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Act3:〈地獄門(ヘルズ・ゲート)〉

 

 痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い――痛い!?

 呼気が荒い。

 意識が定まらない。

 身体が思うように動かない。

 ただ、右腕が痛んだ。

 右腕だけではない。痛むのは右腕と顔の右全体。そこから全身へと侵食するような激痛が延々と繰り返され、その痛みを堪えようと腕を振り回す。

 周囲にある物を容赦なく殴りつけ、あるいは薙ぎ払うたびに、その先にあった物が砕け、ひしゃげ、原形なく変形する。

 視界に納まる右腕は、見なれた自分の腕ではなかった。

 腕全体が硬い鋼色の鱗に覆われ、その指先には鋭い真紅の爪を宿す五指。そして腕から生えた巨大な三日月刃。

 何だよ――これ!?

 気味が悪かった。いや、おぞましかったのだ。

 自分の腕が自分のものではなくなっているのが。自分が自分でいられなくなるのが、それが怖かった。

 頭の中で声がした。

『殺せ』

『殺せ』

『天上の存在を』

『我ら地上の敵を』

『生きるために』

『尊厳のために』


『――さあ、殺し尽くせ!』


 意味が分からない。頭の中で木霊する声の言葉の意味は、幼い少年の無知には到底理解の及ばぬことだった。

 否、たとえ聡明な智者であろうとも、その言葉の真意を知り及ぶ者はいないだろう。

 その言葉が意味するのは隠匿されし歴史。

 教会が否定し、存在すら抹消された隠された真なる出来事。

 人知れず続けられる、この世界に生ける者たちの尊厳を賭けた聖戦。

 少年を苛むのはその残滓。今も決着のつかぬまま訪れた、この災厄に対する古き英雄の反旗の証。

 刻まれたそれは聖刻。天上に抗うために宿り与えられた力。

 だが、その力は少年にとって望むべくして与えられたものでもなければ、その力が望まれる形として振るわれることはなかった。

 変形した右腕。刃を伴う禍々しい異形の腕爪。人を守るため、天上の存在を屠るために宿ったその力が手に掛けた存在は、皮肉にも人間だった。

 大人の一組の男女。

 不幸にも、その二人は少年の前に現れた。


 ――身に宿った禍々しい異形の腕。

そこから伴う激痛に苦しみ、もがくように悲鳴を上げながら腕を振り回すその腕の前に――


 ザクリ……

 そんな音が聞こえた。

 男性の身体から赤が噴き出し、そのまま地面に倒れ動かなくなる。

 女性の口から悲鳴が上がる。

 だが、痛みに苦しみ少年には聞こえていても、止まることはなかった。

 この痛みをどうにかしたい。その一心で腕を振り回す。

 衝撃。

 女性が吹き飛ぶ。

 積み重なった瓦礫の一部に衝突し、地面に落ち――そのまま動かなくなる。

 出来上がったのは二つの死体。

 最早動かぬ亡骸二つ。

 同時に――痛みが引いた気がした。ほんのわずか、だが先ほどまでの耐えられないものではなく、歯を食いしばり、強く意識を保てば収まるくらいに……


 ――何故だ!?


「なんで……なんでだよ!?」

 どうして今になって痛みが引く!

 どうしてもっと早く和らがなかった!

「どうして――殺した!」

 右腕を睨む。痛みに耐えるように肩で息をしながら、ありったけの憎悪と怨嗟を込めて。

異形の刃。鋼の鱗。鋭い爪。

 忌々しく、憎たらしい右腕。俺の――右腕。

 脳に焼きついた、死ぬ瞬間の呆気に取られた男の表情。

 男が死んだと知った瞬間、絶望に染まった女の表情。

 腕の刃を通じて伝わった肉を切る感覚と、振り回した腕が振れた時の、骨を砕く感触に全身が粟立つ。

 その時、

「――お父様?」

 背後で父を呼ぶ声がした。

「お母様?」

 母を呼ぶ声がした。

 振り返って、その声の主を見て――少年は絶句する。

 そこには二つの肢体の間で膝をつき、もはや動くことのなくなった男女を必死に揺すっている少女がいた。

 金髪に翡翠の瞳。陶磁器のように白い肌。あの災厄に晒されながらも、小奇麗な服装をしたその少女は、血溜まりの中で必死に二人を揺り動かしていた。

 そして悟る。自分が奪った命は、この少女の両親なのだと。

 俺が殺した――この少女の両親を。

 俺が奪った――この少女から、そこにあった幸せを。 そう考えた瞬間、少年は自分がどれだけ恐ろしく、おぞましく、残酷なことをしたのか――それを考えただけで、足もとから言葉にならない何かが這いあがってくるような感覚に襲われ、自分でも気づかぬうちにその場から後退る。

