魔法の料理
かつて書物で学んだ魔女術で、マリエッタがもっとも興味を持ったのは料理。
呪文に合わせて調理される様子を、一度見たいと思っていたのだ。
軽やかにスキップをしながら、台所へと向かった。
先ほど確認した保存食の棚を覗き込む。瓶には丁寧に、ラベルが巻かれていた。
マリエッタは料理どころか、食材に関しての知識が皆無なので、思わず夜霧の森の魔女に感謝する。
「えーっと乾燥野菜に、野菜の水煮、魚のオイル漬けに塩漬け、干し肉に燻製――いろいろあるわ!」
それ以外に、小麦粉や塩、砂糖、油なども、棚には収められていた。
夜霧の森の魔女が作った品々だろう。
童話と世界と同じように、魔女という生き物は自給自足をしているようだ。
勝手に使うことを申し訳なく思うが、何か食べないと生きていけない。
食料は、これからマリエッタが作って補充すればいい。そう思い、ここにある食材を使わせてもらう。
「何を作ろうかしら?」
ふと、思い出す。さまざまな童話に登場する、ふかふかのパンはとってもおいしいという表現を。
基本的に、マリエッタが口にする料理は冷めていた。それは、幼少時からずっとである。
毒味を挟むので、どうしても料理が冷めてしまうのだ。
温かいパンは、いったいどんな味なのか。
「作ってみましょう!」
まずは、魔法陣を描かないといけない。魔力を含んでいる蜂蜜が最適なのだが、食品棚にはなかった。
仕方がないので、砂糖水でカラメルソースを作る。
まず、ボウルを手に持ち、水魔法を唱えた。
「――湧き出ろ、水よ」
ボウルに水が満たされた。それに、砂糖を大さじ三杯入れ、魔法で加熱する。
一瞬で水はボコボコと沸騰し、琥珀色となった。カラメルソースの完成である。
本当にできてしまった。マリエッタは感激する。
完成したカラメルソースから、甘い匂いが漂っていた。
これまで、菓子の類いはめったに食べられなかった。
侍女曰く、甘い菓子は肌の健康を損なう。吹き出物の原因だと。
マリエッタはもう、未来の王妃ではない。吹き出物ができても、気にする者はいないのだ。
カラメルソースを指先で掬い、そっと口に含んだ。
香ばしい甘さが、口いっぱいに広がる。
「し、幸せの味!」
甘い物を口にしたのは、何年ぶりか。
ずっと、この甘美な味わいを忘れていたのだ。
「そうだわ! パンを作って、ジャムをたっぷり塗って食べましょう!」
そう思い立ち、食品棚を探したがジャムはない。ピーナッツのスプレッドやチョコレートのペーストなどもなかった。
「というか、甘い物自体、ないのね」
こうなったら、自分でいろいろ作るしかない。
森に行ったら、木の実があるだろう。砂糖と一緒に煮たら、ジャムが完成する。シロップに漬けたら、ソースが完成するだろう。
今日のところは、カラメルソースを塗って食べればいい。きっと、おいしいはずだ。
早く、パンを作らなければ。マリエッタは腕まくりし、パン作りを始める。
まず、材料を用意しなければならない。
「たしか、パンの材料は――小麦粉と塩、砂糖、酵母、油、水の六つ、だったかな」
まず、カラメルソースで魔法陣を描いて、呪文を発動させる。すると、魔法陣が光り輝いた。その上に、材料を置く。
料理を行う魔女術には、指揮棒代わりの杖が必要だ。マリエッタはおたまを握り、食材に指示を出す。
「最初は、小麦粉と砂糖、酵母、塩を適量、混ぜ合わせる」
魔法陣から発せられる魔力を、おたまでかき混ぜるように誘導する。
小麦粉の入った袋が浮いて、ボウルに向かって傾く。サラサラと、流れていった。それに続くように、砂糖と塩、酵母が追加される。
それに、湯とオリーブオイルが加わった。
マリエッタが音楽の指揮者のようにおたまを動かすと、ボウルの中の材料が混ぜられていく。
まとまってきたら、打ち粉がされた調理台に生地の塊が飛び出してきた。
さらに、なめらかになるまで魔法の力で捏ねられる。
生地がツヤツヤになったら、次なる指示を出した。
「続いて――ふくらめ、発酵!」
一瞬にして、生地がふっくらと膨らんだ。
生地を押しつぶしたあと、さらに発酵させる。
用意した鉄板に油を塗り、その上に丸めた生地を並べた。
最後に、生地を焼く。
もっとも制御が難しい魔法である。
火が強ければ焦げてしまうし、弱ければ生焼けとなってしまう。
マリエッタは気を付けながら、最後の呪文を口にした。
「焼き上がれ、魔法のパン!」
おたまを振ると、先端から光の粒が出てきて小さく弾ける。
パチン、パチンと輝いて、鉄板全体を光で包み込んだ。
ふんわりと、パンが焼ける香ばしい匂いが漂う。
光が収まると、鉄板にはふっくら焼き上がったパンが完成していた。
「これが、焼きたてパンなのね」
パン同士くっついているものの、見た目はおいしそうに焼き上がっている。
