穢れた森
リスの兄弟妹は、翌日にやってきた。
土産に、木の実をいただく。人間は炒って食べるのだと、教えてもらった。
庭に敷物を広げて、薬草茶とジャム・ビスケットをふるまう。
『おいしい! とってもおいしい』
『こんなにおいしいもの、はじめて!』
リスの弟妹がジャム・ビスケットを両手で持ち、サクサクと食べる様子は愛らしいとしか言いようがない。
リスの兄も、仕方がないと言いながらも、瞳を輝かせながらジャム・ビスケットを食べていた。
「まだまだあるから、たくさん食べてね」
『はーい!』
『やったー!』
ジャム・ビスケットを食べつつ、リスの兄弟妹から森の状態について話を聞く。
やはり、長い雨期のような状態だった森は、環境の変化についていけずに朽ちつつあるようだ。
太陽が昇るようになってからしばし時間が経っても、すぐに元の状態に戻るわけではない。
「酷いところがあれば、向かって森を修繕するわ。教えてくれる?」
ジャム・ビスケットを口いっぱいに頬張ったリス達は、コクコクと頷いた。
街の人達だけでなく、森に生きる生き物達の信用も取り戻さないといけない。
そのためには、いろいろと弁解するよりも、実際に動いたほうがいいのだろう。
マリエッタは一日の活動の中に、森の修繕の時間を作ることを決めた。
さっそく、リスの兄弟妹の案内で木々が腐って沼のようになっているという場所を目指した。
『こっちー』
『ここをまっすぐ!』
進むにつれて、森の植物が衰えているのに気づいた。
木々は枯れ、地面はぬかるみとなり、鳥のさえずりが聞こえなくなる。
すべて、夜霧の森の魔女のせいだという。
かつては、美しい木々が並んでいたと。
マリエッタは目をそらさずに、森の現状をひとつひとつ確認していく。
一時間ほど歩いた先に、沼地に到着した。
どす黒く、何やらボコボコと泡立っている。何かが腐ったような酷い臭いに、マリエッタはウッと苦悶の声を漏らした。
「ここはどうして、こんなに臭うの? 植物が腐っただけの臭いではないわ」
マリエッタの疑問に兄リスが答える。
『ここは森の動物達の水飲み場だったんだ。それが、霧の影響で周辺の草木が腐って沼となり、水を飲みにたってきた動物達が足場を取られて、沼に呑み込まれてしまった。そんなのが重なった結果、こうなったんだろうよ』
「そう、だったのね」
まず、マリエッタはその場に膝をついて、亡くなってしまった命に祈りを捧げた。
日当たりがいい場所だ。きっと、かつては美しい湖があって、森の動物達が代わる代わる水を飲みに来ていたのだろう。
それを思うと、胸がずきんと痛む。
沼は汚染されていた。このままでは、魔物を引き寄せてしまう。
マリエッタはすぐに、沼の浄化を決意する。
「これから、沼をきれいにする。魔力を多く使うから、あなた達は避難していたほうがいいわ」
正直、夜霧の森の魔女の魔力を、マリエッタ自身使いこなす自信はなかった。
近くに森の動物達がいるならば、声をかけてほしいと頼んでおく。
『無理すんなよ!』
「ありがとう」
リスの兄弟妹がいなくなったのを確認すると、マリエッタは深呼吸をした。
が、汚染された沼の臭いで、ウッとこみ上げてくるものがあった。ぐっと、我慢する。
腰ベルトに吊しておいた杖代わりのおたまを手に取り、呪文を唱える。
まずは、沼の周囲にある瘴気――沼の毒を祓う。
基本的な浄化魔法だ。召還の儀式の前に行うので、何百回と練習していた。
左右の足先で、地面に円を描く。その周囲を、呪文を唱えつつステップを踏んだ。
体内の魔力が活性化させる。ここで、呪文を結んだ。
「穢れを退け、浄化せよ!」
