春を待つ
彼女が薄暗い部屋で、最低限の食事しか与えられず、厳しい教育を受けながら育ったこと。
メイドが腹いせに暴力を振るい、挙げ句の果てに焼きごてで額を焼いたこと。
命からがら城を抜け出したクローデットを魔女が保護したものの、邪竜召喚の生贄に使われそうになったこと。
最後に、クローデットはマリエッタへの復讐を目論み、魔法で魂を入れ替えたこと。
淡々と語っていたつもりだったが、最後は息も切れ切れとなっていた。
そんなマリエッタに、ディーは水差しの水をグラスに注いで飲ませてくれた。
「きっと、この地で悪行を繰り返していたのも、わたくしへの復讐なの。だから、悪いのは――」
「あなたではありません。それにしても、なんて酷いことをしていたのか」
その言葉は、マリエッタの父親である、雪深い国王へ向けたものなのだろう。
マリエッタにとっては、厳しくも優しい父親である。
けれども、迷信を信じて残酷な行いを命じていたのだ。
「わたくしは、彼女の存在なんて知らずに、脳天気に育てられたの」
「そんなことはありません。あなたはあなたなりに、苦しみや悲しみがあったのでしょう。これまで歩んできた道を、否定しないでください」
クローデットが受けた恐怖について考えると、胸が引き裂かれそうになる。
どうして彼女に、このような試練を与えたのか。
なぜ、魔力や魔法の才能がなかったマリエッタを、予備として扱わなかったのか。
わからないことばかりである。
「わたくし、どうしたらいいのか……!」
「マリエッタの妹に、会いにいきましょう」
「え?」
「私と祖父はずっと、ジルヴァラ国と友好関係を築けないかと、働きかけていたんです」
長年、よくない関係が続いていた。けれども、このままでは互いに不利益にしかならない。
過去の憎しみや悲しみは消えないが、それらの感情を封じ、手と手を取り合うべきだと考えていたようだ。
かつて、外交官だったディーの祖父は、ジルヴァラ国に友好関係が築けないか働きかけた。けれども、取り付く島もなかったわけである。
「これまで成果はなかったが、マリエッタのことに加えて、王族である私が直接通牒を贈ったら、無視もできないかと。いかがでしょうか?」
「でも、ディー様――王族?」
「はい」
「ディー様、王族なの?」
「言っていませんでしたか?」
「言っていないわ!!」
これまで何度か、ディーの兄について話を聞いていた。その兄とは、大国ハウトゥの王太子殿下だったというわけだ。
「わたくし、王子殿下をリスと間違えたり、手作りの料理を振る舞ったり、気軽にお話しをしたり――ああっ、なんてこと!」
「その様子だと、言わなくて正解でしたね」
「正解ではないわ!」
マリエッタは頭を抱え込む。
問題が、思っていた以上に大きくなりそうだ。
「国際問題になって、戦争を引き起こしたら、どうするつもりなの?」
「それはないかと」
「どうしてそう言いきれるの?」
「ジルヴァラ国の国王は、マリエッタ妃を溺愛されているそうです」
「へ?」
「街中には、仲睦まじい夫婦の肖像が描かれた、記念品で溢れているそうですよ」
新聞を捲ると、幸せそうに微笑む国王夫妻の絵画が印刷されていた。
ひと目見ただけでわかる。
クローデットが現在、どのようにして暮らしているかというのを。
「マリエッタ、心配はいりません。妹君は夫である国王に愛されて、幸せな毎日を過ごしていると思います。あなたも、幸せになってもいいのです」
「ほ、本当に? ディー様も、そう思う?」
「ええ。私は、マリエッタが妻となってくれたら、これ以上ない幸せが訪れるのですが」
「わたくしで、いいの?」
「あなたしか、いません」
安堵と、幸せな気持ちがこみ上げ、マリエッタは涙する。
そんな彼女を、ディーは優しく抱きしめた。
◇◇◇
元気を取り戻したマリエッタは、ディーから祖父リードを紹介される。
外交官だったというリードは、穏やかで優しげな人物であった。
にっこり微笑んだ顔が、ディーとよく似ている。
どこか厳しさを感じる人物でもあり、ディーとの血のつながりを感じてマリエッタは嬉しくなった。
ディーと共に在ることを反対されたらどうしようと思っていた。
けれどもリードは、マリエッタとディーの仲を応援してくれるようだ。
ホッと胸をなで下ろす。
「マリエッタさん、これからも、ディディエと仲良くしてやってくれ」
「はい」
ディーの傍にリードみたいな大人がいてくれることを、マリエッタは嬉しく思う。
数日後――マリエッタの魔力は安定したので、森の家に帰りたい旨をディーに打ち明ける。
森の動物も心配しているだろうし、森野菜や庭の草花の世話もしなければならないから。