 同時に、少女が不意に顔を上げ、こちらを見た。

 目が合い、ビクリと体が震えた。そして――身を翻し、少年はその場から一目散に逃げ出した。

 あの場所にいたくなかった。

 恐ろしかった。

 二人の死体が、少女の視線が、自分を苛む、この感覚が。

 後にも先にも、幾度も夢見、何度も後悔し、悔やんでも悔やみきれないままである過去はこの時のことだけ。

 だから決めたのだ。

強くなろうと。強くなると。

 もう二度とあんな思いをしないために。誰かにあんな悲劇を二度と味あわせないために。

 しかし、何の因果か。自分は今再び悲劇の続きと邂逅した。

 八年。言葉にしては短く、だが人が成長するには十分な時を経て――今、あの日の少女はそこにいた。

 奪ってしまったものは二度と戻らない。返せない。

 なら、今の自分に何ができる。何をしたらいい。

 分からない。だから模索する。

 あの日の悲劇に報いるだけの、贖罪の方法を――



   ◆  ◆   ◆



「此処から先が、お前の行こうとしている場所だ」

 そう言って、トバリは視線の先を顎で指した。


 ――〈地獄門〉。


そこは〈崩壊都市〉に君臨する神託の碑文を囲うように広がる半径十キロ程度の領域だ。

 元々〈崩壊都市〉というのは常人なら踏み入ることもしない場所だが、この〈地獄門〉は〈崩壊都市〉を散策する【発掘屋】も踏み入ることがない、真の意味での不可侵領域と呼ばれている。

 踏み入る者は数少なく、生きて帰還するものはその百分の一にも満たない。

〈地獄門〉に踏み入る者は、ただの自殺志願者か。

 あるいは命知らずの馬鹿か。

 政府の組織した〈崩壊都市〉探索組織――クサナギくらいである。

 ちなみにトバリが当てはまるのは間違いなく二番目。命知らずの馬鹿だ。どうしようもなく泣きたくなる。必死に堪えた。

 目の前に広がる異界を目の当たりにし、果たしてこの二人がどう思っているのか、トバリには知れない。

「……面白そう」

「はい、その通りですね。姫様」

 訂正。何も考えてない、正真正銘の馬鹿だというのだけは分かった。即刻回れ右して二人を置いて帰りたくなる。クーリングオフというのは契約にも適応しただろうか?

 何せ、連れの二人――そのうちの一人であるナツメは、心なしか目を輝かせているように見えた。お前、通常時の無感動は何処に行った? そう問い詰めたくなるくらい、彼女の周囲の雰囲気は明るく見える。

 もう一人の連れであるシノブに対しては最早何も言うまいと半ば諦めの境地に至っていた。

どうにもシノブはナツメ至上主義でも掲げているのか、事あるごとに「姫様は~」「姫様は~」と口にしてこの小柄な少女を持ち上げて話すし、まるでナツメの言葉は神の言葉であるかのように従順だった。

実際に「姫様の言葉は神の言葉に等しい」などとほざいた時には、トバリは失笑を禁じ得なかった。その神とやらの手によって荒廃したご時世で、神なんてものを引き合いに出したのだから、笑うなというほうが無理な話だった。

 ただ……その後思い切り頭を殴られたのは理不尽極まりなかった。しかも、痛かった。

 今も〈崩壊都市〉と〈地獄門〉を隔てる了解であるこの場所を繁々と見回している二人を尻目に、トバリはポリポリと頬を掻いて、腰のポーチやベルトに繋いである装備を確認しながら、コートのポケットから小型の端末を取り出した。

 見た目も使用用途も、『神罰の日』以前では当たり前のように普及していた携帯電話と大差ないそれを開きアドレスリストから相手を選択した。

 何度か呼び出しのコールが繰り返され、僅かなノイズ音の後に相手の声が届いた。

『トバリ君ですか?』

 端末ごしに相手の声が届く。相手はクシナダ財団の鍵則研究部門長、ユリウス=ノール。

 声が当人の物であるのを確認しながら、トバリは溜息一つ零してそれに応じた。

「……名前は表示されてると思うが」

『まあ、電話の時のお約束のようなものと思ってください。それで、現在位置は?』

「……丁度〈地獄門〉手前にいる」

『了解しました。一応、こちらでも位置を追尾してはいますが、あまり期待しないで下さいね』

 実に無責任な言葉を告げてくる通話相手の声に対し、電話越しに人を殴る術はないものだろうかと半ば本気で考えるトバリだが、そんなトバリの心情など知る由もない相手は、見えないはずなのに酷く満面の笑みをしているのが分かる声音で、

