切子、救出に向かう
切り裂かれる喉の白と、噴き出す真っ赤な血の色の対比が、薄暗い照明の下で鮮やかに浮揚している。ささくれた心を、酒といい男で癒そうと、軽い気持ちでいつもの店に寄った切子の前で展開されているのは、おぞましく残忍な殺人の光景だった。
壁一面に映し出された画像の中で、つぶらな瞳の愛らしい顔をした少年は、無慈悲な死神に捕えられ、そのあえかな命をはかなく散らそうとしていた。彼は髪の毛を掴まれ、晒された喉に月鎌の湾曲した刃を掛けられても、顔を強張らせるだけで、叫ぶことさえできなかった。
絞められた鶏のように易々と首をちょん切られて、切り離された肢体が床に崩れ落ちる。死神の手にぶら下がっている頭。その切り口からどろどろと血が滴り落ちて、ここまで腥い臭気が漂ってくるようだった。目を覆いたくなる酸鼻を極める光景。それでもその画は、蠱惑的で美しい悪夢を表現したビデオアートのようでもあった。
そう見えてしまう理由は、おそらく彼らの容姿のせいだろう。同情心を煽るのにお誂え向きの美貌を持つ、殺される者。そして、トロフィーでも掲げるように生首を誇示している殺す者は、嫌というほど醜いものを見てきた切子でも、目を見張ってしまうほどの異形の持ち主だった。
殺戮者は、黒光りするボディスーツを身に着け、均整の取れたしなやかな女の身体を持っていた。だが、その首の上に付いているのは、悪鬼を思わせる不気味な顔だった。額が前に迫り出し、鼻はつぶれてへこんでいる。出っ張った目玉には白目が無く、肌は乾燥する土くれのようにひび割れ、断層に似た口は耳近くまでぱっくりと裂けて、矢尻のごとき犬歯を露わにしていた。それは、人の体の上に醜悪な化け猫の首を繋ぎ合わせたのかと思わせるような、グロテスクな姿だった。
「悪趣味なショーだな」
カウンター越しに画面を睨んでいた髭面の中年男が、吐き捨てるように言った。寂しく閑古鳥が泣く居酒屋の、強面の店主だ。奥行きのある店内には、客が二人しかいない。両人とも店主前のカウンター席に陣取り、体を捻って背後に映写されている画像を見ている。通路を挟んで小上がりになった座敷席の、奥の壁に映った映像だ。一方は小柄な若い女で、それが切子だった。二席置いて彼女の右隣には、ビヤ樽のような体をした肥満男が座っていた。《境界》ではそれなりに名の知れた武器商人だ。
三人が視線を奪われているのは、切子のお気に入りのテレビプログラムだった。店に来ると、居合わせた他の客に嫌な顔をされようが、いつもお構いなしでプロジェクタを使って壁に映している。本当なら、お洒落な服を着た美男子達が、お洒落なインテリアの中でくつろいでいるだけの、平和で退屈な光景が映し出されるはずだった。
映像はクローズアップからロングショットに変わり、まだ惨劇が終わっていないことを視聴者に見せつけた。獣面人身の怪物は一人だけではなかった。コピーしたのかと思えるほどそっくりな異相をした女が四人、別の獲物を捕え、その手足を一本ずつ持って磔のように床に押さえつけていた。
カメラが新しい犠牲者の顔をアップにする。涼しげな面差しをしていて、平時ならきっと爽やかな笑顔を見せてくれそうな、人好きのする容姿をした少年。だが、既に抗う気力を失くしてしまったのか、人形のような虚ろな目で天井を見上げていた。
そして、画面の中にもう一人の女がフレームインする。それはさっき、つぶらな瞳の少年の首を切り落した女なのか、手に持った月鎌に血が滴っている。女は、少年の頭頂近くで軽く腰を屈めた。微塵のためらいも感じさせず、月鎌が振り下ろされる。少年の額に深々と刃が突き立てられた。
月鎌が引き抜かれ、ぱっくりと開いた額から、真っ赤な血がどくどくと溢れ出る。少年の整った顔が塗り潰されていく。彼の生きていた時間など、爪の先ほどの価値も無いとでも言うかのように。
唐突に切子が立ち上がる。両目に被さりそうに長い前髪を片手で払い、ところどころ擦り切れた軍用ズボンの尻ポケットから、銀色のシートを一枚取り出した。その中の錠剤を、両手の親指と人指し指で挟んで、カウンターの上に押し出す。全部出し切ると、十錠ほどまとめて口の中に放り込み、酒で流し込んだ。
「ほどほどにしとけよ。長生きできないぞ」
店主が呆れた口調で言う。
切子は鼻を鳴らして、「元々生きてる方が不条理だ」と、返答した。
「この街で大人しくする意味なんて無いことを悟った。それに、飽きた」
「好きにすればいいさ」
店主が肩を竦める。
「あれ出して」
「はいはい」
諦め顔で腰を屈めた店主が、カウンターの下を探る。立ち上がった時には、光沢のある赤い布で包まれた、一メートル弱ほどの細長い棒状のものが手に握られていた。
「ほれ」と、切子の目前に突き出す。
「サンキュ」
口先で礼を言って受け取り、切子は布を解く。出てきたのは、黒い鞘に入った小振りの刀だった。それをベルトに通し、腰に下げる。
「そっちも」
今度は肥満男に向かい、掌を差し出した。
「お前なあ、前の分の金払ってないだろうが」
と、嫌そうに鼻に皺を寄せた相手に、切子は少しも悪びれず言い放つ。
「私が派手に動けば、宣伝になってあんたも儲かるじゃない。ケチケチするな」
渋々といった態で、肥満男はゆっくりと体を屈めて手を伸ばし、床上に置かれていたズタ袋を持ち上げる。膝に乗せて袋を開け、その中から品物を取り出した。黒光りする銃と、ヒップバッグと一体化したガンベルトだ。銃をホルスターに入れてから、切子に向けてベルトを放り投げる。
「ほらよ一式。お前、こっちはあんまり使わないくせに」
重量感のあるそれを軽々と受け止め、腰に巻き付けながら、切子は人悪く左の口端を上げて微笑む。
「飛び道具はあるに越したことはないんで」
肥満男がわざとらしい溜息を吐く。
これっぽっちも気が咎めている様子もなく、「じゃ」と、軽く手を挙げて、切子は出口に向かう。
「お前の活躍をここで見ているよ」
店主の声に振り返る。
「放送事故になるでしょ。しばらく静かにしていた分、派手にやらせてもらう」
切子は、百戦錬磨を思わせる不敵な笑みを唇に乗せた。そして、ちらりと壁に映る映像に視線を走らせる。次の犠牲者の命が露と消えようとしていた。不快そうに眉根を寄せて、早足で通路を突っ切る。切子は、不穏な者達が潜む外界に続く、軋む引き戸を開けた。