今頃になってバズってるんですが?
「クラリス・アイゼンフート! 今ここで、貴様との婚約はなかったことにする!」
伯爵家の嫡男レオナルド・アッセルバッハは、いま帝都でいちばん流行っているという角度——頬がもっとも細く映る、斜め45度からの見下ろし——で、私にそう告げた。
撮影用の魔導水晶が、彼の顎のラインを美しく捉えている。うっとりするほど華麗な破棄宣言だった。きっと今夜には彼の配信に載って、何万という再生数を稼ぐのだろう。
「私の隣に立つ女性が、たかだか2桁の再生数では、格好がつかないんだ。わかるだろう?」
「ええ、そうですね」
この帝国では、令嬢の価値は配信動画の再生回数で決まる。
どれだけ由緒正しい血筋でも、どれだけ淑女教育を積んでいても、投稿した動画がバズらなければ『価値のない令嬢』。逆に、朝のモーニングメイクを配信しただけで10万回まわる娘は、それだけで社交界の華になる。
そして私、クラリス・アイゼンフートの動画は——全然、バズらない。
私が投稿しているのは、手作りの人形を両手にはめて、こちょこちょと声色を変えて演じる、地味な人形劇。会話劇、と自分では呼んでいる。台本も自分で書いていて、内容自体は悪くないはず。
けれども、最高再生数は三桁台で、未だ結果という結果が出ていないのが現実だ。
婚約破棄を言い渡したレオナルドが新しく腕に絡めているのは、リーゼロッテ嬢。いま帝都でもっとも勢いのある美容専門の動画配信者だ。まつ毛を上げるだけの動画で、先週、再生数が50万を超えたと聞いた。
そんな彼女は勝ち誇るでもなく、ただ憐れむような目で私を見て、小首をかしげた。
「クラリスさま。悪く思わないでくださいね? これは、数字の問題ですから」
数字の問題、か。
言われてみれば、確かにそうだ。
最高再生数3桁の私に、婚約破棄を抗う権利など、とうの昔にないのである。
悟った私は淑女の礼をとって、静かにその場を辞した。魔導水晶がまだまわっていたので、退場のときだけは背筋を伸ばしておいた。せめて、それくらいの見栄は張らせてもらおう。
そうして私は、婚約者の屋敷を出て、辺境の実家へと帰った。
誰にも見られない場所で、ゆっくり人形劇の続きでも書こうと思ったのだ。
◇
帝都のはずれに住むミランダは、いささか変わった趣味を持っていた。
「この世にある再生数ゼロの動画を、ひとつ残らず、再生数1回にしてやる……!」
世に投稿されながら、ただの一度も再生されていない動画。そういう可哀想な動画を掘り起こしては、たったひとりの視聴者として、1回ずつ再生してやる。それが彼女のライフワークだった。
誰にも理解されないが、彼女は本気だった。今日も朝から画面にかじりつき、投稿の海の底の底、光の当たらない動画を漁っている。
「お、これもゼロ回だ。かわいそうに」
サムネイルには、手製の粗末な人形。タイトルは『人形げき・第五十四話 まちのパンやさん』。
投稿者、クラリス・アイゼンフート。再生数はもちろん、ゼロ。
「クラリスちゃん、待ってて。今助けるからね」
そう呟いたミランダは慈悲深く、再生ボタンを押した。
画面の中で、辺境の草原を背に、令嬢がふたつの人形をこちょこちょ動かしている。
「『いらっしゃい、今日のおすすめはくるみパンよ』『わあい、ふたつください』」
棒読みで、人形の動かし方も誉めるほどではない。そして、壊滅的に画面映えしないのだ。
外で撮影しているせいで、よく声も聞こえないし、悪いところを挙げれば挙げるほどこの動画がなぜ再生ゼロなのかが明確に伝わった。
だが、そんな愚痴をこぼさず、ミランダはにっこり微笑んで、「よし、1回達成」と再生を止め、動画を閉じようとした。
——そのとき。
人形劇の、はるか後方。令嬢の肩ごしの、澄んだ青空に何かが映り込んだ。
悠々と、翼を広げて横切っていく、真紅の巨影。
全身から陽炎のような焔をまとい、その翼の一振りで雲を裂く、伝説の竜。
ミランダは手が止まった。
「……は?」
彼女は震える指で、画面をつまんで拡大した。魔導水晶の映像がぐんと寄る。
いやはや、間違いない。何百年も目撃例のない、噂だけの、実在すら疑われていた、あの
——焔帝竜レグナート。
それが悠々と、飛んでいた。
それもパン屋の人形劇の、うしろで。
「ちょっ、ちょっと待って、うそでしょ……!?」
ミランダは反射的に、その一場面を切り抜き、自分のSNSにあげた。ついでに、元動画のリンクも貼りつけて。
——ゼロ回再生ハンターの慈悲が、帝国を揺るがす引き金になったと、彼女はまだ知らない。
◇
ミランダのつぶやきから3時間後のこと。
>うしろ!うしろ見て!パン屋の人形劇どころじゃないから!
