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出会いと襲撃と



おぼろげな輪郭の光の束が、収束して景色をかたどろうとしていた。手を伸ばせば届く距離だが、それは夢の入り口なのだとリーメイムは理解していた。

そしてほのかな色彩を伴った映像に、彼は懐かしさと郷愁を覚えて佇んだ。だけどこれは夢なので、彼の前で映像は幾重にも切り替わって流れて行った。

リーメイムの内心とは裏腹に、彼の思い出をばら撒きながら。


最初に目に飛び込んで来たのは、彼の実家とその周囲の遠くからの映像だった。生まれ育ったルーソアの農場は、確かに同年代の子供もいないような田舎ではある。

だけどその分、彼は周囲から愛されて育ったと自負していた。養母は早くに亡くなってしまったが、リーメイムは愛情の不足を感じた事など一度も無かった。

第一、田舎の暮らしはそんな哲学的な事を考える暇など無い程度に忙しい。


反対に、メジの町は養父に言わせればガラが悪いので評判だった。これも小さな田舎町なのだが、一発当ててやろうと言う発掘屋の中継地点で栄えていたのだ。

農園の住民は、どの道大きな買い物や出荷の際にしかこの町を訪れなかったけど。リーメイムにしても、ほとんど馴染みは無い場所だ。だから町の映像は、ほとんど出て来なかった。

その代わり、彼が幼少期を過ごした農園では、場面は目まぐるしく変わって行った。


それは心に染み渡る良薬の様であり、平穏をかき乱す矢尻の様でもあった。望んで手放した故郷ではない、しかし今や“我が家”で彼を待つ人もいない……。

その事実が、リーメイムの心をかき乱した。


彼の苦しみに呼応するように、映像は最も見たくない場面を映し出していた。傷付いた養父が、彼の仕事仲間2人に連れられて家に雪崩れ込んで来たのだ。養父は半分意識を失っており、仲間の採掘師は追っ手に怯えていた。

それでも彼らは、親身になって養父の手当てやリーメイムの逃亡の手助けに奔走してくれた。こうなってしまった経緯も、何とか簡略に聞き出す事には成功した。

つまりは養父の、仇の存在についての手掛かりを。


今の彼には、それに対抗する手段が全く無いのは事実だった。仇のザックファミリーが狙っているらしい、遺跡の地図を持って逃げおおせる以外には。

リーメイムはうろたえ、激しい怒りと失意の感情に揺り動かされた。この次のシーンは、絶対に見たくなかった。弱った養父の、命の喪われて行く姿を見るのはもう二度と嫌だった。

はっきりと覚えている、それは養父が家に辿り着いて2時間もしないうちに訪れた。


血を失い過ぎていた養父は、意識がほとんど無い状態だった。それでも死の寸前には、彼はリーメイムをはっきりとその視界におさめて言葉を紡いだ。最後の刻まで、養父は血の繋がらないリーメイムの心配ばかりしていた。

場面はそれから形見とも呼べる、古文書と鍵の譲渡へと移った。すっかり弱りきった養父だが、これだけはとの思いが働いたのだろう。残りの生命の灯火を燃やし尽くすようにして、言葉を紡ぎ出したのだった。

これがリーメイムの、出生の手掛かりになるのだと。


リーメイムにしてみれば、そんな事には全く意味は無かった。自分の出生、自分の過去を知りたくない訳では無かったが、それよりも養父に生き続けて欲しかった。

未来を独りで味わう事に、一体何の意味があるだろうか。親を相次いで失うと言う悲しみを抱えて生き続ける事に、果たして自分は耐えられるだろうか?

リーメイムは、知らずに夢の中で嗚咽を漏らしていた。


泣きながらうずくまっていたせいで、場面が変化したのにもしばらくは気が付かなかった。光の扉が再び現れて、そこから人々の騒ぐ賑やかな声が聞こえて来た。

夢の中の不思議な感覚で、リーメイムはそれが酒場の喧騒だとすぐに理解した。それも現在お世話になっている、宿屋の地下に位置するお馴染みの場所だ。

そして白銀の英雄の、拠点でもある場所。


リーメイムの視線はべそを掻いたまま、その喧騒の中を漂っていた。酒盛りが異様に盛り上がっていて、その中心はやっぱりつい最近知り合った白銀の英雄その人だった。

悩みが全く無さそうなその破天荒な騒ぎ振りを見て、リーメイムは一瞬悩みや悲しみ、苦悩の感情を忘れてしまう。サラやエイダも厨房から出て来て、騒ぎは一層大きくなった。

――知らないうちに微笑みながら、リーメイムもいつしかその輪の中に入っていった。





ベイクとサラは昼前にやって来て、オットーと護衛の交代をする。夕方リーメイムが厨房に入り浸って、あくせくと働き始める頃に、再びオットーが護衛に当たる。

それの繰り返しが、数日続いた。


オットーは暇な時間は中州の下町へと出向き、情報収集に努めていた。ソータエルの街は、城下街と下町にくっきりと分かれていたが、下町は更にエンの下町と、中州の下町にレネ河によって分断されていた。

エンの下町は、断崖にへばり付くように広がった、昔ながらの職人町だった。それに反して中州の下町は、『光と闇の戦争』と呼ばれる大きな戦いによって、五年前に壊滅状態に陥るという歴史を持っていた。

その後の無秩序な復興により、がらの悪い退廃的な雰囲気の町並みになってしまっている。


そこでのオットーの活動は実らず、襲撃者の影は相変わらず謎のままだった。オットーは日を追うごとに、いらいらを募らせていったが、手掛かりが無い事には爆発のさせようがない。

大好きな酒が飲めない事も、彼の不満を助長していた。


ベイクは弟子達に、取り敢えず体力をつけさせるためのメニューを作って来た。まずは、今ではリーメイムの仕事になっている、薪割りの量が倍になった。腕立てや懸垂、腹筋にスクワットなど、昼過ぎの休み時間はリーメイムの苦痛の時間に取って代わった。


言うまでもなく、サラは最初の5分のお付き合いで、見事に訓練からリタイアした。リーメイムは密かな勝利感と、普通の時にも満足に動けない、凄まじい筋肉痛を得た。

夜の食堂の仕事が終わる頃には、いつも睡魔と戦っている始末である。フロアでの客からの注文取りも、いつもの軽快な足さばきは見られなくなっていた。

これにはエイダも、さすがに難色を示す事に。


「無理な稽古は、止めておいた方がいいわよ、リーメイム君」

「いえ、これくらい大丈夫ですから。すぐに慣れます、きっと……多分」


エイダの心配をよそに、リーメイムは意地になったように訓練に取り組んだ。ベイクはいつも、不出来な弟子を見るような目付きで、リーメイムに対していた。

それを見返すつもりで、リーメイムは絶対根を上げない心構えで訓練に臨んでいた。


そろそろケイリーが戻って来ても良い頃だと、ベイクがオットーに話していた。リーメイムは汗だくになりながら、宿屋の裏庭で薪割りを行っており、二人の話を無意識に聞いていた。

