クリスタリザーシーへ
しとしと、しとしとと雨が降る。
雨期がやってきたようだ。一年に一度、雨が降り続ける日があるらしい。
「雨が降る雰囲気とか、雨音は好きだけれど、毎日続くとちょっぴり飽きてしまうかも」
『マリエッタ、あなたでも飽きますのね。何でもかんでもいい方向に捉えて、毎日雨最高! とか言いそうなのに』
「そこまで脳天気じゃないわ」
『あらあら、ごめんなさい』
雨も今日で五日目。今日はまだ雨量は少ないほうだが、街のほうは分厚い雲が浮かんでいる。
『きっと街は、大雨でしょうね』
「そんな……!」
この五日間、ディーと会っていない。
これまで、三日に一度は顔を合わせていた。そのため、たった五日間会わないだけで、長く会っていないように錯覚してしまうのだ。
毎日雨だが、元気だろうか。マリエッタは気になって仕方がない。
「五日も降ったら、恵みというよりは、厄災だわ」
先日メルヴ・トゥリーと森野菜を植えた畑も、危うく水没しそうになった。
今は魔法で水はけをよくし、必要以上に雨が降り注がないようにしている。
一生懸命作った畑である。台無しにさせるわけにはいかなかった。
と、ここで気づく。
マリエッタの畑がこれだけダメージを受けているのならば、街の畑も似たような状況ではないのかと。
「わたくし、街に行ってくるわ」
『は?』
「街の畑も、冠水の被害に遭っているかもしれない」
『え? マリエッタ、ちょっとお待ちになって。どうして、あなたが街に行きますの?』
「だって、街の人達は、一生懸命作物を育てているわけでしょう? 雨でダメになったら、悲しいと思うの」
『でも、無関係のあなたが行く必要はないと思うのですが』
「それは、そうだけれど……」
マリエッタは冠水寸前の状態を見てショックを受けた。半日使って作った畑でさえ、ここまで思い入れがあるのだ。
ずっと世話をしていた畑や農作物がダメになったら、街の人達の落胆は大きいだろう。
いてもたってもいられない。そういう状態だった。
「わたくしは、畑の冠水を防ぐ方法を知っているわ。その力を、街の人達のために使いたいの」
『でも、こんな薄暗い雨の中、どうやって街まで行きますの?』
『メルヴ・トゥリーニ、任セテ!』
天井にぶら下がっていたメルヴ・トゥリーが、蔓を伝ってするする降りてくる。
『転移魔法デ、街マデ、連レテイッテ、アゲルヨ』
「メルヴ・トゥリー、ありがとう!」
マリエッタはメルヴ・トゥリーの体を、ぎゅっと抱きしめる。葉っぱが頬に突き刺さっていたが、気にしない。感謝の気持ちを伝える。
「グリージャはお留守番をお願い。サッと行って、すぐに戻ってくるから」
『本気ですの?』
「ええ、本気よ」
『でも、街のほうは酷い雨ですわ。今日は寒いし、風邪を引いてしまうかもしれない』
「大丈夫」
『大丈夫ではありませんわ!』
グリージャはマリエッタに、お人好しが過ぎる、わからず屋さんだと叫んだ。大きな瞳が、ウルウルと潤んでいる。マリエッタを心から心配しているのだろう。
「グリージャ、ありがとう」
『なぜ、お礼を言いますの? 私は、あなたに怒っているのに!』
言葉を返す代わりに、マリエッタはグリージャをぎゅっと抱きしめた。
「グリージャは、わたくしの帰りを待っていて」
『……』
グリージャから離れ、頭を撫でる。
こうしてはいられない。準備をしなくては。
まず家用の魔女の外套を脱ぎ、洗濯籠に放り込む。
クローゼットから取り出したのは、防水魔法を施した外套。内側に、ありとあらゆる水を弾く魔法陣が描かれている。雨の日でも、庭仕事ができるように作っていた一着だ。
防水外套を着込んで、頭巾を深く被った。
物置部屋に並べられた、身の丈ほどもある杖を手に取った。先端に六角柱形の水晶があしらわれている。マリエッタの手に驚くほど馴染んだそれは、触れただけで体内の魔力が活性化された。
杖は、魔法使いにとってのマッチ棒みたいなものだ。
人はマッチ棒があれば、簡単に火を熾せる。それと同じように、杖があれば魔法を比較的簡単に発動させることが可能なのだ。
物置部屋には、多くの品物を詰め込めることが可能な〝魔法鞄〟もあった。
「この鞄、すごいわ」
魔法鞄の容量は、〝無限〟と魔法陣に描かれいる。
限りない物資を、詰め込むことを可能としているようだ。
年季の入った鞄だ。歴代の魔女から受け継いだ古い品物なのだろう。
「そうだわ!」
マリエッタは思いつく。
もしかしたら、薪がなくて寒い思いをしている人達がいるかもしれない。そう思って、火の魔石をあるだけ詰めておく。食べ物に困っている人達もいるだろう。パンや保存食なども持っておいた。
「よし! メルヴ・トゥリー、行きましょう」
『ハーイ!』
メルヴ・トゥリーは元気のいい返事をしてくれた。グリージャは、目をウルウルさせたまま、マリエッタを睨んでいる。
「グリージャ。みんなで暮らす大事な家だから、守っていてね」
『そんなの、わかっていますわ!』
