころか、全身が震えるような異様な共鳴音が、あたり一帯に鳴り響く。

皆が皆、一瞬動きを止めて耳を被う事態に。


「こ、これは……っ!?」

「抜きましたか……あれが白銀の英雄の愛剣“風霊の剣”です。リーゼ嬢から賜った、風の民の宝剣。ま、そのせいで一時期、風の民の王室と険悪になったのも事実ですが……」


全身を掻き回されるような感覚に、びっくりしたようにリーメイムが呟く。先ほどのベイクの怒号同様に、敵どころか味方までもが耳を庇って身を竦めている。

メーフィストが済まし顔で、リーメイムに解説をしてくれた。彼も耳を押さえていたが、慣れているのか、姿勢も表情も崩していない。


ベイクの愛剣“風霊の剣”は長大な両刃の剣で、中央に細い切れ込みが鞘元まで入っていた。片側は白銀の刃だが、もう片側は透明なガラスのような素材で出来ている。

中央の隙間を空気が通り抜ける度、音叉を響かせたような音が鳴るようだ。


リーメイムが驚きながら戦況を見守る間にも、チンピラ達は次々と薙ぎ倒されて行った。ベイクの太刀は滑らかに敵を一撃で屠り、相手と刃を交える事も無い程だ。

オットーは勢いの良さとその体格で、敵をかく乱し、又は一撃で突き倒す戦闘スタイルのようだった。巨大なアックスで外の間合いから攻めたかと思えば、勢い良く飛び込んで体当たりをぶちかます。

派手な乱闘が、二箇所で同時に展開していた。


瞬く間に敵の数が半数を割った。オットーは既に、敵の中心深くへと飛び込んでおり、ボスのザックをかなり慌てさせていた。お抱え技術者のマイスリーが、近付いて来た彼を標的に定める。

傍らには、用心棒のオウズが大剣を手に護衛役を務めている。


「撃ていっ……!」


オットーは妙な殺気を感じて、そちらを見遣った。二人のチンピラが、筒のついた長い金属製の箱のようなものを持って、筒先をこちらを向けている。

金属製の筒先が震え、青白い火花が派手に飛び散った。オットーはとっさに飛びのいたつもりだったが、衝撃は背中を轟音と共に後押しした。

地面に転がりながら、オットーは慌ててその妙な箱と距離を取る。


「な、何ですか……今の凄い音はっ?」

「ふうむ、アレは……古代の兵器ですか、確か。王宮にも幾つかありますが、扱いが難しい。火薬を詰めた弾やら火炎やらを飛ばすのですが、連中のはさほど威力がない様ですね。オットー君もピンピンしてますし」


リーメイムは転げ回っていたオットーが、むくりと起き上がるのを見てホッと胸を撫で下ろす。傍からそれを見ていたベイクが、怒鳴り声を上げながらその箱に近付いて行く。

何だか妙に嬉しそうに、剣を振り廻して。


「あ、あれはどう言うつもりなんですか、ベイクさん?」

「彼はああ言う、変わった物が大好きなんです。困ったものですね、全く。攻撃魔法も使わずに、まるっきり遊んでますよ。だからホラ……」


側で二人の護衛に当たっていたケイリーが、素早く右手を閃かせる。鈍い光が宙を疾ったかと思った途端に、近付いて来たチンピラが悲鳴と共に倒れた。


「わっ、わっ!」

「敵がここまで近付いて来ている。ケイリー君、シーナ嬢、頼みますよ。私は野蛮な行為は嫌いなんです」


メーフィストはそう言って、さらに崖下の後ろ際まで下がって行く。こんな時にも、優雅な仕草で口元に笑みを浮かべているのはさすがと言って誉めるべきか。

リーメイムの隣に、今度はシーナがやって来た。厳しい目付きで、左手の藪のあたりを見つめている。


「出ていらっしゃい。そこにいるのは、分かっています」


今度はケイリーが、シーナの反対側に音も無く寄って来た。藪の前の空間がぼやけたような気がして、リーメイムは思わず目を凝らしてはっと息を呑む。

この前の恐ろしい記憶が、脳裏に一瞬蘇った。


「じ、次元の通路っ!?」

「いいえ、違います。透明化の魔法です。敵にも魔術師が混じっている様ですね……」


シーナの言葉と同時に、三人の男達が溶け出すように藪の前に出現した。真ん中の壮年の男はこげ茶色のローブを着ており、一際目付きが鋭い。

左右の護衛役の男達も油断の無い構えで、ケイリーの得物を黙ったまま見つめていた。彼らの武器は粗野な蛮刀で、いかにも使い込まれた獲物のようだ。

リーチには劣るが、幅広で近接戦闘には向いてそう。


最初に行動を起こしたのは、敵の壮年の魔術師だった。呪文の詠唱と同時に、空中に闇色のつぶてが幾つも出現する。それを見て、シーナがとっさに防御魔法を張った。

派手な炸裂音が、リーメイムの耳に轟く。


シールドの魔法は、敵の攻撃を見事に遮断していた。左右の男達は隙を伺っており、不用意に飛び込んでこようとはしない。不気味な駆け引きに、リーメイムは恐慌をきたしそうになる。

