召喚の儀式
王太子ユウェルと婚約してから、早くも八年経った。
マリエッタは十七歳になる。
日の出前に侍女に起こされ、湯浴みの時間を迎える。
髪は丁寧に梳られ、体はフワフワに泡立てた石鹸で磨かれた。
暖炉の前で、丁寧に髪を乾かす。
マリエッタの腰まであるミルクティー色の髪は、焼き鏝を当てずとも美しく巻き上がっている。侍女は、妖精に愛されし髪だと絶賛していた。
白い肌はなめらかで、高級な磁器のよう。
ぱっちり開いた瞳は、新緑色に輝いている。
唇はさくらんぼのように艶やか。
手足はすらりと長く、立ち姿は愛らしいの一言。
マリエッタは美しい。
それなのに、王太子ユウェルは婚約式以来、一度も彼女に会いにきていなかった。
手紙のひとつも、寄越しはしない。
侍女達は嘆いていた。
仕える主人であるマリエッタは、こんなにも美しいのに、見向きもしないと。
マリエッタ自身も、ユウェルと仲良くしたいと思っていた。
けれども、向こうが接触してこないのに、一方的に望むのはどうかと思って何もしなかった。
愛想のない王太子よりも、マリエッタの興味は魔女術にあったのだ。
王太子ユウェルの二十歳の誕生日が一年後に迫ると、マリエッタを取り巻く環境は変わっていく。
侍女の数が増えて、美容にかける時間が長くなった。
ジルヴァラ国の王は、二十歳になると即位する。
併せて、彼の妻となるマリエッタは王妃となるのだ。
聖獣召喚の儀式は結婚式の前に、大聖堂で執り行われる。
もしも失敗したら、なんて不安がまったくなかったわけではない。
けれどもマリエッタは前向きな性格で、きっと聖獣は召喚に応じてくれるだろうと考えていた。
一年後――マリエッタは十八歳となる。
夜中にたたき起こされ、湯浴みが開始された。半日以上かけて、結婚式を執り行うため、身なりを整えるようだ。
純白の婚礼衣装をまとい、丁寧に化粧を施された。
歴代の花嫁達は緊張のあまり、食事を口にできなかったらしい。
けれども、マリエッタは朝からしっかりと食べた。
ジルヴァラ国の歴史の中で、初めて結婚式の当日に食事をした花嫁として記録された。
塔を出る前に、精緻な花模様が刺されたベールが下ろされる。
夫となるユウェルの手によってベールが上げられるのは、聖獣召喚を成功させてから。それまで、マリエッタの視界の半分は遮断された。
王宮から迎えの馬車がやってきて、マリエッタは八年ぶりに塔の外に出る。
いつもは窓越しに感じていた太陽の光が、さんさんとマリエッタに降り注いだ。
今日はいい天気。素晴らしい一日になるに違いない。
マリエッタの胸には、希望が溢れていた。
それなのに、それなのに――彼女は予想外の事態に襲われる。
マリエッタが連れてこられたのは、結婚式が執り行われる大聖堂。
結婚式の前に、ユウェルと茶の一杯でも飲んで話す時間があると思っていたのに、即座に儀式を執り行うらしい。
心の準備なんて、できていなかった。
けれども、やるしかない。
聖獣召喚後に、結婚の誓約が交わされる。
マリエッタはひとりで、大聖堂へと足を踏み入れた。
参列客の視線が、一気に集まる。
七色のステンドグラスが太陽の光によって照らされ、バージンロードを美しく彩っていた。
祭壇の前には、ユウェルが立っている。
八年ぶりだった。
思い出すのは、蔑むような冷たい視線。
それも無理はなかったのかもしれない。マリエッタは、魔法が使えなかったから。
少年だった彼も、二十歳の誕生日を迎え、大人の男性となっていた。
マリエッタ同様、純白の婚礼衣装をまとっている。遠いので、表情はわからない。
ただ、花嫁を慈しみ、迎えようという態度でないのは確か。
冷え切った目が、マリエッタに突き刺さっているような気がした。恐ろしくなって、視線を逸らす。
急に、マリエッタは恐怖に襲われた。
もしも、召喚を失敗したら、父王が処罰されるのではないか?
