エピローグ
カラン……と店のドアに備えつけられている聞き慣れたベルが鳴る。カウンターの奥から顔を出してきたアカツキが、目をしばたたかせて――そして小さく噴き出して美苦笑を浮かべる。
「おや、いつもフードを被っている君がまっさらな格好で現れるのは珍しいね」
「うるせえ。色々あって、あのコートも装備もおじゃんになったんだよ。くそっ、気に入ってたってのに……」
「それはご愁傷様。はい、いつものね」
いつものようにカウンター席に座ったトバリに、アカツキは慣れた手つきで炭酸飲料のボトルを渡すと、トバリはそれを左手で奪うように受け取って口にした。
心地よい刺激と共に冷えた液体が喉を通って胃に染み渡る。そして痛い。トバリは胃から広がる鈍痛に身を震わせた。
「君……本当に何をしてきたんだい?」
「二、三回死ぬような瀬戸際に立った気もするな……」
よく見れば、頬に当てられたガーゼだけではなく、彼の服の襟元や袖口からは真新しい包帯が見え隠れしていた。その服を一枚脱げば、おそらく全身が包帯に包まれているだろう。それが容易に想像できてしまい、アカツキは笑いをこらえるのに必死になり、全身を戦慄かせる。
その様子を見て、トバリはいぶかしむように顔を顰めてテーブルに膝をつき、ついた腕の手に顎を乗せて嘆息する。
「……何震えてんだ、お前」
「いいや、なんでもないよ。ただ、漢前になったねということだよ」
トバリの問いに、アカツキは頭を振る。だが、その恵比寿顔とも言える笑みが、普段の三割増しに笑っているように見えるは、果たしてトバリの気のせいなのか。
「……まあいいか」
すぐに興味を失い、トバリは再び炭酸水を煽る。
アカツキはグラスを布巾で拭いながら、彼に尋ねた。
「それで――例の仕事はひと段落ついたのかな?」
トバリは微苦笑して答えた。
「まあ……な。依頼は果たしたし、報酬はたんまり振り込まれてた。しばらくは寝てくらせるぜ」
そう言ってトバリはくつくつと笑う。アカツキからしてみれば、とても珍しい屈託のない笑みに、アカツキは口を半開きにして呆気に取られる。
そんな彼の様子に気づき、トバリは怪訝な顔をする。
「お前さっきから何だ? 人の顔見てポカンとしやがって。気味の悪い……」
「……ああ、いや……なんというか、君が随分と憑き物が落ちたように見えてね。なんというか……少しばかり、驚いてしまったんだよ」
「ふ~ん……」と、トバリは差して興味もなさげに嘯いているが、やはりその表情は何処か和らいでいるように見えた。
ほんの少し見ない間に一体何があったのか。それが分からないアカツキには到底見当もつかないのだが、
「まあ……いい影響があったのなら、それでいいかなーって」
「お前は俺の父親か」
「ふふふ~」
トバリの間髪置かぬ突っ込みには返答せず、彼はにこやかに笑って受け流して見せた。最早追及はすまい。
いつもと変わらぬ茶飲み話。結局はそう言うことなのだろうと勝手に納得し、トバリはちびちびとボトルの中を呑む。
そうして下らない会話をしばらく続けていると、再びカラン……というベルの音が鳴り、二人の視線は自然と店の入口へと向けられた。
「おや……」
「ほう……」
片や感嘆の声を漏らし、片やからかうように微笑する。
「お邪魔します」
鈴の音のような澄んだ声が、さほど広くもない店の中に響いた。黒と紫に彩られた簡素なドレスに身を包んだ少女は、その長い金髪を揺らしながら店に入ってくる。
いうまでもなく、ナツメだった。
彼女は店の中に入ってくると、そのままスタスタとトバリの傍まで歩み寄る。
「よう、四日ぶりか?」
「うん。四日ぶりです」
トバリの言葉に、ナツメはこくりと頷いた。トバリが微苦笑する。
カランカラン……今度は勢いよくドアのベルが鳴った。
「姫様! ああ、やはりこちらでしたか!」
蹴破るような勢いで店に入ってきたのは、最早言うまでもなくシノブだった。〈地獄門〉に挑んでいた時とは異なり、彼女は最初にここを訪れた時と同様のスーツに身を包み、肩を上下させながらナツメの傍らに寄る。
