不幸せな依頼人
――過去において、その惑星に住まう人類は重大な存亡の危機に立たされた。天から災害が降って来るという、由々しき事態が発生したのだ。時の権力者達は、あらゆる技術者グループに防御のための装置を作るよう命令した。
やがて技術者グループの1つが、短時間で天を覆う巨大な防御フィールド装置を開発した。それは見事に役目を果たしたが、災厄を祓う手助けには後一歩及ばなかった。それでも、彼等を責めるのは余りに酷であろう。
それはちゃんと正常に作動し、人類を滅亡の危機から救ったのだから。
テストプレイも行わず、ぶっつけ本番で使用したその災厄除去装置は、やがて重大な歪みを発生させた。ぶっちゃけて言えば、その装置は強力すぎたのだ。
結果、空間は崩壊した。
大陸は幾重にも分断され、繋がりを失ったそれぞれの地は、空間を漂う孤島のような存在に成り果てた。流島にすがりついていた人類は、異空間とのデタラメな交信により、多様に進化し、または滅びていった。
閉ざされた空間は、しかし、生き延びた人々にとってのたった一つの楽園となった。
そこでは、新たな環境に適した新しい文明が発達し、やがて独自の生活圏を形成した民俗が、いくつも生まれて派生して行った。過酷な生存競争は、最大の危機を超えても人類には切り離せない命題らしい。
地面が球形から成るという俗説や、星と宇宙が存在すると言う伝説は、隔絶された世界ではやがて誰も信用しなくなって行った。幾多の大陸が、空間に漂流する時代がやって来たのだ。
川の流れや風の道が、何処から来て何処へ行くのか、誰にも答える事が出来ない時代となった。ただ知っているのは、大陸の端は何もない場所であり、近寄り過ぎると危険だという事のみである。
実際、人や建物が消えるなど、この世界では日常茶飯事だった。
技術者グループの末裔は、もちろんこの事態を収束しようと試みた。しかし、長い時間をかけて空間を行き来する装置を作っても、文明のかけ離れた異種族と遭遇する事態を招くだけの有り様だった。
確実に同胞と呼べるのは、もはや閉ざされた空間内の民しか存在せず。空間と空間が交差するごとに、数々の争いや侵略が起こるようになって来た。
あらゆる空間を封鎖する事は、もはや不可能に近くなっていた。しかもそれは、種としての衰退を意味する事でもあると、彼等は悟った。
自らの手で閉ざしてしまった天に向かって祈るしか、もはや人々には出来る事は無かった。寸断されて、天との交わりをも断ったこの世界を、後の人々はハイブワールド――
蜂の巣世界、と呼んだとか呼ばなかったとか……。
城の中は蜂の巣をつついたような騒ぎで、それがソータエルの城下街にも漂ってきていた。城の建物の一部が、今や砂埃を上げて崩れ落ちており、兵士達の怒号と慌てふためいて動き回る物音が聞こえてきた。
騒がしい街だな、とリーメイムは心ならずも思った。昼過ぎ、つまりはつい先程、彼はこの街の西の門から中に入って、真直ぐ城の前まで歩いて来たばかりだった。
彼はこのラッガ=リーセント城に、正確には中にいるはずの人物に用があった。さほど迷わず辿り着いた先に、この破壊騒ぎである。その騒ぎの原因が分からず、彼はまごついた。
それとも、大陸一の城下街はいつもこんなに騒がしいのかしらん。
この浮遊大陸は、ヤンダー大陸と呼ばれており、ソータエルの街はその中で最大の面積と人口を誇る、言わば首都でもあった。ラッガ=リーセント城を街の中心に備え、過去において幾度もの侵略戦争に耐えて来た歴史を持っている。
そんな背景からだろうか。街の住民は騒然とした雰囲気の中、どこか投げやりな、あぁまたかという態度で見物を決め込んでいた。中には露骨に悪態をつく者もおり、それは主に、追加税の心配や、自分へのとばっちりを気に病む声だった。
リーメイムは旅で多少薄汚れた服のほこりを払い、仕方がなしに周りで同じように足を止めている人に質問をする事にした。おのぼりさんだと思われなければ良いけどと思いつつ、取り敢えず控えめに。
目を付けたのは、隣で腕組みをしている太った職人だった。遠慮がちに、崩れかかった建物を指差して質問を投げ掛ける。太ってはいたが筋肉も立派なその男は、大袈裟にため息をついて、それでも丁寧に説明をしてくれた。
「あのぅ……何の騒ぎですか、お城のあれ?」
「あぁ、最近はいつもこんな有り様だよ。英雄様が城に仕えてから、貴族の悪ガキ共が騒々しくてね。敵わないんだから、止めときゃいいのに。お陰であのざまだよ……」
「はぁ、やっぱり英雄様はお城の中ですか……」
説明というよりは愚痴に近いそれを聞き流し、リーメイムは的外れな感想を漏らした。彼としては、一刻も早く白銀の英雄として名高いその人物と接触をはかりたかったのだ。
例えそれが、身の程知らずの難しい事柄であったとしてもだ。一大決心して田舎から出て来た以上、何かしらの取っ掛かりだけでも欲しいと切に思う。
まずは一歩、願いを聞いてもらえるか否かはその次だ。
「何だお嬢ちゃん、英雄様に会ってみたいのかね? 物好きだねぇ、止めておいた方がいいと思うけどな。彼は妻子持ちだし、何より……」
「…………ボクは男です」
「ああ、そりゃ……まあ」
リーメイムは深呼吸しつつも、ハッキリと聞こえるように、一語一語区切りながら口にした。太った男は、リーメイムの言葉に笑いながら頷き、それから驚いて彼をまじまじと見た。
改めての覗き込むような観察で、相手の男はリーメイムに睨まれているのに気付いた。引きつるような顔をして、慌てて目を反らして口を噤むがもう遅い。
男は体裁悪げに周囲を見回すが、こちらを気にする者はいないようだ。
リーメイムは、自分の容姿にかなりコンプレックスを持っていた。十五歳とまだ若く、発育も背丈も普通だが、顔の造型は人並み以上に整っている。見事な赤毛と緑黄色の瞳……唯一つ問題なのは、よく女の子に間違われる事。
声変わりもまだ済ませていないのが、問題を助長しているのかも。
太った職人は、彼を知らずに傷つけたことを悟り、言葉少なにお茶を濁そうとした。人の群れはそろそろ自然に解散を始めており、太った職人も思い出したように自分の仕事の事を口にする。
それはもう、足早に去って行く口実の為に。