>焔帝竜レグナート、実在したのかよ……鳥肌
>「わあい、ふたつください」じゃないんだよ後ろ後ろ
>こりゃあ学会もだんまりっすわ。長年、追いかけてきたレグナートをこうもあっさりと……竜研究者、今どんな気持ち?
>てかこの令嬢、他にも動画あるじゃん。他にもなんか写ってるかもしれないから、おれ全部見てくる
元動画『人形げき・第十四話』再生数は驚異の数字でバズり始めた。
0 → 1 → 2千 →4万8千 → 31万 → 260万……。
その日、動画配信界のありとあらゆる記録は破られたのだった。
だが、それだけで済むわけがなかった。1本の動画がまわりはじめると、あとは早かった。
視聴者たちは、クラリス・アイゼンフートの過去動画をかたっぱしから漁り、そして、背景に、次々と、とんでもないものを見つけていった。
>『人形げき・第九話 もりのおひめさま』の背景、木に刺さってる剣……あれ神器テラルロッサじゃない?
>うわほんとだ。300年前に失われたって言われてる神器。ふつうに刺さってる
>令嬢さん、その前で「もりのおひめさまはさみしがりや」ってやってんの爆笑
>『第四十八話 まいごのねこ』の岩壁、古代神殿の暗号だよね?
>古代語研究会が今この動画で研究してるらしいね。半世紀解けなかった暗号が
>令嬢の人形が猫探してるあいだに、人類の叡智が一歩進んでんだが草
>私、もうこの人の背景に何が映ってても驚かない自信あるわ
ちなみに——当のクラリスは、辺境の実家で、まだ何も知らなかった。
庭先で新作の台本を書き、お茶を飲み、夕暮れには鳥の声を聞いている。魔導水晶の通知はすべて切ってあった。どうせ、再生数はまわらないから。見なくてよかったのだ。
そして、この騒ぎのあおりを、静かに食らった者がいた。
美容配信者、リーゼロッテ嬢である。
その日、彼女は渾身の新作、『まつ毛を3ミリ上げる方法』という生配信を始めた。いつもならすぐに数千人は生配信を観にくる。だが今日はどれだけ配信しても、視聴者数がまったく増えない。
「あれれ〜? 今日は視聴者数が、いつもより少ないね〜! なんでなんだろう?」
プクッと口を膨らませて、かわいらしく首を傾げるが、コメント欄は普段よりもサバサバしていた。
>みんなクラリス嬢の動画見てるからじゃない?
>ごめん、まつ毛よりも、竜が気になっちゃうから抜けるね
>まつ毛より神器のほうが上がってるよ
>てかリーゼロッテ嬢と一緒に住んでるやつって、クラリス嬢の元婚約者だよね?
