スペシャルイベント 「風立ちぬ」の真似はしないほうがいい
ふう、なんだかこのお店にやってくるのも随分と久しぶりですねい。
あ、どうも。マスターです。
え、仕事を放り出してどこに行ってたんだ、ですって? ええ、ちょいと色々。忙しいんですよこれでも。いや、もちろんしばらくお店を閉めていたのは平に謝りますが、裏の仕事が忙しくって。え、裏の仕事の内容が知りたい? そんなもん、どうでもいいじゃないですか、どうしても知りたいの? もう、H! ――そこ、えづかない。
さて、久しぶりに仕事だ! せいぜいなまった腕を振るってカクテルを作るとしますか。
お、さっそくお客さん、いらっしゃいませー。
おや、ご無沙汰しております。あなたは評論家のスギウチさん。
ああ、この人、わたしとよく喧々諤々の論争を繰り広げる評論仲間なのですよ。で、今日はどうしたんですか。
え、ジブリ映画の「風立ちぬ」の感想で論争しようぜ、って?
あーごめんなさい。実は「風立ちぬ」の感想は別のところ・別名義で書いちゃってるんですよー。でも、あの作品はいろいろすごいですよね。なんか禁煙ファシズムの人とか右翼・左翼の皆さんが雨後の竹の子みたいに湧いてますねえ。――え、論争したいんですか。
でもここ、20作目に悩んだ人向けのバーなんですけど……。
あ、そうだ。これ、ここでしか語れないネタがあります! じゃあ、今日はその話をしましょう!――はい、これ、ビターオレンジです。最近流行のビールベースのカクテルです。
「風立ちぬ」。大旋風ですねえ。
これを書いているのはまさに九月の末なのですが、最近まで観客動員数トップでしたからね。それに、いろんな意味で話題にもなりました。禁煙ファ……もとい、日本禁煙学会からのクレームとか、宮崎駿さんの思想信条へのネガティブキャンペーンとかその他もろもろ。さらには本人が映画監督から足を洗うような発言も出て、いろんな意味で2013年は宮崎駿さんに引っ掻き回されましたねー。
この作品、わたしも拝見させていただきましたよ。
ときに、皆様、この作品について感想を述べるほとんどの方に一致する立脚点があることにお気づきでしょうか。わたしも某所で感想を書いた時にいろんな方の感想を見て回ったんですが、大抵の方はある視点に立脚している気がしました。
え? なにそれ?
もう、手っ取り早く答えを言ってしまいましょう。ずばり。「感想を書く人の論理の主語が、『宮崎駿』である」ということ。
え、意味が分からない?
そうですねえ。普通、小説とか映画って、お話の中に出てくるキャラクターの心情を追うものじゃないですか。この「風立ちぬ」においては堀越二郎だったりとか菜穂子の心情を追って、その上で感想を述べるのが普通です。でも、この作品においてはちょっと違う。キャラクターの心ではなくて、宮崎駿という作品の外にいる人間の心情を忖度しようとする感想が滅茶苦茶多いのです。
「宮崎駿」はこう思ったに違いない、「宮崎駿」はここでこういう意図を盛り込んだんだ、これはまさに「宮崎駿」らしい作品だ……。そんな言葉が評論家とか市井の感想人の口から飛び出しているわけですね。
でも、これはある意味、この作品や作者たちの誘導によるものです。
まず指摘できるのは、「堀越二郎と堀辰雄に敬意を込めて」というコピーです。これの存在により、この作品が「堀越二郎と堀辰雄の人生を無理矢理一つにしてみた」というこの作品のコンセプトが暗示されます。さらに、作品内にある堀辰雄へのオマージュの数々(堀辰雄の『風立ちぬ』は私小説的なものですが、堀の恋人は「菜穂子」ではありません。「菜穂子」という名前は堀辰雄の別作品『菜穂子』の登場人物です)。また、効果音をすべて人の声で出してみた、というのも意味深です。これらの仕掛けにより、「これはフィクションである」という作者側の強い意志が視聴者側に伝わる仕組みなのです。
さらに、盤外戦もいろいろありましたね。鈴木プロデューサーが「風立ちぬは宮崎駿の遺言」と発言したり、宮崎監督自身が引退宣言したり。これらの盤外戦によって、この作品は「宮崎駿がどう考えたか」という視点で評価せざるを得なくなってしまった見るべきです。
でも、実はこの作品、「宮崎駿」という人間の視点から見たほうが面白い映画です。すごく語弊はありますが、「風立ちぬ」は、宮崎駿というクリエイターの夢であり挫折であり許しなんです。ある意味で、彼の人生そのものなのでしょう。
さ、で、ここからが本題です。
「風立ちぬ」で使用された「作者に目を向けさせる」テクニックですが、これは使えるテクニックではありません。
このテクニックが有効なのは、作者の名前だけで読んでくれる読者がいるような、カリスマクリエイターのみに有効なものです。作品を飛び越えて、作者の人となりや思想が問題にされるような作者さんです。
なぜか。理由は簡単です。たとえば、わたしが私小説を書いたとするじゃないですか。それ、あなた、読まれます?
きっと読まないと思うんですよね。
そういうことです。作者を前面に出すということは、すなわち作者そのものが興味深い存在でないことには誰も振り向いてくれません。
つまりですね、このテクニックは、宮崎駿さんだからこそできる高等テクニックなのです。高等、というよりは、有名税を逆手に取った、と見るべきでしょうかね。
はい、というわけです。
ま、このテクニックが使えるようになる頃には、きっと日本中に名前が轟く大小説家になっている、ってわけです。あれは、日本映画界でも数人しか使えない高等テクニックですよ、ええ。
え、俺もそのくらい有名な評論家になりたいな、って?
そうですねえ。なってみたいもんです。」
え、わたし?
ああ、わたしはもちろん、小説の世界で頑張りますよ!
ちなみに筆者は煙草を吸っておりません。念のため記す。