ようやく日常の賑やかさを取り戻した、ソータエルの街並み。昼下がりの日の光を立派な街道いっぱいに受け、いつものように喧騒を漂わせて動き始める。
リーメイムは、旅行用の大きなリュックを背に担ぎ直す。それから自分を何とか鼓舞すると、大通りの人の流れにまぎれて、目的地へ向かってとぼとぼと歩き出した。
先ほどの会話から得た、心細いヒントを元に。
別れ際に男が教えてくれた、白銀の英雄の居場所の心当たりと言うのは、城下街より更に下の、文字通り下町という、労働者階級の住んでいる街だった。
英雄は元々この下町の出身で、住居も下町の外れにあるらしい。英雄様が下町出身と言うのは、リーメイムにとっては意外だった。イメージ的に、余りそぐわない気がする。
彼の持っている数少ない情報には、偉大な国の救世主と言うモノしか無いのだが。
そもそもソータエルの街は、構造的に物凄くへんてこな造りだった。つまりは、1キロ近い高さの断崖の上下に、街並みが完全に分断されているのだ。断崖の上にはラッガ=リーセント城を抱く上品な町並みが存在し、下方には下町と呼ばれる、労働者達のゴミゴミした街が無秩序に広がっている。
その上下を隔てる長大な崖は、ただの崖かと言うとそうでは無かった。急な斜面の断崖は、鉄骨やコンクリートからなる過去の遺跡が入り乱れて乱立していた。
そこは不便の無いよう、人々の手によって上下を行き来する道が幾つか備えられていた。
この過去の遺跡には、住居や店舗などは全く見当たらない。だが中にある様々な遺留品や鉄骨などを掘り出す作業は、毎日のように続けられていた。
このヤンダー大陸を支配しているのは、光の民と言う、一説によれば世界の分断をもたらした技術者グループの末裔らしいのだが。それでも、年の推移による技術の衰退は否めなかった。
今の技術は精々、街灯をともしたり、街の上下を繋ぐトロッコを動かす動力を確保したりする程度で、それでも技術者の数は絶対的に足りないという話である。
それでもそれは、リーメイムの住んでいた田舎では、まず見られない光景だった。複雑なつくりの、その遺跡を通る道を、彼は案内版に従って物珍し気に下っていった。
時折迷いそうになったり、作業場を見物したりしていると、気が付くと既に夕方近くに。
遺跡の道を完全に下りきって、リーメイムは改めて今来た道を見上げてみた。圧倒的な質量を誇る、自分の身に覆いかかって来そうな巨大な影。
無機質な質量を見せる、巨大な断崖に埋もれた過去の遺跡群。それに群がり、掘り起こす作業を黙々とこなす労働者の人々。その作業音は、ここにいても騒々しい程に聞こえて来る。
かなり上方に、ラッガ=リーセント城が小さく見えた。
巨大な遺跡は夕日に照らされ、くっきりと陰影を地面に刻ませていた。リーメイムはその闇が、自分の気持ちにも影を落とさない内に、くるりと振り返って歩き出す。
そう言えば、まだ今夜泊まる宿も決めていない。上の街の宿よりは、こちらの方が多分安いだろうと思うけど。その分、治安とか清潔感とかはどうなんだろう?
リーメイムは多少不安になりながら、目的地へと向かい始める。上でやったのと同じ手を使って、つまりは人に道を訪ねながら問題の場所へと歩を進める。
ごちゃごちゃとした街並みは、まるで迷路のようにリーメイムの前に拡がっていた。
その古めかしい看板には『木鎚亭』と大きく書かれていた。下町の中央部、レネ河の側にある比較的大きな建物だ。ごちゃごちゃした街中の大通りに面しており、リーメイムが辿り着くのにそれほど時間は掛からなかった。
下町の人々にとって、白銀の英雄の名はかなりの知名度を持っているのは確かだった。ただ、人々の反応の微妙さが、リーメイムには気になって仕方がなかった。
それはどう控えめに受け取っても、この街の誇りというより、近所の知り合いのあんちゃんの話題にしか聞こえなかったから。
下町の人々の気風というのが、どうやらそういうモノなのだと、しばらく経ってリーメイムは思い当たった。ざっくらばんで、気のいい性格の人が多い。親切だがお節介焼きなのだと、リーメイムは判断を下した。
あるオバサンなど、会わずにこのまま帰った方が良いと、本気で心配そうに助言をしてくれた。
リーメイムが田舎で聞いた話では、白銀の英雄は、過去二度に渡って侵略者からソータエルの街を守り抜いた実績を持っていた。つまりは、人々の賞賛を得るに相応しい人物た。
その後美しい妻を娶り、王様から称号を得て、今ではヤンダー大陸の守護者とまで讃えられているヒーローである。知名度だけでも、大陸でも1、2を争う筈である。
それを会わずに帰った方が良いなどと……。
とにかく、と意を決してリーメイムは『木鎚亭』に足を踏み入れた。大きめの木製の扉をくぐると、そこは小さなホールになっており、無人の受付が目の前にあった。
右の廊下の突き当たりに上へ昇る階段があって、反対の左側からは、賑やかな話し声が聞こえて来る。地下は居酒屋になっており、そこが白銀の英雄の行き付けの飲み屋だと、リーメイムは聞いていた。
受付には小さな呼び鈴が設えてあり、リーメイムは取り敢えず宿を取るつもりで、それを押してみた。ホールからは、賑やかな酒場の一部を見下ろすことが出来る。客の入りはまずまずなのが、そこから見て取れた。
十秒も経たない内に、エプロン姿の少女が階段を昇って来た。焦茶色の髪を腰まで伸ばして、日焼けした顔にソバカスの目立つ十八歳位の少女だった。
忙しそうな印象に、リーメイムは多少気後れしてしまう。
「あら、こんばんは……何の用?」
「あの、ここは宿屋なんでしょ?」
「あぁ、お客さんなの……でもあなた、幾つなの? 男の子……よね?」
「ボクは男で、今年で十五です。別に家出して来たわけでも、何でもありませんから」
訝しげな少女の口調に、リーメイムはムキになってそう言った。少女の顔立ちはややきつく、仕草からは活発そうな性格が漂って来る。少女は尚も品定めするように、リーメイムを見つめている。
少女の質問に、リーメイムは実際驚いていた。宿屋で部屋を取ろうと思ったところに、少女に何の用などと問われたものだから。そんなに客が珍しいのだろうか、まぁ宿が流行っている風にも見えないが。
それとも、余程自分が不審者に見えたとか?
