7、自分の言葉を使おう
むー。イノウエ君の悪文を見たせいで、なんだか調子が悪いぞ。なんだあれ。つかあれ、古代ルルイエ文字かなにかなんではあるまいな。あるいはキチレコの一種なのか。だとすれば、これはこれでけっこうな才能なのかも……。いやいや、このバーからクトゥルフの眷族を出すわけにはいきません。ん? 元々おまえ、インスマス顔じゃねえかって? 顔のことは気にするな!(ジュラルの魔王口調で)
と、付け焼刃のクトゥルフネタとチャージマン研!ネタを延々続けるのはしんどいので、そろそろ本題に……。
え? この小説の批評をしてくれ、って、イノウエ君?
怒りませんか、イノウエ君。怒らないから教えろって?
あのさ、イノウエ君、きっとイノウエ君はすごい勢いで辞書を引いてると思うんですよ。ああうん、その努力は認めるんですけどね。うん、でもイノウエ君、この言葉のニュアンス、しっかり理解して書いてる?
ニュアンスが分からない、というわけですね。
ふむふむ、ではイノウエ君。耳の穴をかっぽじってよくよく聞いて下さい。
創作エッセイを覗きますと、大抵はこう書いてあります。「小説家の机には国語辞典、類語辞典必携!」と。
うん、それはそうです。我々小説家は言葉を道具にする商売人、あるいは趣味人です。なので、その道具の精度に細心の注意を払うべきであり、また注意を払って当たり前です。中には、「小説っていうのは言葉をモザイク状に積み上げていくもので、一つ一つの言葉の意味なんて相対的なものなんだよ!」と言う人(丸屋のこと)もいますが、そんなの例外中の例外です。丸屋もまた、皆さんには国語辞典や類語辞典の携行をオススメいたします。
でも、国語辞典や類語辞典に頼り過ぎるのも問題です。
特にやりがちなのが、類語辞典の濫用です。
創作界隈においては、「あんまり同じ言葉を近いところで使わない方がいい」という格言があります。「~と言った。すると~と言った。そして~と言った」という風な文章は悪文、だとされているわけですね。そこで、類語辞典を引いて「言う」に近い言葉を探して、「~と言った。すると~とのたもうた。そして~と口にした」という風に書き換えるわけです。
正直、うーんと思ってしまいますね。
そもそも、「言った」という意味の言葉がいくつも連なること自体がまずいことなのに(「言う」という動作は小説の中では当たり前に存在する動作なので、基本的には省略していくのがベターです。また、日本語は口調によってその人らしさを出すことが出来る言語なので、ト書きのように、「誰々が~と言った」のような指示も省略した方がいいとされています)、ここではその問題が、「同じ言葉を使うのがまずいのだ」とすり替わってしまっています。
そして、さらに問題なのは、類語辞典をあまり多用してしまうと、自分のものになっていない言葉が小説の中に混入してしまうということです。
日本語というのは古い言語であり、過去から現代に至るまで相当の蓄積がある上にお上による言語統制があまりされなかった言語なので、色んな言葉・単語で溢れています。もちろん、丸屋だって類語辞典などを引くことによって知る言葉なんてざらにあります。
でも、類語辞典で知った言葉をそのまま自分が使いこなせるかというと話は別です。
なぜかというと、辞書に載っている言葉というのは、その辞書が作られた当時の言葉の意味に過ぎないからです。
これ、意識しないと分からないことですが、言葉というのは常にその意味を少しずつ変えています。なぜかというと、言葉というのは色んな人が使ううちに、一定のベクトルが生まれてニュアンスを伴い、そのニュアンスが言葉の意味に影響を与えるからです。
たとえば。「ワイルド」って言葉、ありますよね。あの言葉を聞くと何やらニンマリとしちゃいますが(2013年現在)、これは辞書に載っていない「ワイルド」の持つニュアンスです。なので、2013年現在の小説家の皆さんがシリアスな場面を書く時には、きっと「ワイルド」を避ける傾向にあるのではないかと思います。
これは極端な例ですが、言葉っていうのは、辞書に載らないニュアンスがあって、そのニュアンスもまた言葉を取り巻く雰囲気に影響を与えるのです。
辞書から言葉を知ると、えてしてそういうニュアンスが抜け落ちてしまうんです。
時代小説の言葉に、「裂帛の気合」という言葉があります。これは剣豪小説の世界でよく用いられる言葉で、気力体力ともに充実した剣客が放つ、周りを圧倒する気合のことだというコンセンサスが作者・読者間にあります。しかしながら、辞書で「裂帛」と引くと、「布を割くこと、または布を割いた時の音」と出てきてしまいます。その辞書を読んで、「ふむふむ、裂帛の気合とは布を割くような声で気合を出すことなんだな」と考えてしまうのは早計なのです。
結局、言葉というのは、それが使われている最前線で覚えるしかありません。
すなわち、本を読んだり人と世間話でもしながら少しずつ言葉の使われ方を覚えていって、自分の言葉にしていくしかないのです。
結局「本を読め」って結論になっちゃいますけどイノウエ君、これが丸屋の感想です。
む? 本を読む? うん、それがいいです。
これで一人、迷える子羊を助けることが出来たわけです。いやあ、一仕事一仕事。
む、どうしたんですイノウエ君?
え? 「さっきあんた、付け焼刃のクトゥルフネタとチャー研ネタを披露してたけど、あれだって自分のものにしてないんだからまずいだろ」ですって。
痛いところつくなあもう!
でも丸屋はそれでいいのです!
なぜって?
丸屋は自分に甘いのです!