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9、小説と人生経験の関係

 コアな小説家さんと話すのって楽しい半面、やっぱり頭を使ってしまって自分の頭の悪さに打ちひしがれちゃいますよね。ああいう小難しい話はしたくないですねえ。

 おっとっと。話が横道にそれました。とにかく、マスター業に邁進しなければ。

 おっと、グラスの空いたお客さんがいるぞ。御用伺いに行ってみよう。……お客様ー、次のお飲み物はいかがですかー。っておや、家に引きこもって小説を書いているフジキさんではありませんか。小説の進捗具合はいかがですか、ああ良好ですか、それは何より。

 ふむふむ、ギブソンですね。おやフジキさん、カクテルにお詳しいんですね。では、只今ご用意しますよ。……え、なんですって、明日から旅に出る? どうしたんですかフジキさん。え、自分は圧倒的に人生経験が足りないから文章を書くのがヘタクソなんだ、ですって?

 人生経験、ですか。うーむ。


 数年前から、藤子F不二雄さんの言葉としてコピペされている言葉があります。

 長い文章なので引用はしませんが、要は、

①創作するにあたって人生経験は必要ない

②取材によって作品を作ることの大切さ

③人生経験を積んだ人よりも、むしろ殻に籠っている人の作品の方が面白い

 という三点に集約される論旨です。(詳しくは、『藤子F不二雄 名言 殻に閉じこもってる落ちこぼれ』で検索してください。)

 この名言、ぶっちゃけ藤子Fさんの言葉であるという証拠はないんですが(丸屋も藤子Fさんの言葉とは思っていません)、随分とネット上を駆け巡りました。きっと、この言葉に一定の力があるからではないかと思います。

 しかしながら、丸屋はこの言葉そのものに少々の疑問が沸くのです。

 人生経験から得るものを完全に否定していいのか? と。

 もちろん、人間は想像が出来る生き物です。なので、資料を読み込んだり他人から聞き取りをすることで、臨場感ある創作物を作ることが出来ます。事実、SF小説や歴史小説といった特殊な分野、あるいは犯罪小説においては、作者が絶対に経験できないことがテーマになっています。まさか、東野圭吾さんが小説を書くたびに人を殺しているわけはありませんよね。そう考えていくと、上記の藤子Fさんの名言は正しいと思いがちです。

 でも、資料を読んだり聞き取りをする――つまりは取材をして取り出すことが出来るのは、ショッキングだったり特殊な出来事だけだったりします。

 例えば、あなた、日記は書きますか? 丸屋は書いていません。だって、日々の生活って特に面白いことが起こらないですもん。

 日記を書いておられる方に質問なんですが、そういった皆さんは、その日のトイレの回数を日記に書いていらっしゃいますか? あくびをこいた回数や時間を書き入れていますか? また、その日が凄く寒い日だとして、その時にあなたが感じた寒さを、克明に記録していますか?

 例えばあなたが、昭和時代の女学生を主人公にして小説を書こうとして、丁度そんな肩書の人の日記を見つけて資料にするとしますよね。そして、それを読み込んで物語を紡ごうとした時には、必ずあなたの想像を挟まなくてはなりません。その日記に書かれていない、女学生さんの生活の姿を想像しなくてはならないはずです。そういったときに、あなたの人生経験が生きてくるんです。高校時代を思い返して、そういえばお昼ごはんを食べ終わったあとは死ぬほど眠かったなあ、とか、音楽の時間にお腹が鳴っちゃって皆に笑われたんだよなあ、とか、休み時間は友達と追いかけっこをしてたなあ、とか、そういえば高校時代は着るものが薄くって寒さが身にしみたんだよなあ、とか。

 そう。取材だけでは、小説は出来上がりません。それを小説にまで仕立て上げるためには、作者の腕が必要なんですね。かちんこちんに凍った素材を解凍し食べることのできるものにする力が。

 くしくも上記コピペでは、取材内容を上等な食材に喩えています。でもですね、上等な食材(取材内容)を料理(小説)に仕立て上げるためには、料理人(小説家)の腕が必要なんですよ。

 その腕を養成する要素の一つに、人生経験があるのです。そういえば、あんなシチュエーションであのときあんなことがあった、そう思い返して反映させることで、小説に臨場感が生まれるのです。

 しかしながら、実は小説を書くにあたって一番問われるのは作者の想像力です。

 不思議なもので、世の中には一度も恋愛をした形跡がないのに恋愛小説家として大成した人もいます。また、一度も働いたことがない、という経歴にも関わらず芥川賞を獲得した田中慎弥さんのような方もいます。これらの例の方々はきっと、我々凡人が思いも及ばないほどに機敏で細やかな精神を持ち、山のように本を読み、他人の話を耳にしたのでしょう。つまり、この方々は天才であり、例外中の例外なのです。

 もちろん、自分は田中慎弥さん並みに想像力があるんだ! と思っていらっしゃる方だったら別に人生経験なんてなくてもいいんですが、小説を書くにおいて人生経験はあったに越したことはないですよん、というのがここでの丸屋の結論となっております。というより、想像力だってある程度は人生経験で形作られるものですからねえ、やっぱり、人生経験はそれなりに積んでおいた方がいいと思いますよ。


 とにかく、小説を書くにおいて、人生経験は邪魔になりません。是非とも行ってくださいませ。

 で、どこに行かれるんですか?

 え? おばあちゃんの家? しかも、隣町?

 なんだか「はじめてのお使い」みたいでほっこりしますねえ。「はじめてのお使い」に出ている子供たちだって、確かにあの企画で一人ぼっちの寂しさなんかを経験するわけで、その経験が後々の人生で生きてくるんでしょうから。

 え、ってか、本当に「はじめてのお使い」なんですか!

 そもそも電車の乗り方を知らない? うひょお、なんだか昭和のアイドルみたいですね。

 やっぱり、経験って大事ですね。


あの言葉、藤子F先生のものとはとても思えないんだよなあ……。

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