手のひらのマメが今にも潰れそうで、リーメイムは泣きが入りそうになっていた。その上、サラまでが辺りをうろついて、彼に余計な神経を使わせていた。


「ケイリーが帰って来たら、あいつに任せれば? リーメイムの事だけどよ」

「もとより、そのつもりだ。あの腰つきを見ろ、へたっぴぃめ! 専門家からも、一言言ってやれ、オットー」


オットーが小声で打ち明けるように、ベイクに話し掛けていた。聞こえてますよ……とリーメイムは心の中で呟いてみる。彼は物凄く耳が良い上に、二人とも内緒話が苦手な様だ。

ベイクは声のセーブなど、元から気に掛けていない感じもするが。リーメイムが気にしている事を、平気でずばずばと言って来る。聞こえない振りをしながら、リーメイムは仕事を続ける。

オットーがさり気なさを装って、アドバイスを口にして来た。


「ああ、リーメイム……もっと腰を使って、リズミカルに。腕に力を入れりゃいいって物じゃないんだ。もっと斧自身の重さも利用しなきゃ」

「何度もそうしようとしてるんですけど……それよりサラ、危ないですよ。手伝ってくれてるつもりなんだろうけど……」


サラは、リーメイムが四等分した薪を拾って、地下に通じる穴に放りこむ作業を繰り返していた。リーメイムは、サラが近づく度に作業を中断しなければならず、仕事はかえってはかどっていなかった。

だからと言って、手伝いを叱る訳にもいかないジレンマ。


「サラの行為を無碍にするとは、見下げ果てた奴だな、全く」

「だって怖いんですよ。割った破片が、サラを直撃するんじゃないかって……。ベイクだって怖いでしょ、そんな事になったら、奥さんが何て言うか……」

「サラ、そこは危険だ。おやつを食べて、歯を磨いて、お昼寝の時間じゃないか……? さっ、エイダにせがみに行くぞ」


ベイクはサラを小脇に抱えて、さっさと地下へと降りて行く。オットーも食べ物の話につられ、それに同行する素振り。地下に降り切る前に、辛うじて自分の役割を思い出したようだ。

オットーが顔だけ出して、リーメイムに忠告を投げ掛ける。


「リーメイム、怪しい奴が来たら迷わずここへ飛びこむんだぞ。歯向かおうとするだけ、無駄な努力だから。それから腰、ポイントは腰だからな!」


それだけ言うと、オットーもさっさと姿を消してしまった。二人とも、護衛の任務そっちのけで自分の欲求を優先させてるし……。リーメイムはあきれ返ったが、邪魔者が居ない方が仕事に集中出来るのは確かだ。

ここはまぁ、文句は言わずにおく事に。


腰を支点に、斧をひたすら振り下ろす。リーメイムは無心になって、積まれた薪の山を減らしていった。仕事に熱中し始めると、時間はあっという間に経ってしまう。

気付くと夕暮れで、リーメイムは汗びっしょりになりながら仕事を終えていた。


薪を地下への穴へ放りこみながら、リーメイムは遠くに転がった欠片を目で探した。それを拾おうとして、人影が自分を見つめているのに気付く。全く知らない、長身の男だ。

ひょっとして、新たな刺客……!?


リーメイムは、途端に体中の汗がひいて行くのを感じ、寒気に身を震わせた。長身の男は、上等の服を着こなして、淡いブルーのマントを羽織っている。

濡れたような黒髪と真っ赤な唇は、男の端正な顔立ちに、やや病的な影を落としていた。眼の下に隈があり、男の鋭く釣り上がった灰色の瞳を強調してる。


「君が、リーメイム・カーソンかね……?」


男はゆっくり近づいて来ながら、楽しそうな質問口調で語り掛けて来た。視線はリーメイムを見定めると言うよりは、誘惑するように、熱いパルスを投じている。

何なのこの人……? リーメイムは知らず知らずの内に、じりじりと後退している自分に気が付いた。自分でも、何に怯えているのか分からなかったが。

本能はとにかく、この人物は危険だと判断している様子。


「ああ、警戒しなくても良いですよ。私は白銀の騎士殿の便宜上の上司で、メーフィストと申します。肩書きは、王宮付防衛大臣補佐。ほら、ここに王宮付の身分証の、黒獅子の縫い込みが」

「ベイクの上司……王宮の人?」

「ええ……ベイクが地元で依頼人を見つけたと、小耳に挟みましてね。王宮勤務をほったらかしにして、一体何事かと、こうして様子を伺いにまいった次第でして」


リーメイムは呆然となりながらも、食い入るように男のマントの左胸を見つめた。リーメイムも知っているこの国のシンボルが、きらびやかな金糸と黒糸で確かに縫い込まれていた。

メーフィストは和やかな口調で語り掛けながら、リーメイムとの距離をますます縮めて来た。リーメイムの及び腰も、建物の壁にぶつかってあえなく憤死。

逃げ場を失った身体が、芯から悲鳴をあげるのをリーメイムは聞いた気がした。


「ベイクは仕事、クビになったって言ってましたけど……」

「まさか本気でそんな事、しませんよ。彼も大人気無い……些細な口論で、売り言葉に買い言葉でそうなっただけですから。それより、何をそう怯えているのです? 汗をかいてますね、リーメイム……リーメイムとお呼びしても、良いですか?」


リーメイムは視線を彷徨わせながら、頭をフル回転させていた。声がやや上擦っている。視線を合わせると危険だ……こう言う人種は、彼の人生の中で度々出現して彼を悩ませているのだ。リーメイムは本能で、そう察していた。

メーフィストは静かに近付いて来て、懐から洒落たデザインのハンカチを取り出した。それから嬉しそうに笑顔を浮かべ、リーメイムの顔の汗を拭い始める。

その手つきが何と言うか、リーメイムの神経をさらに逆撫でする。


「きれいな肌をしてますね、うらやましい……。顔立ちも、これ以上ない程整っている。王宮の貴族達よりよっぽど、上品さを感じます……」


リーメイムは悲鳴を上げそうになり、本能に従って男と距離をおこうとした。ハンカチを持った手を振り払って、地下への階段へと身を躍らせようとする。

その瞬間、片手をメーフィストに捕まれていた。リーメイムが総毛立ちの状態で振り返った時、男はハンカチの代わりに真っ赤なバラを手にしていた。

視線が、熱い。


「貴方はこんな所にいては、いけない人だ。頼るなら、ベイクより私を頼りなさい。ベッドの中まで、私といれば安心です」

「ボクは男ですっ……!」


鳥肌が、物凄い勢いで身体中に溢れかえった。リーメイムは思わず悲鳴を上げており、男の手を強引に振り払いに掛かる。不快感と言うより、この男の放つ異様な熱気が底知れず怖い。

