10、取材成果を全部盛り込まんでも……
ふーむ、電車の乗り方も知らないで、よくバーになんか来ようと思いますよねー。もし丸屋が同じ立場だったら、よっぽどバーの方が敷居が高いですよね。あ、そういえば、最近このお店に来店なさる某編集者さんに聞いたんですけどね、今では『文人バー』みたいなものってあんまりなくて、基本的にプロの作家さんは編集者さんとサシで酒を飲むことが多いみたいですよー。でも、さらに聞いた話ですと、大先生クラスになってくると、「○○先生を囲む会」みたいな感じで、いくつもの出版社の編集さんが作家さんを囲んで一緒に呑む、みたいなハーレム状態になるみたいですよ。って、どうでもいい話ですね。まったく、早くプロになってそういう立場になってみたいもんです。
そんな無駄話の間に、お客さんがきたみたいですよ。おや、あなたはSF小説家めざして勉強中のサカザキさんではありませんか。随分と久しぶりですねえ。あ、はいはい。わかってますって。いつもサカザキさんはピーナッツとアカシアとバニラアイスでしたよね。しかもバニラアイスは高級な奴じゃなくって、百円くらいの安いヤツ。いや、おいしいですよね、ああいう安いアイスも。え? ラクトアイスっていうんですか。へー。
で、サカザキさん、凄い荷物ですねえ。なんですかそれ。あ、また神田の古本屋で資料を集めていたんですか。いやあ、その収集への執念には感服いたします。
そういえばサカザキさん、この前丸屋が指摘した癖、直ってますか? ほら、あなたの書かれる小説にはウンチクとか説明が多すぎるっていうやつ。
え? そんなこと言われた覚えがないって? またまたあ。あ、でもあの時サカザキさん、ずいぶんと酔っ払ってましたね。
じゃあもう一度お話ししましょうか。
国民的漫画『名探偵コナン』の中に、主人公コナンが、ライバルであり変装の名人である怪盗キッドの正体を見破るくだりがあります(もしかしたらアニメオリジナルシナリオかもしれません)。怪盗キッドは警官に化けていたんですが、コナンに入れ知恵されていた警察官の質問によって簡単に正体を見破られてしまいます。それは、こんな質問。
「何も見ずに、姓名と免許証番号を言え!」
そんな質問に、怪盗キッドはこともなげに答えちゃうんですね。
でも、姓名はまだしも、免許証番号は全部で十ケタを超えるもので、そんなものをそらんじて覚えている人なんていません。「誰かになりすます人というのは、本人以上にその人の個人情報を頭に刷り込んでいる」という犯罪心理を逆手に取った質問なわけです。
実は、小説家というのも、ある意味で怪盗キッドのような存在です。
小説家はときに自分の半径に収まらない世界を書きますし、自分とはまったく考え方や生き方の異なる人を描き出します。たとえば、SFとか犯罪小説、歴史小説を想像してみて下さい。ね、言うとおりでしょう?
そういった小説は、どうしても誰も見たことのない、恐ろしく荒唐無稽なものをリアリティを以って表現しなくてはなりません。そういう意味では、誰かになりすまして他人をだます、怪盗キッドみたいなものなんですね。そして、その人になりすますために声色をまねて癖を盗み、家族関係まですべて頭に叩き込む怪盗キッドと同じく、小説家も様々な努力をしなくてはなりません。その一つが、「取材」なんですね。
SFを書きたいのでしたら、どうしても科学関係の知識が必須です。もし宇宙ものを書かれるのであれば、軌道エレベータや宇宙開発史なども知っておいた方がいいでしょうし、隕石を落下させて全世界をパニックに陥れたいのなら天文学の本やこれまで地球で起こった隕石衝突のことをまとめた本などを参照した方がいいでしょう。
歴史小説が書きたい場合は、犯罪小説が書きたい場合は。そのジャンルごとに取材するものはそれぞれに違うでしょうが、とにかく取材で得たモノを使って説得力のないように思える設定を裏支えしてやる。これが小説家が取材をする目的です。
ところがですね、時々、そうやって探してきたものを、そのまんま小説に反映させる人がいます。
例えば、SFでいくら理屈が重要だからって、熱量第二法則を延々と説明しちゃってる場合とか、歴史小説で、あんまり話に関わってこない人が初登場したときに、その人の来歴をだらだらと書き連ねちゃったり。
いや、もちろんわかるんですよ。せっかく集めてきた取材の成果を全部使っちゃいたい気持ちは。でもですね、その知識のほとんどは、ある意味で「免許証の番号」のようなものなんです。世の中にある情報というのは、そのほとんどが誰にとって意味があるのか分からない、「無駄な情報」だったりします。いや、もちろんある場面では免許証番号に意味があることはあるでしょうし、熱量第二法則が深く意味を持つことがあり、詳細に説明を必要としなくてはならない場面があるでしょう。でも、大抵の場合、そういった知識は適当に書き流してやる程度で丁度いい場合が多いのです。それを曲げて書いてしまうと、警察官にばれた怪盗キッドのように、逆にリアリティのない結果に陥ってしまうのです。
それに、そもそも皆さん、読み手として、説明って好きですか?
少なくとも、丸屋はあんまり好きじゃありません。説明する暇があったら早く話を進めやがれ! というのが読み手としての丸屋の本音です。もちろんこれは丸屋の嗜好なので一般化するのは危険なことですが、どうやら世の中の読み手の多くはそんなに説明が好きじゃないようです。でなくば、もっと学術本とか新書は売れているはずですし、楽しく分かりやすい説明でおなじみの池上さんみたいな人も出てこなかったことでしょう!
思い出しましたか。
あー。思い出しましたね。いやぁ何よりです。
おっと、お客様が来たぞ、いらっしゃいませー。って、おや、サカザキさんの横に座ったぞ? ふむ、自分は○○社の編集で、あなたの情報収集力を見込んでお仕事をお願いしたい、ですって? おお、目の前でプロの小説家が登場したぞ! すごい!
あれ、でも、話の方向が少し変だぞ?
最近の宇宙開発についてのコラムを書いて欲しい、ですって。
なるほど、今目の前でライターが誕生したんですねえ。申し訳ないですけどきっとサカザキさんはライターの方が向いてます。華麗なる転身ですね、いやはや羨ましい。