隠し事
マリエッタは目を覚ます。
瞼をそっと開くと、見慣れない天蓋が見えた。魔女生活とは無縁の、上品なベルベット生地である。
マリエッタはハッと我に返った。
この部屋は、夜霧の森の魔女の家ではなかった。
辺りを見回すと、上等なマホガニーの円卓に、大理石の床、精緻な織りの窓掛けに、水晶の室内灯――贅が尽くされた寝室である。
いったいどうやって、やってきたのか。記憶が酷くおぼろげであった。
そもそも、ここはどこなのか。記憶を探るが、覚えがない。
円卓の上に、新聞紙が置かれている。
起き上がろうとしたが、体に力が入らない。
仕方がないので、精一杯手を伸ばして新聞紙を掴んだ。
「ジルヴァラ国の、新聞だわ」
声が、驚くほど掠れていた。
ここは、ジルヴァラ国のどこか?
もしや正体がバレて、強制送還されてしまったのか。
だとしたら、扱いが丁重過ぎる。
入れ替わりが、元通りになったのか。
しかしながら、魔法陣には二度と戻れないという旨が書かれてあった。マリエッタとクローデットの体が今更元通りになるというのは、絶対にありえない。
まさか、これまでのことはすべて夢だったのか。
夜霧の森の魔女と体が入れ替わったことも、グリージャやメルヴ・トゥリーとの楽しい暮らしも、ディーとの出会いさえ、マリエッタにとって都合のいい幻だったのかもしれない。
現実があまりにも受け入れがたいので、マリエッタは夢の世界に逃避してしまったのか。
だとしたら、一刻も早く現実を知る必要があるだろう。
新聞には魔力がなく、魔法の才能もからっきし、無能王女の輿入れとでも報道されているかもしれない。
恐るおそると新聞を開こうとしたその瞬間、声が聞こえた。
『猫サン、コッチダヨオ』
『マリエッタ!!』
メルヴ・トゥリーとグリージャが、魔法陣と共に浮き出てきた。
彼らの存在は、夢ではなかったのだ。
「グリージャ……! メルヴ・トゥリー……!」
そっと手を伸ばすと、揃って駆け寄ってくる。
『マリエッター!』
『マリエッタサーン!』
両手を広げ、飛び込んできた愛しい者達を抱きしめた。
『よかった。目が覚めましたのね。十日間、昏睡状態だと聞いていたものですから』
『マリエッタサン、起キナクッテ、悲シカッタ!』
「心配をかけて、ごめんなさい」
『ディーサンモ、泣イテイタヨ』
「ディー様が、涙を?」
『ウン』
「そう」
たくさんの人達に、心配をかけてしまったようだ。
「わたくしには、みんなに優しくしてもらう資格なんてないのに」
『マリエッタ、どういうことですの?』
『ナンデ、ソンナコト言ウノ?』
「それは……」
真実を口にしようとしたら、涙が浮かんできた。
グリージャとメルヴ・トゥリーはそれ以上何も聞かず、マリエッタにそっと寄り添ってくれた。
どれだけそうしていただろうか。
だんだんと、気力を取り戻す。
メルヴ・トゥリーの手を借りつつ、起き上がった。
頭がズキズキと痛んでいたものの、メルヴ・トゥリーの葉を食べたら治まった。
『モウ、大丈夫?』
「ええ、メルヴ・トゥリー、ありがとう」
『イエイエ』
「グリージャも、駆けつけてくれて感謝しているわ」
『いつまで経っても家に戻らないから、拾い食いでもして倒れているのではと、心配していましたわ』
「拾い食いって、酷いわね」
グリージャの話を聞いていたら、笑えてきた。
沈んでいた気持ちが、少しだけ上を向く。
マリエッタは気合いを入れ、起き上がった。すぐに、グリージャがクッションをマリエッタの背中に押し込んでくれる。メルヴ・トゥリーも、体を支えてくれた。
優しい友の存在に、瞼が熱くなった。
廊下のほうから、会話が聞こえてくる。
片方は中年女性、もう片方は年若い青年の声であった。
「まだ、目覚めないのですか?」
「ええ、魔法医の先生曰く、魔力に異常はないので、精神的なものだろうと。ただの意識不明ではありません。存在そのものが、封じられているような状態だと」
「別の魔法医を呼んでください。第二の意見を参考にしたい」
「領主様、魔法医は国内に二名しかおりません。一名は、父君の侍医ですよ」
「父は健康そのものなので、必要ないでしょう」
コンコンと扉が叩かれ、廊下側から声がかけられる。