「クラリスって……まさか、あの女のこと?」
リーゼロッテは、急いで魔導水晶を伏せ、配信を切り、配信ネットで『クラリス・アイゼンフート』と調べた。
そして、その動画の驚異的な再生数だけをみて、彼女は唇を震わせた。
「わ、わたしの美しさが、こんなちっぽけな人形劇に負けたというの……? ま、まさか、ね」
綺麗に整えられた髪からアホ毛がぴょんぴょんと飛び出た末に、リーゼロッテはショックのあまり、思わず失神してしまった。
それからリーゼロッテが配信界を引退するのは、そう遠くない未来であった。
◇
クラリスの多くの動画が500万回再生を突破していく中、異様に伸びていた動画が一本だけあった。
『人形げき・第一話 あたらしいおうち』
クラリスがアッセルバッハ伯爵との婚約を決め、レオナルドの屋敷で暮らしはじめた、ちょうどその頃に撮ったもの。クラリスが配信を始めてから、いちばん古い投稿だ。
庭で人形をこちょこちょ動かす、初々しいクラリス。その背後、生け垣のむこう、屋敷の裏手でことは起こった。
フードを目深にかぶった怪しげな男とレオナルドはコソコソとやっていた。
少しして、地面に描いた赤い魔法陣の上で、帝国では禁じられているはずの術式に、フードの男は手をかざしていた。
拡散され、術式が解析され、男らの正体が特定されていくにつれ、事態の深刻さが浮き彫りになっていく。
>この男、国家指名手配の召喚術師じゃない?
>魔法陣の術式、禁呪だよ。帝国法で最上級の禁術
>隣は討伐系配信者のレオナルドじゃないか?
>希少魔物ばっか討伐してたが、禁呪召喚で呼び寄せてたってことか?
>討伐配信まるごと自作自演。おまけに共謀と禁呪使用のW重罪付き
>レオナルド、終わったな
元婚約者レオナルドは、希少な魔物を単騎で討つ討伐配信で人気の英雄的な存在だった。
レオナルドが誇った討伐は、その一匹残らずが、国家指名手配犯の召喚術師と組んで呼び出した仕込みであったことがクラリスの何気ない動画で暴露されたのだった。
その日の夕刻。帝都の憲兵が、雑談配信中だったレオナルドの屋敷に踏み込み、彼を緊急拘束した。頬がいちばん細く映る角度を探す間も、与えられなかったという。
◇
その報せが辺境の実家に届いたのは、よく晴れた昼下がりのことだった。
侍女が青い顔で駆けてきて、「お嬢さま、大変です」と言うので、私はてっきり庭の薔薇に虫でもついたのかと思った。
「レオナルドさまが……国家反逆罪の疑いで、拘束されたそうです」
私はその知らせを聞いて、茶器を置いた。
「……そう」
「あの……お嬢さま、大丈夫ですか」
侍女がおそるおそる、私の顔をのぞき込む。
「ええ、平気よ。不思議なこともあるものね。でも」
私は少し考えて、正直な感想を言った。
「——もう、私には関係のない人ですから」
「……そう、ですね」
侍女は、少しほっとしたように、そっとお茶を淹れ直してくれた。
それから私は、いつも通りお茶を飲み、いつも通り台本の続きを書こうとした。
次の話は、まいごの子ぐまが、はちみつを分けてもらう話にしよう。優しい話がいい。
そう思って羽根ペンをとった、まさにそのとき。
——屋敷の門のほうから、幾重にも重なる馬蹄の音が響いてきた。
一台や二台ではない。地を揺らすような、隊列。
窓の外を見て、私は羽根ペンを落とした。
辺境のわが家の、ささやかな門をくぐってきたのは、真白の駿馬に引かれた、金と紫の帝室の紋章を掲げた、王太子専用の御料馬車だったのだ。
「なぜ、王太子殿下が……? まさかレオナルドの件でわたしにも処分が?」
恐れながら、玄関へ出た私の前に、馬車から降り立ったのは、背の高い青年だった。
灰色の髪に、鋭くも穏やかな眼。誰もが一度見れば忘れられないその顔を、私は——たしかに、どこかで見たことがある気がした。
この帝国の王太子、アーサー・フォン・ヴェルデンハイム殿下。