「今日は千客万来だね~」
「儲かりはしなさそうだがな」
トバリとアカツキが軽口を叩き、「なあ?」と二人に視線を向ける。すると、
「トバリと同じものを」
と、ナツメが淡々と告げれば、
「では私はカルピスの水割りを」
それにシノブが続く。だからそれはただのカルピスだ、と誰か突っ込みを入れて欲しい。無論、トバリは突っ込まない。それでは負けた気がするから……というか、割とどうでもいい気がした。
「まいどあり」
そう笑顔で告げると、アカツキはカウンターの奥に引っ込み品の準備をしに行った。
「……で」
彼が奥に引っ込んだのを見計らって、トバリは視線だけを二人に向け、問う。
「今日はどうした? 俺の仕事は終わったと思ったが?」
「報酬を払いに来た」
「それはもう済んでるだろ?」
ナツメの言葉に、トバリは首を傾げて聞き返した。二日前に預金バンクで確認して見れば、トバリがこれまで稼いできた金額の軽く十倍以上の金額が入金されていて、その額を見た時は流石のトバリもしばらく我を忘れて数字とにらめっこしていたくらいである。
あれだけの報酬が支払われていながら、これ以上なんの報酬があるのだろうか。
するとナツメは無言でシノブに視線を向けた。彼女は心得たと言わんばかりに首を縦に振り、手に持っていたアタッシュケースをテーブルの上に置き、それを開いて見せた。
「特別手当のようなものです。どうぞ」
シノブはそう言ってトバリの前にケースを移動させる。促されるがままトバリはその中に視線を向け、怪訝な顔でそれを見た。
入っていたのは二本の短剣だった。いや、長さ的には小太刀とも取れる。少し前までトバリが愛用していた短剣と似たような長さ。意匠の凝らされた柄を含め、全体的に逆反りの刃を持つ短剣。
トバリはそれの一つを手に取り、鈍い動きをする右手で鞘を摑み、左手で抜くと――そこには深紅に染め上げられた刀身が姿を現した。
それを指先でクルクルと回して弄び、あるいは二、三度振って感触を確かめる。悪くはなかった。
「こりゃまたいい得物だな。くれるのか?」
そう尋ねれば、ナツメはこくりと頷く。
「色々迷惑もかけたし、助けてもらったから。そのお礼と思って」
「……なら、ありがたく受け取っておくよ」
ナツメの言葉に、トバリは苦笑しながら二本の短剣を受取り、それを腰のベルトに吊るした。
「で、用はこれだけか?」
そんなわけはないだろう。クシナダ財団の総帥が、わざわざそれだけの理由でこんな辺鄙な喫茶店に自ら訪れるわけがない――たとえ建前上でも、他に理由はあるはず。
「いいえ」
案の定、ナツメは首を横に振る。
「貴方に、仕事の依頼があるの」
いつぞやと同じローテンションで、彼女は淡々とそう言った。
ナツメの後ろでは、どうにも敵意のある視線でトバリを睨むシノブの姿が。それは無視することにした。
トバリは不敵に笑む。
「クシナダの総帥様が、また俺のような一介の【発掘屋】に仕事を……ね?」
「そう。トバリに依頼をするの」
「なにを?」
「さしあたっては依然と同じ。引き続き、私の護衛」
過去の一件は、前回のことで払拭された。罪が消えたわけではないが、それでも以前に比べればだいぶマシになった気がする。
だから――もう義理立てして手を貸す理由は、トバリにはない。
だが、同時にあの時考えていたことを思い出す。
自分があの時戦った理由を。あの日忌み嫌った右腕を、始めて自分の意志で開放し、行使した理由を。
(……どう生きていくのか、見届けるのは悪くない。そう思ったんだよな)
自分の忌み嫌い、憎悪した右腕――スサノオ。
それによってナツメの両親を殺し、彼女から奪ったという罪。
その象徴たる少女を前にして、トバリは僅かに自問自答する。答えは、容易に姿を現す。
ナツメに関われば、それは間違いなく聖戦に直接関与する。確実に面倒事が多そうだ。
面倒事は嫌いだ。