『それでは、頑張ってくださいね。総帥たちを、なにとぞよろしく』

 流暢な日本語でそう言うと、通話はほとんど一方的に切れた。

 通話の切れた端末を半眼で睨み見据えた後、盛大な舌打ちと共にその端末を叩きつけるような勢いでポケットに突っ込むと、ありもしない頭痛を覚えて額に手を当てて項垂れる。

 チラリと振り返って見れば、興味半分で辺りの瓦礫をひっくり返したり、誰もいない廃ビルの中を覗き込んでいるナツメと、その夏目の後ろにピッタリ寄り添うようについて行き、彼女をまるで観葉植物を愛でるように見守るシノブの姿があり、やはり頭痛を感じて肩を落とす。緊張感などクソほど存在してない。

 トバリは肩を震わせ、曇天に染まる空を仰ぎ、何か言葉を口にしようと大きく息を吸い込んで、

「……はあぁぁぁぁぁ……」

 結局その口から零れたのは、後悔の念に満ちた溜息一つだった。



   ◆  ◆  ◆



 時間は数時間前に遡る。

 タカマガハラ中央部第三区画。政府中枢の存在する中央部第一支部のすぐ側に高々と君臨する、現代技術の結晶のような高層ビル。そこがクシナダ財団の本部だ。

 超巨大都市であるタカマガハラは、その地を十二の区画に分けており、現政府の政務機関や世界規模で影響を及ぼす企業などが集中している第一区画を中央部、あるいは最下層と呼び、それを囲うように広がる土地を第二区画。そのさらに一回りした区域を第三区画という、円を描くように都市を何重にした形となっている。

 これは内地である下層に行けば行くほど安全と裕福さを如実に表す図となっており、外延の区画である上層に行けば行くほど、用いる技術レベルも、生きていく生活レベルも、人としての尊厳のレベルも下がっていく。

 円を描き、十二の断層分けされた皿状の都市であるタカマガハラは、貧困の差が顕著となっているのだ。

単純に、中央に近いほど安全で裕福であり、逆に外延部の波の障壁に寄れば寄るほど貧乏だということになる。

都市の形状は実に分かりやすい、生活基準の優劣を表す縮図だった。

 そしてクシナダ財団の本部がある場所はこの年の中央部――最高位の富と名誉を持つ地に存在している。この日本最大の流通企業。タカマガハラの最高基準の機械製品やら工業技術をふんだんなく使われた巨大ビルの中にある様々な道具は、第十地区に居を構えている(登録票上での話で、実際は行き当たりばったりの根なし草)トバリには見たことも触ったこともないような機材がそこらかしこと並んでおり、どれか一つ売るだけで、上層なら一生遊んでも困らないくらいの金になるだろう。

 それくらいに、用いる者のレベルには差があった。

 そしてそんな住む世界が違うような場所で、トバリは一階にいた受付の女性に案内されてエレベータで上の階を目指していた。

 こういった大企業の一番偉い人間の部屋というのは最上階というのが昔からのお約束であり、ナツメの執務室である総帥室もまた、その例にもれず最上階にあった。

「狭っ」

 案内してくれた女性が去っていくのを見送った後、トバリは入室と同時にそう言葉を漏らした。

圧倒的な敷地面積を持つビルの広さから鑑みてもこの部屋は狭かった。アカツキの店と大して変わらない広さしかない。

 室内にはナツメの仕事用物と思われる机。壁には無数の本棚とそこに収まった大量の書物。

 そして来客用の一対の大型ソファとその間に設置された低いテーブルだけ。

 トバリは自分の予想とは真逆の部屋の面積にただ呆気に取られている。そして、部屋の入り口で固まったままの彼を、机の上で最新型の虚空映晶画面(アイレ・ヴィジョン)を通して何らかの資料に目を通していたナツメが彼の入室に気づき、

「トバリ?」

 トバリの名を呼んだ。瞬間、トバリは雷に打たれたように身体を震わせ、視線をナツメに向ける。するとナツメは椅子から降りてトバリの下へトコトコと歩み寄ると、彼のコートの裾を摑むと無言で引っ張りながらソファへ視線を向ける。座れということらしい。

「……へいへい」

 面倒臭そうに舌打ちをしながらも、トバリは促されるままソファへと座る。ナツメはそれを見て満足げに頷くと、トバリの対面するようにソファへ座る。何を満足しているのか分からないが、どうでもいいかとトバリは背もたれに身体を預けた。