腹の底から力一杯、リーメイムはあらん限りの音量で叫んでいた。なんて事だ、男に口説かれてしまった……ボクはもう、お天道様に顔向けできないっ。

リーメイムの濁然とした思考の渦に、男の心外そうな声が重なる。


「何を当たり前のことを。私が女性を口説くなんて、時間の浪費をするわけが……。貴方も、そんな些細なことにこだわらず、心を広く持って……」

「何事かと思ったら、メーフィストか……精が出るな、こんなとこまで来てナンパとは。この前口説いていたあの少年は、もう諦めたのか?」


リーメイムはあらん限りの力で、首を横に振って抗った。ふと気付くと、後ろにベイクが立っていた。その不躾な存在が今は頼もしく、リーメイムの体から力が抜けていく。

メーフィストの方は邪魔が入ったとばかりに嫌な顔をし、次いで笑顔を取り繕った。リーメイムは素早くベイクの影に隠れ、必死に呼吸を整えようとしていた。


「何の事やら、白銀の騎士殿。それより王宮の仕事、早々に戻って来て下さいね。ああ、今の仕事を片付けて下さった後でいいですから。それを言いに来たのです」

「ほう、お前にしては融通が利いてるな。大方、リーメイム目当てだろう?」


リーメイムはぞっとして、ベイクの影で縮こまる。同姓同士で愛し合う行為もあるとは聞いていたけど、まさか自分が標的にされるとはっ……!

とにかくこの二人はお互いを嫌い合っているらしい、それが唯一の救いかも。


「ベイクさんっ、その人を追い返して下さいっ、今すぐ!」

「わっはっはっ、また振られたな、メーフィスト。お前の高尚な趣味を邪魔して悪いが、依頼主の命令だ、分かってくれたまえ」


メーフィストの傷ついた顔に、畳みかけるようにベイクが台詞を口にする。とても上司に対する口調ではないが、今はその傍若無人振りがこの上なく頼もしい。

メーフィストは軽く肩をすくめ、ここは退散する事に決めたようだ。くるりと向きを変えて足早に去って行く。この時ばかりは、ベイクが本物の英雄だと感じるリーメイムであった。

建物の影に消える瞬間、メーフィストが懲りずにリーメイムに声をかけて来る。


「理解し合えず、今回は残念な結果になりましたが、また今度話し合いましょう。一度、城下街を案内しますよ。暇なときはぜひ、王宮に遊びにいらっしゃい……」


熱い視線と共に誘いの言葉を投げ掛けて、姿を消すメーフィスト。安堵の吐息を漏らして、リーメイムは地面に倒れこんだ。これほどの身の危険を感じた事は、今までの人生でも無かった。

独り言のように、リーメイムは思わず呟いていた。


「王宮って、まさかあんな人がいっぱいいるんじゃ……」

「うむ、いろんな意味で、背中を他人に晒したら危ない場所だ。俺が仕事に帰りたがらない訳が、少しは理解出来たかな?」


大真面目な澄まし顔でそう言うベイクに、リーメイムはコクコクと頷いて賛同の意を示した。ボクはもう、絶対に近付かないからね、お城には……。

心の中でそんな誓いを立ててると、オットーが地下への階段からひょいっと姿を見せた。


「お取り込み中だったか、二人とも。何だか騒いでたみたいだったけど。ベイク、ケイリーがたった今、偵察から帰って来たぞ。下で待ってる」

「やっと帰って来たか。これで情勢が動き出すかな。昼間から建物に篭もってたんじゃ、王宮の仕事と変わらんからな……」


ベイクが振り返って、リーメイムの頭越しにオットーを見やった。短く口笛を吹いて、リーメイムをつま先でつついて立ち上がるように促すと、腕を組んだ姿勢で愉快そうな笑みを作る。

ベイクの呟きを、リーメイムははっきりと聞いていた。オットーの後に続きながら、あんまり物騒な事を考えないで欲しいなぁと、密かに内心思ってみたり。

一行は集団になって、地下の食堂へと降りて行った。




隅のテーブルに旅の汚れも疲れも感じさせず、ケイリーが座ってお茶を飲んでいた。一行は同じテーブルに腰掛けて、誰かが口を開いて話し始めるのを待つ。

オットーが居心地悪そうに身じろぎし、ケイリーを肘で小突いた。


「それじゃあ、中間報告と行こうか。こっちの進展具合は全く無し……だな。襲って来る者もいないし、最初に襲って来たチンピラの足取りも掴めていない。どこから誰が、手綱を引いてるのか、分からないから手の打ちようがない、以上だ」


あっさりとした口調で、ベイクがこちらの状況を報告する。オットーはうむうむと頷き、リーメイムはそうなのか、お世話かけてるな、と恐縮する事しきり。

ケイリーはお茶のカップを置いて、短く頷くと皆に向かって話し始める。


「どこから、と言う問題は俺にも答えられない。誰がリーメイムを襲ったのかなら、断定的にではあるが、話す事が出来る。ザックファミリーは、恐らくこの町のどこかに潜んでいる」


ケイリーは、下町を出てからの事を手短に語っていった。故郷の様子の気になるリーメイムに、メジの町の様子を尋ねられると、ケイリーは短く簡潔に答えた。

簡潔過ぎて、全く役には立たない返事だったが。


「田舎だった」

「……えぇ、まぁ元からですけど」


リーメイムが絶句していると、エイダがお盆片手にお茶を持ってやって来た。皆に給仕などしながら、ベイクに娘のサラの居場所を尋ねて来る。

常に無言の少女だが、いないとやっぱり不自然な静けさが存在するのだろう。


「サラなら、今はお昼寝中だ。そろそろ起こしてやらないと、夜に眠れなくなるな。いつもの部屋だ、悪いが起こしてやってくれ、エイダ」


エイダが了解して去って行く。ケイリーは言葉を続けた。


「田舎だから、新顔はとても目立つ。表立って行動すれば、直ぐに目をつけられる。仕方なく一騒動起こして、さっさと町を出る方法を選んだ。単純だが、しくじると二度目はないからあまりやりたくなかったが、すんなりと上手くいった」

「手薄だったわけか……?」


ベイクが考え込みながら、思った事を口にする。ケイリーは頷いて、再び話し始めた。


「その通り。ファミリーはあらかた出払って、いるのは表の店の用心棒くらいだった。そいつから話を聞いたところ、ファミリーのボスのザックは、大仕事があると必ず自分で指揮を取るそうだ。どんな仕事なのかそいつは知らなかったが、サミトールの町に30人程度で出掛けたらしい。全員で出払う大仕事なのだと、そいつは感じていたようだ」

