ディーの過去
ディーは薬草茶を飲みつつ、静かに話し始める。
「私は、父の愛人の子どもなんです。妙に義理堅い父は、私を兄と分け隔てなく育てました」
それが、悲劇の始まりだったという。
「私は何をするにも、兄より上手くできてしまったのです」
勉強も、剣の稽古も、社交だって、ディーの能力がずば抜けて高かった。
そのうち、ディーのほうが後継者として相応しいのではと、囁かれるようになる。
「当然、兄は面白くありません」
むしゃくしゃしたのだろう。兄は使用人や友人、知人にディーの母親が卑しい者で、同じ気質を息子である弟も引き継いでいると触れ回る。その結果、ディーと母親は孤立してしまった。
「驚くべきことに、周囲にいた者達はよい話よりも、悪い話を聞きたがり、あっさり信じてしまうのです」
ディーが正妻でも、妾でもないのは紛れもない真実。
けれども、さほど気にしてはいなかった。母親が殺されるまでは。
「母を手にかけたのは、兄の一派でしょう。私も、何度か殺されそうになりました」
「まさか、ディー様の寝台に、毒蛇を仕込んだのも?」
「ええ、兄が命じたものかと」
「そんな……!」
「兄は私が、跡継ぎの座を狙っていると、勘違いしているのでしょう。私は、そんなものなど興味がないと言っているのに」
ディーを担ぎ上げようとする者達がいるのが、よくないのだろう。彼らにいくら言っても、聞く耳はもたなかったという。
「もう、家にいないほうがいい。そう思い、出奔しようと考えていましたが、父に気づかれてしまいまして」
父親はディーに、領地と騎士の位を授けた。
引き継いだ土地が、ここ、ヴァルク・リオン家の領地〝クリスタリザーシー〟というわけである。
「もしかして、ディー様は領主様なの!?」
「ええ」
「そんな、まさか!」
「気づいているものだと思っていましたが」
「ぜんぜん! まったく! あ、でも、ディー様のことを、街の人達はディディエ様、と呼んでいらしたわ」
「はい。私の名は、ディディエ・ヴァルク・リオンです」
ディーというのは、幼少期の渾名だったという。
「どうして、渾名を名乗ったの?」
「領主としての立場であれば、今すぐあなたを殺さなければいけませんでした。しかしながら、マリエッタ、あなたは悪い魔女には見えない。だから、私個人の目で、あなたが悪しき者か、善き者か調べようと思ったのです」
「そうだったのね」
領地を危機に陥れた、悪しき夜霧の森の魔女。
彼女は一度だけ、ディーの夢の中に現れたという。
「彼女は私に復讐をしないかと、契約を持ちかけました」
領地の霧は晴らしてやる。その代わりに、憎むべき者の命を捧げよ、と。
「私は、兄を殺したいほど憎んでいるわけではありません。だから、契約を断り、夜霧の森の魔女を殺すと宣言しました」
夜霧の森の魔女を手に掛けるつもりで、ディーはやってきた。
それなのに、家から飛び出してきた魔女は別人のように天真爛漫だった。
「人をリスと間違うお人好しが、人に復讐しろと囁く魔女なわけがない。そう、思っていました。マリエッタ、あなたは、この地に霧をもたらした悪しき魔女ではありません」
「わ、わたくしは――」
夜霧の森の魔女の体を乗っ取った、雪深い国の王女マリエッタである。
彼女の罪までも、自分のものにしようと引き受けた。
それなのに、ディーはマリエッタの罪ではないと言う。
「あなたは、どこの誰なのですか? そして、夜霧の森の魔女は、どこにいるのです?」
「わたくしは――いいえ。わたくしが、夜霧の森の魔女だった、のよ」
「違います。私は、覚えていますから。夜霧の森の魔女の顔や、声を。額に、火傷の痕がありました。目は、野良猫のように鋭くて、声は低かった」
そもそも、最初から違和感があったという。
「あなたの振る舞いや仕草は、上流階級の娘そのものでした。とても、礼儀を習っていない魔女のものとは思えなかった――」
そこから、ディーは引っかかっていたという。
「あなたは、名家の生まれではないのですか? それも、家族から愛され、大事にされて育った娘のように思えてならない」
眦から、涙が滲む。
確かに、マリエッタはジルヴァラ国に行くまで、周囲の者達から愛されてきた。ディーの孤独を思うと、なんだか泣けてくる。
ディーは立ち上がり、マリエッタの目の前に膝を突く。
顔を覗き込まれるのではと思ったが、ディーはそれ以上動こうとしない。
「マリエッタ、顔を、見せてください。あなたはきっと、夜霧の森の魔女ではないのでしょう?」
ふるふると、首を横に振った。
マリエッタは夜霧の森の魔女として、ここにいる。だから、マリエッタ自身を、見透かされてはいけないのだ。
ディーはマリエッタに、手を差し伸べた。
もう、自分を偽る必要はない。助けてあげよう。なんて、言っているように聞こえてしまった。
そんな都合のいい話なんて、あるわけがないのに。
マリエッタはディーの手を、拒絶しようとした。
その瞬間、窓から強い風が流れ込む。
マリエッタが深く被っていた頭巾が、外れてしまった。
「あ――!」
風のせいで、素顔を晒してしまった。マリエッタは恥ずかしくなり、すぐに頭巾を被り直そうとする。
しかし、その手をディーに阻まれてしまった。
「やはり、あなたは夜霧の森の魔女ではなかった」
「いいえ、わたくしは夜霧の森の魔女よ。火傷の痕も、化粧の下にあるの」
「そうだとしても、マリエッタ、あなたはあなたです。夜霧の森の魔女とは、まったくの別人だ」
堪えていた涙が、ポロリと零れた。
ディーは、夜霧の森の魔女の体に宿るマリエッタに、気づいてくれた。
こんな奇跡など、ないだろう。
ディーはマリエッタの体を引き寄せ、ぎゅっと抱きしめる。
彼の温もりを感じていると、ますます泣けてきた。
マリエッタはずっと、ディーにこうしてほしかったのだ。




