声の主
「きゃあっ!」
突然、艶のある女性の声が聞こえた。
声がしたほうを見ると、部屋の隅にある巻物が入った木箱の影から灰色の猫がぬるりと出てくる。
毛足の長い猫で、目つきは妙に色っぽい。ボリュームたっぷりの尻尾は、不機嫌な様子で左右に揺れていた。
「あ、あなたは!?」
『何をおっしゃっていますの?』
「ああ、ごめんなさい。わたくし、マリエッタ」
『マリエッタですって? あなたは、〝嫌われ者の、夜霧の森の魔女〟でしょう?』
「夜霧の森の魔女ですって? 素敵な二つ名だわ!」
マリエッタの浮かれた言動を耳にした灰色の猫は、瞳を細くして訝しげな視線を向ける。
くんくんと何か匂いをかぐような動作を取ったあと、ハッとなった。
『なっ!? あなたまさか、魂が入れ替わっていますの!?』
「ええ、そうなの」
『いや、なんでそのように飄々となさっているのです?』
「だって、自由の身だし、魔力はたくさんあるし、いいことばかり……だからかしら?」
今度は、呆れたような目でマリエッタを見つめる。
尻尾は不機嫌な様子で、床にたんたんと叩きつけられていた。
『ていうか、先ほどから、誰とお話ししていましたの?』
「誰とも」
『まさか、全部独り言だと?』
「ええ、ごめんなさい。以前、誰とも話さない状態で過ごしていたら、声が出なくなったの。以降、思ったことは口に出すようにしていて――」
魔法の師である老婆は、耳と言葉を封じられていたので会話ができなかった。筆談と、身振り手振りだけの生活だったので、喋る必要がなかったのだ。
言葉をまともに発すことなく過ごした結果、マリエッタの声はでなくなってしまったのだ。
それに気づいたのは、魔法の塔に入ってから一年後。王妃教育のため、外国語の教師との授業に発覚したのだ。
まともに言葉を発するようになれるまで、半年もかかった。
「というわけで、独り言を言うのが癖になっているの。驚かせてしまって、ごめんなさい」
灰色の猫はマリエッタの話に興味がないようで、舌先で毛繕いをしていた。
すぐに話題を切り替え、別の質問を投げかける。
「灰色の猫さん、あなたは、ここの住人なの?」
『性格の悪い魔女との忌まわしい契約で縛られている、家猫妖精ですわ』
「まあ、妖精族なのね!」
なんでもマリエッタの体の持ち主と、百年間の契約を結んでいるらしい。
主な仕事は、家を守護すること。
ジルヴァラ国を守る聖獣のような役割を、灰色の猫妖精が果たしていたのだろう。
契約の要となっているのは、魔女の家という興味深い仕組みの魔法だった。
灰色の猫の魔力を調べてみると、たしかに家と繋がっていた。
魔女本人ではなく、家と契約を結んでいるので、こうして魂が入れ替わっても魔法は解除されなかったというわけだ。
マリエッタはすぐに、解放してあげる。
灰色の猫と家が繋がった魔力を探り、ハサミで糸をパチンと切るようにして契約を破棄した。
「もう大丈夫。あなたは自由だから」
『は!?』
「どこでも、好きなところにいったらいかが?」
『あなた、馬鹿ですの!?』
「え? ばか?」
『普通の馬鹿ではありません。大馬鹿者ですわ』
「どうして、そんないじわるを言うの?」
『あなた、街の騎士に命を狙われているのですよ!?』
「なぜ?」
『ここに住んでいた夜霧の森の魔女が、悪さをしたからに決まっています!』
なんでも、ある魔法を実現するために、魔女は太陽の光を奪った。
おかげで、街を含む広範囲は霧に包まれ、昼間でも夜のように暗いのだという。
「ああ、だから、〝夜霧の森の魔女〟と呼ばれているのね!」
『嫌われ者もお付けになって』
「〝嫌われ者の、黒霧の森の魔女〟?」
『ええ、そう』
何度も騎士達の襲撃を受け、そのたびに応戦した。
ただ、夜霧の森の魔女も暇ではない。対策に打って出る。
森で妖精を捕獲し、家を守る結界の要にしたのだという。
『今に見ていなさい。騎士達がここに押しかけて、あなたを亡き者にしますので』
「だったら、魔法を解けばいいのでは?」
マリエッタは魔力を用いて、家の中にある魔法を探る。その中に、大きな術式を発見した。
その魔法は、魂の入れ替わり魔法を実行するために必要なものだったようだ。
太陽の光を魔力に替え、術式を展開させるものだと判明する。
もう必要のない魔法だろう。
「霧は、魔法で作っているわけではないみたい。もしかしたら、ここは湖が多い土地?」
『まあ、多いかもしれません』
「だったら、太陽がなくなった結果、霧深くなってしまったのね。大丈夫。術式を解いたら、霧はきれいに晴れるから」
マリエッタは夜霧の魔女が展開させていた魔法を解く。
すぐには変化はなかったものの、霧雨は止んだようだ。
「これで大丈夫!」
『いや、大丈夫ではありませんわ?』
「どうして?」
マリエッタの問いかけに、灰色の猫は深い深いため息をついた。
『私の契約を解いたのと同じですわ。いくら魔法はなくなっても、恨みはずっと、ずーーーーっと心に残りますの。契約を解いたから、許すなんて甘い話ではありません』
「ああ、そうなのね。ごめんなさい」
『いえ、あなたが悪くないというのは、わかっていますが』
「あなた、いい子なのね」
『は!? いい子、ですって?』
「ええ。いい子だわ」
だいたい怒りを覚えた場合、その理由を口にする者はいない。
けれども、目の前にいる灰色の猫は、怒っている理由を教えてくれた。
マリエッタは感謝する。
「ありがとう。わたくし、これからは善き魔女として生きることに決めたわ!」
『あなた、本気?』
「ええ、本気よ」
『騎士は、どうしますの?』
「ごめんなさいって、謝ればいいわ」
『そんな甘い考えが、通用するわけありませんわ』
「そうかしら?」
『そうに決まっています』
「うーん」
マリエッタはいまいち、理解できなかった。
これまで、「ごめんなさい」と言って謝ったら、なんでもかんでも許してもらえたから。
灰色の猫は『もう、知りません!』と叫んで屋根裏の階段を駆け下りる。
マリエッタも、あとに続いた。
『ついてこないでくださいませ!!』
「あなたの新しい門出を、見送りたいの」
『まったくもって、余計なお世話ですわ!!』
灰色の猫の足は速い。だが、猫の手で扉を開けられなかったようだ。玄関の前でうろついていたので、マリエッタは扉を開いてあげる。
すぐに、飛び出していった。
すさーっと風のように、走っていく。
「灰色の猫さん、どうかお元気で!」
最後に、灰色の猫は振り返った。マリエッタは笑顔で手を振る。
灰色の猫はべーっと舌を出し、ぷいっとそっぽを向いた。
そのまま、走り去っていく。
もう二度と、悪い魔女に捕まりませんように。
そんな願いと共に、見送った。
マリエッタに、温かな太陽の光が差し込んでいる。
気持ちよかったので、ぐっと背伸びをした。
魔法塔にいたころは、このように全身に日を浴びることもなかった。
自由の身になったのだと、改めて嬉しくなる。
「さて、何をしようかしら!」
返事をするように、ぐーっと腹の音が鳴った。
まずは、食事である。




