39、オノマトペのすすめ
なんだか、外がガタガタウルサイですねえ。どうしたんでしょう。おやおや、風がびゅうびゅう吹いてるぞ。おお、こりゃ台風ですね。ってことは、今日はお客さんが来ないかな。道理でこんなにフロアーがしいんとしているわけですよ。
うーむ、こんなに風が吹いてるんじゃあ、店は閉めたほうがよさそうです。
というわけで、今日はのんびりとしましょうか。
おやあ! こんな雨の中、からんとドアベルを鳴らして入ってきたのは、小説家志望のキシイさん! いったいどうしたんですか、そんなに髪の毛をびしょびしょにして!
え、お酒を飲みに来た? ああ、ありがたい限りです。
え、どうしたんですかキシイさん。へ? さっきからお前の話を聞いていたが、擬声語が多い? 小説家たる者、擬声語は使うべきじゃあない、ですって?
はっはっは、そうですか。では。
今日はその話にしましょうか。
あ、はい。本日のカクテル・ホットイタリアンです。そう、温かいまま供する、いわゆるホットドリンクスです。冷めないうちにどうぞ。
擬声語。これのことを取り澄ました言い方で「オノマトペ」と言います(諸説あり。このエッセイにおいては以上の意味合いで用います)。あれですよ。犬の鳴き声の「わんわん」とか、寝息の「ぐーすか」とか、雨が降っている状況を示す「しとしと」とか、雪が降り積もるさまである「しんしん」とかですね。要は、実際に耳に聞こえる音を無理矢理活字にしたり、あるいはその様を特定の音に絡めて表現する言語のことです。
こういった言葉について、よく創作系エッセイには「使ってはいけない」ないしは「使わないほうがいい」と書いてあります。
けど、わたしはその論旨に反論したいと思います。
でも、間違えてはいけないのは、オノマトペばっかりの文章は極めて読みづらいという事実自体は存在するよ、ということです。
子供の作文を読んでいると、よく、オノマトペばっかりのものに出会います。それは、まだ子供が自分のことを客観的に思い出すことが出来ず、自分を取りまく情報であるところの聴覚情報を書き殴った結果です。そういう文章は、書いた本人には物事を思い出すよすがになりますが、何の予備知識のない人が読んでも意味不明になります。
小説でも一緒です。よく、アマチュアの方の手によるアクションものなんかで、「ガガガガガ」、「ダーン」、「ぐぎゅるぐぎゅる」などのオノマトペが連続して、何がなんだか分からない小説というものもお見かけします。
じゃあ、オノマトペはやっぱり駄目じゃんか。そう思った方、ちょっと結論を急ぎ過ぎです。
何事も限度ものだということです。
そりゃそうでしょ? 一般の小説において使われている修辞表現だって、すべての文章に駆使してしまうと恐ろしく冗長なものと化しますよね。(余談ですが、二十作くらいを描いてきた作者さんの中には、「上手いことを書きたい病」にかかっている方もいるんじゃないかなと思います。これは別の機会にでもお話します。)
逆に、オノマトペというのは、しっかりと文章が書ける人にとっては一つの武器になります。
プロの小説家さんに、森見登美彦さんがいます……、って、もう何度も紹介していますね。あの方、相当に面白いオノマトペを使う方です。たとえば、独身彼女なし大学生男子が日がな家に引きこもっているさまを「うにうに」と表現したりしています。
森見先生の文章には、女性ファンが多いと聞きます。曰く、「男の子の生態がかわいいから」というものがあるんですが、実はその「かわいらしさ」に、森見先生のオノマトペが寄与してるんじゃないかとわたしはニラんでいます。だって、素敵じゃないですか、「うにうに」って語感。野郎が一日部屋の中に籠っているオノマトペにしてはひどく丸っこくてかわいらしい。
そう。オノマトペって、使いどころを間違えなければ結構効果的に作用する言語なのです。
あと、オノマトペが持つ効果として、総じて「軽さの演出」が出来る点にあると言えます。
オノマトペなしに音を表現しようと思えば、何らかの形でその音を何かにたとえる必要がありますが、そうすると文章が途端に重くなります。しかし、オノマトペならばわずか一単語で表現できるので、文章そのものがすっきりします。なので、読者様からするとするっと読める文章になります。
ただ、一方でオノマトペはその「軽さ」が仇になって、シリアスな場面で使うと違和感が出ますので、その辺は表裏一体な面がありますが。
でも、そういった欠点ばかりをあげつらって「オノマトペは使わない!」と決めつけてしまうのはもったいないことです。オノマトペには、実は結構いい効果もあります。なので、使いどころを考えたうえで、という前提条件は付きますが、使って損のない言葉たちですよ。
はい。どうでしょう。
まあ、そもそも、オノマトペを小説の中であまり用いないのは、明治時代に日本人たちが小説を海外から輸入したからだと思うんですよね。ほら、英語ってあんまりオノマトペが多くないじゃないですか。なので、「小説っていうのはオノマトペを入れるものではない」みたいな悪しき風潮が染みついて、このまま現代まで来ちゃってるんじゃないでしょうかねー。
あ、邪推ですか、そりゃすいません。