「それはいつ頃の出来事だったんだ?」


ベイクが尋ね、ケイリーが口にした日数を、リーメイムは逆算して数え始めた。そしてすぐに違和感に気付く。ここ数日のゴタゴタは、彼には忘れようも無い記憶となっている。

リーメイムは、それを皆に口にする。


「父が亡くなる前ですよ、おかしいな。ボクもまだルーソアの農場にいました」

「俺もおかしいと思った。その後、連中が拠点を置いていたサミトールの町で、時間をかけて聞き込みをしてみた。ここはガイラス師もよく立ち入ってた町だから、大体の話は掴めたと思う。ガイラス師は連中に、死ぬ前に一杯喰わせたんだ」


リーメイムが、きょとんとした表情を浮かべてケイリーを見つめた。心なし瞳が潤んでおり、ケイリーが言いよどんでいる言葉をじっと待っている。

しかし、思い付いた表情で言葉を発したのはベイクが先だった。


「つまり、偽の情報で連中をかく乱したわけだな……連中はまんまと引っかかって、お宝を持つリーメイムから離れて行った訳だ」

「そう言う事になる……恐らく事故に見せ掛けて、連中に襲われた時だろう。偽の地図を無理やり奪い、そのせいで連中は10人ほど見当違いの場所で命を落としたらしい、いい気味だ。ガイラス師は命賭けで息子を守り、その間に安全な場所にリーメイムを逃がす時間を作ったんだ」


リーメイムは、自分が涙を流しているのをしばらくの間気付かずにいた。慌てて眼の下を手の平で拭い、そ知らぬ顔をしてくれていた三人に話し掛ける。

涙声なのは仕方が無い、今は話の確認が先だ。


「気遣いは無用です。と、父さんだって、ボクの事を変に気遣わなけりゃ、あ、あんな事には……」

「そう言う事は言いっこ無しだぜ。男がこうと決めた事は、曲げちゃ駄目だ。親父さんは、あの連中に絶対に言いなりになろうとしなかった。同時に、お前さんも争いに巻き込みたくなかった。俺は立派だと思うぜ?」

「最終的には、あの連中に命を狙われる事になった訳だが。……リーメイム、その事でガイラス師を恨んでいるのか?」

「そ、そんな事……! ボクはお父さんを今でも尊敬してますよ。ち、血のつながらないボクをここまで育ててくれて、命を賭けてまで……」


最後は言葉にならなかったが、言いたい事は伝わったようだった。いつの間にか、サラを抱えたエイダが傍らに立っており、優しくリーメイムの肩をさすっていた。

オットーすら自分を労わってくれている雰囲気なのを、リーメイムは敏感に察する。ケイリーに改めて言われるまでもなく、リーメイムは養父を恨む気持ちなど全く無かった。

たとえそのせいで、この先厄介な目に遭遇しようとも。


「それでいい。悪いのは、ザックファミリーだ。この町に潜伏してるそうだな、ケイリー?」

「サミトールから連中は、メジの町に帰っていない。慌てて情報を集めて、リーメイムを追ったのだと思われる。二十人以上の団体だから、足取りを追うのは比較的楽だった。それが中州の下町で、ぷっつり途切れてしまった」


オットーが納得したように、苦い顔で肩を竦めた。事実あの町はとてつもなく入り組んでおり、彼自身も数日の聞きこみ調査で、苦汁を舐めさせられていたのだ。

とにかく街並みも住民も、ひねくれの見本市のような状態なのだ。


「うーん、明日からやり方を変えてみようかな? 何とかして、情報を集めて見るわ。俺も少しは、役に立たないとな」

「うむ、ケイリーも戻って来たし、護衛の仕事も少しは楽になるだろう。……今日は飲んでもいいぞ、オットー」

「ほ、本当か……まじでっ?」


驚きの表情の次には満面の笑みを浮かべ、オットーはその場で小躍りを始める。賑やかな人だなと、リーメイムもいつの間にかつられて笑っていた。

和やかな雰囲気はあっという間に広がって、エイダが気を利かせて皆にジョッキを振舞って行った。リーメイムも、それに注がれたあわ立つ液体をほんの少し口に運ぶ。

この酒場で飲む二度目のエールは、ほろ苦く心に染みた。


いつの間にか、フロアを貸し切っての宴会が始まっていた。宿屋の主人のタンバでさえ、閉店の札を出して今夜はジョッキを片手に笑っている始末だ。

酒を飲んでいないのは、どうやらケイリーとサラだけのようだった。サラは早くも出来あがった集団を賢明に避け、リーメイムとエイダの間で人形を手に座っていた。

おつまみをエイダに給仕されつつ、賑やかな集団に非難的な視線を送っている。


夜はゆっくりと更けて行き、次第に酔い潰れて行く者が出始めると、リーメイムも側にいたエイダに退場を告げる。エイダはおねむのサラを胸に抱きかかえ、彼と一緒になって自分の部屋に向かった。

ケイリーがそれを見て、彫り物を刻む手を止めてゆっくりと立ち上がった。リーメイムの後を追い、いつもはオットーの使う部屋に引きこもり、寝具の状態を確認する。

彼は別に寝ずの番をするつもりは無かった。怪しい気配があれば、自然と目が覚める。


それにしても、とケイリーは思う。ガイラス師のあの噂が本当だとしたら、リーメイムは一体何者なのだろう。確かに、あの少年はどこか普通ではない雰囲気を漂わせている。

それはいつもケイリーが、ベイクやリーゼ、そしてシーナに感じる違和感だった。自分達とは違う存在、違う民が漂わせている雰囲気……本当にそうだろうか?

自分の感覚を疑う事は、普段のケイリーには有り得ない事態である。


もう一つ、彼は雇い主の少年の前では敢えて口にしなかった情報を持っていた。ザックファミリーが何度も接触を取っていたと言う『導きの民』の事だ。

彼らは同じ空間には決して長居せず、他の民の空間移民を導く事で主に糧を得る。だが、決して良い噂ばかりではない。時には雇い主を騙し、食い物にする事を厭わない残虐さを持つ種族でもあるのだ。

別名を『裏切りの民』と言う彼らは、それでも色んな理由からその大陸に住めなくなった人々には、最後の命綱であるのも事実だ。別の大陸での成功を夢見る人は意外に多く、それ故彼ら種族の糧が無くなる事は無いと言っても良い。


そんな奴らも、話の転がり方によっては敵に回す事になるのかも知れない。彼らの操る秘術は、空間操作の魔法の中でも、とりわけ強烈な威力を発揮するとの噂だ。

今回の依頼の複雑さに、ケイリーは暗澹たる思いだった。





次の日の『木鎚亭』には、朝が訪れるのが普段よりかなり遅かった。皆が皆、寝過ごした顔で、遅い朝の挨拶を交わす。リーメイムも、他の人よりちょっと早いと言う程度だった。