マリエッタは、パンをひとつちぎって手にした。
とても熱かったので、調理台に落としてしまう。
魔女の本に、食べ物を落としても三秒以内に手に取れば大丈夫と書かれてあった。すぐに拾ったので、問題はないのだろう。
ほかほかと、白い湯気があがるパンを、そのままかぶりつく。
「あ、熱っ……!」
はふはふと口の中で冷まし、ごくんと呑み込んだ。
パンの皮はパリパリと香ばしく、中の生地は噛めば噛むほど甘さを感じる。
冷えたパンとは比べものにならないほど、焼きたてのパンはおいしかった。
あまりのおいしさに、震えるほどである。
これまで、こんなおいしいものを知らずに生きていたなんて。マリエッタは信じがたい気持ちになった。
焼きたてパンのおいしさを、誰かと分かち合いたい。
すぐに、先ほど出て行った灰色の猫の姿が思い浮かんだ。
彼女はマリエッタの体の持ち主である魔女に対し、猛烈に怒っていた。
このパンを食べたら、怒りも和らぐのではないか。
そうに違いないと思い立ち、マリエッタは外に出る。
きっと、遠くには行っていないだろう。
勝手に決めつけ、玄関先から叫んだ。
「灰色の猫さーん! おいしいパンが焼けたの! 一緒に食べない?」
シーンと静まり帰っている。返事はない。
もう一度叫けぼうとしたところ、草陰から灰色の物体が飛び出してきた。
『あなたは、大陸いちの大馬鹿者ですの!?』
契約もなしに、妖精が呼んでくるわけがないと怒られてしまう。
「でもあなたは、こうしてやってきてくれたわ」
『そこの草陰で、眠っていたからですわ! 近くで叫ばれたら、たまったものではありませんもの!』
「ごめんなさい」
『それで、何用ですの?』
「おいしいパンが焼けたから、一緒に食べない?」
『は?』
「焼きたてなの!」
『どうして、私にパンなんかよこしますの?』
「契約のお詫びに」
『いや、お詫びって、さっきも言いましたが、あなたは悪くないのに』
「それでも、何かしたくて」
灰色の猫はマリエッタと魔女を、別人として扱ってくれるようだ。詫びのパンは、受け取らないと言われてしまう。
ならばと、マリエッタはしゃがみ込んで灰色の猫を誘う。
「おいしいパンが焼けたの。お近づきの印に、食べて行かない?」
にっこりと微笑みかけると、灰色の猫は盛大なため息をつく。何を言っても無駄だと理解したのだろう。
『わかりました。そこまで言うんだったら、食べて差し上げます』
「ありがとう!」
天気がいいので、外で食べることにした。
魔女術を用いて淹れた紅茶とともにいただく。
マリエッタは灰色の猫が食べやすいよう、パンをちぎる。それに、カラメルソースをとろーりとかけた。
「はい、どうぞ」
『え、ええ』
灰色の猫は、手ずからパンを食べる。
口にした瞬間、ハッと目を見開いていた。耳や尻尾はピンと立ち、毛並みはぶわっと膨らむ。
「どうかな?」
『ま、まあ、悪くありませんわ』
「よかった」
マリエッタも、カラメルソースを塗ったパンを頬張る。
「ああ、幸せの味がする~~!」
不思議と、先ほどひとりで食べたときよりもおいしい。
幸せを誰かと分かち合う喜びを、マリエッタは知った。
かごに山盛りだったパンは、灰色の猫とふたりでぺろりと食べてしまった。
ここで、マリエッタは思いつく。
「そうだ!」
『な、なんですの?』
「灰色の猫さん、ここでわたくしと、一緒に暮らさない?」
『ど、どうして?』
「ひとりでは、寂しいから」
『以前のように、ここを守ってほしいと?』
「いえ、そうではなくて」
契約を結んで、彼女を従えるつもりはない。
ただの同居妖精として、一緒に暮らさないかと話を持ちかけたのだ。
「あなたをここに縛り付けるつもりはないわ。飽きたら、出て行ってもいいし。なんていうか、わたくし、あなたとお友達になりたいの」
『お友達、ですか?』
「そう!」
三食昼寝付きだと言うと、灰色の猫は耳をぴくんと動かす。
『その条件に、嘘偽りはありませんね?』
「ええ。わたくし、これからいろんな魔女術を試したいから、作った料理を一緒に食べてくれると、嬉しいわ」
『だったら、別によろしくってよ』
「ありがとう」
マリエッタが差し出した手に、灰色の猫は肉球をぐっと押しつける。
ふたりの間で、魔法を介さない契約が結ばれた瞬間であった。
「灰色の猫さん、お名前は?」
『私、ただの妖精ですもの。人間のように、名前なんてありませんわ』
「だったら、わたくしが決めてもいい?」
『お好きになさったら?』
しばし考え、〝グリージャ〟と名付けた。異国の言葉で、灰色を意味する。
『灰色って、そのままではありませんか』
「でも、あなたにお似合いよ」
『そう? でもまあ、名前がないと不便でしょうし、受け入れて差し上げます』
「ありがとう」
そんなわけで、マリエッタとグリージャの同居生活が始まった。