少女はため息をついて、それからようやく宿帳らしき物を取り出した。こちらに向けられた帳面に、リーメイムは大人しくサインをする。言い渡された額の前金を払うと、少女は髪の毛を掻きあげながら、にっこりと微笑んだ。
この少女は笑うと、険が取れるなとリーメイムは思う。
「ふうん、リーメイムか……あなた女の子みたいな名前ね? この街へは何をしに? 職を探してるなら、幾らでも紹介してあげられるわよ?」
地下の飲み屋は、思ったより繁盛しているようだった。考えてみれば、閉ざされた世界であるこの大陸では、収穫期や何かのイベントの時くらいしか宿屋が繁盛する事は無いのだろう。
この『木鎚亭』でも、メインの営業はこの居酒屋のようである。
怒りの金縛りからようやく脱出したリーメイムは、荷物を部屋に置き、衣服を多少整えてから地下へ降りて来た。周りを見渡すと、食事をしている者もちらほらいて、リーメイムは安堵した。
カウンターへ近付き、夕食のメニューを拝見する。
先程の少女は、忙しそうに厨房とテーブルを行ったり来たりしていた。カウンターには樽腹のヒゲ親父がいて、ビールを注いだり、出来上がりのつまみを出したりしている。
カウンターに腰を下ろすと、リーメイムは急いで夕食を平らげ始めた。ヒゲ親父は愛想のかけらもなく、食事代を払うとリーメイムはさっさと席を立って周囲を見回した。
とにかく、目的の人物を探してしまわないと。
「もう部屋へ帰っちゃうの? 何なら、親父に内緒でエールでもどう?」
突然背後から話し掛けられて、リーメイムはびくっと肩を震わせた。振り返ると、先程のソバカス娘が、料理を両手に持って悪戯な微笑みを見せている。
そうすると、カウンターの中の人物は、彼女の父親らしい。
「えぇと……人を探しているんだ。白銀の英雄、ベイク・エッフィートって人を。ここが彼の、行き付けの酒屋だって聞いたんだけど」
「ベイクならその向こうよ。ほら、バカ騒ぎやってる連中がいるでしょ? 何か貴族のバカ息子と決闘して、またクビになったとか!」
ソバカス娘があごで指した方向を、リーメイムは不吉な思いで見遣った。食事の最中、何度かうるさいな、近付かないでおこう、などと思って気にしていた集団だったから。
簡単に答えを貰う事には成功したが、それは望んでいたモノとは完全に逆の結果に。その騒ぎの中心の若い男達は、リーメイムから見たらまるで山賊の集団のよう。
英雄がクビになったと言う情報は、リーメイムの理解を完全に超えていた。彼はこれもスルッと聞き流す事にして、一応心の平静を保つ事に成功する。
都会は本当に、色々な事が起こる……。
「一緒においでよ、リーメイム君。紹介したげるわ、無駄だと思うけど」
「無駄って……まだ、紹介すらされてないんですけど?」
不安そうなリーメイムに楽しそうに笑い掛けて、ソバカス娘は彼を引き連れて、酔っ払いの一団に近付いて行った。彼の挫けそうな意志など、全くおかまいナシに。
騒ぎの一団は、主として自慢話をしている酔っ払いと、それを聞いている酔っ払いの二つに分別出来た。だから同じテーブルにいて、黙々とナイフで彫刻をしているハンサムな若者は、ある意味とても目立っていた。
リーメイムは、彼が白銀の英雄に違いないと直感で理解した。少し若いが、何よりイメージ通りだ。
線の細い感じを受ける、色白で神経質そうなその若者は、耳をつんざく騒ぎの中でも一人冷静に見えた。几帳面な性格なのか、彫刻の削りカスが散らばらないよう、テーブルに布を広げて黙々と作業をしている。
長く伸ばした黒髪と髭は丁寧に整えられており、服装も小ぎれいな程だ。
「ほい、ケイリー。食べるのに集中しないと、削りカス、スープに入っちゃうよ?」
「……あの、この人じゃないの?」
温かいスープ皿を手渡す少女に、リーメイムは呆然として尋ねる。ケイリーと呼ばれた若者は、ちらりと興味無さそうに二人を見遣った後、やはり黙々と食事を始めた。
心の中で舌打ちして、リーメイムは自分の失敗をなじった。うん、こんな根暗そうな人である筈がない。じゃあ、あの人だ。体格が良くって、爽やかそうな感じの若者。
その若者も、ケイリーと呼ばれた男と似たような歳に見えた。二十歳代の中程くらいで、肩幅が広く、おまけに筋肉質だ。鮮やかな金髪の若者は、大きなジョッキを手にしながら話に興じていたが、歯切れの良い、からっとした性格が口調に出ていた。
陽気でいて、どこか子供っぽい仕草が好印象な感じを与える。
「オットー、前ごめん」
ソバカス娘が、リーメイムが目をつけた若者越しに、スープ皿を奥のテーブルへと預け置いた。途端にオットーと呼ばれた若者は、突き出た格好になる少女の腰の辺りを、好色そうな目で覗き込む。
酔っ払いがよくやる、デヘヘーッという目付きだ。
この人でもない。絶対に、ない。第一名前が違う。リーメイムは立ち眩みを覚えながらも、何とか最後の線で踏ん張ろうとした。ふと、テーブルの奥にいる男と目があった。
その男は、見事な銀髪を長く伸ばした、野性的な顔だちの、酔っ払いだった。左目のあたりに目立つ傷があり、見事な造りの長剣を小脇に携えている。
先程から下品な話でその場を盛り上げており、酒のペースも異常に早い。
「おい、エイダ、エイダちゃん。そこに突っ立って、ホケーッとこっちを見ている、それは何だ、と言うより誰だ?」
「ああ、ベイク、紹介するわ。彼はリーメイム君、あなたに用があるんだって。断っておくけど、一応男の子だし、未成年だから変な事しちゃ、ダメよ?」
リーメイムは、一瞬の虚脱感から素早く立ち直って、ペコリとおじぎをした。まあ、英雄様だって、お酒くらい飲むだろうし、今日仕事をクビになったという話だし。
しかし、英雄様を退職させるとは、王宮は一体どういう危機管理体制なのだろう?
リーメイムは、頭の中で色々考えながら、緊張して話し始めた。エイダと呼ばれていた宿屋の娘は、すでに仕事に戻っていたし、酔っ払いの集団が、一斉にこちらを見てもいたし。
急にのどの乾きを、リーメイムは覚えた。何か飲みたい。
「あ、あの、ボク田舎から出て来て、今日この街に着いたたばかりで……。それと言うのも、白銀の英雄様にお願いがあって、そのう……」
「分かった、皆まで言うな……お前、不幸だろうっ?」
手前の席でマイペースに食事をしていたケイリーが、いきなりむせて慌ててコップに手を伸ばした。オットーは無責任に笑いだし、リーメイムも強引にそんな事を決めつけられて、唖然とし、次いで陶酔した。
さすがは、英雄だ。ボクの一言でそこまで分かって下さるなんて……!
