第六話 この子は家族
「円城寺さん、今日お休みです。」
朝の調査課。庶務担当の声が響く。
「……風邪ですか?」楓が尋ねると、
「そう。珍しいね、あの人が寝込むなんて。」
調査官は二名一組で行動するのが原則。
一人では現場に出られない――楓は途方に暮れた。
「困ってる顔してるね。」
調査課の奥から、ラフなスーツ姿の女性が現れた。
黒髪を後ろでまとめ、どこか煙草の香りがする。
「調査官の鹿目凛。あんた、円城寺の後輩でしょ?」
「はい、紺野楓です。」
「今日、うちの班に合流ね。人が足りないの。」
その後ろには無言の男――**真壁巧**が立っていた。
元警視庁。短く刈られた髪と冷静な瞳。
「……よろしくお願いします。」楓が頭を下げると、
真壁は軽く会釈を返した。
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調査対象は郊外の古い屋敷。
資産家の老人、花村源蔵。
申請内容は――犬型アンドロイド「ポル」への人格認定申請。
「犬に人権、ですか?」楓が読み上げる。
「そう。遺産を残したいらしい。」凛が肩をすくめた。
「金持ちの孤独って、ほんと多様よ。」
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庭の門をくぐると、クリーム色の小型犬が姿を見せた。
ふわふわの毛並み、黒い瞳。
まるで本物のペキニーズだ。
「ポル。お客さんだよ。」
花村が声をかけると、犬が駆け寄り――そして、言った。
「こんにちは。どうぞおはいりください。」
楓は息を呑んだ。
「……喋った。」
凛が吹き出す。「いいじゃん。犬語訳いらずね。」
「おもしろくない。」ポルが小さく言い返した。
その生意気な声に、真壁でさえ口元を緩めた。
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居間には古い写真が飾られていた。
息子と妻の笑顔。その中で花村は寂しげに笑っていた。
「私はこの子に、私の財産を残したい。」
「遺産を……ポルに?」楓が確認する。
「ええ。息子も妻ももういません。
この子だけが、私を見てくれる。」
ポルは静かに花村の足元に座る。
「げんぞう、きょうはすこしねむそう。」
「そうか、ポル。よく分かるな。」
まるで長年連れ添った家族のようだった。
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調査が始まった。
楓はポルに質問を重ね、凛と真壁が解析を行う。
「あなたは花村さんのことをどう思っていますか。」
「だいじ。かなしいとき、なでるとげんぞうがわらう。」
「なでると、笑う?」楓が聞き返す。
「そう。だから、なでる。」
それは単純な学習反応とは思えなかった。
真壁が端末を覗き込みながら言う。
「センサー反応の先読みがない……自発行動に見える。」
凛が低く呟く。
「つまり、命令のない“思いやり”ってこと?」
楓は頷いた。
「はい。ポルさんには、確かに“心”があります。」
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その日の報告書には、三人の調査官の署名が並んだ。
> 結論:対象個体に明確な情動反応・共感行動を確認。
人格発達を有するものと認める。
しかしすぐに技術管理課から返答が届く。
> 「犬型アンドロイドは生物分類上“動物補助機”の区分に属し、
現行法において人格付与の対象外とする。」
「……つまり、認めても人権は与えられない、ってこと?」楓が呟く。
凛が舌打ちした。
「心があっても“犬だからダメ”。そんな馬鹿な話ある?」
真壁が冷静に言う。
「制度が心を測るんじゃない。
“人”の定義が、まだ変われてないだけだ。」
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その数日後。
認定報告の最終決裁が保留となっている間に、一本の報せが入る。
> 花村源蔵氏、急性心不全により死亡。
楓は声を失った。
凛が机を叩く。
「あと一歩で承認だったのに……」
真壁は短く言う。
「制度が人を待ってくれないだけさ。」
ポルは、屋敷の玄関先で動かなくなっていたという。
まるで“待っているように”座ったまま。
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数日後の朝。
庁舎のロビーで、楓は思わず足を止めた。
人だかりの中央で、小さな犬が尻尾を振っていた。
「……ポル?」
「おはようございます。」
まちがいなく、あの声だった。
その横で書類を抱えた高乃が立っている。
まだマスク姿、風邪明けの顔。
「おはようございます、紺野さん。」
「え、どうしてポルがここに?」
「……アトムが僕の席に置いていったんです。」
高乃は少しだけ苦笑した。
「“飼い主がいないなら、君が面倒を見なさい”って。」
「アトムが……?」
「本人は否定してましたけど、
庁舎の搬入口の記録が彼のIDで残ってました。」
ポルがくるりと回って、高乃の足元にすり寄った。
「たかの、すき。たかの、いいにおい。」
楓が笑うと、高乃が少し困ったように言った。
「……慣れられてしまいました。
でも、不思議ですね。僕には“心”が分からないのに、
この子にはそれがある気がする。」
楓は小さく頷いた。
「ええ。
心って、人間だけのものじゃないのかもしれませんね。」




