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挿話 四

   【七日目】


 彼は珍しく仲間達から離れ、一人ゲームセンターブースの通路を歩いていた。きょろきょろと辺りを見回し、ところ狭しと置かれている、様々なアーケードゲーム機の色と形の俗悪な乱舞を楽しんでいるようだった。ようやくここでの生活に慣れたのか、風変わりな環境を視界に入れる余裕ができたのだろう。

「どこに行く」

 ファーストが彼を追いかけて来た。少し離れたところから、怒気を含んだ声を投げつける。

 びくり、と肩を震わせ、彼が振り返る。ファーストの姿を認めると眉を顰め、無言で去ろうとした。

「待て」

 ファーストは走り寄り、彼と肩を並べる。

「何だよ」

 露骨に煩わしそうな表情になる彼。

「どこに行く」

「どこだっていいだろう」

「勝手にうろうろするな」

 命令口調。それが癪に障り、何か言わずにいられなくなったのだろう、足を止め、彼はファーストと対面した。

「自由時間にどこに行こうと勝手だろっ」

「新入りに自由はない」

 ファーストも止まり、ぞんざいに言い放つ。

「お前は俺の保護者か!?」

 吐き捨て、彼はまた歩き出した。

 今度は、彼の背後にぴたりとくっついて、ファーストは離れようとしなかった。早足で歩いても、彼より歩幅の広い相手を振り切ることはできなかった。

「なんだよ!」

 とうとう苛立ちが頂点に達したらしく、振り返り、彼は怒声を上げた。

「付いていく」

 ファーストは平然としている。

「来なくていい!」

 彼はまた歩き出したが、背後の男は去ろうとはしなかった。出口に至り、彼は怒り顔を向けた。

「だから付いてくるな! 娯楽室に行くだけだ! まだ外に出ていい時間のはずだろう!?」

「入所七日目の新入りを、一人でブースの外に出すわけにはいかないね」

 ファーストは引き下がらない。

「何でだよ!? 自由時間ならブースの外に出てもいいって言ってたじゃないか」

「今は一人で動くなとも言っただろう」

「だから何で!? 自由時間ってのは、好きなことをしていい時間のことじゃないのか?」

「新入りってのは、少し慣れてくると、いらない好奇心を発揮する奴がいるからな」

「それが悪いことか!?」

「悪いさ。こっちがわざわざ禁じているものを見たがったりするからな」

「こんなところで何を見るっていうんだ!?」

「例えば、階段を上るか下がるかして、こっちが行ってはいけないと伝えている場所に、わざわざ行こうとするとかな」

 ファーストは肩を竦める。

「言っておくが、俺だってお前の後なんか付けたくない。うんざりしているのはこっちの方だ。だが、これが俺の役目なんでね、果たさせてもらう」

 彼は言い返す代わりに、ファーストを睨みつけた。そして、相手の視線を避けるように背中を向け、再び歩き出した。

 おそらく、ファーストの仮定は図星だったのだ。血気盛んな若者なら、こんな場所に閉じ込められていれば、憂さ晴らしに冒険してみたくなるものだろう。ちょっと階段の上か下かに足を伸ばせばいいだけのことだし、ちらりと覗くくらいなら構わないと思うかもしれない。だが、彼がそれを実行する前に、ファーストが気付いてくれて、こっちは助かった。もし禁を破られていたら、対処にかなり手間取るところだった。

 ブース出口前のスペースを突っ切り、彼は印の上で、天井に向かって手を振った。シールドはすぐに解除される。

 彼は、建物の中心を貫く幅広の通路に出た。ファーストも後に付いて来ていたが、彼はその男が存在していないかのように振舞った。両側にファッションフォトを再現したようなブースが並んでいるのを、せわしなく首を左右に動かし、楽しげに眺めながら進んでいった。

 通路には、彼とファースト以外誰もいなかったが、ブースの中にはお洒落な服を着た大勢の青年達が、マネキンのように佇んでいた。いや、その表現は逆だろうか。彼が見ているのは、煌びやかなショーウィンドウで、中にいるのは、ただの生きたマネキンだった。

 ひたすら通路を伝い、彼は突き当たりに辿り着く。娯楽室は、彼の棲むゲームセンターブースとは対極の位置にあり、同じ床面積がある区域だった。様々なジャンルの本をみっしり収納している書棚が、奥に向かってずらりと設置されている。