「この俺に、幸福になる方法を教わりに来たんだな? それならば教えよう。飲め! 飲んで全て忘れてしまえっ!」
「…………!」
それは既に、酔っ払いの理論であった。それでもリーメイムは英雄様の言葉に感激し、言われるままにオットーに勧められた飲み慣れない液体を口に運び始めた。
自分がその後、何を話したのか、それとも話さなかったのか、リーメイムは目を覚ました後も良く覚えていなかった。酒を飲んだのは、実はこれが初めてだった彼は、酔っ払ったのももちろん人生初だったのだ。
旅の疲れも手伝って、ほんの数口で、彼の意識は灰色の忘却の沼地へと落ちて行った。
酔いは一気に回っていったので、朝目が覚めた時、なぜ自分が見知らぬ部屋にいるのか、全く思い出せなかった。前後不覚のまま、朝日の射す小綺麗な部屋のベットで、しばらくボーっと佇んでみる。
ただ一つ、頭の中にこびり付いて離れない、鮮烈な言葉が記憶に残っていた。昨日の酒は残っていなかったが、その言葉がほろ苦い感触を、鮮明に脳裏に焼きつけていた。
「ボクは不幸だ……」
思わず口走って、リーメイムは改めてため息をつく。それは彼が、ソータエルの街に辿り着いての、初めての朝の出来事であった……。
廊下の端にあった、備え付けの洗面用具で顔を洗い、リーメイムはゆっくりと身支度を整えた。今が何時頃か分からないが、窓から覗いた街の雰囲気では、人々がようやく活動を始めた時刻のようだ。
差し当たって用事のないリーメイムだが、取り敢えず部屋から出てみる事に。
食堂に人気がなければ、彼は自分の部屋でもう少し時間を潰すつもりだった。食堂と言っても、昨日リーメイムが夕食を食べた地下の酒場の事である。だがそこには客の一人もおらず、ひっそりと静まり返っていた。
昨夜の喧騒が、夢か幻のよう。
「あら、おはよう、リーメイム君。早いのね、調子はどう?」
後ろから声をかけられ、リーメイムはびっくりして振り返った。声の主は、分かってはいたがエイダだった。昨日と違うエプロンを身に着け、髪型も少しいじっているようだ。
年頃の女の子に相応しい、不必要に明るい雰囲気を放っている。
「あ、ああ、おはよう。目が覚めちゃったから。起きて来るの早過ぎたかな?」
「感心な事じゃない。昨日の酔いは残ってないようね。朝食持って来るから、テーブルに着いて待ってて頂戴」
リーメイムは朝食よりも、昨日彼が酔っぱらって意識を失った後の事を知りたかったのだが。幸い、今は彼一人しか客の姿は見えず、そもそも彼しか泊まり客はいないのかも知れないが。
聞くなら今しかないと、リーメイムは咄嗟に質問を口にした。
「あ、あの……昨日の事なんだけと、ボクあんまり良く覚えてなくて。英雄様に、失礼な事しなかったかな?」
「ベイクなら、上でまだ酔い潰れて寝てるわよ? ぶっ倒れたあなたを部屋まで運んだのは、ケイリーだけど。ほとんど話す時間無かったみたいだけど、彼がどんな人物か少しは分かった?」
全く覚えていないなど、リーメイムは白状するつもりはなかった。どのみち、酔っぱらった時の性格などあてにはならない。つまりは、彼の中での英雄像はほとんど揺るぎもしていなかった。
ほんの少し、一抹の不安はあったものの……。
エイダに給仕されて朝食を食べ終わると、本当にする事がなくなった。リーメイムは、今晩の宿も同じ部屋を取って貰うと、近所の散歩をするつもりで宿を出た。
外は良い天気だった。晴々とした早朝の空気と、乾いた地面のたてる音。リーメイムは、少し良い気分になって軽快に歩き出す。人の発する騒然とした雰囲気が、大通りから漂って来ていた。
どうやら朝市が立っているらしい。彼は何気なく、そちらに足を向けた。
レネ河のゆったりとした流れに沿って、朝市は雑然と並んでいた。人々は忙しそうに荷を持って歩いたり、足を止めて店主と話し込み、品物を買い込んだりしていた。
気の早い店は、もう店を畳む支度に追われていた。朝市のピークはもう去ったのだと、リーメイムはそれを見て判断した。それでも人混みはまるで一つの生き物のようで、リーメイムはその中に入って行くのを躊躇われた。
道の端を歩きながら、店の売り物を何となく眺めてみる。屋台に並んだ売れ残りを、懸命にさばこうとしている果物屋の親父。残り少ない商品を、捨て値で売りに出す魚屋の主人。喧騒はひっきりなしに、通りを流れて行く。
少し離れたところでは、小船が桟橋に所狭しと並んでいた。下流の町やら集落から荷物を運んで来たらしく、忙しそうに荷物の積み下ろしが行われている。
どんな荷物を運んで来たのか、リーメイムは途端に興味を持った。もう少し近くで見てみよう。
歩き出そうとするリーメイムの足を止める障害物が、不意に彼の目の端に映った。ふと、上着の裾が何かに引かれる気配がして、リーメイムは視線を落とす。
それは人影のようで、小さな子供のように見えた。
「ん……?」
足元に目をやって詳しく確認すると、小さな女の子が彼の服を掴んだまま、無表情に突っ立っていた。通りの反対を丸くて大きな瞳でジッと見つめており、リーメイムの視線を感じたのか一度だけチラッとその小さな目が上を向く。
迷子か何かだろうか、とリーメイムは一瞬不安になった。自分もこの街の事情には全く詳しくないし、この混雑した通りの有り様では親を捜すのにも一苦労だろう。
少女は見事なシルバーブロンドで、無地なありきたりのワンピースを着ていた。今は一人になった不安のためか無表情だが、大きな瞳と整った顔立ちは、人形のように可愛かった。
四歳かそこらだろう、とリーメイムは見当をつける。
「お嬢ちゃん、その……お父さんかお母さんと、はぐれちゃったのかな?」
リーメイムは出来るだけ優しい声で、少女に向かってそう尋ねた。少女は全くの無反応で、その表情からは何も読み取れそうになかった。ただ、小さな手は、相変わらずリーメイムの上着の裾を持ったまま、離そうとしない。
リーメイムがこめかみに汗を浮かべて、もう一度少女に語り掛けようとした時、それは起こった。少女がリーメイムの右の脛に、その小さな体からは想像も出来ない強烈な蹴りを放ったのだ。
それに合わせて、上着の裾を思いッ切り引かれる。
リーメイムは突然の襲撃に、何の構えも出来ていなかった。痛烈な急所への痛みと下から引かれる思わぬ力に、思わず前のめりに倒れ込みそうになる。
涙さえ湛えたリーメイムの瞳に、自分の肩先を掠めるように飛んで行く、鈍く光るモノが映った。リーメイムは驚き、一瞬痛みを忘れてそちらを見つめた。
その飛来物は、ナイフのようだった。
それは近くの建物の柱に、奇妙な音をたてて突き刺さった。それと間をおかずに、離れた場所で誰かの短い悲鳴があがる。続いて、威嚇するような怒声が辺りに響き渡った。
リーメイムは痛烈な足の痛みと、何者かに狙われたのだと言う恐怖も忘れ、振り返ってその光景を呆然と見つめていた。ちょっと悲惨な寸劇のような、一連の出来事。
