すべてのはじまり地へ
一か月後――マリエッタとディーはジルヴァラ国に向かっていた。
マリエッタはグリージャとメルヴ・トゥリーを連れ、ディー側は侍女や従僕、それからジルヴァラ国の外交官やリードと、大勢の人達を引き連れていた。
長年冷戦状態だったジルヴァラ国との、久しぶりの外交である。慎重に進めたいのだろう。
馬車で港町まで移動し、船でジルヴァラ国に入国する。
グリージャやメルヴ・トゥリーにとっては、初めての旅である。馬車酔いを心配していたが、問題ないようだ。
メルヴ・トゥリーはリードに懐き、膝の上に座っている。大丈夫なのかとハラハラしていたが、リード自身は「孫ができたようだ」と言って喜んでいた。
マリエッタはホッと胸をなで下ろす。
初めての船に乗り、どこまでも続く海を眺める。
船は国が管理しているもので、客は他に乗っていなかった。
ディーに誘われて、甲板に出る。
穏やかな潮風が、マリエッタの頬を優しく撫でた。
マリエッタは久しぶりのドレス姿に、落ち着かない気分をもてあましていた。ディーが用意してくれた、美しい空の青のドレスである。
髪も丁寧に編み込まれ、後頭部でまとめている。風が吹く度に、絹のリボンがひらひらと揺れていた。
マリエッタの着飾った姿を見たディーは、耳元で「とてもきれいです」と囁く。
みるみるうちに、マリエッタの顔が熱くなってしまう。
「いつもの姿でも構わなかったのですが、祖父がドレスを贈れとうるさくて」
「ディー様、ありがとう」
魔女は悪しき存在として、知れ渡っている。中には善き魔女もいるが、稀だ。
そのため、外交するにあたって魔女装はふさわしくないと判断されたのだろう。
ディーは普段の姿のままでもよかったのにと言ってくれた。それだけで、マリエッタは満足である。
「ディー様は、怖くなかったのですか?」
「怖い?」
「ジルヴァラ国との外交が」
ハウトゥのほうが大国である。しかしながら、現在のジルヴァラ国には百万の兵に匹敵するといわれている竜が守護している。そんな国に、交渉を持ちかけるなんて恐ろしいとしか言いようがないだろう。
「私は、幸せになりたいんです」
ディーはマリエッタをまっすぐ見ながら語る。
「きっと、このままでも、私はマリエッタと暮らしていたら、幸せになれたでしょう。けれども、マリエッタはきっとそうではない。妹との確執が、ずっと心に残ってわだかまりとなる。あなたの心に、影を落としたくなかったのです。そのために今、こうしてジルヴァラ国に向かって旅立っている」
すべては、マリエッタのためだったというわけだ。感極まったマリエッタは、ディーに抱きつく。
「ディー様、ありがとう。本当に、心から感謝しているわ」
ディーはマリエッタを抱き返し、優しく背中を撫でたのだった。
◇◇◇
国境には、海軍の船が待ち構えていた。もちろん、敵対する意思はないようで、武装はされていない。
左右上下、ジルヴァラ国の船に囲まれた状態で、入国を果たす。
マリエッタは一年ぶりに、ジルヴァラ国へと戻ってきた。
十歳の頃から八年間暮らしていた国であったが、魔法塔に引きこもっていたので懐かしさなどはない。
ただただ、馬車から賑やかな街並みを見つめるばかりであった。
商店街を通り過ぎる。
そこでは、国王夫婦と竜が描かれた記念品が、大々的に売られていた。
道行く人達は、楽しそうに眺め、手に取っている。
新しい国王夫妻の国民人気が高いという話は、本当だったようだ。
リードは政治的なパフォーマンスではと疑っていたようだが、それはない。ユウェルはそういう政策をする性格ではないから。
これまでの王族も、仲のよさをアピールして人気を得ようなどと考える者などいなかった。おそらく、自然と周囲が国王夫婦を祝福するような空気になり、王家もこのような記念品を販売することを許している状況なのだろう。
クローデットは国王ユウェルから、大切にされている。
きっと、マリエッタに向けていたような冷たい目では、見ていないのだろう。
城に近づくにつれて、マリエッタは不安を募らせる。
クローデットはマリエッタに対し、どのような態度ででるのか。まったく想像できない。
怒りや悲しみは、簡単に消えない。
クローデットは今も、マリエッタを憎み、復讐心に苛まれているのだろう。
謝って許してもらおうというのは、甘い考えだ。
誠心誠意、悪かったという気持ちを表し続けるしかない。それが、マリエッタにできることだろう。
隣に腰かけるディーが、マリエッタの肩をそっと抱く。
ディーに寄り添い、不安な気持ちを心の中で抱きしめた。
そして、双子として生を受けた姉妹の、面会の瞬間が訪れる。
玉座の間は人払いがなされて、最低限の護衛しかいなかった。
その中でも玉座の後ろにいる竜は、異様な存在感を放っている。
クローデットは、美しく着飾った姿で国王ユウェルの隣に立っていた。
凜と美しく、立派な姿だった。
マリエッタはひと目見た瞬間、涙を流す。