 そして間もおかず、トバリはナツメを険のある目つきで問う。

「……で、改めて仕事の内容を確認させてくれるか」

 睨みつけているつもりはないのだが、目つきの悪さはどうにもならない。ちなみにトバリの目つきの悪さはあらゆる方面から折り紙つきだ。背びれ尾びれがついて成長した噂の中には一睨みするだけで〈食人種〉すら殺してしまうなんてものまである。

それはどんな異能力だろうか。そして俺は化け物かと突っ込みを入れたくなった。

 というどうでもいい話はさて置いて、トバリのその鋭い眼光を向けられたナツメは臆する気配すら見せず、

「少し……待って」

 そう応答する。トバリが首を傾げた。

「は? なんで?」

「シノブと……あと、もう一人が来るから。話はそれから」

「……ふーん」

 主要メンバーが揃っていない。そう言いたいらしい。トバリは特に何も言わずただ意味もない言葉を漏らして脱力し、ソファに沈んだ。適度な反動が返ってくる。寝心地は悪くなさそうだ。

 ゴロンと横になって見る。やはり寝心地はいい。

 今日は雑念が多いな、などとソファに身を預けながら自己分析していると、視線を感じて向かいに座るナツメを見れば、彼女は半眼に開かれている翡翠の相貌でトバリを凝視している姿を見てしまい、思わず息を呑んだ。

 いや、恐いわ。

 それがトバリの正直な感想だった。心臓が早鐘を打っているのは、その眼力の強さに驚いたからだ。不覚と思わざるを得ない。何が悲しくて、こんな朝から少女の眼力で驚かなければいけないのか。

 ナツメと目が合う。昨夜と同じ、緑と赤の視線の交錯。ここで視線を逸らしては負けな気がしたトバリは、向き合った眼と真っ向から対峙する。

 この状況を客観的に見た上での感想はというと、ぐうたらな彼氏を真面目な彼女が生活怠惰の改正を訴えるような視線を向けて睨みあっている、だろうか。無論二人の間にそんな関係は微塵も存在しなければ、この先その可能性に至る確率はゼロを通り越してマイナスの境地だとトバリは自己完結する。

 無言のまま、二人の視線は延々とぶつかり合うかのように思えたが、しばらくしてナツメが何かに耐えられなくなったかのように視線を逸らした。心なしか、その頬が朱色をおびていたように見えたが、無表情だから欲分からなかった。

 そしてそんなナツメの様子を一瞬で忘れて、心の中でトバリは勝った! とガッツポーズをした。

 年下の少女と睨めっこした挙句に勝利したことを歓喜するという、実にみっともない男の図が出来上がる。

格好悪い、という誰のものでもない声が聞こえたのは、きっと気のせいだ。勝負に男も女の老いも若いもない。睨み合いは先に折れた方が負ける。それはどの世界の勝負でも共通する法則だ。

 ふっ、と口元に勝利という美酒に酔ったような微笑を浮かべ、気分よさげにソファで寝転ぶトバリの姿は実に大人気がなかった。というか、最低だった。

 そして数分後。

「失礼します、姫様。遅くなってしまいま――――」

 ナツメの執務室のドアが開き、入室と同時に主へ平頭しようとしたシノブは、部屋の中の状況を見て言葉を失い、その場で凍りついた。

 そしてその眼で見られた者底冷えするような視線で、ソファに寝転がるトバリを見下ろして、

「……何をしているのですか?」

 そう問うた。侮蔑という言葉が実に相応しい声音、シノブは懐に手を入れながらソファに歩み寄る。

 トバリもナイフの柄に手をかけ牽制しながらさも当然のようにのたまった。

「見ての通り、くつろいでんだけど」

「ここは姫様の執務室です。貴方のような野良犬が休む場所ではありません」

 前々から思ってはいたが、実に酷い言いぐさだった。言うにことかいて野良犬とは。的を射すぎているじゃないか、笑えない。

そんなことを考えながらトバリは欠伸をした後上体を起こし、ソファに座り直しながら言う。

「ソファに座るように促したのはお前のところの姫様だよ。そんで、俺が仕事の内容を改めて説明して貰おうとしたら、人が足りないと言う。なら、俺は他の連中が来るまで手持無沙汰。することなし。だったら寝るくらいしかないだろう」