その渦中に自分がいると言う実感が、リーメイムに全く無いままにそれは終わった。
彼を狙ったと思われるその何者かは、既に数人の無関係な通行人の手によって、タコ殴りの目にあってノビていた。彼等はいかにもな肉体を誇示し、仕事前に良い運動をしたとばかりの様子。
互いに笑い合って、喧嘩に刃物とは何ごとかと憤慨している様子を見せている。
リーメイムは、ふと散歩に出る前にエイダに忠告された言葉を思い出した。内容は、至って簡潔なモノだったが。つまりは、下町の男は喧嘩っ早いから十分気をつけろ、みたいな。
たちの悪い悪党に襲われる心配は、治安の悪い区域なら常にある訳だが。まさか赤の他人の小っちゃな子供に助けられるとは、想像もしていなかったリーメイム。
都会ってやっぱり恐いと、彼は改めて思い至った。
「お嬢さん、不届き者は退治しましたから!」
「ついでに、近くの番所に放り込んでくるから!」
「大丈夫ですか。家まで送りましょうか?」
比較的若いあんちゃん達に声を掛けられ、リーメイムは毒気を抜かれて呆然と返答するのが精一杯だった。少女に蹴られた箇所を摩りながら、女の子に間違われたことも忘れ、曖昧な返事をかわす。
彼の命を救った小さな女の子は、相変わらずリーメイムの上着の端を掴んだままの状態。下町のあんちゃん達も、この子供の事にはまるで触れる様子は無し。
視線を送るリーメイムだが、少女は何事もなかったように無表情に徹していた。
「何だったんだろ……」
男達が、ぼろ雑巾のように成り果てた襲撃者を担ぎ去った後、リーメイムはようやく感想を口にする事が出来た。襲撃者の顔に見覚えは無かったが、かなり顔の形が変わっていたようなので、はっきりとした事は分からなかった。
下町って、こんなに恐い所なんだと、改めてリーメイムは思い至る。彼が十五年かけて培ってきた常識が、まるで通用しない。リーメイムは心細くなって、隣に立つ少女にすがりつくような視線を送った。
少女は彼の事を、まるで気にせずに突っ立ったまんまだ。
その少女が不意に振り返り、リーメイムもびっくりする程の速さで走り出した。リーメイムは未だにしゃがみ込んだ状態だったが、新たな驚異に身構えようと立ち上がる。
少女は驚く程のジャンプ力で、通行人の腰に飛びつき、スルスルと登りはじめた。飛びつかれた若者は、驚く風でもなく少女を抱きかかえてこちらに歩いて来る。
何事にも動じない感じで、悠然とした足取りで。
「早朝からひと騒動があった様だな、フム。俺様の下町で騒ぎを起こすとは、まことにけしからん。ところでサラ、このお嬢ちゃんとは知り合いか何かか?」
「ボクは、男ですってば!」
少女を抱いて近付いてきたのは、昨日出会ったばかりの白銀の英雄、ベイク・エッフィートだった。どうやら親子らしく、サラと呼ばれた少女は収まりよくベイクの腕の中にいる。
確かに、とリーメイムは思う。見事な銀色の髪と人を食った態度は、全くもってそっくりだ。
そんな事より、そんな事より……。
例えようのない怒りと惨めさで、思ったより大きな声が出た。泣き出しそうな程、気持ちがぐちゃぐちゃで、先ほど命を狙われた事が今になって恐怖心をうずかせている。
リーメイムは何をどう説明して良いのか、全く分からなくなってしまった。その結果として、取り敢えず目の前の男に無関係を承知で当り散らす事にする。
理不尽を承知で、感情の赴くままに。
「酷いですよ、あなたって人はっ! 昨日ボクにあんな事を言った癖に……。あなたには責任感てモノが無いんですかっ?」
うら若き、美麗な容貌の少年に頭ごなしに怒鳴られて、ベイクはさすがに体裁が悪いと思ったのだろう。辺りを見回し、リーメイムの肩を軽くポンとたたく。
親子で彼を見下ろしつつ、怒らせた原因を探している風でもあるのだが。
「うむっ、どこかで会ったか?」
「昨日、酒場で会ったじゃないですかっ! ボクの事、不幸だって笑ってた癖に!」
ベイクは神妙な顔付きになって、腕の中の我が子と顔を見合わせた。まるで、ここには親子しかいないとでも言うような雰囲気。肝心のリーメイムを完全無視の体で。
リーメイムは、その空気を断つべく睨み据えた眼力を緩めない。
「サラ、お前……お母さんのとこから逃げて来たのか?」
「話をそらさないで下さいっ! あなたは、仮にも英雄様でしょっ?」
リーメイムは、声を荒らげて言いつのる。ボクってこんなに怒りっぽかったっけ、などと頭の隅で呟きながら。それでも、リーメイムは感情の暴走を止められなかった。
ベイクはさすがにたじたじっとなって、涙目の少年を宥めに掛かる。と言うより、彼流の理論をぶちまける。リーメイムが泣こうがわめこうが、彼はあまり気にしていないようだった。
彼は基本的に、男に対しては非常に冷たい。
「大声で何を言うっ……大体お前、命を助けてくれた相手に礼の一つも無いとは礼儀知らずだなっ! 町中でいきなりナイフを投げて来る知り合いのいる奴に、可愛いサラの遊び相手は相応しくない!」
「えっ……あっ、それもそうですよね。あ、あの、さっきはありがとう。その、痛かったけど。でもナイフが刺さったら、痛いどころじゃ済まないよね、あははっ……」
リーメイムはベイクの反論に多少混乱し、サラと呼ばれた少女に語り掛けた。確かにそう言えば、騒乱に気を取られて、先程のお礼もまだ言っていなかった。
さすがにこんな子供でも、英雄の血を引き継いでいるのだ、とリーメイムは改めて感動した。こちらの急所への配慮は疎かだったが、体格差を埋めるのには仕方の無い事だったのだろう。
遊び相手との文句の並べ立ては、いまいち意味不明だったけど。
最後は情けない愛想笑いになってしまったが、少女に真意は通じた様であった。お腹が空いていたのか、親指をしゃぶっていた少女は、それを止めてリーメイムの頭をナデナデしてくれた。
だ液に濡れた方の手で……。
「あ、ありがと……」
「よろしい……そう言えば、腹が減ったな。帰って朝飯にするか」
引きつった微笑みで、リーメイムは何とかその場をしのぎ、視線を父親の方へ移動させる。ベイクはサラを肩に担ぎ直して、この話は終わったと言わんばかりに踵を返す。
娘の空腹な気持ちを代弁するように、ベイクは大股で歩き出した。どうやら昨日泊まった宿屋の方へ向かうようで、リーメイムはほっとして後に付いて行く事にする。
実家の方へ向かわれたら、どうしようかと思っていたのだが。
「あの、家へは帰んないんですか?」
「うむ……最近、ちょっと妻の機嫌が悪くてな。こんな時に仕事をクビになったなんて、恐くて言える訳ないだろう」
「じゃあ……サラちゃんも、奥さんから逃げて来たんですかね。ひょっとして、すんごく恐ろしい性格の人なんですか?」
「まぁ、時にはな。今は赤ん坊の世話で忙しいらしくて、それで気が立っているんだ。サラの時は、親しいベビーシッターがいたんだが」
