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Act5:寓話回帰

 瓦礫の積もる道を走り抜けながら、トバリは腰に吊った大振りのナイフを三本、左手の指で挟んで抜刀すると、そのうちの二本を腕の力で頭上高くに放り投げ、残った一本を順手に握った。

 そのまま走る勢いに乗って跳躍。瓦解したビルの壁に足をかけ、更に高く飛び、折れた電柱の上に着地しながら下を見下ろす。

 デカい。

 それが、トバリが眼窩に存在するそれに対して最初に抱いた感想。

目測だけでその全長は十メートル近く。人間が相手をすることはとうに不可能な巨大な体躯がそこにうごめいている。

〈暴食種〉と呼ばれる〈食人種〉の上位体は、本来ならば接触することすら避けるべきで、戦いを挑むなどというのは狂気の沙汰としか言いようがない。

「たく……俺もヤキが回ったな……」

 トバリは自嘲するように呟いた。

 奴らは暴利にして暴君。命の略奪者にして破壊者。人の命を喰らう化け物すらもその身の糧とする捕食者だ。

喰らうモノに見境はない。〈食人種〉のように人だけを狙って喰らうのではない。食える者ならば命だろうが、無機物だろうが、己と同じ〈食人種〉であろうが食い散らす。それ故に与えられた〈暴食種〉という名。

 形状を見る限りでは、本来日本には存在しない食虫植物。それが〈食人種〉と化したのだろう。

 巨大な口膣にびっしりと並ぶ鋭利な牙。一度噛まれるだけでも十分致命的だ。

植物のような根のような太い幹。それが足となり、あるいは触手となって巨大な本体を動かし、得物を補足するための手足と化す。

「たく……面倒臭い奴らばかり湧いてくる」

「その『奴ら』の中にはもしかしなくともクサナギ(おれたち)も含まれてるのか?」

「当たり前だろうが」

 ナチュラルに会話を成立させる相手は、崩れた壁の向こう側にいるカズトだ。彼は赤く染まった劣鍵を構え、それを想像構築の鍵穴へと差し込む。

「詠唱省略・簡易術式選択:起動鍵語第三番/術式:炎槍……解錠!」

 鍵がひねられると同時に、彼の周囲に幾つもの炎の塊が生まれ、それが一斉に〈暴食種〉目掛けて矢の如く打ち出される。

 簡易詠唱。それは事前に劣鍵に求める現象の術式を記録しておき、それを発動するために登録する起動鍵語を詠唱するだけで術式を発動させるという、鍵則式発動の省略方法。

 複雑で大掛かりな術式では不可能だが、炎撃や雷撃の生成程度ならばこれで事足りる。

 見れば下で攻防するクサナギの面々の中には、カズトと同じように劣鍵を用いて攻撃の術式を放っている者も多い。

「手伝え、ツカガミ!」

 鍵則式を発動させながら訴えるカズトの声に、トバリは目をしばたたかせて彼を見、わざとらしく首を傾げた。

「何をだよ?」

「何をって……お前この状況が分かっているのか?」

「と、言われてもな。俺はこの場から逃げだせばそれで済むんだ。何といっても囮はこんなにたくさんいる」

 そう言って、トバリはあくどい笑みを浮かべながら〈暴食種〉と交戦を繰り広げる草薙たちを指さす。数十人の屈強な男たちが手に手に武器を取り、劣鍵を握り、〈暴食種〉の攻撃を掻い潜りながら一撃離脱(ヒット・アンド・ウェイ)を繰り返し続けている。

 その様子を文字通り見下ろしながら、トバリは感嘆の意を示すように吐息を漏らしながらうそぶく。

「わざわざあんな化け物相手にするとは……呆れを通り越して尊敬するぜ」

「そう少しでも思ってるなら手を貸せよ」

「俺に手伝わせたければ金出せ」

「この悪党!」

「最高の褒め言葉だよ」

「人としての良心はねーのか!」

「んなもん持ってるように見えるのなら眼科行ってくるといいぜ」

 からかいと嘲りの入り混じったトバリの飄々とした言動に、カズトはその場で地団駄を踏んだ。何処まで行っての暖簾に腕押し。この男に嘆願したところで聞いてもらえるとは思ってはいないが、それでも僅かな可能性に賭けて頼んで見ればこの有様。

「大体いつも俺の仕事の邪魔してるくせに、こういう時だけ掌返して助けて下さいとか……虫がよすぎね?」

「ぐっ!」

 的の射た言葉に、カズトは「うっ!」と言葉を詰まらせ半反りになる。見てて飽きない反応だ。トバリとしては正直もう少しからかって遊んでいたいが、状況的にそうもいかない。

 トバリはゆっくりとした動作で首を振り、嘲るように言い放つ。

「……はっ。苛め過ぎるといじけられそうだし、これくらいで許してやるよ」

「はあ!?」

 カズトが素っ頓狂な声を出すのを軽く聞き流しながら、トバリはナイフを左手から右手へと持ち変え、空いた左手で懐からある物を取り出す。

「手を貸してやるって言ってんだよ。俺だって、あんな危険な奴を野放しにして雇い主放置するわけにはいかないからな」

 彼が手に握っていたのは、夜の闇のような漆黒に染め上げられた、一本の鍵だった。意匠の凝らされた握りのある、一握りの鍵――真鍵No.160:夜闇の鍵。

 普段から使っている劣鍵黒ノ零式ではない。その鍵はトバリが持っている、この世界で三四二本しか存在しない術法具――その本物(オリジナル)の一つだ。

「お前……それは――」

「何でそんな物持ってるんだ? なんてつまらない質問はしてくれるなよ」

 何かを問おうとしたカズトをその一言で黙殺し、トバリは手に握った鍵を一振りする。暗い闇色の燐光がその鍵の周囲を舞い、同時にその形状を変える。

 夜闇の鍵が形を変え、トバリの手には刃長三十センチ弱もある、片刃で反りのある短剣(ダガー)が握られていた。

 真鍵が持つ、保持者に最もふさわしい形状に変異する性質。その結果が、その短剣だ。夜闇の鍵の名の通り、夜の闇を吸い込んだような漆黒の刀身が妖しく光る。

 トバリはその夜闇の鍵が変異した短剣を頭上高く翳す。切っ先が、先ほど高く投げ上げ――今は重力の手に引かれて落ちてきている二振りのナイフを補足した。

 そして静かに言の葉を紡ぎだす。

「術式対象:惑星引力/発動現象:重力過多……以下略」

「略すな!」

 コンマ〇秒の間隙のない突っ込むが炸裂するが、トバリは振り返ってそれを一蹴する。

「うるせえ! 劣鍵(オモチャ)真鍵(ホンモノ)の違いって奴をその目で見てろ! ――解錠!」

 トバリが叫びながら夜闇の鍵を捻る。

ガチリ……虚空からそんな音が響いた――同瞬、空間が歪む。

それの歪みは、仄暗い円柱となってその場に姿を現した。〈暴食種〉を中心とした半径四メートル程度の天空から降り注ぐような仄暗い光の柱。

 同時に、その円柱に飲み込まれたトバリの投げた二本のナイフが、その落下速度を急速に上げた。

 それを見たカズトが目を剥き、トバリがにやりと悪党に相応しい笑みを浮かべる。

「あの円柱の中じゃあ、かかる重力が通常の十倍になるんだよ。通常の重力での重力加速度は大体秒速約十メートルってところだが、それが単純計算で十倍になれば、落下速度は秒速約百メートル……たかがナイフ二本でも――」