「ありがとう」
いつの間にか、しとしと雨から本降りになっていた。街のほうは、さらに酷くなっているという。
メルヴ・トゥリーはブツブツと、呪文を唱えている。
足下に、魔法陣が浮き上がる。
体が、ふわりと軽くなった。転移魔法が発動したのだろう。
『マリエッタ、気を付けて』
「うん!」
グリージャと言葉を交わした瞬間、視界がくるりと回転した。
一瞬真っ暗闇の中に包まれたが、すぐに周囲の景色が変わる。
ふわふわしていた感覚から、急降下した。
「きゃあ!」
『ワー!!』
なんとか着地する。
ここが街? という言葉は、土砂降りの雨にかき消された。
水が満たされた桶をひっくり返したような、強い雨である。
メルヴ・トゥリーは頭上から生える葉っぱを大きく成長させ、傘のようにして雨を弾いていた。
舗装されていない道は、ぬかるんでいて酷いありさまだ。
辺りには木造の家が並んでいる。木々が並び、自然豊かな街のようだ。
このような大雨の中、人々が行き交っている。何かあったのだろうか。
男達だけでなく、女達までも雨に濡れながら忙しなく走り回っていた。
「きゃあ!」
マリエッタの脇を通り過ぎようとしていた女性が、ぬかるみに足を取られて転んだ。
年頃は四十代くらいだろうか。傘も差さずに、全身びしょ濡れだった。
助けてあげないと。マリエッタはすぐに動く。
「大丈夫!?」
駆け寄って手を差し伸べたが、顔を上げた女性はマリエッタを見てハッと肩を震わせた。
「その黒い外套……! あんた、もしかして〝夜霧の森の魔女〟かい!?」
「いえ、わたくしは――」
「この、憎たらしい魔女め!!」
女性はそう叫び、泥の塊をマリエッタに投げつけた。頬に当たり、顔が泥まみれとなってしまう。
「この雨も、あんたのせいだろう?」
「いいえ、違う」
「あんたのせいなんだ!!」
続けざまに泥を投げつけられた。全身、泥まみれとなってしまう。
外套は水を弾くものの、泥は想定していなかった。
「氾濫しかけた川を見に行った男達が、大勢呑み込まれたんだ! あんたのせいで!」
「川……?」
「ああ、そうだ」
「川が、氾濫しそうなの?」
「そうだと言っているだろうが」
ならば、マリエッタが様子を見に行く先は畑ではない。川だ。
踵を返そうとしたところで、女性から腕を掴まれる。
「一発、殴らせろ! うちの夫は、死んだんだ!」
「きゃあ!」
メルヴ・トゥリーが『喧嘩ハ、ダメー!』と割って入ろうとしたが、女性の肘鉄を受けて吹き飛ばされてしまう。
『ワー!』
「メルヴ・トゥリー!」
女性が拳を振り上げた瞬間、背後より鋭い声が響く。
「何をしているのですか!!」
振り返った先にいたのは、馬に跨がったディーであった。背後に、多くの男達を従えている。
「ディディエ様! 大雨は、夜霧の森も魔女の仕業なんです」
「そうではないと、説明したでしょう! これは、自然災害です!」
騎士が駆け寄り、女性を引き寄せる。拘束から逃れたマリエッタは、そのままぬかるみの中に突っ込んでしまった。
「マリエッタ、大丈夫ですか!?」
ディーが駆け寄り、泥だらけのマリエッタを起き上がらせてくれる。
「あ……、ディー様、ありがとう、ございます」
「あなたは、どうしてこんなところにいるのですか?」
「街の畑が、冠水していると思って、心配して、やってきたの」
大変なのは、畑ではなかった。街の近くにある川が、氾濫しかけているという。
「ここは危険です。今すぐ逃げてください」
川が氾濫したら、街をも呑み込む。これから領民全員、避難させるという。
「でしたらわたくしが、川の氾濫を魔法で止めるわ!」
「何を、言っているのですか?」
「水を操る術を、知っているの。それに、メルヴ・トゥリーもいるから」
「メルヴ・トゥリー?」
ディーの近くに立っていたメルヴ・トゥリーが、手を掲げて挨拶する。
『メルヴ・トゥリーダヨ』
「な、なんですか、これは?」
『森の精霊よ』
「精霊!?」
いつもいつでも冷静沈着なディーであったが、精霊の登場には度肝を抜かれたのだろう。青い瞳を、極限まで見開いている。
「川は、わたくしに任せて。ディー様は、避難を」
「何を言っているのですか。あなただけに、任せるわけないでしょう」
「え?」
「一緒に行きます」
「でも、危険だと思うの。成功するかも、わからないし」
「自信がなければ、挑まないでください。迷惑です」
「い、いえ! 自信は、あるわ! 大丈夫。きっと」
それは、マリエッタ自身に言い聞かせるような言葉でもあった。
「成功する自信があるのならば、私も同行します。あとのことは、部下に任せますので」
「あ、待って! 食料を、持ってきたの。街の人達に、渡してくださる?」
「ええ、わかりました。その、ありがとうございます。助かります」
雨のせいで、物流が滞っているらしい。食べる物にも困っている者達がいるようだ。
マリエッタは魔法鞄から食料を取り出し、ディーの部下らしき男性に託す。