それなら旦那が手伝ってあげれば良いのに。リーメイムは内心そう思い、前を歩く英雄をジト目で見た。酔っぱらって酒場で人にからむより、よっぽど有意義な気がするのだが。
一行は程なく、目的の宿屋に到着した。朝日の中で見るこの大きな建物は、幾分古びていたものの、ちゃんと補修を受けて堂々とした面構えで建っている。
地下の食堂兼酒場は、相変わらず人がいなかった。ベイクは適当に腰をおろすと、リーメイムにオーダーを頼む。そういった仕事が嫌いではなかったので、彼は厨房に入って行き、雑誌を読んでいたエイダにオーダーをくり返した。
依頼を頼む前に、少しポイントを稼いでおかなければ。
厨房が再び慌ただしくなる頃、ケイリーとオットーが食堂に姿をあらわした。オットーは飲み過ぎて、調子は良くないようだったが、朝食はみんなと同じ物を注文するみたいだ。
焼き立てのパンとミルクが運ばれると、サラは父親に給仕をせっつく。
食事を先に済ませたリーメイムは他にする事がなく、ベイクの膝の上に座って自分の両手より大きな焼きたてパンにかじりついてるサラを、ぼーっと見ていた。
リーメイムと目が合うと、サラは一旦咀嚼を止めて小さく首を傾げた。それから仕方無さそうに、ほんのちょっぴり自分のパンを千切って、彼に手渡す。
少女の精一杯の優しさだろうが、これでは小鳥も満腹にはならない。
「あ、ありがと……」
リーメイムが礼を言うと、サラは父親を見上げ、今度は父親の口にパンの塊を押し付ける。さっきのとはまるで大きさが違う。リーメイムは苦笑するしかなかった。
サラはお礼にベイクから、ソーセージを貰って口いっぱいに頬張っていた。
「ちゃんと噛むんだぞ、父ちゃん見てるからな」
「朝からほのぼのしてるねー、全く……」
二日酔いで調子の出ないらしきオットーが、くたびれた声で横から茶々を入れる。彼は気力喪失で、ソーセージとお茶くらいしか口に運んでない模様である。
隣のケイリーは無言で、出されたものを行儀良く平らげている。
リーメイムはその屈託の無さ気な遣り取りで、彼らが古馴染みである事を察していた。もちろん英雄にも、幼少時代はあったのだろう。その頃を一緒に過ごしたのかも知れない。
英雄の家族構成も、さっき聞いて把握出来たように思う。性格の恐い妻と、ほとんど喋らない娘が一人。赤ん坊の性別は聞いていないが、多分手の掛かる真っ盛りなのだろう。
今の所、それが英雄に関する情報の全てである。
「何で俺より飲んでるお前が、二日酔いにならないんだよ……いつもの事ながら、不公平だぜ。なあ、ケイリー?」
「知らん。そんな事より彼の依頼を受けたのか、ベイク?」
「依頼? ……何の依頼だ?」
オットーの愚痴を無碍に突き放し、ケイリーはリーメイムを見遣りながら、親子で食事中のベイクに話し掛けた。相手にもされなかったオットーも、くたびれた顔を少年に向ける。
ただし、ベイクの返事は会話が全くかみ合っていない事を示していた。ケイリーは小さく肩をすくめると、再び黙々と食事に戻った。ああっ、馬鹿っと内心で絶叫するリーメイム。
何でそこで、もう一押ししないかな……。
リーメイムは彼を睨み付け、ケイリーが話の継ぎ目を提供してくれるのを待った。だけども、全く視線の合う気配は無い。次に声を上げたのは、二日酔いのオットーだった。
素朴な疑問的に、特に返事を期待しない感じで言葉を紡ぐ。
「あれ、こいつ男だったの……? てっきり俺は、サラの新しい遊び相手かと思ってたよ。ケイリーの知り合いか、それともベイクの……?」
ああっ、こいつも昨日の事を全く覚えてないしっ! 何でこう、ろくでなしばっかりが集まってんだろう、ここ? リーメイムはだんだん、自分の依頼を打ち明ける事に、言い知れぬ恐怖と不安感を抱き始めた。
このまま、何食わぬ顔で帰ってしまおうか……。
リーメイムは一瞬挫けかけた心を叱咤して、自分に喝を入れた。ファイトだ、頑張れボク! 第一、帰る場所なんて、もうどこにも無いじゃないか……。
一瞬、故郷の風景が脳裏を掠める。それから、自分を育ててくれた人の面影が。
「あのう……皆さん昨日の事は覚えてらっしゃらないか、興味が無いかのどちらかのようなので、改めて自己紹介させて頂きます。メジの町のルーソアの農場から来ました、リーメイム・カーソンっていいます。父はガイラスと言う名前で、名の売れた発掘師でした……」
「ガイラス……ガイラス・カーソン!?」
「ああ、彼なら何度か会った事があるな……ケイリーが話し込んでたっけ?」
オットーが考え込むような顔付きになり、ケイリーがじっとリーメイムを見た。物静かな若者は、何かを確認するように顎の短い髭を一度だけ撫でる。
それからポツリと、色々アドバイスをくれた恩人だと低い声で呟いた。
「彼はボクの養父でした、血の繋がりは有りません。一週間前に、父は事故で亡くなりました」
「えっ、そうなのかっ……?」
リーメイムは、その後の事を淡々と話した。葬式を出して借家を引き払い、父の残した財産と片身の品々を持って、逃げるようにこの町へ辿り着くまでの事を。
実際身の危険を感じて、故郷を後にしたのは事実だった。まさか着いた早々襲われるとは、リーメイムは思っていなかったけれど。彼を狙っているのは、彼の地元では筋金入りの悪党だった。
前々からその一味は、ガイラスの掘り出した貴重な発掘品か何かを欲しがっていたらしい。その辺の事情を、リーメイムは臨終前の父からあらかた聞いていた。
そして、養父の指示通りに故郷を離れたのだった。
「しかし、下町に着いたのが昨日で、襲撃に遭ったのが今朝だとはなぁ。それ程大きな組織なのか? ま、サラが気付く位だから、大方どっかの雇われチンピラだろうが」
「えっ、下町で襲われたのか、コイツ? んで、サラがそれを助けたって?」
皆が一斉にサラを感心した素振りで見て、サラはなんかくれるの? と言う期待に満ちた目付きで皆を見返した。一斉に視線をそらす一同に、サラは拍子抜けしたのだろうか。父親の膝から飛び降りて、とことこと厨房の方へと歩き去って行く。
傍若無人振りは、どうやら父親譲りのよう。
「とっ、とにかく……父の発掘品ばかりかボクの命まで、彼ら『ザックファミリー』は狙っているらしいんです。ボクには自分の身を守る手段も、父の敵を取る力も無いけど……」
「へえ、仇討ちがしたいと……まっ、当然だな。俺だったらブチ切れて、今頃一人でもそいつらのとこに乗り込んでるぜ!」
「お前は考え無しのとこがあるからな……だが、ガイラス師の仇討ちなら、俺もしたい。一緒に仕事をした事こそ無いが、俺達が発掘の仕事に鞍替えする時に、俺は色々とアドバイスを貰った。親切で面倒見の良い、偉大な人だった」
オットーの言葉を引き継いで、ケイリーも珍しく力の入った口調でそう言った。それから、彼だけは礼儀に敏感なのか、小声でリーメイムにお悔やみを口にして来る。
リーメイムは初対面の人達から父親の話を持ち出され、少し勢い付く。
