騎士とマリエッタ
衝撃は、襲ってこない。
代わりに、狼の魔物の断末魔のような鳴き声が聞こえた。
『ギャンッ!!』
いったい何が起こったのか。そっと目を開いた。
目の前にあったのは、両断された狼の生首。マリエッタは悲鳴を上げる。
「きゃあっ!!」
すぐ近くに、首から下の体もあった。血を噴水のように、噴き出している。
「なっ、なっ……!」
「大丈夫ですか?」
マリエッタを気遣うような声と共に、手が差し出される。
どうやら襲われる前に、誰かが助けてくれたようだ。
顔を上げると、見知った顔だった。
「ディー様?」
狼の魔物から助けてくれたのは、領主の私設騎士隊に所属するディーだった。
マリエッタは、ホッと胸をなで下ろす。
なんとか、助かった。
わかっているのに、体が動かない。全身の力が抜けているようだ。
ディーはいつまで経ってもマリエッタが手を取らないので、業を煮やしたのか腕を握って立ち上がらせようとした。
しかしながら、マリエッタの体は軟体生物のようにぐにゃぐにゃで、上手く立ち上がれなかった。
「どうしたというのです? 怪我でもしているのですか?」
「いえ、そうではなくて、おそらく大きな魔法を使ったことによる魔力切れで、体がこのようになってしまったの。ごめんなさい」
「まさか、森を浄化したのは、あなたの魔法だったのですか?」
「えーっと、たぶん」
「なんという……!」
やはり、マリエッタの浄化魔法はかなりの広範囲に及んでいたらしい。
ディーはマリエッタに食材を持って行くために森に入っていたようだ。そんな中で、突然森が変化していったので、驚いたという。
「途中で森が光に包まれて、枯れていた草木が元通りになったので、いったい何が起こったのかと、不思議で」
「私も、沼だけ浄化するつもりだったの。それがまさか、広範囲に及んでいたなんて思いもしなかったから」
一時間くらい休んだら、魔力が回復するかもしれない。
マリエッタは改めて、ディーに感謝の気持ちを伝える。
「ディー様、心から感謝しているわ。それから食材も、ありがとう」
少し離れた場所に、革袋があった。それに、マリエッタが頼んだ小麦粉や砂糖、バターなどが入っているのだろう。
ディーに手渡す薬草やキノコ、ジャムなどあったが、渡すのはまた今度になりそうだ。
今はただ、感謝の気持ちを伝えるのみである。
「森の中は魔物が潜んでいるから、ディー様も気を付けて帰って」
見送る言葉を言い終えたマリエッタを、ディーは呆れた目で見つめていた。
「わたくし、また変なことを言った?」
「ええ。まさか、私があなたを見捨てて、このまま街に帰ると思っていたのですか?」
マリエッタが頷くと、ため息をつかれてしまった。
「少し、黙っていてください」
そう言って、ディーはマリエッタを横抱きにして抱えた。
「ひ、ひゃあ! ちょっ、ディー様!?」
「大人しくしていろと言ったのが、聞こえなかったのですか?」
「いえ、その……はい」
ディーはそのまま、マリエッタの家のほうへと進んでいく。
どうやら、家まで送り届けてくれるようだ。
心の中で感謝しつつも、マリエッタはあることに気づく。
「ディー様、食材! 食材があそこに放置されたままになっているわ!」
「自分の命と食材、どちらが大事なのですか?」
「ディー様が持ってきてくれた食材を、無駄にしたくないの!」
「あなたという人は……」
呆れたように言いながらも、ディーは戻って食材が入った革袋を拾い上げる。肩に担いで、そのまま歩き始めた。
一時間もある距離を、マリエッタを抱きかかえながら運んでくれた。
ただし、マリエッタが軽すぎるだの、一気に森を浄化するなんて無茶をするだの、文句を言われながらであったが。
マリエッタが憎くて怒っているわけではないようだった。
