喜びと、躊躇いと
マリエッタとディーの想いはひとつだった。
けれども、それだけで何もかも上手くいくわけではない。
あのとき、マリエッタはディーに自らの正体を明かせなかった。
彼は大国ハウトゥの大貴族である。敵国であるジルヴァラ国の王妃になるはずだった者だと知ったら――?
きっと、ディーの態度は変わらない。変わらず、マリエッタと付き合ってくれるだろう。
ただ、本人はよくとも、周囲の者達がどう思うか。
マリエッタに肩入れするあまり、ディーが再び孤独となったら目も当てられない。
これは、ふたりだけの問題ではないのだ。
改めて、グリージャに問いかけられる。
『ねえ、マリエッタ。あなたは、あの騎士と恋人同士になりましたの?』
「いいえ」
『部屋で、抱き合っていたではありませんか』
「グリージャ、覗きをしていたの?」
『心外ですわ。あなたがいつまで経ってもうじうじしていたから、窓を開けて風を吹かせただけで』
「まあ! あのとき、風が吹いたのは偶然ではなかったのね」
『当たり前です。ロマンス小説のように、都合よく風が吹くわけがないでしょう』
「た、たしかに」
グリージャのおかげで、マリエッタはディーに素顔を明かすことができた。目と目を見て、言葉を交わしたひとときは、夢のようだった。
「でも、わたくしとディーは、恋人同士にはなれないの」
『どうして?』
「ディーと恋仲になるのは、わたくしにとっての幸せだから」
『でも、あの騎士も、あなたのことを深く愛しているように見えたけれど』
「手と手を取り合って、愛することだけが正しい世の中ではないの」
ディーの母親だって、そうだろう。
愛を貫いて、不貞を働きながらもディーを産んだ。
その結果、母子は孤立し、挙げ句の果てに殺されてしまった。
道理に反する愛がもたらした悲劇だろう。
「平民は、別に愛に生きてもいいと思うの。でも、貴族として生まれたからには、愛は自制しなければならないのよ」
『人間って、難儀な生き物ですのね』
「ええ、そう。単純じゃないのよ」
『だったら、騎士とは、これからも、お友達でいるってこと?』
「そうなるわね」
『ふう~ん……』
ディーとはたまに会って、楽しく話をして、食事をして――友好な関係を築いたらいい。
マリエッタはそう考えていたが、ディーは違った。
収穫祭から一週間後、ディーは花束を持って訪問してきた。
美しい、深紅の薔薇である。
「まあ、きれい」
「喜んでいただけて、とても嬉しいです。その、初めて女性に花を贈ろうと思ったもので」
「ありがとう」
夜霧の森の魔女の家に花瓶などない。そのため、魔法薬を入れる大きな瓶に薔薇を活ける。
「マリエッタ、今日はお願いがありまして」
「何かしら?」
「私の後見人に、あなたを紹介したいなと思っているのですが、いつがいいかなと」
「あら、そうなの。何か、困ったことがあるのかしら?」
「困ったこと?」
マリエッタは花瓶を円卓に置き、薔薇の角度を調節する。花の活け方を習っていたはずなのに、すっかりやり方を忘れていたのだ。
ふと、ディーが黙り込んでいたので、振り返る。
眉間に皺を寄せた顔で、マリエッタを見つめていた。
「ディー様、どうかなさって?」
「あの、私は、大事な人に、あなたを紹介したいと言ったのですが」
「ええ、もちろん! あなたのお願いならば、叶えるわ。でも、わたくしはなんでもできる魔女ではなくて、依頼を先に教えていただけたら、助かるなと」
「依頼?」
「ええ。育毛剤かしら? それとも、精力剤? 惚れ薬とか?」
「違います」
ディーは盛大なため息をつく。
マリエッタは彼が何を言いたいのかわからずに、小首を傾げた。
「ごめんなさい。言いにくい依頼であれば、紙に書いていただけたら――」
「私は、あなたを将来の伴侶として、後見人に紹介したいと言ったのです!」
「え? 将来の、はん、りょ?」
「ええ。私は、あなたを妻にと、望んでいる」
「そ、そんなの、初耳、なの、だけれど」
ここで、ディーもハッとなる。言葉にしていなかったと、思い至ったのだろう。