「マリエッタ様、入ります」
返事をする前に、扉が開かれた。エプロンドレス姿の中年女性は、マリエッタの姿を見てギョッとしていた。
「どうかしたのですか?」
「領主様、マ、マリエッタ様が、お目覚めになっております」
「マリエッタ!!」
ディーが駆け寄り、マリエッタを抱きしめた。
「ああ、よかった。二度と、目覚めないのかと思いました」
「ディー様、ごめんなさい。迷惑をかけたわ」
ディーは眉間に皺を寄せ、唇をぎゅっと噛みしめる。
いったいどうしたのか質問したいけれど、まだ聞いてはいけない気がする。そんな空気をマリエッタは感じていた。
ふたりきりにしようと思ったのか。
グリージャとメルヴ・トゥリーは部屋から出て行く。中年女性も、去って行った。
パタンと、扉が閉ざされる。
ここでやっと、ディーはマリエッタから離れた。
見つめ合ったまま、しばし沈黙が続く。
けれど、このままでいいわけがない。マリエッタは重たい口を開いた。
「ディー様、わたくし、あなたに言わなければいけないことがあるの」
「いいえ、言う必要はありません」
「でも――」
「怖いのです」
「え?」
「真実を語ったあなたが、いなくなりそうで、怖い」
マリエッタは首を横に振る。そもそも、ディーにそのように言ってもらう資格など、マリエッタにはないのだ。
腹を括ったマリエッタは、真実について語り始める。
ディーは言わなくてもいいと止めたが、そういうわけにもいかない。
一歩、前に進まなければならないのだ。
「ディー様、わたくしは、ここの国の者ではないの」
「存じています。かの国の、出身なんですよね?」
ディーの視線は、マリエッタの布団の上に放り出されたジルヴァラ国の新聞にあった。
「どうして、わたくしが敵国の者だと、知っていたの?」
「あなたを、新聞で見たのです」
ディーは新聞紙を手に取り、開いて見せた。
そこには、婚礼衣装に身を包んだ雪深い国出身の王妃と、国王ユウェル、そして白竜が描かれたものが印刷されていた。
「王妃マリエッタと、書いてあります。同じ顔に、同じ名前、偶然ではないのだろうな、と判断していました」
「ええ。わたくしは、雪深い国出身の王女、マリエッタ、よ」
「やはり、そうだったのですね」
この一ヶ月間、ディーはマリエッタの素性について調べていたらしい。
夜霧の森の魔女でないことは、ずいぶん前からわかっていたようだ。
「どうしてわたくしが、夜霧の森の魔女ではないとわかったの?」
「あなたの身振りや手振り、話し方、動作など、森で暮らす魔女のものとは思えませんでしたから。天真爛漫で、明るく、他人を疑うことを知らない。おそらく、大事に育てられた娘が、なんらかの事情があって森に引きこもっているのだろうな、と」
しかしながら、敵国の王妃だとは想像もしていなかったという。
「ただ、わからない点があって、今もジルヴァラ国にマリエッタ王妃がいるという点です」
「そ、それは」
なぜ、ジルヴァラ国と大国ハウトゥに、マリエッタという顔と名前が同じ女性がいるのか。
「ディー様、わたくしは」
もうこれ以上隠しておけないだろう。マリエッタは真実を話そうとしたものの、再度ディーに止められてしまう。
「ディー様、どうして?」
「先ほども言いましたが、私は、マリエッタを失いたくない。それに、あなたがどこの誰であろうと、関係ないのです」
ディーはマリエッタの手を、大事そうに包み込む。そして、熱い眼差しを向けながら囁いた。
「マリエッタ、私の妻になってください」
「ディー様、わたくしは、そのような資格などないの」
「その資格とやらは、撤廃します。何も気にせず、嫁いできてください。あなたのことは、一生守りますので」
「でも、わたくしは、妹、クローデットの人生を乗っ取った、酷い人間なの。彼女を想ったら、自分だけ幸せになんてなれない!」
「クローデット、ですか?」
「ええ。わたくしの、双子の妹――」
「雪深い国のマリエッタ王妃が双子だという情報は、なかったのですが」
「祖国では、双子が不幸の象徴で、あとから生まれた妹が、予備として、忌み子として、隠されていたの」
マリエッタはクローデットについて、洗いざらいディーに告げた。