 手前の方に広く空いているスペースに、食堂と同じベンチ付き長机が並び、中ほどに十数人の青年達が、疎らに座っていた。それは珍しい光景だった。マネキンには、娯楽は必要ではないらしく、このブースに人の姿があるのはまれだった。

 彼は、通路の真ん中にある丸い印の上に立って手を上げ、電磁シールドを解除した。中に入ろうと右足を一歩前に出したところで、背後から腕を掴まれてしまう。

 彼は驚き顔で振り返った。自分の二の腕を捕らえているファーストを睨む。

「何だよ!?」

「入らない方がいい」

 冷ややかな声。

「一体何だ!?」

 彼は腕を激しく揺すり、どうにか振り解こうとする。しかし、それはびくともしなかった。いっそう表情を険しくして、彼は自分を留めている男を見上げた。

「見ろ」

 その声には、抗えない強さがあった。彼は首を回し、背後を顧みた。

 娯楽室の集団の中心にいた一人の青年が、ふいに立ち上がった。スローモーション映像のような動作で、一番側に座っていた少年に近付く。

 少年も、そうすることが当たり前といった平然とした様子で、静かに腰を上げた。二人はベンチの間の通路で顔を向き合わせた。すると青年は、ダンスに誘うのかと思わせるほど優雅に腕を上げ、何の躊躇もなく、少年の顔面に鋭い殴打を食らわした。

 華奢な体が、いとも簡単に吹っ飛んだ。少年は、長机の縁に背中を叩きつけ、滑るように倒れ込み、床の上で動かなくなった。ばらばらに手足を投げ出している姿は、打ち捨てられた木偶人形のようで、どう見ても無事とは思えなかった。

 すると、その一撃が合図ででもあったのか、佇んでいた男達が全員立ち上がった。一斉に、激しい殴り合いが始まったのだ。

 恐ろしい暴力の渦中にいるのに、彼らの顔には表情がなかった。淡々と、日常の瑣末事を片付けてでもいるかのように、ひたすら自分以外の誰かを攻撃し続けた。

 ぽかんと口を開けて、彼はあまりに唐突に始まった乱闘を見ていた。その光景は、彼の目にどのように映っているだろうか。もしかしたら、映画の撮影にでもかち合ってしまったとでも思っているかもしれない。彼のような存在に、血みどろの争いが、現実として認識できるとは思えなかった。

 状況は、次第に陰惨な様相を呈してきた。青年達は、一人残らず鼻や口から血を吹き出し、整っていた顔は醜く変形していた。それでも、誰一人殴り合いを止めようとしなかった。皆足をふらつかせながら、自分以外の誰かに拳を食らわせ続けている。そこには勝ちも負けも無く、ただ暴力といった行為が、くっきりと現出していた。

 次第に、彼の表情は恍惚としていった。その凄惨な光景に見蕩れているようだった。

「帰るぞ」

 ファーストに呼びかけられ、彼の顔に正気が戻った。腕を引かれ、その場から引き離される。

「あいつら、あのままにしといていいのか!?」

 シールドを越えたところで、彼は足を踏ん張り、抵抗した。

「イベント発生だ」

 上滑りする声で、ファーストが告げる。

「イベント?」

 強引に腕を引かれ、彼は喚く。

「なああれ、止めないとまずいんじゃないか。あのままだと大変なことになりそうだ。あいつら、まったく手加減していない」

「放っておけ」

「本気か!? お前、俺達のブースの責任者なんだろう? 他のブースの奴らのことは知らん振りか? なあ、緊急時に助けを呼べるところ、あるんじゃないのか? 服とか飯とかいくらでも出てくるんだから、そんなのぐらい」

 いきなりファーストが立ち止まる。苛立った顔で振り返り、吐き捨てた。

「いいか、確かに、ここでは腹も空かないし身ぎれいにもできる。だが俺達は、誰かに守られているわけじゃない。何かが起きた時にできることは、こうしてすぐに踵を返して、その場を離れることだけだ」

「守られていない……?」

 彼の表情が凍り付く。それは、彼には信じ難い現実だろう。

 呆然とした顔で、彼はファーストに引き摺られていく。打ちひしがれた様子に懸念を覚えたが、私はすぐにそれを打ち消した。さっき目にした光景のことなど、彼はすぐに忘れてしまえるはずなのだ。



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