飲み過ぎた訳ではないが、少し頭が重い気がするリーメイム。


「あ、おはようございます。大変ですよね、旅帰りですぐに護衛の仕事なんて……」

「別に徹夜してた訳じゃない、平気だ」


ほぼ同時に隣の部屋から出て来たケイリーに、リーメイムが挨拶をする。案の定のそっけない言葉が返って来ても、リーメイムは気にしなかった。

三人の中では一番まともな人なんだろうと、リーメイムは解釈していた。何より淡々とした口調や態度は、彼の養父にちょっとだけ似ていたから。


「今日はケイリーさんが、ボクの特訓をしてくれるんですか?」

「よく判らんが、しろと言うならしてもいい」


先に立って階段を降りながら、ケイリーがそう言った。リーメイムは何となく浮き浮きするものを感じながら、宿の仕事もちゃんとこなさなければと、朝っぱらから力を込める。

仕事はいつも通りに大量に、リーメイムを待っていた。ベイクの地獄の筋トレも今日は無く、約束した筈のケイリーは昼間留守で、リーメイムをがっかりさせた。

ケイリーはナイフの達人で、例の『光と闇の戦争』ではベイク達と共に活躍した猛者だったらしい。エイダから仕事の合間に、そんな話を聞いていて期待していたのだ。

もちろんそれは、同じ幼馴染のオットーもそうなのだが。頼るなら彼よりもケイリーにしなさいとは、やはり同じくエイダの弁。


夕方になると地下の居酒屋は、昨日の閉店を取り戻すかのような盛況振りで、いつもより客でごった返していた。喧騒の中、空腹を刺激する匂いが空間を支配している。

リーメイムは注文取りと料理運びに追われ、あくせくと厨房とフロアを往復する。


ふと気が付くと、見知らぬ女性がエプロン姿で、酒場の給仕の手伝いをしていた。リーメイムよりは幾らか年上だろうが、ベイク達よりは年下だろう。

ぬけるような白い肌に、スレンダーな身体つき。ウエーブした瑠璃色の髪を後ろで束ね、肩に幾重にも派手な色合いのスカーフを羽織っている。神秘的な女性だと、リーメイムはその女性と眼が合った時に感じた。

彼女のどの部分にそう言う思いを抱いたのかは、リーメイムには分からなかった。はっと気付いたときには、満席の客達の喧騒が彼の思考を完全に奪い去っていた。

酒場に唯一居残っていたオットーに、リーメイムはさりげなく尋ねてみる事に。


「オットーさん、あの女性知ってます……?」

「ありゃ、シーナじゃん……いつの間に戻ってたんだ? 帰って来たなら、一言声掛けりゃいいのによ。神出鬼没だな、全く」


オットーが間の抜けた声で呟く。その名は確か、以前に聞いた彼等の仲間の名前だった筈。リーメイムはそう思い出して、それならこの酒場の常連なのだと納得する。

オットーの愚痴を後にして、リーメイムは軽い足取りで仕事に戻った。再び彼女と眼が合った時、シーナの口元に笑みが浮かぶ。リーメイムも、自然と微笑みを返していた。

気が付くと、二人は客で賑わう地下のフロアを、視線を交し合いながら行ったり来たりしていた。時間の経つのも忘れて、まるでワルツでも踊るかのように。


その内に客の姿が少なくなると、シーナは厨房に引っ込んだまま出て来なくなった。リーメイムはがっかりしながら、テーブルの片付けに追われる。

今夜の仕事はとても楽しかった。後であの女性と、話が出来るだろうか? そんな事を思って、ついニヤニヤしていると、ベイクがいつの間にか後ろに立っていた。


「何をニヤついてる、リーメイム……泣き上戸の次は、笑い上戸か? 全く見てて、飽きの来ない奴だな」


この人って、何で人がいい気分に浸ってると、決まってそれをぶち壊しに登場するんだろう? 途端にむすっと表情を変え、リーメイムは反論のために口を開く。


「誰かさんじゃあるまいし、ボクは仕事中にお酒飲んだりしませんよ。それより、今日はどこに行ってたんですか?」

「ちょっとな……ケイリーと一緒に心当たりを。何かいい事、あったのか?」


鋭いベイクの指摘に、リーメイムは咄嗟に損得の感情を脳内で働かせた。本当の事を、素直に話すべきではない。そんな事をしたら、途端にぶち壊しの目に合う!

返って来た答えは、まさにそんな感じで。本能の答えに、リーメイムの理性も賛同を示す。せっかく良い気分に浸ってたのに、自分からそれを放棄する気は彼には無かった。

短い付き合いの中からそう判断して、リーメイムは話を逸らそうとする。


「別に、何もありませんよ。それよりサラ、今日は見かけませんけど……?」

「ああ、今日はリーゼから逃げられなかったようだな。そう言う日もある」


オットーが席からベイクを手招きしており、ベイクは話を切り上げそちらに向かった。ケイリーは既に一緒の席で寛いでいる。ベイクが去るのを見届けて、リーメイムはほっと胸を撫で下ろした。

男達は、席に着くや否や何かの議論で揉めていた。その内にベイクとオットーがエールを注文して、リーメイムがそれを受けてテーブルに近付く。

ベイクが不意に言葉を発した。


「何だシーナ、いたのか」

「おう、それそれ。最初にそれを言おうとしてたんだ、お前が酒の事口にするから」

「みんな変わりなくって嬉しいわ、相席してもいいかしら?」

「何を他人行儀な事言ってんだ、いつ帰って来た?」


リーメイムの存在そっちのけで、目まぐるしい情報交換が始まった。不幸だとか、サラにも負けた根性無しだとかの言葉が飛び交い始めるに至って、リーメイムは居たたまれなくなり、その場を去る事に決める。

既に客の数はほんの数人で、彼は厨房に引っ込むと長いため息をひとつ。


「そんなに今夜は忙しかった、リーメイム君? シーナが手伝ってくれたんだけど……」

「いえ、そんなんじゃないです。ただ……」


ただ、心の中に巣食った淡い靄が、彼の気持ちを押し込めるのだ。こう言う気持ちは何て言えばいいんだろう……疎外感、それとも自己憐憫?

リーメイムはため息をついて、その後何でもないですとエイダに告げる。


「そう……そう言えば、シーナの事ちゃんと紹介しようと思ったんだけど」

「今はベイクさんたちと、会議中のようですから……ボクの事はいいんです。彼女に紹介されるような人間じゃ、ないですからボク……」

「そ、そう……?」


リーメイムは、エイダに不審な目で見られても全く気にはならなかった。ただ、初対面のシーナには、自分の心象を悪く持って欲しくは無かったが。

エイダと共に溜まりまくっていた汚れ物を荒いながら、リーメイムはそんな事ばかり考えていた。誰でもいいから、ベイクの口を塞いで欲しい……。


ようやく仕事が終わって風呂から上がった時には、既にベイクもシーナも食堂にはいなかった。オットーは酔い潰れており、ケイリーは壁に寄り添ってリーメイムを待っていた。

リーメイムが階段に向かうと、無言のままオットーを抱えて後に続く。


「あの……いえ、おやすみなさい」

「おやすみ」


部屋に入る前の、他愛ない短いお休みの挨拶。本心では、リーメイムはシーナの事を聞きたくて仕方が無かったが、なんとか自制して木製の扉を潜る。

隣の部屋のドアの閉まる音を聞いて、自分のベットへ。


「きれいで、不思議な感じの人だったな……。この宿に泊まってるのかな。だとしたら、明日の朝には、きっと会える……」


リーメイムはそう呟くと、枕を抱えてベットに倒れこんだ。こんなに次の日が待ち遠しく感じるのは、最近ではなかった事だ。明日も一緒に、仕事を手伝ってくれるのだろうか……?

