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8、摩訶不思議な作品を書く作者さんへの応援歌

 ふう、イノウエ君に痛いところを突かれてしまいましたが、なんとか誤魔化すことが出来たぞ。よしよし、丸屋の詐術的言語テクニックによってまた一人、煙に巻いてやったわけです。やはり、こういった夜の仕事をしているからには、興味ないことを興味あることのように聞いたり、そもそも話を聞いていないにも関わらずさも聞いているかのような相槌を打てるようになる必要があります。いやね、人生相談ってあるでしょう? あれってね、相談する方もされる方も、建設的な答えなんて期待してないし用意する必要もないんですよ。要は、「俺はこういう人生を抱えてるんだ~」「へーそうなんですか」っていうやりとりだけで、相談する方は救われちゃってるんですね。

 んなことはどうでもいいか。

 おっと、部屋の隅で沈み込んでる作者さんがいるぞ。ああ、いつもアングラ小説を書いているマカメさんではありませんか。どうしたんです?

 なになに? 俺の書いている小説が評価されない? 誰も俺の小説の良さを分かってくれない?

 そりゃそうでしょう、あなたの小説、猫と触手生物が主人公の夢の中で戦っていて、猫が哲学的なことを喋ってるっていうとんでもなく難解な小説ばっかり書いているじゃないですか。

 んー、マカメさん、今日は丸屋のおごりです。どうぞ、カクテル・ニューヨークです。

 それでも飲みながら、ちと丸屋の見解を聞いて下さいまし。


 20作も書くと、自分の作風というものが定まっていきます。

 作風というのはそれこそ無限にあります。なぜなら、作風というのはその作者さん一人一人の抱えているパーソナリティそのものだからです。あなたがどういう風に物事を考え、どういう世界観でもってこの世界と対峙し、どういう心持で日々を過ごしているのか。これまでどのような本を読んで過ごしてきたのか。それによって、あなたの作風は規定されていくのです。

 しかしながら、この作風というやつほど、作者を悩ませるものはありません。でも、それは当たり前のことです。だって、作風というのはあなたの性格に他なりません。引っ込み思案な自分に嫌気が差したり、逆にお節介過ぎて傷つく、なんてことはよくあることですよね。それと同じレベルで、小説家は己の作風に悩むのです。

 その中で、特に悩むであろう人が、摩訶不思議な小説を書く人です。

 丸屋なんかは割と竹を割ったような分かりやすい小説を書くので(謎の)定評があるのですが、中には読者の理解を拒むかのように入り組んだ、さながら迷宮のような小説を書く人がいます。あるいは、小説技法を駆使して、読者に挑戦してかかるような作品を書く人もいます。はたまた、描かれているものが新しすぎてにわかには評価しづらい作者さんもけっこういます。さらには、文学に分類されるような作品であるがゆえに、読者さんをおいてけぼりにしている作者さんもいます。

 えてして、そういう作者さんはあまりWEBの場では評価されません。WEBの場においては、どうしてもインスタントに小説を消費したいというお客さんが多いこと、WEBで小説を読む、という行為の面白さを知る世代が若い世代であるということもあって、今一つWEBの世界では摩訶不思議な小説は評価されづらい面があります。(あとは、本格的な推理小説やSF、歴史小説なんかも敬遠されがちです。)

 さて、翻って、そういう小説を書いているあなたです。

 きっとあなたはWEBで活動しているのだと思うのですが、きっとあまり評価はされていないはずです。

 でも、だからといって、絶望する必要はありません。

 あなたが評価されないのは、「WEBの場において」という前提があります。WEBの場が小説のすべてじゃありません。その外には、出版の道ですとか同人誌(今日的な意味ではなしに)を文学フリマで販売する道、同好の士を集めて文芸誌を作るなどの道があります。

 もちろん、それらの道はかなりハードルの高い道ではあります。なので、WEBにしか発表する場所がない、ということになりがちです。

 もしも、あなたが自身の評価の低さに絶望しているのなら、もっとWEBのお客さんに歩み寄りを見せた方がいいでしょう。お客さんのことを考え、お客さんが好みそうな題材に仕立て直し、理解しやすいお話を作ればいいのです。

え? そんなこと出来ない? なら、そんなこと出来ない、という自分を丸ごと認めちゃえばいいのです。

 結局のところ、創作というのは一つでも裏付けがあれば続けることが出来ます。たとえばそれは大衆的支持だったり、コアな層からの支持だったり。はたまた自己救済も一つの裏付けです。そして、「自己満足」も一つの裏付けになりえます。つまり、「俺が書くものはいいものなんだ!」という確信があるだけでも、創作というのは続けていくことが出来ます。

 そして、その確信を振りかざして小説を書き続け、日本文学の旗手になっていった人はたくさんいます。

 でも、一つだけ釘を刺しておきます。

 その道は、あなただけの道です。なので、誰のせいにも出来ません。もしも誰かのせいにしないとやっていられないのならば、宗旨替えして読者さんにおもねる作者になって下さい。そのほうがあなたのためです。裏を返せば、摩訶不思議な小説を書く人には、絶対に折れない鉄のような心が必要だということです。


 と、いうわけですマカメさん。

 え? 宗旨替えする? 萌え小説を書くんですか。

 はあ、そうおっしゃるならお止めしません。是非ともやってみてください。

 ん、なになに、「猫少年と触手美少女が戦って、きゃっきゃうふふする小説にする」ですって?

 あのう、猫と触手からは離れないんですね。

 あ、それが個性ってやつなんですかね。ってか、それはそれで文学的というかなんというか。うーむ。

 ――ここだけの話ですけど、摩訶不思議な小説の書き手というのは、人生相談する方に似ています。つまるところ、外に向かって自分の世界観を出してしまった時点で、ある程度満足しちゃう人たちです。でないと、摩訶不思議な小説は書けないんです。そういう小説を書き続ける人たちというのは、自己完結できる人たちなんですよ。


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