「威力は相乗される……なんて出鱈目なことを」

「そうだな……劣鍵じゃあ、こんな芸当もできないだろうよ。だが、重力などと元から相性のいい夜闇の鍵なら、大きなリスクなしにこういうこともできるんだよ」

 円柱そのものが敵を補足する重力の檻と化している今、〈暴食種〉は自身にかかる重力の負荷で身動きがとれずにいた。そこに過度の重力が加えられた、光明矢の如くさながらナイフが残像を残して〈暴食種〉の身体を貫通した。

 ガキンッ! という、〈暴食種〉の身体を貫通してコンクリートの地面を穿った鈍い音が届く。

 だが、その程度では致命傷になりえないことは、放ったトバリ自身が一番よく知っている。

まだ倒れる様子を見せない〈暴食種〉に対し、トバリやクサナギの面々が次の手を打つよりも早く〈暴食種〉が、鼓膜が破れるのではないかと思うような奇声を上げた。

「ぐあああああ!」

「ぬうぅっ!」

 各々が悲鳴を上げた。

耳朶を叩き、鼓膜を抜けて三半規管に直接叩きつけるような音声が放たれ、トバリを始め、カズトや草薙の面々が脳を揺らすその声にバランスを崩す。

 立っているのも間々ならないような酷い奇声。

 皆がその場で膝をつき、両手で耳を塞ぎながら身もだえる。トバリ自身も集中が切れて、術式の維持ができなくなる。

 蒼認識したのとほぼ同時に、〈暴食種〉を束縛していた重力の檻がガラスの割れるような破砕音を伴って瓦解する。

 ――マズい!

 それがその場にいた全員の共通認識だった。

 拘束の解かれた〈暴食種〉に対し、こちらは未だ響き渡る奇声に身動きが取れない。それは無抵抗無防備のまま敵の前に立っているということ――動かぬ的もいいところだ。

 無数の触手が躍り、〈暴食種〉の近くにいたクサナギの面々へと襲いかかる。

 だが……やはり規格外というモノは存在する。

「ぬぅぅぅぅうりゃああああああああああああああ!」

 大音声がと共に轟音が辺り一帯に轟く。

 それと同時に降り注いだのは――――


 ――クレーン車の車両部分


 ――だった。

 その様子を見たトバリとカズトが同時に、無意識に言葉を吐きだした。

「……嘘だろ?」

「また人間の範疇を超えたことをあの人は……」

 二人の視線の先――そこには動かなくなったクレーン車のクレーンの部分を柄に見立て、それを両腕でがっしりと抱え、ハンマーのように車両部分を〈暴食種〉に叩き落として見せた、最早人間のやる所業とは言えないことをやってのけてしまう男――ヤマト・ヒノハラがいた。

「がっはっは! 見たか! 我が新必殺技! 大雑把クラッシャー! その辺にあるがれきや廃材不法投棄物を利用するというこのエコロジー!」

 そう言って仁王立ちするヤマトに、

「……アホだ。そうでないなら、アホに準ずる何かだ」

「……この仕事辞めたくなるな。辞めないけど」

 自分たちの隊長の雄姿に歓声を上げるクサナギの面々をしり目にし、常識を知る二人はそう呟いた。

「つーか、あれが出てきたのもあのオッサンのせいだというのに!」

 トバリが忌々しげに歯軋りする。

事実その通りで、ヤマトがクサナギを巻き込んで唱和したあの大音声に引き寄せられ、あの〈暴食種〉は上の階層に現れたのだ。

 そして交戦しているうちにこの区画へと連れてきてしまった――というか、ヤマトが力の限り殴打して空間の境目を砕いて放り込んだ、いうわけである。

 生活に困る日が訪れても、絶対にクサナギにだけは就職するまいと固く誓うトバリ。だが、ふと何かが聞こえた気がしてあらぬ方向に視線を向け――その目が次の瞬間点になる。

 急に大人しくなったトバリの様子に何か感じたのか、和人も何気なくトバリの視線を追って――そしてその表情を蒼白に染めた。

 二人の視線の先。倒れた〈暴食種〉のいた場所から遥か彼方――といっても数百メートルもない場所で蠢く、幾体もの〈暴食種〉の群れ。

 一見して、その数は十を超えている。二十で済めば御の字だろう。そして、三十で済めば、それにはまだ救いもある。

 カズトが口を開き、同じものを眺めているトバリに問うた。

「……おい、何体に見える?」

 トバリが頬を掻きながら答える。

「……あー、目算でいいなら四十四くらいか? 〈食人種(ザコ)〉合わせたら数えんのも面倒くさい」

 トバリの返答にカズトが息を飲み、やけくそになったように頭を掻きむしりながら嘆くように叫ぶ。

「だあぁぁぁくそ! 随分と不吉な数字を……原因は――」

「言うまでもないだろ」

 そう言って、トバリは呆れた様子でその原因を指さす。言うまでもなく、未だ仁王立ちして高笑いするヤマトである。

 カズトは内に生じる葛藤に肩を震わせて、拳を握りかためていた。気持ちは分からなくないが、今はそれよりも考えることがあるだろうに。

 トバリが即座に思考を巡らせる。

 あの数の〈暴食種〉と交戦するのは、はっきり言わなくても完全な自殺行為。むしろ自殺願望のある人間がやることだ。

「こりゃさっさとあの二人回収して逃げるのが得策だな……」

 そうと決まれば善は急げ。目的地への道順は記憶している。さっさと合流して逃げる算段を決め込んだトバリはそそくさと電柱の上から飛び降りて着地。駆け出そうとした――次の瞬間だった。

 閃光。

 爆音。

 そして衝撃。

 突如にして、その三つが一帯を支配した。

 誰もがその突然の出来事に驚き、意識をすべてそれが生じた方向に向けて――そして立ち尽くす。

 ――何だ、あれは?