何パターンもの最初の会話や、仕事の進行振りを想像しながら、少年はいつしか眠りについていた。淡く純粋な恋心は、彼に束の間の夢と希望をもたらした。

少年の運命は、ここから大きく変わって行こうとしていた。誰も気付かぬ内に……。



朝の食事は和やかに進み、自己紹介を済ませたリーメイムは上機嫌だった。テーブルにはエイダとリーメイム、そしてシーナが座り、焼きたてのパンと会話で寛いだ雰囲気を醸し出している。

ベイクがいないだけで、こんなに楽しく感じるなんて……。リーメイムは複雑な思いにとらわれながらも、それをあえて否定はしなかった。


「へえっ、魔法を使えるんですか、すごいな。ボクの田舎には、治療師くらいしかいなかったですよ、ホント」

「魔法と言っても、みんなの想像する派手な攻撃呪文は苦手なんだけど……。私の得意と言うか、本業は占い師なのよ」

「シーナのタロット占いは、すごくよく当たるのよ! リーメイム君も占ってもらったら?」


エイダが瞳を爛々と輝かせてそう言った。テンションが異様に高く、どうも根っからの占い好きらしい。女の子と言うのは、そう言うところがあるのはリーメイムにも理解出来るのだが。

そこまで占いに興味の無いリーメイムは、微妙な反応。


「そうね、あなたの運勢はかなり波乱に満ちてそう。面白そうな運勢ね……ベイクの時もそうだったけど。私は彼の運勢がとても気になって、パーティに入れてもらう事にしたの」

「へ、へえ……」


リーメイムはやや気落ちした口調で、シーナの言葉に相槌を打つ。自分の運勢が波乱に満ちている……? だけどそれ以上に、シーナの口からベイクを肯定する台詞を聞いて、リーメイムはショックを覚えた。

それとも、英雄様と自分を比べる事が、既に恥知らずな事なのだろうか?


「本格的にするなら、時間を選ばないと……。夜になったら、私の部屋に来て頂戴」

「私も見に行ってもいい、シーナ? 邪魔はしないから」


穏やかな笑みで、シーナがそう誘ってくれた。それに間をおかず、エイダが頼み込むようにシーナに向かって手を合わせる。姉妹のような雰囲気を、この女性二人は漂わせている。

リーメイムは少し残念に思いつつ、シーナがそれを承諾するのを耳にした。もちろんシーナと二人きりになったら、間が持たないだろうとも思うけど。

他人の運勢を占うのも見たいとは、エイダはちょっと変わってる。ひょっとしたら、占いの手順を覚えたいのかも知れない。



昼過ぎになるとベイクがやって来て、代わりにオットーとケイリーが宿屋を出ていった。エイダに頼まれた玄関先の掃除をしながら、リーメイムは町の景色を何となく見やる。

そう言えば、最近外出してない。ここからも見える古代遺跡の断崖は、最初に町にやって来た時と少しも変わらず、スケールの大きさを披露していた。

目を凝らしてみても、そこを行き交う人々の姿は確認出来そうもない。ボーっと突っ立ってそんな物思いに耽っていると、不意に頭をゴツンと叩かれる感触。

ベイクがいつの間にか後ろにいて、怖い顔をしていた。


「裏口ならともかく、無意味に表玄関で隙を晒すな、阿呆。自分の立場をわきまえない奴だな」

「ああ、ベイクさん。そんなつもりは無かったんですけど……」


振り返って、申し訳なさそうにリーメイム。思わずじっと、白銀の英雄の顔を覗き込んでしまう。こうして見ると、確かに彼は人を引き付ける魅力を備えているとリーメイムは思う。

性格は控え目に言っても、すこぶる悪いけど……。


「玄関先で、何を見詰め合っているの……?」


またもや気付かぬ内に、今度はシーナが二人の側に立っていた。外出用のお洒落した格好で、手には紙に包んだワイン瓶を抱えている。誰かへのプレゼントなのだろう。

シーナに指摘されて、二人ははっとして思わず距離を置く。


「うおっ……何で俺達、玄関先で見詰め合ってるんだ?」

「し、知りませんよっ……!」


見詰めてしまったのは自分だと白状する訳にも行かず、リーメイムは声高に反論した。二人の慌てようを見て、シーナは笑いながら小首をかしげる。

からかうような笑い声さえ好ましく聞こえるのは、リーメイムの好意故だろうか。


「変な二人ね……それより私、ちょっと出掛けたいんだけど、いいかしら?」

「どこへ行くんですか、シーナさん?」


リーメイムは、好奇心からそう尋ねてみた。ベイクがその質問に、不機嫌な顔付きになる。シーナはそんなベイクの顔色を伺いながら、楽しそうに口を開く。


「リーゼの所に、挨拶がてらご機嫌伺いにと思って。リーゼの赤ちゃんやサラにも、まだ会ってないし。リーゼの赤ちゃん、見たことある?」

「ええ、一度だけ。でも、すごく可愛かったですよ。いいなぁ、ボクも行ってみたいですけど……」


微笑みながらウットリと話すシーナにつられ、リーメイムも思わずそう言ってしまう。慌ててチラッとベイクを見たら、興味なさそうな顔でそっぽを向いていた。

大人げない態度に、なんだか笑い出しそうなリーメイム。


「勝手にすれば? その代わり、責任持ってリーメイムの護衛に当たれよ、シーナ。そいつの不幸は底無しだからな。油断すると、こっちにも飛び火するのだ」

「分かりましたわ、英雄殿。責任を持って彼の護衛に当たります。奥方に、何か伝言は?」


からかうような口調で、シーナはそう言ってリーメイムの方をちらりと見た。ベイクは呻き声を上げ鼻を鳴らすと、背を向けて宿の中に入って行ってしまう。

残された二人は、声を立てて笑った。


「さ、行きましょ」


シーナに誘われ、昼過ぎの眠たげな町並みへ二人は乗り出して行く。最初の大きな角を右に曲がり、シーナの先導で大通りをどんどん進んで行く。土地勘は無いものの、リーメイムはレネ河の上流、町の北東へと向かっているのだと感じた。