魔力を豊富に持ち、魔法の才能溢れるクローデットは今、相応しい場所に立っている。
それが、どうしようもなく嬉しくて、泣いてしまったのだ。
一方で、クローデットは硬い表情でマリエッタを見つめていた。
それは、怒りというよりも、戸惑いの表情と言えばいいものか。
ただただ、マリエッタを凝視するばかりだ。
ディーと国王ユウェルは、緊迫の雰囲気の中で立っていた。
友好の場であるものの、空気はピンと張り詰めている。
間に割って入ったのは、リードだった。
姉妹を、ふたりきりにするように薦めた。
竜とグリージャ、メルヴ・トゥリーを残し、去って行く。
マリエッタとクローデットは、玉座の間に残された。
なんと声をかけていいのやら。
マリエッタは戸惑いの気持ちを抱く。
ここにくるまでずっと何を話そうか、一生懸命考えていた。
けれども、クローデットを前にした瞬間、頭の中が真っ白になったのだ。
ただただ見つめ合うだけの時間が続く。
先に動いたのはクローデットだった。
マリエッタを前に耐えきれなくなったのか、クローデットは逃げ出してしまった。
クローデットは扉を開いて廊下に飛び出すと、廊下で待っていた侍女達も「王妃様、お待ちください」「何かご心配事でも?」と叫びながらあとに続く。
マリエッタもあとを追いかける。
王宮にある湖のほとりでクローデットを発見した。
侍女達は魔女であるマリエッタからクローデットを守ろうとする。
彼女らは塔に閉じ込められた時代から、マリエッタに仕えていた侍女だった
マリエッタは侍女らに、みんな、元気でよかった! と言うも、事情を知らない侍女は首を傾げる。
そうだった、自分は彼女らがよく知る王女マリエッタではないのだ、とマリエッタは思い出した。
その様子を見ていたクローデットは、侍女らを下がらせ、マリエッタと話すことにしたようだ。
「あなたに、話したいことがあるの」
「え、ええ」
クローデットは自らの思いを告げ始める。
入れ替わりの魔法を完成させたクローデットは、ついに実行させた。
マリエッタが大事にしてきたものをめちゃくちゃにするつもりだったのだ。
かねてより計画していたクローデットだったが、想定外の事態となる。
侍女達がクローデットの様子がおかしいと心配し、あれこれ世話を焼き始めたのである。
熱を測り、温かい部屋と布団を用意し、おいしく栄養豊富な料理も作ってくれた。
しきりに声をかけ、励まし、誠心誠意の限りを尽くしてくれたのである。
故郷であるスニューウの乱暴極まりない侍女やメイドとは大違いだった。
ここには親切な人しかいない。クローデットは途端に居心地が悪くなる。
そんな中で、ユウェルだけは冷たい態度だった。
彼の冷え切った眼差しを浴びた瞬間だけは、復讐について考えることができたのである。
けれどもユウェルはクローデットの思考を邪魔する言動ばかり繰り返す。
魔力がないのにどうして竜を召喚できたのか、と毎日しつこく聞いてきたのだ。
その追求の中で、マリエッタは魔力がなく、ユウェルから酷い扱いを受けていたことを知った。
マリエッタは天真爛漫で、明るく、美しい心の持ち主だったという。
クローデットとは大違いだった。
マリエッタとの違いに違和感を抱かれないよう、クローデットは記憶喪失だということにし、過ごすこととなった。
復讐をするつもりだったのに、親切な侍女らがクローデットの枷となっていた。
彼女達の表情を曇らせたくない。いつしかそう思うようになっていたのだ。
長らく引きこもっていた彼女だったが、侍女の1人が病で倒れたと聞く。
国全土で流行っている、不治の病だという。
症状を聞くと、かつていた国ハウトゥで流行った病だった。
高熱が続き、苦しんだ末に亡くなる病気だが、特効薬が完成していた。
一時期、魔女と共に特効薬を作って、お金儲けをしていたのである。
特効薬の煎じ方は覚えている。侍女を治せるかもしれない。クローデットはユウェルに薬の材料を確保するように頼み込む。
クローデットを信じないユウェルだったが、命をかけると訴えると、材料を揃えてくれた。
クローデットの作った薬は効果を発揮し、侍女だけでなく多くの患者を助ける。
国民らはクローデットに最大級に敬意を示すようになった。
バルコニーに出ると、浴びるような歓声が上がる。
皆、クローデットに感謝していた。
後日、ユウェルはクローデットに謝罪する。
彼のつむじを見ながら、クローデットは驚くことになる。
突っぱねることもできたのに、初めて謝罪を受けた驚きで何もできなかった。そのため、彼の謝罪を受け入れる形になってしまったのだ。
その日から彼の態度が和らいだ。
クローデットとユウェルは夫婦としての一歩を踏み出したのだった。
そして現在――。
クローデットからすべての話を聞いたマリエッタは、震える声で言葉を返す。
「ごめん、なさい……わたくしのせいで、あなたはずっと苦しんでいた」