「その説明で分かったことは、阿多名がこの上ない自堕落者だということだけですね」

 トバリの飄々とした態度に、シノブは辛辣に言葉を返した。トバリはため息をつく。

「ならさっさと仕事の話をしてもらいたいね。俺だって暇じゃないんだ」

「そうしたい限りですが、そのために必要な人が遅れているのですよ」

「さっさと連れてこいよ」

「出来たら苦労しませんね」

 目の座った状態で、二人は互いを見据えながら「ははは」「ふふふ」とわざとらしい笑い声を上げた。

 それを見ていたナツメが、ぼそっと呟く。

「二人とも……仲良しね」

「何処がだよ?」

「何処がですか?」

 揃ってナツメに向けて同じことを言った。ハモってしまい、二人は再び互いを睨んだ。最早嫌悪に等しい感情の籠った視線で、視線で相手を殺さんとばかりの眼光を向ける。

「真似するんじゃねえ」

「こっちの台詞です」

 バチバチと、二人の間に火花が散った。

 そんな二人を見て、ナツメは再び言葉を漏らす。

「やっぱり……仲良し」

 何処か羨ましそうに囁かれた少女の言葉は、最早一触即発の二人の耳に届くことはなかった。



「申し訳ありません。遅くなりました」

 執務室のドアが再び開いたのは、それからさらに数分後だった。

 現れたのは、白衣に身を包んだ銀髪の男だ。見知らぬ人物の登場に、トバリは自然とナイフの柄に手を伸ばしながら、ナツメたちに訊ねる。

「……誰だ? こいつ」

「財団所属の研究員です」

 答えたのはシノブだった。そして、シノブの言葉に何を納得したのか、男は一度頷いて、

「では、彼が今回雇った【発掘屋】ですか?」

「そうなりますね。不本意ながら」

 男の言葉に、シノブが本当に不本意という風に応じた。そのうち辞書の表情という項目とかに『不本意な時の表情の仕方』の例として写真が載りそうだ。その時は絶対に笑ってやろうとトバリは心に決めた。

「……シノブ」

 咎めるようなナツメの声に、シノブは「申し訳ありません」と口上で謝罪する。認める気などさらさらないが、ナツメの願いならば仕方がないという空気がありありと出ていた。

それはこっちの台詞だと言ってやりたい。

 険呑な空気が室内に生じる。

しかし、そんなものの存在など感じ取れていないのか、あるいは感じ取って場の空気を和ませようとしたのか、銀髪の男は朗らかな笑みと共にトバリを見て一礼した。

「始めまして。私はユリウス=ノールと言います。このクシナダ財団本部にて、鍵則研究部門長を務めています」

「鍵則研究部門?」

 オウム返しにトバリはその名を反復した。ユリウスと名乗った男はうんうんと頷く。

「読んで字の如くですよ。『鍵』を用いた鍵則式を研究・解析し、その汎用性を考案し、有効活用する――そのための部署ですよ」

「『鍵』の研究……ね」

 ユリウスの言葉に、トバリは興味ないという様子で鼻を鳴らした。

「で、こいつは今回の仕事に関係あるの?」

「もちろんです」

 トバリの問いに、シノブは肯定を示した。

「彼が、今回の仕事の発案者でもありますので」

「何?」

 トバリの視線が鋭くなり、ユリウスを見上げる。彼は真剣な表情で首肯した。

「はい。今回貴方が総帥より引き受けられた仕事の発案は、私がしたものです」

「それが〈地獄門〉の探索……か?」

「そうなりますね」

 ユリウスの言葉に、トバリは探るような視線で彼を見て――しばし黙した後、夏目へと視線を移して、

「それで、お前は何をしに行くんだ? あの〈地獄門〉へ」

「ある研究データの回収」

 トバリの問いに、ナツメが即応した。相変わらず、返答は早い。

「ユリウスの提案を考慮した結果、私たちはそれを探すことにしたの」

「そいつはなんの研究データだ?」

 探りを入れるとか、相手の出方を窺うというまどろっこしい手法を好まないトバリは、ざっくりと切り込む。

「単純に言うならば、兵器開発のデータです」

 答えたのはユリウスだった。トバリの視線――いや、その場にいた全員の視線が自然と彼に向けられた。

 彼は三人の視線が自分に向けられたのを追確認した後、説明に入る。

「『神罰の日』以前から、クシナダ財団が謎の研究を続けていたという噂はご存知ですか?」

「まあ……噂程度には……な」

 何度となくクシナダ財団にまつわる噂を耳にしてきたトバリは、言葉を濁しながら頷いた。

「それは半分正解。半分はずれなのですよ。クシナダは遥か昔からそういったモノに手を出していましたし、研究や開発も行っていました。現実的なモノも非現実的なモノも問わず……ですね」

 その説明に、トバリが眉をひそめた。

「意味が分からない」

 ユリウスはくすくすと笑う。

「言葉通りですよ。現実的な武器から、非現実的な超常の兵器――オカルトも幻想物語も、神話だろうが寓話だろうが民話だろうが関係なく、それらに記されるものを徹底的に、です。その目的はただ一つ――」

