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5、文豪を越えて行け!

  はあ、このバーの経営がそら恐ろしくなってきましたよ。あんな変態が入り込んでいるとは。いえ、別にそういうプレイを否定するわけでも、そういうプレイをお好みの方を否定するわけじゃありませんけど、住み分けって大事なことだと思うんですよ。ここは紳士淑女が集うバーなので……あいや、もちろんここはバーなので、二十歳以下の方は入れないから下ネタ大歓迎なんですが、ほら、あれやこれや問題があるじゃないですか。

 おや、なんだか二人席が騒がしいぞ? また変態が出たんじゃあるまいな。

 おっと、違うようです。どうやら、編集さんと思しき男の人と、作者さんと思しき女の人が怒鳴り合っているぞ、ふむ、ちょっとお下品ですが、会話を盗み聞きしちゃいましょう。マナー違反? そもそも聞かれちゃまずい話を大声でする方が悪いのです。

 ふむふむなるほど。どうも、あの女性の作者さんが作ってきた作品が、夏目漱石さんの作品のオマージュらしいです。で、夏目さんのオマージュの意味もあって、あの時代の原稿用紙の使い方で小説を書いたところ、編集さんがそれを咎めたらしいんです。そしたら作者さんがキレて、「お前は夏目漱石を否定するのか!」と怒鳴りかかったみたいですねえ。そしたら編集さんもキレて「お前の小説、夏目漱石の引き写しみたいじゃねえか」って返しちゃって、で、小説家さんの方が「夏目漱石は文豪なんだ、文豪みたいな小説を書けるんだからいいだろ」ですって。

 くわばらくわばら。

 でもなー、一応わたしもここのマスターなので、割って入らなくちゃなりません。

 はいはいブレイクブレイク。……小説家の先生、たぶん聞いた話ですと先生の方が間違ってます。


 どうでもいい話ですが、丸屋も夏目漱石さんの作品が大好きです。彼の落語仕込みの軽妙洒脱さ、英国帰りゆえに身につけた個人主義と、彼本人が抱えていた前時代的な「則天去私」に代表されるような感覚の相克。そして、彼本人が有していたシニカルさと粗忽さ。それが相まって、彼の作品は日本文学におけるマイルストーンの一つになっています。

 でも、だからといって、夏目漱石の文学をそのまま現代に移植したって名作は出来ません。

 なぜか。だって、小説というのは、その作品が描かれた時代の鏡だからです。

 小説を書く時に想定しなくてはならない読者とは、その小説が書かれた時代の人々です。これは、昔のことをモチーフにした歴史小説・時代小説や、未来や宇宙、ナノテクといった遙か遠いところにあるものをモデルにするSFでも同じです。想定されるのは常に、現代の人々です。

 夏目さんだってきっとそうでしょう。夏目さんが念頭に置いていたのは、明治・大正・昭和を駆け抜けた当時の人々だったはずです。でも、こういうことを書くと、当然こんな疑問が沸いてしかるべきです。「え? じゃあなんで、現代の我々がこんなに夏目漱石文学を楽しく読めるの?」と。

 なぜなら、夏目漱石文学が現代小説のご先祖の一つだからです。夏目さんの作り上げた文学というのは俗に「反自然主義文学」と呼ばれているんですが(正確には「余裕派」文学なんですが、今では「反自然主義文学」のくくりで理解されがちです)、この系統がやがて谷崎潤一郎や志賀直哉といったビッグネームな小説家たちを生み、多くの文学・エンタメ作品の源流となっています。ちなみに、小説家の森見登美彦さんなんかは、自身で夏目漱石さんからの影響を明言しているくらいです。そう、現代の小説シーンにおいても、夏目漱石さんは一定の存在感がある、とんでもない巨人なんです。

 しかしながら、ここで一つ言っておかねばならないことがあります。

 現代において、夏目さんの描き出したモチーフは、もっと尖鋭化して、もっと面白くなっています。

 そりゃそうです。日本の精神史の流れとして、明治から現代に至るまでに、抑圧から自由解放へと進んだという歴史があります。家とか故郷とか男女ジェンダーなどの抑圧があったのが、次第に都市化が進むに従いゆるくなっていき、戦後に至る自由主義の移入や資本主義社会の要請によってどんどん近代の抑圧は消えつつあります。その中で、日本の文学は、より先鋭的に、よりアングラなものへと変質していきました。そして、日本エンタメ小説も、どんどん新しい方法論が模索され、より面白いやり方や技術、方法論が確立していきました。

 つまり、もし夏目漱石さんが現代に転生して夏目文学を書いたとしても、その作品は既に最前線を走る小説ではなくなっているということなのです。

 さて、翻って、あなたです。

 たとえば、あなたが夏目さんに私淑しているとして、夏目文学そのまんまの作品を書いたとしましょう。でもそれは、現代の小説家が書くものとしては物足りないものになってしまうのです。もしも夏目文学の継承者でありたいのならば、夏目さんの描いた世界観を現代向けに仕立て直し、現代人に向けた小説にしなくてはなりません。そう、現代の小説家っていうのは、過去の小説家を越えないことには無価値なのです。

 たまーにいるんですが、夏目さんとかの文章を指して、「こういう風に夏目さんが原稿用紙を使っているから、現代人だってそう使っていいはずだ!」と言い張る人がいるんですが、ハッキリ言えばこんなの論外です。原稿用紙の使い方は時代によって変遷しています。現代人向けに小説を書いているんですから、現代の原稿用紙の使い方で書きましょうよ。っていうか、そういうことだったら、夏目さんの時代にPCはないので、PCで執筆するのも変だ、という理屈にならないのかなあとか思っちゃいますし、夏目さんって原稿用紙に鼻毛を張りつける癖があったらしいので、そういう人は鼻毛を原稿用紙に張り付けてウンウン悩めばいいやと思っちゃいますね。


 というわけです、小説家の先生。

 ね、そういうことですよね、編集の方?

 え、ちょ、小説家の先生、やめてください! なんでメイスなんて持ってるんですか! え? 取材ですって、へえなるほど~、って納得できるかい! ってか、なんで夏目漱石さんかぶれでメイスを取材に使うんですか。え、倫敦塔のオマージュ? そんなシーンありましたっけ?

 や、やめて! つか編集者さん、この小説家さんを止めて!

 ぼ、暴力反対! マジで!


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