心配したのだろう。
それを思うと、胸がじんわりと温かくなる。
家の敷地内に到着したので、マリエッタはディーに物申す。
「あの、ここまででもう大丈夫。元気になったから」
「信用なりません」
はっきりと返されてしまった。
そういえば、ディーはマリエッタが信用に足る魔女が調べるためにここへとやってきたのだ。
一回二回会った程度では、信用なんてしてもらえるわけがない。
ディーはマリエッタを、客間の長椅子まで運んでくれた。
丁寧に、そっと下ろしてくれる。
「ディー様、本当にありがとう」
「通りすがったついでです」
ぷいっと、そっぽを向かれてしまう。
困ったマリエッタは、ディーの手を取って手の甲にそっとキスをした。
これは、祝福の魔法でもある。光の粒が、ディーの手の甲で輝いた。
「これは――!」
「感謝の気持ちよ。ディー様に、いいことがありますように」
魔女から祝福を受けるなど、想定もしていなかったのだろう。ディーはまんまるとした目で、マリエッタを見つめる。
ディーがぽかんとしている間に、立ち上がろうとした。だが、いまだ足腰に力が入らない。
「ディー様、ごめんなさい。今日は、おもてなしできそうにないわ」
「そんなの、不要です」
「また、ここにいらして。そのときは、心からのおもてなしをするから」
「……はい」
ディーはぶっきらぼうに返事をし、帰っていった。
彼が森にやってこなかったら、マリエッタは死んでいただろう。
改めて、深く深く感謝した。
ディーの帰りを視線で見送ったのと同時に、マリエッタは目を閉じる。限界だとばかりに、眠りに落ちた。
マリエッタは夢をみる。それは、誰かの記憶か――。
――呪われた娘だ! 今すぐ、殺せ!
――ああ、嘆かわしい娘よ……。
――お前は、不必要な存在だったんだ! この、焼き殺してやる!
焼きごてが迫り、額を焼いた。
全身が、燃えるように熱い。
痛みと乾きと絶望と、ありとあらゆる辛い感情が押し寄せてくる。
――誰か、助けて!!
そう叫んだのと同時に、額から熱が引いていった。
いったい誰が?
マリエッタはそっと瞼を開ける。
『マリエッタ!?』
「グリー……ジャ?」
『ええ、そう』
額には、布に包まれた氷の塊が置かれていた。グリージャが魔法で作ってくれたらしい。
『酷い熱でしたの。冷やさなければと思って、〝家庭の医学書〟に書いてあった、氷嚢を作ってみました』
「グリージャ、ありがとう」
涙がじわりと溢れてくる。独りだったら、恐ろしい夢をみながら今も苦しんでいたかもしれない。
マリエッタは顔を覗き込むグリージャを、ぎゅっと抱きしめる。
『な、なんですの!?』
「グリージャ、ありがとう!」
『べ、別に、あなたが心配でやったわけではありませんので! 死体がこの家に転がっていたら、嫌だから、その、死なないようにしただけですわ!』
「それでも、嬉しい」
グリージャの温もりを感じていると、マリエッタはポロポロと涙を零す。
誰かの優しさを、温もりを、もう何年も感じていないように思えたからだ。
貰った優しさを、返せるような人になりたい。マリエッタは強く思ったのだった。
グリージャはマリエッタに食事も用意してくれた。先ほど言っていた、〝家庭の医学書〟に書かれた、病人食〝パン粥〟を作ってくれたらしい。
パン粥とは、パンをやわらかく煮ただけのもの。
『汗を掻いているときは、塩を振りなさいって書いてあったから、多めに入れてあるわ』
「ありがとう」
食欲はまったくなかったが、パン粥を口にするとどんどん食が進む。しっかりとした塩味が、体に沁み入るようだった。
その後、マリエッタはたっぷり水分と取って、寝台でぐっすり眠る。
グリージャの看病のおかげか、翌日は元気になった。