「神との、徹底抗戦」

 そう言ったのは、他でもないナツメだった。いぶかしむようにトバリが視線を向ければ、彼女は至極真面目な表情でトバリを見ていた。無表情だけど。

「ずっとずっと昔。人が忘れるくらいずっと昔に、ある兄弟が殺し合ったの」

 その話は聞いたことがある。むしろ聞いたことがある人間の方が少ないと言えるだろう。

聖書に記される兄弟の話だ。

農夫と羊飼いの兄弟がそれぞれ神に捧げ物をし、自分の捧げものを受け取ってもらえなかった兄は、選ばれた弟を殺してしまうという、人の愚かさを示した逸話。

 それがどうしたというのか? トバリは首を傾げると、ナツメは淡々と話を続けた。

「兄が弟を殺した時、神様は言った。人間は不要な存在だと。出来損ないだと。こんな創造物はいらない。消してしまおう。滅ぼしてしまおう――そう、神様は言ったの。

 その言葉に、兄は怒り狂った。殺すべきは、争うべきは、挑むべき存在は、弟ではなかったと。兄は誓ったの。戦うことを。抗うことを。そして兄は世界に生きる、すべての命に号令をかけた。聖戦の狼煙を上げたの。

――そしてその戦いは今も続いているの」

 言葉を切り、ナツメは一度瞑目した。

「クシナダは……その頃からずっと存在し続けてる、聖戦の血族。神様と戦うための武器を造る――それがクシナダの続けてきた、神への挑戦」

 常人が、あるいは『神罰の日』以前のトバリが聞けば、妄想話として笑うことができただろう。あるいは、危ない思想の持ち主だと忌避することもできただろう。

 だが、皮肉なことに今の時代はそれを裏付ける事柄が多すぎる。

『神罰の日』から始まり、異形の存在〈食人種〉の登場。そして『鍵』の出現から生じた『神託の日』の出来事。そして〈崩壊都市〉に君臨する神託の碑文を守るように展開する歪曲領域〈地獄門〉の存在は、かつてはオカルトと呼ばれて一蹴されていたものを須らく肯定する。

 それが今の世界。『神罰の日』から変わった、世界の認識。

 何が合っても不思議ではない――そんな考えは、きっと誰の中にも存在しているだろう。

 鍵則式という名の、魔法と呼んでも過言にならない力が存在する今なら、神話の武器だろうが魔物だろうがいてもなんら不思議ではないのだから。

「神に抗う……ね」

 トバリは小さく言葉にして、そっと左手で右腕に触れた。記憶の中に残る声が、聞こえた気がした。

『天上の存在を』

『我ら地上の敵を』

『生きるために』

『尊厳のために』

『――さあ、殺し尽くせ!』

 あれも、そういうことなのだろうか。そう考えても見るが、答えはない。奴はとても気まぐれで、自分勝手な奴がこちらの質問に応じることなど稀なことだ。

 返答を期待できないことを悟ったトバリは、早々に思考を切り替える。

「で、それを入手するために行くべきところが〈地獄門〉なのは何でだよ」

 予想はつくが。

「かつてのクシナダ財団の場所が〈地獄門〉内なのですよ」

 予想は裏切らなかった。やはりそういうことなのか、と一人納得し、トバリは諦めた様子で肩を竦めた。

「そんな場所にあるモノに頼らざるを得ないとは、クシナダ財団も随分と切羽詰まった状況なのか?」

 クシナダは世界で唯一『鍵』の複製に成功したただ一つの組織だ。そのクシナダが、過去の――『神罰の日』以前の研究データに頼らざるを得ないとは、一体何が起きているのか。気にするなというのも無理な話だ。

 全員が口を閉ざす。別に無理に応えてもらうつもりはない。無理なら無理といってくれればいい。そうトバリが切り出そうとした時、先に口を開いたのはナツメだった。

「……逆なの。今だからこそ、それを手に入れなければいけない」

「何?」

 思わず、そう返した。過去の遺物とも言えるデータが、かつてではなく、今必要とするそのということなのか。

 トバリのその疑問を肯定するかのように、ユリウスが言う。

「その兵器の開発データ――あるいはサンプルとも言えるでしょう。それはかつての技術レベルでは到底操ることはおろか、作りだすことすら難しい代物だったのです。ですから開発段階で凍結され、その後あの『神罰の日』によってサンプルは施設ごと〈地獄門〉の中に埋没しました。

