マリエッタの挑戦
もうディーとは会わない。今後は、これまで以上に慎ましく生きよう。
そんなことを考えつつ、庭の草むしりをしていた。
これまでずっと、マリエッタは魔女術に頼って生きていた。だが、それだけではいけないような気がしてきたのだ。
いつか、魔力が尽きるかもしれない。そうなったら、暮らしてはいけないだろう。
生活力を、身に着けたほうがいい。
マリエッタは魔力に頼らない暮らしを初めてみる。
それは、失敗、失敗、そして失敗の日々だった。
魔女術を使わなければ、コッコの卵さえ炭と化してしまう。洗濯だって、床を水浸しにして大変な目に遭った。
マリエッタは、料理や掃除の大変さに辟易していた。
しかし、彼女はめげなかった。
何度も何度も挑戦し、なんとか成功の糸口を掴みつつある。
料理も、ちょっとしたスープならば、魔女術を使わずとも作れるようになった。
次はパン作りに挑戦したい。
掃除も、だんだんと上達しつつある。
忙しい毎日であった。
ディーと会わない決意をしてから、灰色の日々を送っていた。
彼がやってこない日常にも、慣れる必要があるだろう。
幸い、マリエッタの周囲にはグリージャやメルヴ・トゥリー、そして、リスの兄弟妹など、多くの仲間達がいる。寂しくはなかった。
ただ、心が切ないだけで。
この気持ちはいったい何なのか。マリエッタはわからなかった。
ディーについて考えると、苦しくなる。胸が張り裂けそうなほど、辛い思いとなった。
その感情の正体に気づくのは、一か月後の話。
シーツを洗っていたら、ディーが現れたのだ。
「マリエッタ――!」
「ディー様!?」
喜びが、溢れてくる。
ここ最近、ずっと抱えていた苦しみや辛さが、一気に消えてなくなった。
同時に気づく。マリエッタはずっと、ディーに会いたかったのだと。
自分で彼に「もう会わないほうがいい」と言っておいて、その言葉に一番傷ついていたのがマリエッタ自身だったのだ。
エプロンで濡れた手を拭ったマリエッタは、ディーのもとへと駆け寄る。そしてそのまま抱きついた。
「ディー様、お久しぶり!」
「ちょっ……マリエッタ!」
「一か月ぶりかしら? それ以上?」
「この歓迎っぷりは、まったく、予想していませんでした」
ディーの発言を聞き、ハッと我に返る。
もう会わないと言った者の、行動ではなかった。
異性に自分から抱きついたのだって、初めてである。
マリエッタはすぐさまディーから離れ、頭を下げた。
「わたくしったら、なんてはしたないことを! ディー様、ごめんなさい!」
「いいえ、私はまったく構わないのですが」
「構うわ!!」
マリエッタはぶんぶんと頭を振り、謝罪を重ねる。
顔が、今までにないくらい熱い。
これまでにない羞恥心にも、襲われていた。
「本当に、大丈夫ですので」
ふと、我に返る。
ディーは街で何か問題があったから、ここへやってきたのではないかと。
「あの、わたくしに、ご用命があるの?」
「ご用命?」
「ええ。街で何かあったから、いらっしゃったのでしょう?」
マリエッタの問いかけに対し、ディーはキョトンとしていた。
「お手紙は? なぜ、魔法のお手紙を、使わなかったの?」
「ああ、なるほど。マリエッタは、街で事件が起きたから、私がここにやってきたのだと思ったのですね」
「ええ、違うの?」
「違います」
ディーは珍しく、淡く微笑んだ。
マリエッタの手を掬いとり、優しい声で言う。
「私は、あなたに逢いにきたのです。ただ、それだけですよ」
「わ、わたくしに?」
「ええ。元気そうで、何よりでした」
普段、眉間に皺を寄せてばかりいるディーの笑顔は、破壊力抜群であった。
「この一ヶ月半、私は領民達に、あなたについて正しく理解してもらおうと、話し合いの場を設けました」
しかしながら、何度説明しても、夜霧の森の魔女への憎しみは消えやしない。それどころか、前回の自然災害も、夜霧の森の魔女の仕業だと信じて疑わない者が後を絶たなかった。
「長い時間をかけて、ようやく気づきました。皆、自分の信念の元で生きていて、他人の言うことがどれだけ正しくても、信じてはくれないと」
いくら説得を重ねても、怒りで我を忘れた者とはわかり合えない。どれだけ訴えても無駄なのだ。
「鳥が猫に、空の飛び方を教えるようなものだったのでしょう」
時間は永遠にあるわけではない。
わかりあえない者達に対して必死になるより、わかりあえる者と過ごしたほうがいい。
ディーは気づいたのだという。
「だから、あなたに逢いにきたのです」
「ディー様」
顔が熱い。先ほどの羞恥心とは異なる理由で、体温が上昇しているような気がした。
「それはそうと、この手は、どうかしたのですか?」
ディーが握るマリエッタの手は、あかぎれだらけである。
みすぼらしい。そう思って、慌てて引き抜いた。
「最近、魔女術に頼らないで、家事をしてみようと思ったの」