 それは誰が呟いた言葉だろうか。誰かかもしれないし、その場にいた全員が口にしたのかもしれない。

 それは巨大な影。巨峰のような圧倒的な大きさで、そこに悠然と佇んでいた。

 遠くで、〈暴食種〉たちが何か声を発しているように聞こえた。自分よりはるかに巨大で遥かに強大な存在を前にし、逃げ惑っているのか。だとすれば、この存在の力はどれほどのものなのか――想像もつかない。

 だが、トバリはそれが何なのか、本能的に理解した。長大な一つの体躯から伸びる八つの長い首。それが意味するもの。

 自然と、トバリはその名を呼んだ。

「……オロチ……なのか」

右腕と右目が疼く。

そこに宿る存在が、目の前のそれに対して敵意を向いている。奴を討て――そう叫んでいるような、そんな気がした。

 だが、そんなことはどうでもよかった。あれが何なのか。なんで存在しているのか。どうして右腕と右目があれを目の前にして疼くのか。そんなことはすべて、どうでもよかった。

 皆が呆然とする中、トバリは一人走り出す。

 目指す場所は、決まっていた。



   ◆  ◆  ◆



「……うっ」

 身体に鈍く走る痛みでシノブは目を覚ました。全身が痛みで軋み、身体を起こすのにも時間がかかってしまい、よろめくように上体を起こした所で、はたと我に返り、

「――っ、ナツメ様!」

「シノブ……大丈夫?」

 思い出したようにその名を叫び、周囲を見回すと、ナツメはすぐ目の前に立っていた。彼女は何かを前に立ちはだかるようにそこに佇立し、視線だけを自分に向けて、安否を確かめるように尋ねる。

「は、はい! 私は大丈夫です! それより姫様は――」

 即応し、同じ質問を返そうとして、シノブは言葉を失った。

 そこに立っているのは、間違いなくナツメだ。声も、背丈も、確かに彼女のものだ。

 だが、その姿はシノブに言葉を失わせるには十分すぎた。

 両サイドに括られていた金髪は紐解かれ、まるで翼のように広がり、その両腕は朱に染まった硬質に覆われ、元から白かった肌がさらに色白くまるで透明感を帯び、その全身には幾何学的な文様が走っている。

 ――異形。

 今のナツメの姿は、正にその言葉に相応しい人外の姿を取っていた。

 その姿に、シノブは我を忘れてただ己の主の姿を凝視し続けた。言葉が出てこず、かけるべき言葉がなかった。

 そんなシノブを見て、ナツメは淡く笑んで見せると――ふと力を失ったようにゆっくりと地面に膝をつき、地に這いつくばる姿勢になる。それと同時に全身の変異が消え失せ、そこには普段と変わりないナツメがいた。

「姫様!?」

 ナツメが慌てて彼女の傍らに歩み寄り、その身体を支える。元々軽いその身体が、シノブにはより一層軽くなったように感じてしまった。

 彼女の身体を支えながら、シノブは周囲を見回した。先程までの荒れ果てただけの工場の内部が、今では何もかもが蹂躙され、破壊され、もはや原形をとどめているものなど何もないという、酷い惨状と化していた。

そしてふとシノブは、自分たちの周囲が陰っていることに気づいて頭上を見上げ、ナツメの異形姿を見た時よりも何百倍の衝撃に襲われた気がした。

 目の前に君臨する、巨大な黒と朱の鱗に覆われた影。

八の首を持つ異形。

「……まさか……オロチ?」

「その通りですよ」

 シノブの口から零れるように吐き出された言葉に答える、静かな――だけど無視することは決してできない存在感を纏った声に、シノブはその巨影の足元に立つ彼を見た。

「ユリウス……」

「驚きました。あの至近距離で放った鍵則式を防ぐとは……流石はクシナダの戦姫――と言ったところですね」

 そう言って、ユリウスは消耗しているナツメを見た。ナツメは額に脂汗をにじませながら、シノブの支えを借りてなんとか彼を見据える。

「……どうして、それを……」

「先代総帥――ナツメ様の祖父が考案し、生み出した対神兵器の集大成――人間を神人へと疑似的に昇華する研究には、私も携わっていましたから。そして――その結果生まれたのが、貴女だということも。そしてそれが、不完全であることも。私は知っています」

「くっ……!」

 二人の間に飛び交う言葉の意味を、シノブは愕然とした様子で聞いていた。

 その研究の話はシノブも知っていた。先代クシナダ総帥――ナツメの祖父が考案した人体兵器研究――【マグヌス・オプス】。

 そもそもクシナダは、神との聖戦に古くから手を貸していた血族ではあるが、クシナダの者が直接的にその戦いに参戦することはなった。

 神と直接戦うことができるのは、初源の時代に聖戦を誓った者たち――神人(イベリア)呼ばれる存在とその末裔だ。

 クシナダとは、それから長い歳月の後に賛同した援助者の血族なのである。だから彼らには手を貸す力と技はあったが、直接的に戦列加わるだけの力がなかった。

神に仇成す力もなければ、神の力に抗う力もない存在だった。

 そして、それに歯がゆさを感じたのだろう。先代の総帥は、ある行動に出た。

 それがただの人間にクシナダの対神兵器の技術を埋め込み、人を神人に近い兵器へしたてるという完全へと至る道(マグヌス・オプス)

 結果として、その計画は失敗に終わったと聞かされていた。被験者のすべてが計画途中で死に絶え、人道に反し、無理難題の多すぎるこの計画は頓挫した――そのはずだった。

「だからお爺様は考えた。ただの人ではなく、聖戦に関わるクシナダの血なら――と」

「そんな……!?」

 ナツメの口から告げられる事実に、シノブは非難にも似た声を上げた。しかし、

「結果――先代総帥の思惑はどうしてか成功したのです。何の因果か。あるいは聖戦の武具を生み出す血族だったからなのかは知りませんが――その結果生み出された人型兵器……それがナツメ様ですよ、シノブさん」

 ユリウスが薄く笑んでそう言った。シノブはきっと彼を睨むが、そんなことをしてもなんの意味もない。事実は今、こうして目の前に存在するのだから。

「そして――その計画の裏には、同時期にとある夫婦の手によって開発されていた兵器があったのですよ」

「――っ!」

「――え?」

 ユリウスが何気なく口にしたその言葉に、ナツメが息をのみ、シノブが目をしばたたかせた。

「ナツメ様は――ある意味そのために生み出されたといってもいい……」

「くっ!」

 つらつらと無表情に語るユリウスに向って、ナツメがシノブの腕の中から飛び出した。シノブが反応することもできないほどの速さで大地を蹴り、その姿を再び異形へと変えて――硬質化したその腕をユリウス目掛け振り下ろす。

 瞬間、頭上からユリウスを守るように八の首がナツメの進撃を阻んだ。ナツメが苛立ったように眼を細める。

 そして、八つの蛇の頭の向こうに立つユリウスが言葉を続ける。

「その夫婦はクシナダに属し、とある兵器を開発していました。ただし、その兵器は神に対抗するための兵器ではなく――人を粛清と言う名の殲滅をするための、神々の兵器だったのですよ。この意味が、分かりますか?」