魔法陣から光の粒が生じる。強く発光しながら、沼に広がっていった。
瘴気は晴れていく。
なんとか成功したようだ。
額に浮かんでいた汗を、ハンカチで拭う。
息も上がっていた。思いっきり深呼吸はできないので、浅い呼吸を繰り返して整えた。
魔力があっても、魔法を使うというのは大変だ。マリエッタはしみじみ思う。
沼の状態は――先ほどまでブクブクと泡立っていたが今は見当たらない。
だが、どす黒い状態と鼻が曲がるような臭いは健在である。
ここからが本番なのだ。
マリエッタは気を静め、呪文を唱える。
今度は、浄水魔法である。
穢れのない、美しい湖を甦らせるのだ。
呪文を唱えると、体内の魔力の動きを感じるようになる。
体の外へと排出された魔力を、おたまを使って誘導した。
呪文を唱えたら、魔力が変質していくのだ。
沼に入り込み、悪い成分を取り込み、どこかへと消し去る。
どんどん繰り返していくと、濁った沼は美しい水へと変わっていく。
浄水魔法は魔力だけでなく、体力も削っていった。
正直、立っているのもやっとである。
魔法を止めて、今すぐ休みたい。そういう思いもあったが、魔法を途中で止めるとこれまでの結果がすべて元通りとなるのだ。
マリエッタの苦しみなんて、この沼で死んでいった動物の苦しみに比べたらなんてことはない。
自らを鼓舞させ、呪文を唱え続ける。
「水よ、清く美しくなれ!」
沼全体が光に包まれる。
どうか、成功して! そんな願いを、呪文へと込めた。
光は沼だけでなく、周囲にも広がっていく。
目を開けていられないほど、強く光っていた。
「ううっ!!」
おたまを強く握りしめ、歯を食いしばる。
目の前は真っ白だったが、だんだん収まっていった。
もう、大丈夫だろうか。
そっと目を開けると、太陽の光を反射し、キラキラと輝く水面が飛び込んできた。
周囲も、朽ち果てたものから緑溢れるものへと代わっていた。
「え!? ど、どういうこと?」
美しさを取り戻したのは、湖だけではなかったようだ。
浄化は、広範囲に作用したらしい。
魔法をかけたマリエッタが、驚いてしまう。
「信じられない……!」
膝の力が抜けて、その場に頽れる。
先ほどまでぬかるんでいた地面は、やわらかな草花が生えていた。蹲るマリエッタを、優しく受け止めてくれる。
「腰が、抜けてしまったわ」
魔力を大量に消費したからだろう。体に、力が入らなかった。
しばらく立てそうにない。
ここで大人しくしていよう。
そう決意したのと同時に、何やら低い唸り声が聞こえた。
『グルルルル、グルルルル!!』
「え?」
聞こえたほうを見ると、牙を剥きだしにした狼がマリエッタを睨んでいた。
目が赤い。野生の狼ではなく、魔物なのだろう。
逃げなくては!
そう思ったが、足腰に力が入らない。
魔法の酷使で、立ち上がることすらできないのだろう。
攻撃魔法は、使えない。
必要になるとは、思わなかったから。王妃になれば、大勢の護衛がつく。自分の身を自分で守る必要なんてないと思っていたのだ。
興味がなかったのもある。
誰かを傷つける魔法よりも、魔女術のような何かを生み出す魔法をひとつでも多く習得したかったのだ。
『グルルルルウ!!』
狼の魔物は、きっとこれまで瘴気がある場所に身を潜めていたのだろう。それを、マリエッタが魔法で祓ってしまった。
恨みに思っているのだろう。突然、マリエッタに襲いかかってくる。
目を強く閉じ、頭を両手で守るようにして蹲った。
衝撃を想定し、歯を食いしばる。
『ガアアアアア!!』
「――っ!!」
マリエッタはぎゅっと目を閉じ、奥歯を噛みしめた。