だが、それに見合うだけのうまみもあるだろう。
なにより、退屈とは無縁でいられそうな気がした。今までただ無為に同じ毎日を繰り返すだけの、惰性に溺れた毎日よりは楽しめそうだと、今なら思える。
トバリはふっと笑い、ナツメを見て言った。
「……まあ、死なない程度には付き合ってやるよ」
瞬間、ナツメの表情が花開いたような満面の笑みとなり、トバリはギョッと目を剥き、あまりにも予想外の反応にどうしていいのか分からず、小さく舌打ちをしてそっぽを向く。
そんなトバリの様子など気にした様子もなく、ナツメは淡く笑んだままトバリに左手を差し出した。
それはトバリが左利きだからそうしたのか。それとも――スサノオを封印している影響で上手く右腕が動かせないことを理解してのことなのか。どっちにしろ、えない奴だな、とトバリは漠然と思いつつ、左手を差し出してその小さな手を取った。
「契約成立な」
「うん」
トバリの言葉に、ナツメは何処となく嬉しそうに答える。その向こう側で、今にも小太刀片手に切りかかって来そうなシノブが見えたが……トバリはそれを強引に視界から排除して繋ぐ手を見た。
奪った者の手と奪われた者の手。
それが繋がっているちぐはぐさに、トバリは苦笑する。
繋いだ手が約束となる。
契約の握手。
その手を見据え、トバリは胸中で祈り、誓約する。
――この少女の聖戦に常に勝利があることを。その勝利のために、この右腕を振るおうと。
それが今の自分に出来ること。
望む望まずとも聖戦へと足を踏み入れるのなら、ただ無辜に戦うよりは、そのほうがよほど価値あることのように思える。
繋いでいた手が離れ、ナツメはそのままトバリの隣の座椅子に着席する。そんな彼女に、
「そんで、これからどうするんだ?」
トバリが問うと、ナツメは彼を見上げてからかうように言う。
「とりあえず……今はお腹が空いたので」
「空いたので?」
オウム返しにそう訊くと、彼女は大仰に頷いて言った。
「昼食の護衛……かしら?」
「なんだそりゃ」
大見え切って首を傾げるナツメに、トバリは呆れたように笑い、仕方がないという風に肩を竦め、カウンターの奥に引っ込んだままのアカツキに言い放つ。
「アカツキー、おすすめ定食三つ追加だー」
「了解したよー」
奥から帰ってきた反応に嘆息し、トバリはシノブを横目で見て、
「お前も座れ。あいつの飯は美味いからな。そこに座って大人しく待ってろ。世にも珍しいこの俺の奢りだ」
「誰が貴女のような野良犬に――」
「シノブ。座って」
「はい姫様!」
……その反応は最早、従順な犬以外の何でもないように思えたが、それは平和な昼食のために黙っておこうと、トバリは寸前で言葉を呑み込んだ。
聖戦。
それは今後否応なしにトバリに降りかかる火の粉だろう。
別にそれは構いはしない。今までだって似たようなものだ。『神罰の日』からずっと、世界はそういう災いに苛まれ続けている。今更それが一つ二つ増えようが、大した問題ではない。
そんなことよりも、今は仮初めの平穏に浸りたい。
「トバリ、あの人の料理美味しいの?」
「ん、ああ。美味いぞ。正直一度食ったら他の場所で食うのがアホらしくなるくらいには」
「そう……楽しみ」
「言いましたね。その言葉が嘘だったらその舌、ひっこ抜いてやりましょう」
「やれるものならやってみやがれ、この駄犬」
「野良犬にだけは言われたくないですね」
「飯くらい黙って待ってられないのかよ、テメーは」
「その台詞、のしつけてそっくりそのまま返しますよ」
「二人共……仲良し」
「違うわ!」
「違います!」
店の中で止むことない言葉の嵐は、アカツキの料理が出てくるまで続き――
――店の常連が一人から三人になったのは、その後の話。
大学サークルの作品展用に1か月急ごしらえで書いたものなので、続き――というものは今のところこんな感じで終了です。もしかしたら、何処かで続きを考えて書くこともあるかもですが、まあその時はよしなに。