 シノブは言葉を失う。

 もし、ユリウスの言葉が事実だとすれば、それは人類を裏切り、人を滅ぼそうとする神に加担した――そういうことになる。クシナダの理念に反したまったく真逆の行為だ。

「人類に反旗を翻したその人物。その夫婦こそが、このオロチの制作者であり……そして――」

「黙れっ!」

 その声が誰のものだったのか、シノブは分からなかった。いつも聞いているはずの当たり前の声のはずなのに、こんな感情の籠った怒気と憎悪――いや、殺意の帯びた声を発するなど、思ってもみなかった。

 その声を上げたのは、他でもないナツメだった。

 赤光が閃く。

 二閃、三閃と続く連撃。だが、その攻撃が通ずることはなかった。何度もその硬質と化した腕が振るわれるが、オロチの堅い体表を貫くことはできない。

「紛いモノの貴女では、オロチは討てませんよ」

「うるさい!」


「それほどまでに憎いですか? このオロチが。オロチを生み出した――貴女のご両親が?」


「黙れぇぇぇぇぇえええ!」

 ナツメが絶叫する。

怨嗟の声が、周囲に木霊した。

 そしてそれを聞いていたシノブもまた、言葉を失った。今、どんな言葉を口にすればいいのか。どんな言葉を、自分の主にかければいいのか。それが分からず、ユリウスの言葉をただ拝聴する。

「親子の愚かな抗争ですよ。先代総帥は血の理念を貫くために。その息子夫婦は、そんな父に反抗するために。そしてお互いに、祖父は孫娘を――夫婦は娘をその親子喧嘩の贄としたのです」

 ナツメが攻撃の手を止め、膝をつく。その異形の姿が再びもとの、小柄な少女のものとなり、その相貌からは、幾筋もの涙が流れていた。

「先代総帥は孫娘の身体を贄として神に抗う兵器を生んだ。

 夫婦は娘の命を代償にして、このオロチを起動の鍵とした」

「っ……して……貴方が、そのことを……」

 歌うように語るユリウスに対し、吐き出すようにナツメが問う。すると、彼は酷く涼しげな表情で、何でもないという様子で告白する。

「どちらの計画にも、私が携わっていた――それだけのことです。ただ、それだけのことですよ」

「そして――今になって自分の作りだした物を取り戻したくなった。あわよくば、それを使いこなそうとした……そういうことか?」

 その声に、シノブとナツメが驚いた様子で視線を向ける。対し、ユリウスはそれを予期していたというようにその声の下方向に視線を向け、恭しげの頭を垂れた。

「ええ。その通りですよ。やはり、見た目に反して貴方は酷く聡明ですね。トバリ=ツカガミ君」

 瓦礫の山を乗り越え、そこに超然と立つトバリを見て、ユリウスは笑う。

「これで、役者は揃いました――さあ、古の物語を回帰させましょう」



   ◆  ◆  ◆



「一つ――分からないことがある」

 フードを摘まんで目深に被り直しながら、トバリはユリウスを睥睨しながら尋ねる。

「何ですか?」

「お前は言ったな。オロチの起動にはナツメの命を鍵とする――と」

「はい」

 ユリウスが頷く。トバリは言葉をつないだ。

「なら、どうしてそいつは今、動いているんだ。ナツメは今もそうして生きているのに」

「ああ……そのことですか。その答えは――これですよ」

 トバリの問いに納得がいったという様子で頷くユリウスは、何でもないという様子で自分の腕を見せた。

 そこには見たこともない黒い物体の埋め込んだユリウスの腕がある。

「オロチの核ですよ。本来は、これにナツメ様の致死量の血液を浴びせることで起動させるのですが、それを私の血液循環で賄っています。元々これも生物兵器――生命体ですから、食える命があるのなら食うのでしょうね」

「それだけで動くとは思えないが?」

「王者の……鍵」

 そう告げたのはナツメだった。トバリはその名を聞いただけで合点がいった。

「なるほどな。生物兵器は生命体――そして、生命体ならば――」

「はい。王者の鍵で操ることが可能です」

 隠す様子もなく、ユリウスはにこやかに笑んで鍵を見せた。しかし、それに疑問の声を上げたのはシノブだ。

「そのようなことが……可能なのですか?」

「出来るな」

「出来ますよ」

 シノブの問いに、トバリとユリウスが同時に可と答える。二人同時に即応されたシノブは、何処か複雑そうな表情で二人を見据える。

「元々王者の鍵の能力の本質は、アカシックレコードにまで影響を及ぼすような代物だ。ただ、所有者が人間である以上そんな超越存在じみたことはできないが、この程度の化け物なら操ることも――不可能じゃない」

「よくご存知ですね。真鍵のことを知ることができるのは真鍵を持つ者のみのはず――」

 探るような揺る薄の視線を受けたトバリは、不敵な笑みを浮かべ、

「その身で――確かめな!」

 咆哮と共に地面を蹴って疾走する。異様なまでの速さでユリウスに迫るトバリ。

「愚かな。直線的すぎますよ」

 ユリウスが鼻で笑い、王者の鍵を用いオロチを動かそうとする。だが――


「――――――――【夜闇の剣(ナイトブレード)】……」


 その名が静かに囁かれた時には、もうそれはトバリの手の中にあった。

 全長にして五メートルはあるだろう長大な黒の刃。

 弓のような僅かな弧を描いた、夜の闇を孕む巨大な半月剣の切っ先が――トバリを除いた全員が気づいた時には、すでにユリウスの眼前に迫っていた。

 誰もが息を呑んだ中、トバリだけが不敵に笑む。

 ユリウスが咄嗟に身体を動かした。瞬きする半分の半分。それくらいのわずかな間――生徒死の狭間の瞬間で、ユリウスはその剣撃を紙一重で躱す。

「シノブ!」

 それを見計らってトバリがその名を叫んだ。叫びながら躱された【夜闇の剣】をありったけの力で振り被り、それを地面へと振り下ろす。

 渾身の一撃が地面を打ち砕き、爆砕する。砕かれた地面から無数の破片が弾け飛び、傍にいたユリウスを襲う。

 わずかに視線を反らし、トバリは夏目たちのほうに見向く。シノブはトバリの叫んだ意味を正確に理解してくれていた。

 今の一撃が放たれたのと同時に、彼女はナツメを抱え上げてこの場から避難していくのが見えた。ナツメが何かをシノブに向かって叫んでいるが、それはどうでもいい。

 自分の仕事はナツメの護衛であり、その安全を優先するだけのことだ。それに安堵する。

 そしてそれが一瞬の隙になる。

 トバリがそれに気づいた時には、もうそれらは動いていた。

 八の頭がそれぞれ鎌首をもたげている。

何が起きる? 

何が始まる?