「すみません。ずっと顔を隠していたあなたが、顔を見せてくれたうえに、抱擁を受け入れてくれたので、すっかり気持ちは同じなのだと思い込んでいました」
「あ、えっと、ええ。わたくしは、ディーが大好きよ。でも、あなたは立派な騎士で、領主様。わたくしは、森の奥地に棲む魔女。生きる世界が、あまりにも違いすぎるわ」
「ならば、どういうつもりで、私を受け入れてくれたのですか?」
「お、お友達として?」
「は?」
「お友達、よ」
ディーは額に手を当てて、この世の深淵に届くのではないかと思うくらいの深いため息をついた。
「お友達、ですか。あなたはお友達全員に祝福を贈って、輝く笑顔をふりまき、抱擁を許すのですか?」
「そういうわけではないけれど」
「ならば、友達というのかおかしいのではないですか?」
「関係を、言葉にしないといけないの?」
「ええ」
「だったら、親友とか?」
ディーの目つきがますます鋭くなった。
親友としてならば、会ってもいい。マリエッタは譲歩を見せるも、ディーは納得していないようだ。
「マリエッタに会わせたいのは、実は祖父なんです。その昔、母は勘当されていて、親子の縁は切っていたのです。そのため、私に関しても表面上は後見人ということにして、いろいろ面倒を見てくれるのです」
「そうだったのね」
このクリスタリザーシー領も、もともとは母親の生まれ故郷であった。
「曾祖父が横領をして国に爵位と領地を没収されたのですが、国王陛下は返してくださったのです」
今は祖父と共に、心穏やかに暮らしているという。
「そこに、マリエッタがいたら、これ以上望むことはないと思っているのですが」
「ごめんなさい。お気持ちは大変嬉しいけれど、無理なの」
「祖父は、あなたが魔女だからと、結婚を反対するような人ではありません」
「いいえ、わたくしが魔女だから、お断りをしているのではないわ」
「ならば、なぜ?」
「それは――」
言えない。マリエッタが雪深い国の王女であるというのは、墓場まで持っていかなければならない秘密だ。
絶対に、言えない。
「納得する理由を聞かせていただかないと、身を引くことができないのですが」
「そうよね。どうしましょう」
まさか、ここまで引き下がられるとは予想もしていなかった。マリエッタは困り果てる。
何か、突拍子もない言い訳で断るしかないだろう。
マリエッタは腕を組み、考える。
もう、本当のことを言ったほうがいいのではないか。そんなふうに思い始めた。
雪深い国の王女だと伝えたら、ディーも結婚を諦めるだろう。
ただ、その場合、もう二度と彼と会えなくなってしまう。
最悪、ここを去らないといけなくなる可能性だってあった。
どうすべきか。マリエッタは本気で悩む。
「惨めですね」
「え?」
「嫌われているわけでもないのに、結婚を断られるなんて」
「ディー様は、結婚してからの苦労を、考えなかったのですか?」
「あなたが、私と結婚して、苦労をすると?」
「いいえ。苦労するのは、ディー様のほう。身分が異なる女性と結婚し、面と向かって非難されることもあるのよ」
「別に、気にしません」
「ディー様はそうかもしれないけれど、わたくしが気にするの」
「しかし、結婚を断る理由は、それではないのでしょう?」
「ええ、まあ」
理由を知りたい。ディーはマリエッタをまっすぐ見つめ、問いかける。
もう、限界だろう。
ディーはきっと、何を言っても諦めるつもりはない。だから、マリエッタが本当の理由を語るしかないのだ。
息を大きく吸い込んで――はく。
心は、落ち着かない。ばくんばくんと、鼓動していた。
「ディー様――」
言おうとした瞬間、マリエッタはディーに手で口を塞がれてしまった。
「む、ぐぐぐぐ?」
「やっぱり、聞きたくありません」
「むぐ!?」
「何か、私が諦めざるをえない、決定的な理由があるのでしょう?」
「む、むうう」
「今日は帰ります」
そう言って、本当に帰ってしまった。
ひとり残されたマリエッタは、その場に蹲る。
先延ばしにしてよかったのか。わからない。
どこかホッとしているのは、ディーとの関係が崩壊しなかったことによる安堵か。
考えても仕方がない。マリエッタは甘い気持ちを、心の隅へと追いやった。