「なぜ?」
「魔力がなくなった自分を想像したら、何もできないって思ったから、怖くなって」
「なるほど。言われてみたら私も、使用人がいなければ、生きていけないですね」
「ディー様は大丈夫よ」
「どうして言い切れるのですか? 私だって、今の身分が永遠とは限りません」
「あ……そうね。ごめんなさい。なんとなく、ひとりで生活できないディー様が、想像できなくって」
「未来が見えずに、危うい中で生きているのは、皆同じです」
そう言って、ディーはシーツを洗う桶の前にしゃがみ込んだ。
「マリエッタ、これは、どうやって洗うのですか?」
「知って、どうするの?」
「洗濯物とやらを、してみようかなと」
おそらく、言いだしたら聞かないだろう。マリエッタはため息をひとつ零して、洗濯の方法を教えてあげた。
「洗濯板に、布を揉み込むようにして押しつけるの。ごしごし、ごしごしって洗って、汚れを落とすの」
ディーは真剣な眼差しで、シーツを洗っている。額には、珠の汗が浮かんでいた。
その様子を、マリエッタはジッと見つめる。
「マリエッタ、私の手元は、見なくてもいいのですか?」
「ディー様があまりにもお美しいので、見とれていました」
「は?」
「はい?」
理解しがたい、という声色だった。
なんとなく、触れてはいけない話題のような気がして、マリエッタは話を逸らす。
「そういえば、騎士様は見習い期間に、正騎士に仕えていろいろ下働きをするという話を聞いたことがあったのだけれど、ディー様はなさらなかったの?」
「私は――そうですね。ないです」
声色が堅い。これも、聞いてはいけない話題だったらしい。
踏み込んではいけない話が多いのではないか。マリエッタは内心思う。
彼はおそらく、とてつもなく高貴な育ちなのだろう。
そんじょそこらにいる貴族とも異なる。雰囲気が、ジルヴァラ国の王太子に近かった。
そういえば、街の人達がディーを別の名前――ディディエ、と呼んでいた。若干気になっていたものの、今は聞かないほうがいいのだろう。
シーンと静まり返る。マリエッタはこれ以上話しかけないほうがいいと思い、黙ってシーツを洗い始めた。
マリエッタとディーが洗ったシーツはきれいになる。しっかり絞って、皺を伸ばしてから干した。
ひと息ついたところで、ディーが気まずそうに話しかけてくる。
「あの、マリエッタ。すみませんでした」
「なんに対する謝罪?」
「せっかくいろいろ話しかけてくれたのに、上手く返せなくて」
ディーは珍しく、しどろもどろと説明する。
「その、なんと言いますか、先ほどのように、誰かに話しかけられる、という状況があまりなくて」
「ディー様は、いつも話しかける側なのね」
「ええ」
マリエッタの推測は正しかった。通常、身分が上の者が、下の者に話しかける。
他人から話しかけられる機会があまりないということは、ディーは騎士隊の中でもかなり上の地位にいるのだろう。
「でしたらどうぞ、ディー様のほうから、わたくしに話しかけて」
「そうですね……」
ディーは顎に手を添え、しばし無言となる。特に、話しかけることはないようだった。
眉間に皺を寄せ、首を傾げ始める。マリエッタはその様子が面白くて、笑ってしまう。
「もう、ディー様ったらおかしな人! 無理して、話そうとしなくてもいいのに」
「いえ、聞きたいことは、たくさんあったはずなんです。マリエッタを前にしたら、頭の中が真っ白になりまして。もう少し待っていてください。すぐに、思い出します」
「はいはい、わかりました。中でお茶を飲みながら、ゆっくりお考えになって」
マリエッタはディーを家に招き、茶と菓子を振る舞うことにした。
メルヴ・トゥリーはディーの訪問を大歓迎する。てけてけと走ってきて、足下にヒシッと抱きついていた。
『ワーイ! イラッシャイ!』
「メルヴ・トゥリー、息災のようで何よりです」
『ウン!』
マリエッタはグリージャをディーに紹介する。
「ディー様、こちらはわたくしの大親友、猫妖精のグリージャ」
ディーが来た途端に不機嫌になったグリージャであったが、マリエッタが大親友と紹介したので上機嫌となった。
茶と菓子を、メルヴ・トゥリーやグリージャと共に囲んだら、会話は不思議と弾んだ。楽しい時間を過ごす。
一時間ほどで、ディーは街へと帰る。
別れ際に、ディーは気まずそうにマリエッタへと質問を投げかける。
「私がこうしてやってくるのは、迷惑ですか?」
「いいえ、とっても嬉しいわ」
「退屈ではないのですか?」
「楽しいわ。ずっとずっと、お喋りしていたいくらい」
「そうでしたか。よかった」
ディーは安堵の微笑みを浮かべる。その瞬間、マリエッタの胸はきゅんとときめいた。
不意打ちの笑みは、破壊力抜群なのである。
「マリエッタ、また遊びに来ます」
「ええ!」
笑みを浮かべ、マリエッタはディーを見送った。