 そんなことを頭の片隅で考えた――次の瞬間、トバリを取り囲むように布陣していた八の頭の口が一斉に開かれ――眩い光がトバリの視界を染め上げる。

 全身に満遍なく痛みが走る。いや、それどころじゃない。

最早何処がどう痛くて何処が痛くないのかも分からない。焼けるような、痺れるような、殴られるような、あるいは切り裂かれるような、伊丹の種類すらも分からなくなる。

だがそれでも、意識だけは手放さぬまま、全身を駆ける痛みにトバリは絶叫を上げた。



   ◆  ◆  ◆



 背後で幾重もの爆音が轟いたのが聞こえた。それに背を向けながら、シノブは先ほどの場所から僅かだが離れた場所にナツメを抱え移動していた。

 トバリに名を呼ばれた瞬間――何故だろうか。こうするべきなのだという気がした。彼のあの叫びには、そう促すような意味が込められているように感じたからだ。

「下ろして! 下ろして、シノブ!」

 先ほどから叫ぶ主の声。まだ安全とは言えない場所だが、あの場に比べればいくばくかマシだろう。シノブは走る足を止めて、ゆっくりとナツメを地に下ろす。

 瞬間、少女が激高した。

「何故、彼を置いて逃げたの!」

「……姫様」

「答えて! どうしてトバリを置いて、逃げたの!」

 そこには、いつのシノブが見ていた総帥としてのナツメは何処にもいなかった。そこにいるのは、ただ感情のままに声を荒げて喚く、何処にでもいそうな少女だ。

 自らの異形の姿をさらし、ユリウスの話に動揺され、そしてあの男を置いてきたことで、もう感情の制御はできていないのかもしれない。

 シノブの中で、色々な事柄が明滅する。

 どうして、その異形の姿のことを今まで教えてくれなかったのか。

 どうして、オロチやそれにまつわる話をしてくれなかったのか。

 どうして、そうまでして彼にこだわるのか。

 何も、何も知らない。

 自分は、主であるこの少女のことを、その実知らないことが多すぎることに、今更ながら気づく。

 忍は主に忠実であり、主を影ながら支え、主のためにその命を尽くす。

 だが、だからと言って何も知らぬままでいていいわけではないだろう。ある次のことを何も知ることなくして、主のために何かを成せるとは、到底思えない。

 自分はもっと、この主のことを――この少女のことを知らねばいけないのではないか。

 そう考えると、妙に納得がいった。実に簡単なことだった。

 ただ命令を聞きその通りに動くことなど、その気になれば誰にでもできること。何もシノブである必要も、忍である必要もない。影ながら支えるというのは、そういうことではない。

(この方のために出来る最善を考えることが必要なのでしょうね……)

 トバリに感じた劣等感にも似た感慨は、きっとこれだ。あの男はナツメのことを考えて、その上でこの娘に必要な言葉を向けていた。良くも悪くも、彼は言葉でこの少女を促していた。

 これは劣等感ではなく、対抗意識――そういうものなのだろう。

 彼女に助力するその役目は、あの男のものであっていいはずがない。

「シノブ、答えて!」

 ナツメの糾弾の声に我に返り、シノブは彼女を見て――そして今その胸中で生じた思いに準じる。

 この娘の支えとなるために。そう、自分に言い聞かせて。

「僭越ながら……私からも、姫様にお伺いたいことがあります」

「今は、私が――」

「姫様!」

「――っ!?」

 強いシノブの言及に、ナツメが小さく肩を震わせた。ここまで強く、シノブがナツメに出ることがなかったために、ナツメは驚いて彼女を無言で見る。了承の意と、シノブは受け取った。

 ナツメの視線を真っ向から受け、シノブは呼吸を整えて、言った。

「今まで私は、姫様の忍として貴女を支えているつもりでした。ですが、此度の一件を経て、私は改めて実感したのです。私は、貴女様のことを何も知らないということを」

「それは――」

 忍の言葉に、ナツメが言い淀む。それは今まで当たり前すぎて、夏目自身も疑問にすら思わなかったことだ。それはシノブとて同じだった。今までは。

 でも、今は違う。

 思うことがある。聞きたいことがある。知りたいことがある。そのために、シノブは言葉を紡ぐ。

「今まではそれでも良かったのかもしれません。事実、私はそのことに何の疑問も抱かず、それが当たり前としてきたのです。

 ――ですが、此度の件で私は思ったのです。

 姫様のあの異形の姿のことも、姫様の祖父君やご両親が姫様に何をなさっていたのかも、オロチにまつわることも、そして――あの男の――トバリ=ツカガミのことも、それらがまつわる姫様への関わりを、私は何一つ知らないのです」

関を切ったように、シノブは次々と言葉を紡いだ。今までこれほどこの少女に向けて言葉を、思いを向けたことがあっただろうか? 今まで溜めていたものが一気に吐き出されるように、シノブはナツメを見て訴える。

「私は忍です。貴女に仕え、貴女を支えるべくして存在する者です。そんな私が、姫様のことを何も知らぬまま、この先支えていけるとは到底思えないのです。

そして、私はこれからも姫様の忍でありたい。貴女に仕え、貴方の支えとなりたいのです。ですから――」

そこでいったん言葉を区切り、シノブはその場に片膝をついてこうべを垂れる。

「ですから――どうか、教えていただきたいのです。姫様の抱えているモノを……どうかお一人で抱え込まないでください。忍は――私は姫様の支えでありたいのです」

 出過ぎたマネだと、シノブ自身そう思っている。だが、それでもなお告げねばいけないと思ったのだ。

 何も知らぬまま主が苦しむ姿を見るのだけは、絶対に嫌だ。その想いの方が圧倒的に勝っているのだから。

 二人の間に、しばし沈黙が支配した。重苦しい空気が一帯を支配する。

 やがて、沈黙を先に破ったのはナツメだった。

「……シノブ」

「はい」

 名を呼ばれ、シノブは顔を下げたままその声に応えた。

「……ありがとう……」

 次いで告げられたのは、そんな言葉だった。シノブは思わず顔を上げて、ナツメの顔を見上げる。

 そこには、先ほどまでの感情を爆発させていた少女はおらず、居たのはシノブの良く知る、クシナダ財団の総帥の顔をした主だった。

 彼女はその静寂宿る翡翠の双眸でシノブを見て、淡く小さく微笑んだ。そして、申し訳なさげに眉を下げる。

「……そうね。私は……話しておくべきだった。いつもそばにいて、私を助けてくれる、貴女にくらいは……」

「姫様……」

「……ごめんなさい」

 そう言うや否や、ナツメがシノブに向けて頭を下げた。シノブが素っ頓狂な声を上げる。

「なっ!? なりません姫様! 主が忍に頭を下げるなど――」

 慌てて両手を振るシノブだが、ナツメはその先を遮るように言う。

「それでも……謝りたいと思った。貴女の忠誠にこたえきれずにいた、私の責任を――」

「姫様……」

 主の言葉に、シノブはどう反応していいか分からず言葉をなくす。そんなシノブに向けて、ナツメは、

「ちゃんと、話す。私が最も信頼する……貴女には」

「姫様!」

 感動のあまり主と忍であるということも忘れて抱きついてしまう勢いで立ち上がったところで、

「盛り上がってるところ悪いが、そろそろ現実的な話を始めようか?」

「トバリ!」

 いつの間にか近くの瓦礫に背を預けていたトバリという横槍が入り、ナツメが勢いよく彼のほうに駆けて行ったがために、シノブの不忠義めいた行動は阻止されることとなった。

 恨めしげに睨んでくるシノブを無視し、トバリは左肩を抑えたまま二人を見る。

 駆け寄ってきたナツメが、心配そうにトバリを見上げていた。彼の全身はぼろぼろで、コートは見るも無残な状態になり、目深に被られていたフードは吹き飛んで今はその真っ白な髪が姿を見せていた。肌のあちこちに裂傷が走っており、服の各所が血に滲んでいた。