国民も、不遇の目に遭うかもしれない。
それらの事情を理解できないまま、マリエッタはやってきた。
習ったときものほほんとしていたのに、今になってとてつもない重圧のなかにいるのだと気づく。
従属国である祖国は、ジルヴァラ国の支援がなくてはとても暮らせない。
雪深く、作物はほとんど育たないという。
食料のほとんどは、ジルヴァラ国からの輸入頼りだ。
マリエッタの召喚が失敗し、罰として食品の輸入が制限されたら――?
国民の命を、マリエッタが背負っているのも同然なのだろう。
何がなんでも、召喚の儀式を成功させないといけない。
マリエッタは決意と共に、一歩、一歩と前に進んでいく。
祭壇の周辺には、召喚に使う魔法陣が描かれていた。
王妃となる花嫁は、そこで召喚魔法を使って国を守護する聖獣を呼ぶ。
そのため花束の代わりに、婚礼衣装に魔法使いの杖を持って結婚式に挑むのだ。
両手に握るのは、白銀の杖。先端には、大粒のルビーがあしらわれていた。
歴代の王妃が、聖獣召喚のさいに使った伝統の杖である。
魔法陣にたどり着いたマリエッタは、静寂の中で召喚の呪文を読み上げた。
緊張で、ガタガタと震えている。
凜としていなければ。
マリエッタは祖国を代表して、魔法陣の上に立っているのだ。
大きく息を吸い込んで、はく。
大丈夫、大丈夫と何度も言い聞かせた。
箒のように柄の長い杖で、魔法陣の中心を叩く。
それは、儀式開始を合図するものだった。
「――求めよ、求めよ、求めよ、さすれば、汝は求めるものを、受け取るだろう。叩け、叩け、叩け、さすれば、叩いた門が、汝の為に開かれるだろう」
マリエッタの美しい声で紡がれる呪文に、参列者はほうとため息をつく。
聖獣よ、現れてくれ。
マリエッタは縋るような気持ちで、呪文を唱えていた。
詠唱と共に、ステップを踏む。
タン、タタンと、魔法陣に描かれていた呪文を踏んでいくのだ。
靴底に呪文が刻まれており、魔法陣に描かれた呪文と摩擦することによって、魔法が完成していく仕組みであった。
くるりと一周すると、魔法陣が発光しはじめる。
――やった!
マリエッタの心は、歓喜に震えた。
聖獣が、召喚に応じてくれたのだ。
現れたのは、大きな黒い竜。
竜は聖獣の中で、最強だと言われていた。
ジルヴァラ国の長い歴史の中でも、竜を召喚した王妃はいなかったはずだ。
まさか、竜が召喚に応じるなんて。
竜が魔法陣に下り立った瞬間、契約完了の魔法が自動で浮き上がる。
召喚の儀式は、成功したのだ。
きっと、ユウェル殿下も喜んでくれるはず。
マリエッタは振り返ったが、その先は真っ暗だった。
まるで舞台の幕が下りた時のように、視界が閉ざされていく。
「え!?」
ぞっと、全身に悪寒が走りぬけた。
同時に、頭巾で顔を覆った女が、真っ逆さまの状態で落ちてきた。
辺りは暗いのに、女の姿だけははっきりと見える。
女はマリエッタの頬を両手で掴んで、口元を歪ませながら叫んだ。
「この、恵まれた王女の体は貰った!!」
その瞬間、景色がぐるりとひっくり返る。
二本の足で立っていたはずなのに、真っ逆さまになっていた。
それだけでなく、ぐんと引っ張られる。
マリエッタの体は、下に、下にと落下していった。