反対されるかと思ったが、ディーはマリエッタの希望を聞き入れてくれた。
マリエッタは久しぶりに、森の家に戻ったのだった。
世話する人がいない庭は、荒れ果てているのではないか。なんて心配していたら、庭は変わりない姿を維持していた。
覗き込んだら、リスの兄弟妹がひょっこり顔を見せる。
『おお、帰ったか』
『おかえり!』
『おかえりなさい』
リスの兄弟妹の手には、じょうろやスコップが握られていた。それらは、メルヴ・トゥリーが使えるように、マリエッタが作った品々である。
「もしかして、あなた達が庭のお世話をしてくれていたの?」
『まあな』
『マリエッタが悲しむから、頑張った』
『きれいなままでしょう?』
「み、みんな、ありがとう! 大好き!」
マリエッタはリスの兄弟妹を優しく抱きしめる。
他にも、森の動物達や妖精が代わる代わるやってきて、世話してくれたらしい。
誰かに与えた優しさは、巡り巡って自分に戻ってくる。
世界は、自分が思っているよりも優しい。
気づいていないのならば、それは自分自身に余裕がない証だろう。
マリエッタの眦からは涙が溢れ、止まらなかった。
それから一週間後、ディーがマリエッタのもとへとやってくる。
見舞いとして、薔薇の花束を贈ってくれた。
マリエッタ手作りのクッキーを食べながら、互いの近況について話す。
ディーはすぐにジルヴァラ国と友好関係を築きたい旨を国王に相談し、大使を立てて通牒を届けたようだ。
ジルヴァラ国の国王が、どう動くかはわからない。けれど、悪いようにはならないと、ディーは言う。
マリエッタは、彼を信じるしかなかった。
返事を待つ間、マリエッタとディーはこれからについて話し合う。
正直、マリエッタは不安だった。
王族であり、領主でもあるディーの妻となる覚悟が、できていなかったのだ。
森での暮らしも、捨てられない。
やはり、ディーとの結婚は、無理なのかもしれないと思い始める。けれども、ディーは絶対にマリエッタを妻にすると言い切った。
結婚しても、森の暮らしがしたいのならばそれでいい。ディーがマリエッタの家に通えばいいだけの話だと説き伏せる。
それでいいのか。彼の言葉に、甘えてもいいものなのか。
マリエッタと結婚することによって、ディーが悪く言われるのは我慢ならない。
結婚が彼に不幸をもたらすのであれば、しないほうがマシだ。
けれども、ディーは言う。
「私は、あなたが妻でないほうが不幸なんです。私が一番でなくてもかまわないので、マリエッタの夫であるという名誉を、いただけないでしょうか?」
「ディー様……」
「それに、私は森で活き活きと暮らすあなたが好きなんです」
ここまで言われたら、断れない。
ディーはマリエッタの気持ちや、森での暮らしを大事にしてくれる。こんな男性など、世界中探しても、いないだろう。
マリエッタはディーの手を握り、微笑みながら言葉を返す。
「こんなわたくしでいいのならば、ディー様の妻に、なりたいわ」
「マリエッタ! ありがとうございます」
返事を延ばしに延ばしまくったせいか。ディーは涙を流して喜ぶ。
結婚を、すぐに受け入れてもらえるとは思っていなかったようだ。
「ひとまず、十年後くらいに結婚できたらいいなと考えていました」
「そんなに待つつもりだったの?」
「ええ。二十二年頑張って生きてきて、やっとマリエッタに出逢えたので。結婚するためには長い時間がかかるだろうなと、思っていました」
「そ、そう。というか、ディー様、二十二歳だったのね」
「いくつくらいだと思っていたのですか?」
「落ち着いているから、わたくしより十は年上だと思っていたの」
「なるほど。ちなみにマリエッタは、十八、くらいですか?」
「ええ。もうすぐ十九になるけれど」
ディーは遠い目で、窓の外の景色を眺めていた。年齢よりも大人びて見えることをマリエッタは羨ましいと思ったが、ディー本人はそう感じていないのかもしれない。
「あ、でも、最近のディー様は、二十二歳って感じがするわ。よく、笑ってくれるし」
「そう、でしたか?」
こくりと頷くと、ディーは安堵するような表情を見せる。この世には、〝老けている〟という言葉がある。年齢以上に見られたくない人もいるだろう。マリエッタは発言に気を付けようと心の中で決意した。
それから、たわいもない話で盛り上がり、夕方になる前に別れる。
次、会うときはジルヴァラ国に帰る日だ。
正直、クローデットや国王となったユウェルに会うのは恐ろしい。けれど、マリエッタにはディーがいる。
きっと、大丈夫。不思議と、そう思えるようになっていた。