「よくあんな化け物を相手に生きてましたね。てっきり死んだかと思いました」

 険のある問いをしてくるシノブを一瞥した後、トバリは今にも手当てすると言いだしかねないナツメを制止し、溜め息交じりに口を開く。

「正直言えば、立ってるのもやっとな状態だ。出来ることなら今すぐにでも尻尾を巻いて逃げ帰りたい――が、そういうわけにもいかないんだろうな……」

 トバリは小さく舌打ちをして、自分を見上げるナツメを見下ろす。

「ナツメ……お前の本当の目的は、あれの回収じゃないんだろ?」

 トバリの唐突なその問いに、ナツメはぎょっと目を剥いて彼を見上げると、観念した様子で首を縦に振った。

「……そう。私の目的は、あれの回収ではない。その逆」

「――破壊……か」

 続きを口にしたトバリの言葉に、彼女はゆっくりと頷いた。

 その反応に、トバリは内心でそうだろうなと納得した。オロチを前にし、そしてユリウスの告白に向けて見せたあの憎悪と殺意は、オロチの回収をもくろんでいるというよりは、それを滅そうとする感情が見て取れた。

 トバリは吐息を零す。呼吸をしながら痛みの感覚を鳴らしつつ、思考する。

 いや、考えるまでもない。するべきことは、自分が決めるのではない。それを決めるべき人間は、今此処にいる。

「ナツメ……」

「ん?」

 名を呼ばれ、ナツメが首を傾げる。そんな彼女を見下ろしながら、トバリは問う。

「お前はどうする? このまま逃げるか。それともあのオロチを壊すか――」

「壊す」

 即答だった。それには流石のトバリも目を剥いた。

「手はあるのか? あのデカブツを壊すってのは、並大抵のことじゃできないぞ」

「手はない」

「なら、どうやって壊すんだよ?」

「今から考える」

 ナツメは揺らがなかった。そのうちに秘めた決意が固まっているが故に、彼女は決して揺らがず、諦めずにいる覚悟を以て、トバリの言葉に正面から立ち向かっている。

最初にこの〈崩壊都市〉に〈地獄門〉へ向かう――その決意が揺らぐことがなかったあの時と同じくして。

「……そうか。分かった」

 トバリはそう言って微苦笑する。こうなったら梃子でも動かないだろう。なら、矢とわれのみである自分はそれに従うのみだ。

「雇われてんだ。つき合うよ」

「当然」

 ナツメが当たり前というように頷いた。

「ですが、現実的にあの巨大な生物兵器を破壊する術はあるのでしょうか?」

 そう言ったのはシノブだ。そしてその通りだ。今のままではどのような手段を用いてもあの巨大な装甲を纏ったオロチを打破する術はない。

 対人類用の兵器であり、同時に神の用いるような代物だ。それを作ったのがクシナダの逃げんとなれば、それはもう神人対策もバッチリ施されているに違いない。

 だが、あの兵器の現状の弱点が一つだけある。

「方法がないこともない。ユリウスから王者の鍵を奪えばいい。本来ナツメの命を使って起動する兵器を、ユリウスは自分の命と王者の鍵を使うことで辛うじて操っている。その手段を奪えば、あの兵器はなんの役にも立たなくなる」

 ただしい方法ではなく、裏ワザで動かしているのなら、その裏ワザを奪ってしまえばいい。そう言いたいのだろう。

「で、その肝心の鍵を無効化するにはどうするのです?」

「手はある。だが、決め手に欠けるな……オロチは抑えられるかもしれないが、ユリウスに接近できるかどうか……」

 トバリとシノブが顔を合わせる中、不意にナツメが手を上げた。

「鍵を無力化する方法がある」

「どんな?」

「これ」

 トバリがいぶかしげに尋ねると、シノブはスカートのポケットから一本の鍵を取り出した。それは金色に輝く豪奢な意匠の施された鍵――真鍵No.9:黄金の鍵だった。

「おまっ……それ、鍵の能力を無効化する鍵かよ!」

 トバリが傷の痛みも忘れて驚愕する。黄金の鍵は不変の力を宿す鍵とされ、その最大の強みは他の鍵の能力影響を一切受けず、逆に他の鍵の能力を鎮静化する。

「よし! これで勝利率は上がった」

「でも、私はまだこの鍵を扱えない」

「勝率が再び下がったな」

 ぬか喜びもいいところだ。と思ったのもつかの間、トバリははたとその事実に気づく。

 真鍵は、保持者でなければ持ち歩くことすらできない。鍵が持ち主を選び、選ばれなかった者は鍵に拒絶されて手にすることすらできないはず。

 しかし、今ナツメはその鍵を手にしている――それはつまり、彼女が鍵に所持者と認められていることを意味する。

 持つことはできる。ただ使い方を知らないだけ。ならば――

 トバリはナツメとシノブを見やり、オロチの方を見据える。近づいて来てる。おそらくは夏目たちを探しているのだろう。此処も、そう長くないうちに見つかる。

「俺が時間を稼ぐ――ナツメ、お前はその間に鍵の力を引き出せ。シノブはその間ナツメを守ってろ」

 トバリの言に、ナツメとシノブが目を剥いた。

「トバリ!」

「正気ですか?」

「正気だよ。まあ、持って五分か……長くても十分はかからないな。それまでに黄金の鍵の力を引き出してくれ」

 そう言って、トバリは止めようとして必死に言葉を探しているナツメの頭に手を乗せて、

「俺の命……お前に預ける。だから――任せたぞ」

「うっ」

 その言葉に、ナツメが言葉を詰まらせて――やがて小さく首を縦に振った。

トバリは微苦笑する。すぐ側から向けられていた殺気交じりの視線は無視を決め込み、トバリは踵を返すと、僅かに血のにじむ口でにやりと嗤い、

「――さあ。第二ラウンドといこうか」

 不遜な物言いと共に、彼は夜闇の鍵を手にして、それを自らの右腕に向けた。

 瞑目する。

 何もない暗闇。その中に描く僅かな光。

 それは脳裏に描く想像の鍵穴。

そこに夜闇の鍵を差し込む。

 夜闇の鍵の能力は平常と安息。誰もが安らぎ眠る夜の光のように、この鍵には万象を諌める力を持つ。

 その力を、トバリは自分の右腕に施した。鍵の力のほとんどを、この右腕と右目に宿る忌むべき力を抑え込む封印として行使してきた。

 他の命を奪った力。

 神を屠ると言いながら、人を殺めた忌むべき(かいな)

 あれから長い歳月を経た。

 封神(ツカガミ)。それは今のトバリの名でこそあるが、実際のトバリの性は別にある。この名は『神罰の日』を境に皆仕事なった自分を拾い、育ててくれた人がくれた名だ。

 名は体を表すとはよく言ったもの。かつてのトバリの性はタケハヤ。即ち建速である。

 それはある破壊者の名だった。

 そして皮肉にも、トバリの腕に宿ったその名も、その破壊者の名を冠している。

 嵐や死を司る、この国の逸話の三貴士が一柱。それを腕に宿し、それを封じるが故に封神だと言われた。

(今なら……使いこなせるか? お前を)

 あの日、抑えることが出来ずに、ただ奪うことしかできなかったこの腕。今は何のために振るうのかを考える。

 神を倒すため?