流行病の発生も、クローデットでなければ抑えることができなかっただろう。
「この国の王妃は、高貴で、美しく、誰よりも凛としているクローデット、あなたがふさわしいわ」
「何を言っているの? あなたは憎んでいるでしょう? 勝手にあなたの体を乗っ取った、浅ましい女でしかない私を」
「違うわ!わたくしは、あなたを憎んでなんか、いない。わたくしはあなたが双子の姉妹だと知った日から、ずっと申し訳ないと思っていた。どうして魔力のないわたくしが王女として育てられたのか、強く恥じる気持ちもあった」
マリエッタは一歩、一歩とクローデットに近づく。
クローデットは微動だにしないまま、その場に立ち尽くしていた。
手を伸ばせば触れ合うほどの距離に立つと、マリエッタはクローデットにそっと触れた。
離れ離れになっていた、マリエッタの片割れ。
双子だというだけで、クローデットの人生は翻弄され続けた。
目と目が触れると、クローデットは胸の内を語り始める。
「あなたはずっと、周囲から愛されて、能天気に生きている人だと思っていたの。でも、違った。あなたにも、私とは違う苦しみがあった」
「いいえ。あなたに比べたら、わたくしの苦しみなんてどうってことはなかったのよ。だから、この魔力に満ちあふれ、魔法の才能があったクローデットの体を乗っ取ってしまったことを、心苦しく思っていたの」
「乗っ取ったのはあなたではなく、私でしょう?」
「いいえ、違うわ。わたくし、あなたの体を得て、魔法が使えて、素敵な家があって、とても楽しかったの」
「は?」
「体を入れ替えてくれて、ありがとう」
マリエッタは触れるだけだったクローデットの手を、両手で包み込むように握りしめた。
クローデットは信じがたい、という眼差しを向ける。
「マリエッタ……あなた、私を恨んでいないの? 憎たらしいって、思わなかった?」
「いいえ、ぜんぜん。クローデット、あなたは、わたくしが憎たらしいかもしれないけれど」
クローデットはぶんぶんと、首を横に振る。
「今は、あなたを憎たらしいと思っていない。むしろ、申し訳なかったと思っているわ」
マリエッタはジルヴァラ国に、優しさを残していた。
現在クローデットに仕える侍女達は、かつて魔法の塔でマリエッタの世話をしていた者達。様子が変わったマリエッタを、心から心配し、支えてくれた。
「あそこまで、侍女達が案じてくれたのは、あなたが彼女達を大事にしていたからでしょう?」
侍女達のおかげで、慣れない環境の中でもなんとかやってこられたのだと言う。
「陛下は、入れ替わりについて、ご存じなの?」
「ええ」
国王ユウェルとの関係は良好らしい。けれども、最初から上手くいっていたわけではないようだ。
「何度も言い合いをして、喧嘩をして、話し合って。そうしているうちに、私は陛下に惹かれていると気づいたの」
ただ、愛すれば愛するほど、罪悪感を覚える。
ついには、ユウェルから与えられる愛情を拒絶してしまった。
マリエッタに悪いと、思ったからだという。
「城を出て、あなたを連れ戻そうと計画したのだけれど、陛下にバレてしまって」
その事件をきっかけに、クローデットが抱える事情を洗いざらい話したらしい。
「陛下はすべて受け入れてくださったの」
「そう」
マリエッタも同じだ。ディーはマリエッタが抱えるもののすべてを、さしたる問題ではないと言ってくれたのだ。
「マリエッタ、ごめんなさい。この魔法は、元には戻せないの」
「ええ、わかっているわ。魔法陣に、書いてあったもの」
「なんと謝っていいものか」
「いいえ、謝らないで。わたくしは、入れ替わったあとの人生のほうが、幸せだったから」
クローデットもそうではないのか?
問いかけると、クローデットは目を丸くする。
マリエッタが微笑みかけると、泣きそうな顔で頷いた。
「わったら、わたくし達はこのままで。それぞれ、幸せな人生を生きましょう」
「マリエッタ、本当にそれでいいの?」
「それが、いいのよ。あなたは?」
「私も、今が幸せ。許されるのであれば、このまま、生きたい」
「だったら、決まりね」
マリエッタは大国ハウトゥで、クローデットはジルヴァラ国で――それぞれ生きていく。
姉妹は初めて話し合って、納得がいく道を決めた。
マリエッタとクローデットは抱き合い、大粒の涙を流す。
姉妹が違いを理解し、打ち解けた瞬間でもあった。
こうして、双子の王女が取り巻く問題は、平和的に解決したわけである。
その後、ジルヴァラ国と大国ハウトゥの間に、永久友好条約が結ばれた。
特産である銀と金を交換し、関係の強化を約束した。
マリエッタとクローデットの誕生や、入れ替わりについては周知されることはなかったものの、大国ハウトゥに雪深い国の王女が輿入れし、多くの国民に祝福されたことは知れ渡った。
ふたつの国に嫁いだ双子の王女は、それぞれ異なる国で暮らしている。
幸せに満ちた毎日を、それぞれ過ごしたのだった――。