断崖の麓へ近付くと町は段差が生じて来て、二人は何度か階段を上った。ソータエルの城下街から望む程ではないにしろ、遠くまで下町を見渡せる場所に出る。

段差を利用した出っ張った感じの公園や、涼しげな木立の植え込みも目立つように。


「ここら辺りは、もう住宅街ね。もう少し行くと、メイグの滝が見えてくるわよ」

「へえ、近くで見たいですね」


シーナに観光がてら色々な話を聞きながら、二人はゆっくり木陰を歩いて行った。メイグの滝とは、遺跡群を通って流れる割と大きな滝で、この街では有名な観光地の一つらしい。

宿を出て10分以上経つが、周囲の様相は徐々に騒がしい商店街から閑静な住宅街へと様変わりしている。人通りもまばらになって、遺跡の落とす影もすぐ近くまで伸びて来ている。

静かな住宅街に、2人の足音が響く。


「もうすぐ見えてくるわ。あの階段を上がったところ」

「あれっ……わっ、サラ!」

「あら、本当だわ……お久し振りねサラ、お母さんはどこ?」


その階段は、木立と植え込みと様々な飾りで装飾された小道だった。最初の上り口に、針金とそれに沿って伸びたつる草でアーチが形作られており、見た目もいかにも楽しげだ。

リーメイムが感心して見入っていると、上着の裾を何かに引かれるいつもの気配が。慌てて見下ろすと、案の定足元の定位置にいつもの少女がいた。

シーナがはしゃいだ声を上げ、しゃがみ込んでサラと対峙しながら母親の所在を尋ねる。サラは無表情のままシーナの顔に触れ、目を細めると小さな公園の方を指差した。

どうやら針金のアーチは、公園の入り口を兼ねているらしい。


「公園にいるのね。じゃ、行きましょう、リーメイム」


シーナはサラを抱きかかえると、その小さな公園へとゆっくり歩き始める。サラは抱えられた姿勢のまま、リーメイムに不思議そうに視線を飛ばした。

何でここにいるの? と言う表情で。


「あら、シーナじゃないの。いつ戻ってきたの……?」


公園の出口から、赤ん坊を抱えたリーゼが出て来た。普通のエプロンドレスを着て、髪を後ろで束ねていても、リーゼの高貴な雰囲気は少しも損なわれていないようだ。

二人の女性は道の真ん中で、買い物帰りの主婦のようなシチュエーション。周囲に人気も無いのを良い事に、猛烈な勢いで世間話に興じ始める。

リーメイムの存在は、完全に置いてけぼりな様子。


「昨日の夕方に、この街に着いたんです。みんなにはもう会ったから、今日はリーゼのお宅に挨拶に伺おうと思って。彼を連れて来たんですけど、良かったかしら……?」

「もちろん、構わないわよ。預かり物の事で、この少年には話があったの。この大陸では珍しい古文書なのだけれど、シーナも見てみる?」

「それは見てみたいわ! もちろん赤ん坊も、見てみたいけど」


少女のようにはしゃぐシーナに、リーゼは姉のような態度で接している感じだ。仲は良さそうだけど、とリーメイムは内心思う。ベイクがあんなに恐れている奥さんに対して、こんなに普通に接してて良いのだろうか?

終始、腫れ物に触るような態度もどうかとも思うけど。


「そんなに赤ん坊が好きなら、自分で作ればいいじゃない? さっさと所帯を持ちなさいよ」

「そりゃあリーゼは、結婚して幸せな所帯を持てたから良いけれど。私達漂流の民は、元々結婚願望が希薄なのよ……知ってるクセに」


ため息混じりの、リーゼのからかう様な物言い。変な感じで話題に上った結婚話に、リーメイムは顔を赤らめうつむいてしまう。それに対して、シーナはむくれた顔をしてリーゼに反論。

不貞腐れたようなシーナの言葉に、少なからずショックを受けるリーメイム。漂流の民にそんな性癖があったとは、リーメイムはとんと知らなかった。

唖然として立ち尽くしながらも、新たな知識にパニくっている頭の中を整理しつつ。漂流の民についての基本的な事を何一つ、リーメイムは知らない事実にふと気付く。

後で色々、エイダにでも聞いてみなければ。


「ここで立ち話も何だから、家にいらっしゃいな。時間も良いし、お茶にしましょう」

「それじゃあ、お邪魔させて貰いますね。ところでサラ、なんだか機嫌が悪いみたい……」


サラを地面に下ろしながら、シーナがそう呟く。サラは母親にちらちらと飢えた眼差しを送っていたが、相変わらず何も言わずに不機嫌そうだった。


「最近いつもそうなの。赤ん坊のせいでかまって上げられないから、ベイクにばかり付いて行っちゃって……。お陰で少し、ガラが悪くなっちゃったわ」

「お姉さんも辛いわねぇ、サラ。ちゃんとしたお手伝いさん、まだ見つからないの?」

「まあ……ね。こればっかりは、ベイクには頼めないから。この大陸出身でない私には、しんどい作業なのよ……」


リーゼは諦めたような口調で、ため息混じりに歩き出した。シーナが笑い声を上げて、サラと手を繋いでそれに続く。サラはむくれた表情を少しだけ見せたが、大人しく従っている。

リーゼの愚痴も何となく分かるリーメイムは、大変なんだなぁと思わず同情してしまう。二人の女性の井戸端会議を耳にしながら、彼も後を追いかける。

田舎では同世代の遊び相手がいなかったので、いつも小さな子供達の面倒を見ていたリーメイム。確かに子供の世話は、凄くパワーを使う作業である。

あの子達は今、どうしてるだろう……。


二人の女性とサラの後に続きながら、郷愁の念に浸っていたリーメイム。それが突然、虚空からの強いプレッシャーを感じて痺れたように動きを止める。

物心ついた時から付き纏っている、例のアレだ……!


遠く、彼の視界の遥かに外の世界から、誰かが自分を見つめている。周期的に訪れるそのプレッシャーは、しかしいつもより遥かに強烈だった。

自分を欲するその存在が、まるですぐ近くまでその触手を伸ばしているような。


――ミツケタ……


視界が暗くなり、立っていられない程の圧力を両肩に感じる。思わず、その場に膝を付くリーメイム。女性達が一斉に振り向いて、驚いた風にリーメイムを見た。

心配そうな表情で、彼に声を掛ける。


――ミツケタ……!


「どうしたの、リーメイム。大丈夫……?」


リーメイムは持っていたシーナの差し入れ用のワイン瓶を、両腕で抱きかかえるようにして動きを止めていた。シーナが慌てて駆け寄って、リーメイムを覗き込む。

リーゼは赤ん坊を手にしたまま、緊張した顔立ちで全く別の方向を睨むように凝視していた。サラが母親のスカートを掴んで、何事かと母親を伺っている。

高まり続けるプレッシャー、それは強くなる一方だ。


――ミツケタ、ミツケタ……見付けた!!


シーナの気遣う声も、リーメイムには届いていなかった。ただ、警鐘のように同じ声が心の中に響く。見付けた……誰を? 見付けた! ……ボクの事?