「あ、あの、本当にボクの依頼を受けてくれるんですか? ザックファミリーは大所帯ですよ! 表では骨董品の売買をしてるけど、裏では盗品や武器なんかの、危ない品ばかり扱ってるって話です。それに……」
「何だよ、言いたい事があるんなら全部言っちまえ! どうせ俺ら、今暇だからな。磁気嵐のせいで、目星をつけた遺跡に近づけないんだ。俺に至っては、副業はクビだし」
ベイクが満腹になった腹を抱え、気だるそうにそう言った。リーメイムは、皆のカップにお代わりのお茶を注ぎながら、やや緊張した面持ちで話し始める。
それは父親にも、心配をかけまいと話した事の無い不安だった。
「よく判らないんです。時々誰かに見られているような、すごく嫌な感じがして……。ザックファミリーと関係があるのかも知れないけど、この感じはもっと前から周期的にありました。どこか遠くから、誰かに監視されているような、何か探られているような……」
「監視の魔法かな……? それだと俺ら、はた違いだからなぁ」
「うむぅ、シーナがいればな……まぁ、そのうち帰って来るだろう」
「えっ、何で? リーゼがいるじゃん。魔法の事ならかみさんに聞けよ、ベイク。全く、引退したのが惜しいくらいの力持ってたのによぉ」
「魔力自体は、以前より強力になってるぞ。まぁ、風の民への発言力は失ったがな……」
オットーの突っ込みに、ベイクは冷や汗を掻きながらしみじみと語った。カップを口に運びながら、なんとかベイクは平静を保とうとしている様に見える。
知らない固有名詞にリーメイムが戸惑っていると、ケイリーが呟くように解説をしてくれた。
「シーナは俺達の仲間の魔法使いで、漂流の民だ。使う魔法は主に占術だがな。二年前に仲間に加わった。リーゼはもっと前からの仲間だが、今はベイクと結婚して引退してる。元は風の民で、今では二児の母だ」
はあ、とリーメイムはため息にも似た相槌を打った。どうやら白銀の英雄も、奥方には頭が上がらないらしい。どんな人なんだろう、とリーメイムはベイクの表情を盗み見ながら想像してみる。
この傍若無人な英雄様が恐れる人物って、一体……?
「旦那に対する発言力は、前にも増してつけたみたいじゃないか?」
「そっ、それは、気のせいだ……」
あまり説得力の無い口調で、ベイクが反論する。オットーはケラケラ笑いながらも、リーメイムの肩を励ますようにバンバン叩いて、お互いの独身の身の上に感謝の意を評した。
英雄のやり込められる様を、不思議な面持ちで眺めるリーメイム。
「それより気になるのは、その何とかファミリーが狙っている発掘品だな。雑な連中みたいだから、後腐れの無いようにお前の命まで狙ってたように見えるけどな」
ベイクが気を取り直しつつ、鋭いところを突いて来た。残りの二人も、興味深げにリーメイムを見る。何かしらのお宝が拝めるかもとの期待が、その目には宿っていた。
彼はいったん席を立ち、昨日泊まった部屋に戻る了承を得た。それからベットの下に隠しておいたバックを取り出し、手提げ袋と細身の剣を手に持って降りて来た。
丈夫な袋の中には、数枚の遺跡の地図と、何かのカギが入っていた。鞄の一番底には、一冊の古文書が大切そうにしまい込まれている。カギは手の平より大きい程で、ぼろぼろの古文書の表紙と同じ紋様が刻まれている。
奇妙な力の脈動を感じる、そんな紋様だった。
「ほう……これは!」
「すごいな、おい。こっちの地図だけで一財産じゃないか……?」
遺跡の地図を眺め回しながら、オットーが呟く。リーメイムも何度か一人で見てみたのだけれど、全くのちんぷんかんぷんだった。地名の書き込みが、辛うじて分かる程度である。
古文書に至っては、何の文字かすら分からなかった。
「うむ、これなら狙われても不思議はないな、俺も欲しいし。書き込みを詳しく分析しないと分からないが、全部が個人じゃ手に余る大物遺跡じゃないか? ……ケイリー、そっちは?」
「……判読不能だ。恐らく、こっちのカギと、古文書が関係があるのだろう。このカギの使い道は……どこかの遺跡の扉の解除に必要なのかも、程度しか言えないな」
時ならぬ鑑定会に、男達だけでなくリーメイムすら興奮しながら成り行きを見守っていた。父親が残してくれた財産で、当分は生活に困る事は無かったのだけれど。
宝の地図と言うものは、そんな事とは関係無しに少年の冒険心をくすぐるものだ。
「まぁ、俺達も発掘屋になってから、そんなに数こなした訳じゃないし……。ベイクの名前が売れ過ぎて、雇われ仕事を受け辛くなったから、仕方なく始めたんだったよなぁ……」
「そうだったな、遠出仕事も家庭事情が絡んで辛いから難儀したな」
オットーがしみじみと、過去を振り返りながら呟いた。へー、そんな過去があったんだと、興味深気に耳を傾けるリーメイム。英雄様も大変だな、などとほんの少し同情する。
もっとも、騒ぎを起こしてお城を壊すなどと、言語道断振りには賛同しかねるが。
「あ、あのぅ……依頼を引き受けてくれるのなら、こっちの遺跡の地図は差し上げますけど」
「なにっ、それは……見かけによらず、太っ腹だな!」
おおっ、とどよめくその場に居合わせた一同。厨房からエイダが、何事が起きたのかと顔を覗かせる。くっ付いて出て来たサラも、エイダのスカート越しに賑やかな一団を見遣る。
皆の大げさなリアクション振りに、リーメイムは慌てて付け加えた。
「あの、その代わり、ボクも遺跡の探検に連れて行ってくれませんか? これからの生活の事もあるし、出来るなら父と同じ職業につきたいんです! その、適性があるかどうかを見て貰うだけでもいいですから……」
言葉の最後の方は、尻すぼみになってしまった。理由は一同の表情の変化を見てしまったからだったが、とにかくリーメイムは意気消沈して言葉を呑み込んだ。
皆の表情は一様に、迷惑だ、足手まといだと雄弁に物語っていた。ところが、ベイクの発した言葉は全く逆だった。さも、愉快な冗談を聞いたかのように、表情はにこやかに。
「うむっ、頼るもののない不幸な少年の自立を助けるのも、世界の危機を救うのも似たようなものだ。どーんと俺に、任せておけ。ちょうど今、死ぬほど暇だしな」
本気かよ、などとオットーが口にするが、ベイクは自信に満ちた顔付きで、リーメイムを見返していた。ケイリ―は相変わらず口をはさむ事も無く、成り行きを見守っている。
彼は面前の話の推移より、目の前の地図の方が興味深いようだ。
「その代わり、護衛は4週間契約だ。その間の護衛料は、現金で払って貰う。ただし、この地図から得た収入は、物にしろ金にしろ、お前と俺達とで折半だ。これでいいか?」
ベイクの言葉に、リーメイムはこくこくと頷いて賛同を示した。遺跡に連れて行って貰えるなら、大抵の条件は呑むつもりだったリーメイムには、全く苦にならない契約内容だった。
しかも、今では憧れの感情は随分薄れたとは言え、白銀の英雄と共に未知の遺跡へ探検に行けるのだ!