 ナツメを守るため?

 かつての罪に贖うため?

 どれも自分らしくないモノだと、トバリは思う。そもそも神と人類の聖戦などトバリには関係のないことだし、ナツメを守るというのは実に傲慢な考えだ。

 なら、罪に贖うためかと問われれば、それも違う。そのどれでもあるようで、どれでもない。

 ただ、見届けてみたいという気持ちが、何処かにあるような気がした。

(こいつがどんな道を歩み……どんな生き様を見せるのか)

 それを見届けることで、見守ることで、手助けをすることで、あの日犯してしまった罪に意味を持たせられるのなら……

(まあ……悪くはないな)

 鍵を捻ると、ガチャリ……という鈍い音がした。

 瞬間、右腕と右目が鳴動する。

 右腕が脈動し、内側から突き破るような感覚に襲われる。

 そして突如、それは出でた。

 右腕から右の頭部までにそれは侵食するかのように姿を現す。装甲のような銀色の外甲に覆われた右腕。

 鋭利な爪と、その腕のから生える、巨大な三日月の刃。右の顔半分を覆う、鬼の角のような外殻と、悪鬼の如く爛々と輝く右目。

それがトバリに宿った、トバリが忌み嫌い続けていた力の姿。

 頭の中で声が木霊する。

 ――神を滅ぼせ。

 ――人を救え。

 ――我はスサノオ。神を破壊し尽くす者。

 ――壊しつくし、

 ――滅ぼしつくし、

 ――殺しつくせ!

 脳で木霊する声に、トバリはにやりと笑う。

「我鳴るなよ……言われなくともやってやる」

 今は戦うべき相手がいる。この忌むべき腕を振るう理由がある。

 今まで彼を縛っていたもの全てを振り切るかのような勢いで、トバリはその異形の姿で今も君臨する八つ首の魔物へ向かって飛び出した。



   ◆  ◆  ◆



 彼がその異形の姿で現れた時、ユリウスは心躍るような気持ちとなった。

「素晴らしいですね。そして、実に禍々しく、そして神々しい……」

 白髪をなびかせ、その右腕に異形の刃を宿して現れたトバリを見た瞬間、ユリウスは自分の推測が間違っていないことを確信した。

 政府管理の個人情報。そこで見つけた彼の名を見た時、もしやと思った。

 建速という性を見た時、ユリウスの脳裏に浮かんだのは、日本の古事記に登場する破壊神にして地上の英雄――スサノオの名だった。

 スサノオもまた、聖戦に参加して天上の神と戦った存在だということをユリウスは知っていた。

 そして彼の血を継ぐ血族が、今もこの国の何処かで生きているということも聞き及んでいた。

 だがまさか、彼が八年前にあの夫婦を殺した子供だったというのには驚いた。

それと同時に、運命を感じ模した。

 スサノオを継ぐ者とクシナダの姫にこのような因果がある。そして自分が生み出してしまったオロチ。

 これは、なんという神話の再現なのだろうか――と。

 胸が滾った。

 かつて犯した己の罪に悩み続け、そうして訪れたこの好機。

 聖戦に臨む、聖戦に加わる力のない少女と、聖戦に関わらず、しかし聖戦に加わる力を持つ青年。そして聖戦に踊らされる人間たちの間で彷徨った男。

 罪人に相応しい断罪をしてくれる者たちがいる。

 そう感じたのだ。

 この者たちこそが、自分を断罪してくれる存在だと。

 だからユリウスは歓喜する。

 自分の願いが叶うと感じたから。

 そして試すのだ。

 彼らがそれに相応しい者たちのなのかを。

「さあ! スサノオよ! クシナダヒメよ! 私を! ヤギ=イズモを殺して見せてくれ!」

 万感の思いと願いを込めて、ユリウスは――否、ヤギ=イズモは叫び乞うた。



   ◆  ◆  ◆



 八首の大蛇の胴を飛び交い、時にスサノオの刃で切りつけ、殴り飛ばし、左手に握る夜闇の鍵――【夜闇の剣】で切り払う。

 すべての動きが予測できる。まるで目が全方位にあるようだ。

身体は軽く、少しの力で超人的な動きを可能としていた。それもすべてスサノオが与える力の結果だが、それはそう長く持たないことをトバリは理解していた。

 この力は、いわばただのドーピングだ。

 スサノオという劇薬で一時的に肉体のリミッターを解除しているに過ぎない。それは肉体に負荷をかけているだけでしかなく、スサノオを解除すればこの身体能力の代償が求められるだろう。