その人が、供の者を制して、たったひとりで私の前に進み出て、そして。
深く、頭を下げた。
「アーサー殿下!? 顔をお上げください、そのような……!」
「3年、探していた」
殿下は、頭を下げたまま、しぼり出すように言った。
「3年前、俺は身分を隠して国境の視察に出て、賊に襲われ、深手を負って草原に倒れた。もう駄目だと思った。血が止まらなかった」
「……!」
そんな話をされて、私はまさか、と背筋がすうっと冷たくなった。
3年前。国境近くの、あの草原。私が――『人形げき・第七話 くさはらのおともだち』を撮っていた、あの場所。
「意識が朦朧とする中で、何者かが駆け寄ってきて、俺の傷に手をかざした。あたたかい、治癒の光だった。痛みが引いて、命がなんとかつながった」
覚えている。
人形をこちょこちょ動かしていたら、少し離れたところで、血まみれの男の人が倒れていた。私は台本も人形も放り出して駆け寄り、無我夢中で治癒魔法を使った。おぼつかない魔法だったが、なんとか絞って出した治癒魔法。
その相手がまさか……
「目を覚ましたとき、その人はもういなかった。名も、顔も、はっきりとはわからないまま。俺は帝都に戻り、それからずっと探し続けた。命の恩人を。だが、手がかりが何もなかった」
アーサー殿下は、ようやく顔を上げた。その瞳は、少し潤んでいた。
「先日、妙な動画が国中でまわっていると聞いた。竜だの神器だのと。半信半疑で、その令嬢の動画をすべて見た。全部だ。一本残らず」
「……全部ですか?」
「ああ。パン屋も、迷い猫も、森のお姫さまも」
アーサー殿下は、ふっと表情をやわらげた。
「そして――『第七話』にたどり着いた。人形劇の後ろで、令嬢が血まみれの男に駆け寄り、手をかざす場面に。あの日の、俺だった」
「……」
「そして、その俺を救った令嬢は紛れもなく——君だ」
私は、言葉を失った。
まず、自分の動画が国中で話題になっていること、それよりも、それを殿下たる方が見ていたこと。まだ頭の中で整理が追いついてない。
「王太子殿下。ひとつ、お尋ねしても?」
「なんなりと」
「なぜ、ご自分でいらしたのですか。使いを立てれば済むものを」
その問いに、殿下は、辺境のひび割れた石畳に片膝をついた。
「殿下……!?」
「助けられたのは俺だ。頭を下げに来るのが筋だろう。それに——私はただ感謝を伝えにきたわけじゃない」
そして、そっと手を差し出した。
「クラリス・アイゼンフート嬢、この手を取ってくれやしないか?」
差し出されたのは、3年前、私が無我夢中で光をかざした、あの方の手だった。
再生数ゼロ。価値のない令嬢。そう言われて、私はうつむいて生きてきた。
でも、この人は竜も神器も差し置いて、画面のいちばん端の、私の手だけを見ていた。
「……こんな、不束な令嬢でよろしければ、ですが」
「いえ、貴方がいい」
私は、そっとその手に、自分の手を重ねた。
抗う権利など、とうにないと思っていた婚約破棄から、たった数日。
今度は私のほうから、この手を選んだのだ。
◇
その後、私は人形劇の投稿を、やめなかった。
あいかわらず地味で、あいかわらず棒読みで。ただ、背景には気をつけるようになった。竜や神器や、うっかり反逆罪が映り込まないように——というのは半分冗談で。
本当は、隣で台本を覗き込む人が、ときどき人形の声色を手伝ってくれるようになった、それだけの話だ。
「『いらっしゃい、今日のおすすめはくるみパンよ』」
「『……わ、わあい、ふたつください』」
棒読みの王太子殿下は、壊滅的に下手だった。
再生数は、たぶん、これからも大してまわらない。
でも、もういいのだ。
いちばん見てほしかったひとりは、もう、すぐ隣にいるのだから。
(了)
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