「まぁ、確かに現金は必要だよな……」
「俺もその条件でいい。ただ、3人で24時間フルに護衛と言うのは、思ったよりきついぞ?」
「お姫様じゃあるまいし、そこまで面倒見なくてもいいだろ? そうだな……ちょっと剣術を指南してやるとか、何か護衛術を教えるとか?」
オットーもその提案に不満は無いようで、にやりと笑いながらリーメイムに右手を差し出す。握手を交わしてケイリーを見ると、彼は小さく頷いてそれっきり押し黙った。
どうやら、契約は無事成立のようだ。
「そんじゃ、依頼内容をおさらいしとくか。まず、リーメイムの身辺の護衛。なんたらファミリーが粉かけて来たら、それをぶっ潰す事……これは父親の仇討ちでもある」
「ザックファミリーです、念のため」
リーメイムは小さな声で、注釈を添える。間違えて、変なところに喧嘩を売って回られても困るし。少しの付き合いで、その可能性も無視出来ないと思い始めるリーメイム。
ベイクは小さく頷いて、話を続けた。
「それから、この遺跡の地図と古文書の解析。遺跡にはリーメイムも同行するから、それまでにこの不幸な少年を、出来るだけ鍛えておく事、うむっ!」
「それはまぁ、ベイクに任せるわ」
「あの、あんまり不幸不幸って連発しないでください……」
ベイクは自分の言葉に納得したように、満足気に唸った。それに釣られるように、残りの面々もそれぞれの事情で、似たような唸り声を上げる。
お荷物的な扱いならともかく、不幸の発端のような物言いには、リーメイムもさすがに異論を唱える。それでも遺跡の同行の確定には、内心込み上げる歓喜に身体が震えてしまう。
暗く閉ざされていた未来に、ほんのりと光明が差したような気持ち。
テーブルの片付けに来たエイダが、笑いながらリーメイムの肩を叩いた。途中から話を聞いていたようで、彼の今後の身の振り方を気にしていたらしい。
その足元を、サラがちょこまかと歩き回っていた。テーブルの上の珍しそうな品々を見て、束の間隙を窺うような目付きを浮かべている。それに気付いたケイリーが、机の上を片付けに掛かる。
エイダが厨房に引っ込みながら、リーメイムに楽しそうに話し掛けた。
「良かったじゃない、リーメイム君。彼らに鍛えて貰えば、泣きながら、ボクは不幸だーって、大声で喚かないで済むようになるかもよ?」
「そっ、そんな事言いませんよっ! 何でボクが、泣きながらそんな事言わなきゃならないんですかっ!」
真っ赤になりながら、リーメイムは反論した。昨日の晩の事だろうか? でも、幾ら初めて酔っ払ったとしても、ボクがそんな事言う訳がない……。
からかうにも程がある、ここは毅然としなくてはっ。
「言った……」
ぼそりとケイリーが、椅子から立ち上がりながら呟いた。リーメイムは青くなり、次いで熟れたトマトのように顔を赤らめた。無口な彼も、時には冗談言うんだ。
……冗談に違いない、うん。
「それじゃあ俺は、メジの町まで偵察に行って来る。しばらく留守にする事になるが、後はよろしく。ザックファミリーだったな……」
それだけ簡潔に述べると、ケイリーは食堂を後にして去って行った。オットーも立ち上がって、ベイクと顔を見合わせる。何かをするつもりらしいが、その何かが浮かばないような微妙な空気。
中腰のまま、オットーはしばし無言。
「……今朝リーメイムを襲って、捕まった奴がいたな」
「おおっ、それそれっ! ちょっくら行って、尋問して来るわ」
物騒な事柄をさらっと言いつつ、オットーもケイリーの後に続いて行動を開始した。見掛けよりはずっと働き者なんだなぁと、リーメイムは失礼な感心の仕方。それから、自分も何かしなければとベイクを振り返る。
ベイクは未だ椅子に座ったまま、しかめっ面で古文書に目を通していた。
「……あの、ボク達は何をすれば?」
不信感が、多分顔に出ていたのだろう。リーメイムの顔を見て、ベイクは大袈裟にため息を付いた。食堂は、しんと静まり返っており、リーメイムは身の置き所に困った表情。
いつの間にやら、サラもこの場から姿を消していた。
「食器洗いでも、してくれば?」
真面目な顔でそう言われ、なるほどと感心して笑顔でその場を立ち去るリーメイム。実家ではこまごまとした家事の全てを、自分の仕事としてこなして来たのだ。
掃除や食事の仕度、後片付けに至るまで自分自身でする事は、彼にとっては当たり前の事だった。そんな事にすら思い至らなかった自分に、むしろ腹が立つ。
今からでも遅くは無い、完璧にこなして挽回しなければっ!
――厨房に入り込んでエイダに指摘されるまで、リーメイムは自分が泊まり客だと言う事を、すっかり失念していたのだった……。