 だが、不思議と悪い気はしなかった。

 ずっと忌み嫌い、憎み呪っていたこの腕が、今はあることがありがたいとすら思う。

 そのどちらにもナツメが起因しているように思えた。

 この腕を忌み嫌う理由は、ナツメから両親を奪ったという罪にある。

 だが、今この腕があることをありがたいと思うのもまた、今こうしてナツメがいるからだ。

 今の出会いは、かつての罪があったから存在する。逆にいえば、あの罪がなければ、自分は今あの少女と出会ってはいなかった。

「ままならないな……人生ってーのは」

 呟きながら、トバリは視界の隅に見えたユリウスを見た。

 何かを叫んでいる。

 だが、そんなことはどうでもいい。

「お前はあいつの敵だ――なら、切り捨てるまでだ」

 破壊を宿す青年が、巨大な蛇をその両腕の刃で切り裂きながら、そう吐き捨てる。



   ◆  ◆  ◆



「シノブ……」

 ナツメは鍵を握りしめながら、己の忍の名を呼んだ。

「何でしょう、姫様?」

「トバリのことを、聞きたがってたわね。どうして、彼にこだわるのか――と」

 シノブは頷いた。シノブの中で、彼に対する謎は今も一層深まっている。ナツメと同じようで、より違う禍々しくも神々しさを感じる、あの異形の姿。

謎は一層深まった。あのような男と、一体ナツメにどのような関係があるのか。

「私は覚えてるの……トバリが、私を助けてくれたことを」

「それは……いつのことですか?」

「八年前……お父様とお母様が亡くなった日よ」

 ナツメの告白に、シノブが絶句する。

「あの日、お父様とお母様は、私を殺してオロチを起動させようとしたの」

 今でも鮮明に思い出せる、あの日の記憶。両親の手に引かれてあの施設へ連れて行かれようとした。

 その時の両親の顔は酷く怖く、醜悪で、恐ろしくなってその手を振り払って逃げたのだ。

 そして、逃げた自分を追ってきた二人を、スサノオに覚醒した男の子が殺す瞬間を、この目で確かに見たのだ。

 しかし、それはナツメにとって両親を殺した仇ではなく、自分を殺そうとした肉親から助けてくれた――そういう形で、ナツメの中に存在し続けていた。

 聖戦に加わろうとしたのも、その時助けてくれた男の子を探したい――という、私情にまみれていた部分もなきにしもあらず。

「ですが……だったら何故、姫様は彼の名をご存じだったのですか?」

「敗れた服の切れ端に、名札があった」

 シノブは呆気に取られてしまう。そんな不確かな情報で彼を探し、そしてまさか、見つけた男がまさにその人物だったとは……

「ずっと探していた。助けてくれたお礼を言いたかった。聖戦に加わって、一緒に戦いたいと思ってたわ。そして今、私の願いは叶う……」

 命の瀬戸際になるやもしれないというのに、シノブの主たる少女は何処かワクワクと心躍らせる子供のような面持ちをしていた。

 そして、ナツメはその長い金髪を揺らし、満面の笑みをシノブに見せた。この笑顔の要因があの男にあるのは気に入らないが、その笑顔が見れたのは自分だけというのに満足しながら、ナツメの言葉を拝聴する。

「神様なんていないわ。でも、彼の出会わせてくれたのが誰かの仕業だというのなら、私はその存在に感謝してもいいとすら思う」

 鍵を握る手に力が籠る。

「そして――私は此処に誓約する。この身果てるまで、この世界を屠ろうとする天上の者たちと戦い続けることを」

 ナツメの手の内で、僅かな金色の輝きが生じる。

「古から続くこの聖戦に、私は今その名を連ねるわ」

 その言葉が紡がれた刹那、彼女を中心にし、金色の輝きがその一帯を染め上げた。



   ◆  ◆  ◆



 金色の奔流が周囲を染め上げた刹那、トバリの手に握られていた【夜闇の剣】がその形状を失い、元の黒い鍵へと姿を変えた。

 同時に周囲を覆っていた蛇たちの動きが止まる。

 見下ろせば、そこにはユリウスが呆然とした様子で自らの手にする王者の鍵を見据えていた。

 そして次の瞬間、周囲のオロチが鳴動し核を宿いたユリウスを一斉にその獰猛な瞳で睥睨した。

 十六の瞳がユリウスを捉える。そして――それらが一斉にユリウスへと襲いかかった。

 力の共有を失い、王者の鍵を失い制御が不可能となったオロチたちは、正しい形ではない起動を行ったユリウスを異物と認識し、排除にかかったのだ。

 因果応報。

 悲鳴を上げる間もなく、ユリウスの身体がオロチの歯牙の餌食となる。あれではもう助からないだろう。

 だが、核は生きている。あれを破壊しなければこの戦いは終わらない。

 トバリはゆっくりともはや動かなくなったユリウスに歩み寄る。オロチは異物の排除を終えたと認識したのだろう。その身体は崩壊し、黒い八つの稲光のような物が核に納まっていくのが見えた。

「……トバリ……君、ですか?」

「辞世の句くらいなら聞いてやってもいいぜ?」

 血だまりに沈んだユリウスを見下ろしながら、皮肉気にそう尋ねると、彼は小さく苦笑した。

「古風……ですね。ですが……私にはそんなものを残す気はありません」

「そうか……」

「ただ……」

 右腕を振り上げ、とどめを刺そうとした時、ユリウスが僅かにそう零し、手を止めた。

「君には……言っておきたいことがあります」

「……さっさとしろ」

「ありがとう……」

「意味が分からん」

 寸前まで殺し合ってた相手に突然礼を言われれば、そうも言いたくなる。

「そして……すまない」

「だーかーらー」

「聞いてくれ……」

 まどろっこしい言い回しをするユリウスに、トバリが物申そうとするよりも先に、ユリウスは言う。

「君は……不本意な形とはいえオロチを討った。これにより、君は聖戦に望まずとも巻き込まれる形となる」

「……」

 トバリは何も言わず、続きを待った。

「おそらく……ナツメ様もだ……君たち二人は、この瞬間、神と……敵対した……もう、逃げることはできない。何も知らないで戦いから逃げることは……もうできないだろう」

「……そーかもな」

 それは、何となくだが理解していた。オロチは人によって作られこそしたが、それを指示したのは天上の神なのだろう。それを打ち倒したのならば、最早戦いは避けられるものではない。

 ユリウスが言う。

「どうか……勝ち続け、生き続けて欲しい……そのうち、きっと何かの糸口がつかめるだろうし……ね」

「随分と他人事みたく言いやがる……」

「その通りだ……他人事だよ。すべて……ね」

 そう言ってユリウスは淡く笑んだ。だが視線の位置が不確かだ。おそらく、もう見えてもいないのだろう。

 こと切れるのは、時間の問題だった。

「ナツメ様に……謝っておいてくれ……あの研究がどれだけ酷いものか知りながら、それを止めなかった僕にも、罪が……ある」

 そこで言葉を区切り、ユリウスは言った。

「君にも、ね……」

「そうか……」

 言いたいことは、何となく理解できた。自分が止めていれば、トバリ自身も、あのようなことにはならなかったかもしれない。そう言いたいのだろう。

 だが、すべては仮定の話であり、結果はすでに存在している以上、もうやり直すことはできない。

「……もう、いいか?」

 そう尋ねると、ユリウスは頷いた。

「ああ、頼む。君に介錯されるなら……悪くもない」

 ユリウスが目をつぶる。

 トバリは右腕をゆっくりと持ち上げ、そして言った。

「あばよ……ヤギ=イズモ」

 あの時、この男が叫んでいて、その時聞こえてきたその名を、トバリは口にした。

 誰の名とも知れないその名。

 だが、トバリはそれがこの男の名前なのだろうと直感していた。理由はなかった。ただ、そう思っただけに過ぎない

 その直感が正しかったのかは分からないが、ユリウス――いや、八岐(ヤギ)出雲(イズモ)の肩が僅かに震えた。

 そして――



「……ありがとう」



 礼を言われる意味などはない。そう言うようにトバリは苦笑し――

 ――右腕の刃を振り下ろした。

 オロチの核が砕け、同時にヤギの命を絶つ。

「……こっちの台詞だ」

 最早返答もないはずのヤギ=イズモの口元が、僅かに微笑んでいるように見えたのは、きっと気のせいだと、トバリは思った。





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