リーゼがいつの間にかリーメイムの前に立ち、厳しい声を投げ掛けた。凛と響き渡るその声に、リーメイムの心に広がった暗黒の霧がすうっと音を立てて退いて行く。

まるで魔法のようだ、実際にそうだったのかも知れないが。


「二人とも、何をぼうっとしているのっ!? 空間が開きます! 敵意を持った何者かが、次元の隙間を通ってここに来ます……備えなさいっ!」


それは女王のような命令口調だった。有無を言わせぬ、従わせる力が言葉にこもっている。その言葉に後押しされるように、体がしゃきっとするのをリーメイムは感じて驚いた。

シーナが青ざめた顔をして、頭上を見上げている。つられて、リーメイムも上を見た。


「……これはっ?」


歪んだ空間を視認するのは、リーメイムにとって初めての事だった。辺境では良くある事だと聞いた気がするが、普通はこんな街中ではまず有り得ない。

その亀裂は決して大きくは無かった。……が、人が通り抜けるには充分な広さを持っている。


しかし、出て来たのは人ではなかった。翼を備えた人型の巨大な体躯、出来の悪い粘土細工のような、ごつごつした表皮。それは暗い灰色をしていて、威圧感を周囲に放っていた。

異空間の通路を潜り抜け、街並みの上空に飛び出たそれは、蝙蝠のような翼を広げて器用に滑空を始めた。威圧感はあるが生気の無いそれの、狙いはどう見てもこちらのようだ。

続いてもう一体、同じタイプが出現。


「ガーゴイルだわ。土塊で出来た魔法生物ね……なかなかの強敵よ」


シーナが上空を睨み据えたまま、隣でそう呟く。リーメイムも思わず顔色を変えた。あの怪物は、間違い無くボクを狙っている……でも、どうすればっ!?


「シーナ、その少年を頼みます」


リーゼはそう言って、赤ん坊を抱えたままの姿勢で大気を操り始めた。片手で撫ぜる様に空中に紋様を描き、神経を集中している。その傍らでは、サラがじっと母親の姿を見つめていた。無表情に、しかし信頼を瞳に称えて。

二体のガーゴイルは、空中で目標をしっかり確認したようだった。リーメイム目掛けて、二体続けて急降下の素振り。その太い腕で掴みかかろうとして来る。

シーナがとっさにリーメイムを庇い、最初の襲撃は何とかかわす事に成功した。反対側からのアタックは、彼女の魔法の防壁が遮った。巨体の敵は敢え無く進路を変更する。

進路を急変した翼を有するゴーレムは、木立に突っ込み、人の腰ほどある幹をへし折った。


「魔法も、余りもたないわ……どうすればっ?」

「うわっ……!」


リーメイムの目の前に、轟音と共に何かの塊が落ちて来た。三体目のガーゴイルの上半身だ。上に目をやると、空間の揺らぎは消えかかっていた。

リーゼの魔法が、打ち消した結果らしい。


「貴方達、孤立してしまった様ね……ま、何を言っても無駄でしょうけど。創造主の命令のみを聞き、それを実行する……そうだったわね、シーナ?」

「その通りです……しかしこの大陸に、ここまでの数を操る技術を持った魔術師がいるかどうか」

「詮索は後にして、さっさと片付けてしまいましょう。シーナ、預かってて頂戴」


ゆっくりとした歩調で、二人に近付いて来たリーゼ親子。赤ん坊をシーナに手渡すと、リーゼはキッと敵を睨み据え、両手に魔力を集中させる。

リーゼの得意呪文、いかずちとカマイタチの二重奏が空中を舞った。


両方の手のひらに生まれた深い青色の球体から、雷の柱が天に向かって伸びて行く。それに挑発されるように、二体のガーゴイルが突っ込んで来た。猛然と、別々の方向から。

最初の一撃で、呆気なく勝負は決まっていた。頭上から振りかかって来た雷に翼を打たれ、飛行能力を奪われた二体は、地面に届く前にかまいたちで粉々にされてしまう。

力の差は歴然、敵が哀れに思える程。


「凄いや……一瞬で二体ともっ!?」


あっけにとられて振り向くと、サラが飛びあがって母親の胸に顔をうずめていた。嬉しそうに、自慢の母親に甘えている姿は、いつもと違って歳相応に見える。

リーメイムは体の力を抜きながら、呆けたようにその光景を見ていた。


「これが“風の姫巫女”の力です……今は、ただの主婦ですけど」


サラを胸に抱いて微笑んだまま、リーゼが力強くそう言った。彼女の周囲に渦巻いていた風が、ようやく静かに収まって行く。不意に、赤ん坊が盛大に泣き出した。

シーナが困り顔であやしているが、効果があがった様子は無い。リーゼはサラを地面に下ろして、赤ん坊を胸に抱え直すと、優しい笑顔であやし始める。

母親の体温を感じて、赤ん坊の泣き声は次第に小さくなって行く。


「ごめんなさい、役に立たなくって……」

「いいのよ、貴方にはまだコツが分かっていないだけ。魔法も、子育てもね……今日はこのまま木鎚亭に行きましょうか、旦那に報告も出来ちゃったし」


シーナは立ち上がって頷くと、リーメイムに振り返って行動を促す。リーメイムはと言えば、リーゼの後姿とサラの悲しそうな表情を見ていた。サラは彼が今まで見た事のない、泣き出しそうな表情を浮かべていた。

子供特有の嫉妬心が、そこに存在していた。まだ赤ん坊の弟に、自分の大切な場所を取られたと感じ、サラは傷つき悔しそうな顔で必死に我慢している。


リーメイムには兄弟はいなかったが、その気持ちは何となく理解出来た。リーゼの魔法で荒れ果てた公園を後にしながら、リーメイムはサラの、母親への愛情の深さを実感した。

サラがいつも、家をこっそりと抜け出す理由。それは赤ん坊の弟ばかり構う母親を、嫌いになりたくないからではないだろうか……?


リーゼを先頭に、一行は緩やかな坂を下って行く。元気の無いサラを、何とかして励ましてあげたい。リーメイムはそう思って、隣りを歩くサラにそっと声をかけた。

ご機嫌取りと思われないよう、さり気なさを装いつつ。


「サラ、抱っこしてあげようか……?」


サラは無表情に目を眇めると、急に素早い動きを見せ、リーメイムの向こう脛を思い切り蹴っ飛ばした。驚きと痛みで飛び出しそうな悲鳴を何とか喉の奥に押し込み、二人の女性に気付かれないよう、リーメイムはその場で片足とびで跳ね回る。

何となくすっきりした表情で、それを見つめるサラ。


余計なお世話だったみたいだ……眼の端に涙を浮かべ、これからは絶対サラに気を許すまいと決意しつつ、ナイスキックと取り敢えず口にする。





――男の面目を保つのも、結構大変だ……。




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