 もともと開発途中のデータの多くはバックアップもとってありましたし、あの兵器に関しては必要ないと先代の一派は回収することも放置していたのです。

ですが――今のクシナダ財団ならば、あれを生み出すだけの技術も施設も存在します。何よりも、世界の現状を打開するためには、完成させることには大きな意味を孕むという見解に至り、回収するという結論に至ったのですよ。そして――」

 饒舌に敬意を語るユリウスの弁に、トバリは軽く手を振ってそれを遮る。

「そういう前口上はどうでもいい。俺が知りたいのはその兵器の開発データを入手しなければいけない理由と、強いて言えば、その兵器の名前くらいだ」

「そうですか……」

 トバリの言葉に、ユリウスは何処か残念そうに肩を落とす。そして、その先を次いだのはシノブだ。

「先ほど言ったでしょう? クシナダ財団は、神との抗争を続ける血族だと」

「聞いたよ。聞いたけど、それがなんか繋がるのか? まさかとは思うが――」

 戦うと言うのか? 世界をこんな風に容易く壊してしまうような存在に。

 理不尽で、欺瞞に満ちた、人智を超えた先――天上の存在に。

 そんな馬鹿げたことをする気なのか。そうトバリが尋ねるよりも早く、シノブが言葉の先を切った。

「貴方が想像した通りだと思いますよ」

「……冗談だろ?」

 冗談でないとしたら、それは正気の沙汰ではない。人間よりもはるかに上位に存在する、人謳い口伝し、時には書物に記してその存在を知らしめてきた、人ならざる全能の存在。それに戦いを仕掛けるなどという考え自体、時代が時代なら即座に殺されるようなものだ。

 まあ、今の時代なら、逆にそれを誉め讃える者は少なくないだろうが……

「冗談じゃない」

 静かに囁かれたナツメの言葉が、その瞬間室内を支配した。全員の視線が、彼女へと集う。

「戦いは続いてるの。それどころか、今この瞬間ですら、私たちは争ってる。だから、必要……」

 真摯な態度で、ナツメは言う。

「私たちは、負けるわけにはいかないの。人としての自由と、尊厳を、生きるべき場所を、決して神様なんかに奪わせないために」

 何処までもまっすぐな、揺らぐことのない態度で、ナツメはそう言った。

 トバリはごくりと唾を嚥下する。そして即座に脳を働かせ、思考する。

 彼女の話を聞き、それを材料に自分のするべき幾つも存在する選択肢の中から最善といえるたった一つを選ぶ、そのために。

(それにしても……神様なんかに――か……)

思わず、口者が綻んだ。まさかここまで神をちっぽけに扱う人間に出会うとは思わなかった。「~なんか」とは、自分と同等かそれ以下の存在に対して使うものだ。断じて人間より上位存在たる神に用いていいものではない。

今の世界の人間の多くは、その心の奥底で何処となく神という存在を信じ、畏れている。彼の存在の怒りに触れ、今よりもさらに酷い状況になることを恐れ、怯えている。

トバリのように、神を蔑み忌み嫌う人間のほうが、その実ごく少数なのが現実である。

 そんな中で、ナツメはつらつらと神を誹って見せた。それはトバリの中で、何処となく気分がいいものだったのは確かだ。

(……さて……どうするか)

別に、ナツメの言葉を疑っているわけではない。彼女の言う、神との戦い。トバリにはその戦いの存在を肯定する答えは持ち合わせていても、否定する材料は一つも持っていないのだから。

ただ、そんな戦いには関わりたくないというのが本音だ。

 馬鹿げている。ナツメの話を百人が聞けば、百人が同じことを言うだろう。

 忠実な聖職者が聞けば、激昂して摑みかかるだろう。

 人では成し得ぬことを容易に遂げて見せるような、姿も分からぬ――ある種不滅の存在――それこそが神。

 神に挑む人間の末路など、火を見るよりも明らかなだ。それは多くの伝説や神話に記され続けているというのに。何故こうも無謀に抗争の意を揺るがさないのか。

 人では及ばない。

 人では抗えない。

 人では争えない。

 人では戦えない。

 手の届かぬ頂きにいるからこそ、神なのだ。人が殺すことができたとしたら、戦い争い抗うことができるのだとすれば――それは最早神ではない。

 馬鹿げていると思う。そんなことに、自分が関わる意味はないと思う。

 だが、義理はある。

 罪がある。

 彼女の願いを無碍にすることなど、自分にはできない。

 考えるまでもなく、答えは出ていた。

「……別に、そんなに力説しなくても信じてやるし、そいつを探すのは手伝うさ」

 長い黙考の後に溜息一つと共に呟いたその言葉に、ナツメは安堵の表情を浮かべ、シノブは僅かに眉をひそめた。主従揃って表情の変化が乏しいことには最早突っ込む気にもならない。

