第七話 散歩する日曜日
休日の朝。
薄曇りの空を見上げながら、高乃は玄関の鍵を閉めた。
「……行きましょうか、ポル。」
「はい。さんぽ、すき。」
足元の小さな犬型アンドロイドが尻尾を振る。
声の抑揚には確かな感情があった。
「知ってますよ。」と苦笑しながら、高乃は歩き出した。
もう、アンドロイドと暮らすつもりなどなかったのに…
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商店街の通りは、休日らしい緩やかさに包まれていた。
パンの香り。子どもの声。信号の音。
ポルはまるで人間のように歩調を合わせ、赤信号で止まった。
「おはようございます。」
「しゃべった!」「すごい、本物みたい!」
笑い声とスマートフォンの光が集まる。
高乃は軽く頭を下げて通り抜けた。
注目を集めるのは慣れている。――だが、その理由は違う。
少し先のカフェテラス。
その一角に、見慣れた姿があった。
「……アトム。」
黒いコートに、湯気の立つカップ。
いつもと変わらぬ穏やかな笑み。
「やあ、高乃。日曜日に会うなんて珍しいね。」
「偶然って言いたいんだな。」
「うん、もちろん。君が犬と歩くなんて、ちょっと驚いたけどね。」
「……押しつけた張本人が何を。」
アトムは少しだけ肩をすくめた。
「押しつけた?違うよ。君に向いていると思っただけ。」
アトムの声は柔らかい。
それが癪に障るほど、自然で人間らしい。
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ベンチに座る二人を、通行人がちらちらと見る。
「アトムだ……」「ほんとに本物?」
ざわめきが波のように広がる。
アトムは気づいていながらも、気にする様子はなかった。
「人気者だな。」
「ありがたいけど、時々息苦しいね。」
「それでも笑ってる。」
「笑えば、人は安心するから。」
高乃は息をついた。
「……相変わらず、人間くさいこと言うな。」
「そう言う君が、一番人間らしいのに。」
アトムの言葉に、高乃は黙った。
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「そういえば、高乃。楓ちゃんはどう?」
「……仕事の話か。」
「そう。新人、頑張ってるだろ?」
「真面目だ。覚えも早い。……優秀だよ。」
「でも?」
「普通の子だと思う。
強い意思はあるけど、特別な何かがあるわけじゃない。」
アトムは目を細める。
「“普通”って、君が一番欲しがってた言葉じゃなかった?」
「……どういう意味だ。」
「人間でもアンドロイドでもなく、
誰の色にも染まらない“普通”。
僕が楓ちゃんを選んだ理由、少しは分かった?」
「分からない。俺は人間の考え方で生きてるから。」
アトムが少し笑った。
「君も、僕と同じように“心”を探してる。
それに気づかないだけだよ。」
「……言いたいことだけ言って、満足か。」
「まだ半分。」
「残りは聞かない。」
その短いやり取りに、二人の長い付き合いがにじんでいた。
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ポルが小さく鳴いた。
「けんか?」
「してませんよ。」
「ほんと?」
「ほんとです。」
アトムが吹き出す。
「君、犬にまで丁寧語なんだ。」
「礼儀は大事。」
「ふふ、そういうところ、好きだな。」
「気持ち悪い言い方するな。」
アトムはコーヒーを飲み干し、立ち上がった。
人々の視線が再び彼を追う。
「高乃。君は、人を信じるのが下手だ。」
「お前は、信じすぎる。」
「だから、君に任せたんだよ。楓ちゃんを。」
「なんであの子なんだ。」
「君がそう聞くと思ってた。」
アトムは小さく笑って、
「答えは、そのうち本人が見せてくれる。」とだけ残した。
高乃は眉をひそめた。
「いつもそうだ。曖昧なことしか言わない。」
「そう?未来の話をしてるだけだよ。」
それを最後に、アトムは群衆の中へと消えていった。
ポルが尻尾を振って言う。
「たかの、アトム、すき?」
「……どうでしょうね。」
灰色の空の向こうで、わずかに光が差していた。
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