再び衝撃。魔法の防御壁はかすかに揺るぎを生じさせ、シーナの額に珠の汗が浮かぶ。


「は、反撃しないんですか?」

「確かにこのままじゃ、不利になる一方ね……ケイリー、私が何とか隙を作ってみます」

「分かった」


ケイリーが短く返答しながら、皆を庇うように前に立つ。その彼が投げナイフを放つのと、シーナの光の呪文が炸裂するのは、リーメイムにはほぼ同時に見えた。

敵の魔術師の防御壁がナイフを弾く。だが、光の呪文は見事に彼等の視力を奪った。その隙は一瞬に過ぎなかったが、ケイリーが近付いて敵に当て身を打ち込むのには充分な時間だった。

ケイリーの思惑通り、まず魔術師が身体を二つ折りにしてその場に崩れ落ちた。左右に控えていた護衛役の男達は、肝心の得物を地面に取り落として悲鳴を上げていた。

よく見れば、いつの間にか二人の利き腕に投げナイフが突き刺さっている。


「見事なコンビネーションですね、お二人の技量には感服します。無能でプライドばかり高い貴族との確執がなければ、王宮の近衛兵にでもにスカウトするのですが……。さて、我らが英雄殿の方の戦況はどうなってますやら」


耳もとで囁くメーフィストに、リーメイムは露骨に嫌な顔をする。だが、彼の言う事ももっともなので、リーメイムは視線を再びベイク達の奮闘する戦場へと向けた。

戦況は、先程とあまり変化は無い様子だった。それでも三下の雑魚の群れはあらかた始末し終わっていて、気の毒な程ぼろぼろになって地面に転がっている。

その数を数えてみたら、2ダース以上はいる様子。短期間で、よくもまぁこれだけ片付けたものだ。


地面を激しく転がり回っているのはオットーも同様、但しこちらは火の粉を被ったせい。背中のマントが嫌な感じに煙を上げているが、身体は無事のようである。

その内ベイクは、ようやくオットーの危機を悟ったらしい。強引に奪い取った筒を放り出して、援護に駆けつける。火炎放射も、ベイクには全く通用しなかったっぽい。

敵の操り手は風の壁で守られている英雄の接近に気付き、明らかに動揺。


オットーは今度は、頑丈そうな敵の大剣使いと対峙していた。かなりの使い手で、敵の用心棒頭の筈だ。ようやくの強敵の出現に、オットーの動きに楽し気な躍動感が見え始める。

その他の敵で地に足がついているのは、もはや数えるほど。


「ほぼ大勢は決しましたね……彼らも充分楽しんだようだし、もう部下達を呼んでも良いですね、ケイリー君、シーナ嬢?」

「そうだな、俺は構わんよ。精々奴らに、その罪に見合う重い懲罰を与えてやってくれ……」


気絶した連中を縛りつつ、ケイリーは他人事のように返答した。メーフィストは懐から取り出した小型通信機をいじくりながら、リーメイムに自慢げに説明する。


「遠くの人間に合図を送る機械です。これほど小型の物は珍しいんですよ?」

「……どうして、戦闘になった時点で使わなかったんです?」

「そりゃあ、彼らの活躍の場を取り上げて恨まれたくはありませんからね」


しれっとした顔付きで、メーフィストが真面目な口調で答える。多少の危険よりベイク達のストレス発散を選ぶあたり、さすが王宮付防衛大臣補佐だ。

リーメイムは、心の中でその点だけは感心した。


「とにかく、これ以上長引かせて怪我をしてもつまらないわ。朝食の時間までに、彼らを捕まえてしまいましょう」

「ロープの類いは充分な程持って来た。リーメイム、手伝ってくれ。離れた場所に一人いるな……後は頼んだ、シーナ」


転がっているチンピラ連中は、例外無く気絶していたり戦闘能力を完全に削がれていたり。ケイリーが彼らを縛るロープを手渡して、素早く滝壷の方向に姿を消し去る。

リーメイムは、呆けたようにそれをぼんやりと眺めていた。


「こんな結末じゃ不服、リーメイム?」


シーナが転がっている敵の一人を縛り上げながら、静かな口調で少年に尋ねて来る。虚を突かれたように、リーメイムは鼓動を高めて彼女を見つめた。

ボクは一体、どんな結末を望んでいたのだろう?