 トバリは何処までも面倒くさそうな表情をして、軽く肩を竦めてから問うた。

「で、その兵器の名前ってのは?」

 答えたのは、ユリウスだった。

「オロチ――そう、名づけられています」

 気のせいか、右目と右腕が、確かな痛みを生んだ気がした。



   ◆  ◆  ◆



 そして現在。仕事を引き受けたことをさっそく後悔し始めるトバリだが、最早後の祭りと諦めたトバリは、気持ちを切り替えて振り返る。

「おらお前ら。そろそろ遊びは終わりだ」

 今なお物珍しそうに〈崩壊都市〉のビル群を眺めていた二人に声をかけ、トバリはその境界の前に立つ。

 一見すれば、何の変哲もない開けた通りだ。だが、此処こそが〈崩壊都市〉の深部――〈地獄門〉への入口。

 ナツメとシノブが、トバリの傍に歩み寄りながら、同じように視線を向けて、首を傾げる。

「本当に此処が〈地獄門〉の入口なのですか、野良犬」

 どうにもその呼び名が彼女の中で定着したらしいが、そこに突っ込んでいたらきりがないので、トバリは呼び名のことには触れず頷いた。

「そうだ。此処が〈地獄門〉の入口だ」

「どう見ても、昔の道路の一つにしか見えませんが?」

 その質問はもっともだ。目の前にあるのは、ただの道路であり、それ以外の何物にも見えない。

 だが、トバリは鼻で笑って目の前の空間に手を伸ばした。

 ――ぐにゃり……

 差し出したトバリの腕が、その境界面に触れた瞬間あらぬ方向へ、そしてあらぬ形に変貌するのを見て、二人が閉じなくなるのではないかと思うくらい目を開き、零れ落ちるのではないかという位に丸くしていた。

 してやったりという様子で、トバリがいやらしい笑みを浮かべる。

歪曲領界(イービルスフィア)〈地獄門〉。それがこの場所の正式な呼び名だ。読んで字の如く、此処から先は一歩踏み込んだ時点で現実の法則が通用しなくなる。

 神とやらがあの〈七夜の災禍〉を手始めにして悪戯に作り替えた、人の住むことの叶わない場所だ。

距離。高さ。重量。そういった物理法則が作用するもの全ての認識が歪んだ、超常中の超常の領域。人智を超えた無秩序の魔界。理不尽と不条理の世界。そんな場所だ。気を抜いたら――死ぬぞ?」

 そして言葉なく、視線だけで問う。

 ――それでも行くのか? と。

 ナツメがその意図を理解したのか、涼やかな視線でトバリを見上げ、大きく首を縦に振った。

 その一瞬のためらいもない彼女の行動に、トバリは思わず目を剥いて――そしてにっと笑んで見せた。

「上等だよ、姫さん」

 からかうでもなく、トバリにしては珍しい皮肉も何もない素直な言葉だった。すると、

「……ナツメ」

 ナツメは自分を指さし、トバリに向けてそう言った。

「ナツメ……そう、呼んで」

 その言葉に、またもトバリは意表をつかれてあんぐりと口を開く。たぶん、これまでにない間抜けな表情をしているだろうとトバリは自覚した。ナツメの後ろに控えているシノブの表情が、そのことを雄弁に語っている。

シノブを殴りたくなる衝動を必死に堪えながら、トバリは冴えわたるようなまっすぐな視線を送るナツメに向けて、大きく頷く。

「それじゃあ、行くぞ――ナツメ」

 そう言って、トバリはナツメの返事を聞くよりも早くフードの端を摘まんで被り直しながら振り返り、一歩を踏み出す。

目の前に存在する歪んだ空間の門をくぐる。肌に纏わりつく何とも言い難い感覚が全身を襲うが、それも一瞬のこと。

 次の瞬間には、トバリの身体はその感覚から解放され、薄暗く何もかもがいびつに歪んだその地へと放り出される。

 背後を振り返れば、丁度歪んだ空間からナツメが出てきたところだった。そのナツメの半眼の双眸が、今日何度目かの驚愕に見開かれる。続いて現れたシノブも同様の反応を見せて、辺りを見回して言葉を失っていた。

二人の女子が驚きに言葉を失う様子を見ながら、トバリはそんな彼女たちに芝居がかった動作で両手を広げ、見入る観客すべてに挑むような笑みを浮かべる奇術師(マジシャン)さながらに一礼し、


「ようこそ、日本の〈地獄門〉――黄泉比良坂(よもつひらさか)へ」


 深淵へと続くような螺旋を描く奈落の淵で、トバリは意地の悪い笑みと共にそう告げたのだった。











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