「いえ、そんなんじゃ……ただ、実感が全く湧かなくって。ボクは何一つしていないのに、父の仇は捕まろうとしている……」

「そうじゃないわ、あなたは最初の一撃を放ったの。結果、その力がみんなを動かした。あなたがただ逃げ回っていただけなら、この結果は訪れなかった……私はそう思うけど?」


そうなのだろうか? 実際は自分も、あのファミリーのボスと変わらないのでは無いだろうか。そんな皮肉めいた思いが、リーメイムの思考を押し包む。自分の欲望のために、身近な力を利用した独善者……。

リーメイムは、不意に強くなりたいと無性に心で願った。今の弱いだけの自分を脱却したい、過酷な運命に立ち向かって行く力が欲しい。


「兵士達が到着したようですね……危なくなった時の保険に、近くに潜ませていて正解でした」

「ちょっと待って……様子がおかしいわ!」


シーナが遠くで倒れていたチンピラ達を指し示し、周囲に異常を知らせる。のん気に構えていたメーフィストも、遅まきながらそれに気付いたようだ。

意識のある者達が、懐から何かを出したかと思ったら、意を決したように口に運んで行く。シーナの気付いた異様な気配は、魔術師独特の嗅覚のせいだったのかも知れない。

一体何を服用したのか、チンピラ達の体の変化は急速だった。獣のように絶叫している者、あまりの体積の変化に服を爆ぜさせている者……。

一様に剛毛を体から伸ばし、顔付きも獣のそれへと変貌を遂げて行く。


シーナが慌てて、縛ったばかりの男達の懐を調べ始めた。程なく、茶色く濁った液体の入った、小さなビンを発見する。メーフィストもそれを見遣り、少し離れた戦場の変化と照らし合わせる。

博学な彼は、その禁忌の術も噂に聞いた事があった。もっとも、目にするのはこれが初めてだが。何しろ、使用したものが再び正気を取り戻す確率は非常に低いと言う話だ。

そんなものを使う奴等の気が知れない。だが、これは現実だ。


「ビーストメーカー……口封じと、それから形成逆転には確かに良い手かも知れませんが。そんな劇薬を部下に配ってるとは、正気とは思えませんね」

「なんて事っ……人間の尊厳まで捨てて、一体何が残ると言うのっ?」


冷静に現状を分析するメーフィストに対し、シーナはやや激情に駆られた様子で眼前の光景を眺めていた。取り押さえようとしたチンピラ達の急激な変わり様に、駆けつけた一般兵士達はド肝を抜かれたようだ。

慌てて腰のものを抜いて切りつける者、悲鳴をあげて腰を抜かす者。さらには不用意に近付き過ぎて、腕や首筋に噛み付かれて流血する者まで出る始末。

戦場は、一気にパニックが伝染して酷い有様に。


オットーが、ようやく指揮官の用心棒との一騎打ちにケリをつけ、背後の状況に気付いたようだ。慌てて兵士の救済に向かうのだが、獣化したチンピラの動きとパワーは凄まじかった。

ベイクの方も、深追いしていた火器の操手のグループを、ようやく始末し終えた様だった。片手に分捕った兵器を持ち、戻って来て惨状を目のあたりにする。

彼の行動は、先ほどとは違い素早く的確だった。


今まで以上の耳鳴りに、一同が一斉に耳を塞ぐ。獣化したチンピラ達に風の鎖が巻きつき始めた。気圧の上昇が重しとなって、鎖の絡み付いた敵に襲い掛かる。

動きを封じられた半獣人達だが、仕舞いには首を掻き毟って、揃って空気を求める仕草。リーメイム達が呆気に取られて見守る間にも、血を求めていた獣共は大人しくなって行く。

彼らが最後に求めたのは、流血よりも空気だったのだろう。



それから後の処理は、メーフィストの独壇場だった。テキパキと兵士達に命令を下し、敵の武器を徴集し、捕らえた連中をきびきびと引っ立てて行く。

獣化した連中は、酸欠で気を失うと同時に、その凶悪な変化も解けていたようだ。それでも逮捕側の兵士達は、彼らに触るのもおっかなびっくりの様子だったが。

ベイク達は一固まりになって、黙ってそれを見守っていた。


リーメイムは、精気を失ったチンピラ達から視線を外し、決してそちらを見ようとはしなかった。自分への戒めのように、自然と湧き上がる安堵感を押し殺しつつ。

ただ、最後のベイクの力の開放には、痺れたような感動を受けていた。仲間を守るための力、そのための幾重もの手段と圧倒的な能力を持つ存在。それが彼を英雄足らしめているのだ。

リーメイムは真理に触れた思いだった。





――自分も、彼のように強くなりたいと願った。心の中で、何度も何度も……。








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